Act2:異世界召喚
結局静也は午後の授業もおざなりに、そのまま放課後を迎えてしまった。
「赤月ぃ、帰るぞー」
「…はいよ…」
隣のクラスから顔を出した篠崎の呼びかけに適当に応え、鞄に荷物を纏める。
「……またひでぇ面構えだな」
「ほっといてくれ…」
落ち込む静也を慰めようと、わざとおちゃらけて背中を叩く篠崎。
だが見事に空振り、余計に静也を落ち込ませてしまう。
それなりに長い付き合いで慣れているせいか、篠崎は静也の様子に苦笑した。
「相変わらずヘコむとめんどくせーな、お前」
「るせぃ。自己嫌悪はなかなか引きずるんだよ」
「(って、うわ、半泣きだ。目ぇ怖っ)」
今まで俯いていたので気付かなかったが、篠崎を睨みつける静也の目は真っ赤に充血し、涙ぐんでいた。
元々の目付きの悪さを更に助長して意図せず篠崎を威圧する。
「あー…まあなんだ、倉田ちゃんが地雷踏んで、お前が言い返したとかそんなんだろ?甥っ子と叔母さんならよくあることさ。多分」
「…最後の一言は余計だ」
「う…」
突っ込まれて篠崎はどもる。
家族と離れて一人暮らしをしている篠崎の言葉に説得力は皆無だった。
「というかお前、今日は随分と不機嫌だな。なんかあったか?」
「…言いたくねえ」
「昼休みに言ってた夢の話と関係有るのか?」
「………」
「(図星かよ)」
「分かりやすい奴」と篠崎は内心呆れて少し笑う。
「言ったろ?夢ってのは深層意識の現れだって。その…勇者だったか?それが夢に出てくるほどのお前のトラウマだったら、それと向き合うのも、ひとつの手段なんじゃ無いか?」
「(………夢、か)」
篠崎の主張に耳を傾けながら、静也は考える。
確かに「勇者」は自分の中で強烈なトラウマとして深く突き刺さっている言葉だ。
明晰夢という少々変わった形とはいえ、そのことに対するしがらみに自分自身が何らかの警告を発したとしても不思議ではないと彼は考えた。
「……俺、昔勇者って言われてたんだ」
「……ほう」
学校を出て篠崎の家に向かう道すがら、漸く沈黙を破って口にした言葉に、篠崎は相槌を打つ。
静也が篠崎に昔語りをするのは初めての事だった。
「転校する前、中学のクラスのやつを一人助けた。そうしたら他の連中が「勇者」って茶化した」
「………」
「………でも、転校してから、自分がどこまでも無力で、凡人だって理解した」
そこまで口にして、再び俯く。
「……ま、トラウマを自分でほじくり返すのは、辛いわな」
思い当たるフシがあるのか、篠崎はそう言って深くは訊かず、ニヤリと笑って静也の頭を乱暴に撫で付けた。
「…って、ガキ扱いすんな。ウド野郎」
「ハハハ、ノッポの役得だ。チビ助」
恨めしげに睨む静也と勝ち誇る篠崎。
因みに静也は170㎝。篠崎は199㎝。
決して静也が小柄なわけではない。
「あ!そういや昨日のグラビア番組観たか?」
「深夜の?」
「そうそう!吉澤れもんちゃん、すごかったよなぁ!」
「お前…「自分は倉田ちゃん一筋だ」とか何とか言ってなかったか?」
「それはそれ、これはこれ。テレビの女と本命は別だっての」
「アホか…!」
バカバカしい会話で騒がしく帰路につく二人。
静也の表情は、少し晴れていた。
「ただいま」
「おかえりなさい。……あら?」
居間で洗濯物を畳んでいた静也の母は、帰宅した息子の顔を見て微笑んだ。
「美智乃から電話があったけど、少し立ち直ったみたいね」
「……あの教師は…」
叔母のお節介に静也は頭を掻いて眉間にしわを寄せた。
彼の担任に就いてからの美智乃の世話焼きは、今に始まったことではない。
「そう邪険にしないの。貴方が甥っ子じゃなくても、気に掛けてたと思うわ」
「あの人の性格上そうだろうけどさ…」
その心配性が血縁に向いているからこそ面倒なのだと静也は思う。
学校のマドンナ教師に世話を焼かせる甥っ子生徒というのは、男女問わずあまり良い印象を抱かれないものらしい。
校内の男子からは嫉妬と羨望。女子からは女に守られる情けない男という卑下。
早い話周りの白い目が痛いのだ。
