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3.魔法による初めての殺人

 柚子城ランは結局、宿題をすることができませんでした。

 自分が殺してしまった猫のことをいつまでも考えてしまって何も手につかなかったからです。

 次の朝、ランは憂鬱でした。夜はほとんど眠