「……少し寝る。晩飯になったら起こして」
「はいはい」
母の返事を聞きながら、静也は二階の自室へと足を運ぶ。
「(………向き合う、か)」
部屋の扉を開ける直前、静也は篠崎の言葉を思い出していた。
勇者というトラウマ。
それをいつまでも引きずっている様では、前には進めない。
「……応えないとな」
一度深呼吸をして、扉を開ける。
「……こ、これは…こんな事も…!?」
「………………………………………………………………………………………はい?」
そして、『夢に出てきた蒼髪の少女』の姿を見て、思考が完全に停止した。
「……ひゃー…この世界ではこんな激しいことも…」
「………………」
おかしい。
それが思考を僅かに取り戻した静也の心の声だった。
透き通る海を思わせる蒼い髪。
吸い込まれそうな蒼の瞳。
今朝見た夢に出てきた少女に相違無い。
だが、アレは夢だ。
夢とは「無いもの」だ。
なのに。
「なんで、居るんだ?」
「ふぇ?………………あ!」
声に気づいて少女が静也の姿を見止めると、少女は熟れたリンゴのように顔を真赤に染め、慌てて読んでいた本を背中に隠した。
直前に静也は見た。少女が何を隠したのかを。
肌色率の多いあの本は…!
「な…ん…!」
「はう…あの、その…貴方を待つ間、少しこの世界のことを知ろうと…」
ベッドの奥地に封印していた筈の、思春期の青少年なら必ず一冊は持っているお宝…!
「ちょ…一体何がどうなって…!?」
謎の少女が自分の部屋に入っていたり、自分の趣味を見られたりと、完全なパニックに陥った静也は先程までの思考などすっ飛ばして部屋に飛び込み、習慣から後ろ手に扉を閉めて、立ち上がって取り繕う少女に詰め寄った。
―――この瞬間から、少年の運命は動いた―――
「おい、お前一体…うわ!?」
「きゃあ!」
静也が少女に歩み寄る途中、部屋全体が激しい揺れに襲われた。
少女に向かっていた静也は前に、下がっていた少女は後ろにバランスを崩して倒れこむ。
「ッ、ヤベ…!」
「ひゃ…!?」
ただでさえモノが多い部屋だ。何が落ちるか分かったものじゃない。
何とか踏ん張ってもう一歩前に踏み出し、静也は少女を抱き寄せて倒れこむ。
次の瞬間、本棚が倒れた。
「………いっ…ててて………収まったか…?」
「う…うぅ…」
背中に本棚の重さを受けながら、静也は少女の様子を見る。
「(怪我は…無さそうだな)」
しいて言えば落ちてきた超辞林|(※ある意味日本で最も信頼できる国語辞典。分厚いので鈍器として使用された傷害事件が起こった。税込み2798円)に額をぶつけて目を回している程度だ。
「それにしても」と静也は思う。
「人間じゃ、ねえよな。多分」
見れば見るほど人間離れした印象を与える美少女だ。
蒼い髪は生え際から毛先まで手入れが行き届いており、どう見ても地毛としか思えない。
目鼻立ちは整っており、雪のように白い肌と併せて精悍で聡明な雰囲気がにじみ出ている。
茶色のマントの下には動きやすそうなシャツに革製のベストと同じく革製の膝丈ズボン。腰に巻いたベルトには試験管らしきものがちらほら。裸足にサンダル。
そして最も人間離れしている『長く尖った耳』。
「この娘、何者なんだ?」
本棚を立て直し、よっこらせと起き上がって少女へ疑惑の視線を投げかける。
一度部屋を見回し、少女の手当のために救急箱を取りに行こうと部屋の扉を開けた瞬間、
「………………………………………………はい?」
赤月静也は、目の前に広がる大空と、部屋そのものが巨大な樹木の一部と化していた事実に、本日二度目の思考停止に陥るのだった。
「静也ー?騒がしいけど、お友達も一緒にいるのー?」
突然息子の部屋から騒音が響いたことで、静也の母は息子へと声を掛ける。
しかし返事はない。
「………寝相でも悪いのかしら?」
今朝から様子がおかしかったので心配した母は、息子の部屋へと足を運ぶ。
「静也、もう寝てる…の…!?」
扉を開けた先には息子の姿どころか、『部屋そのもの』が無かった事実に、母もまた思考停止に陥っていた。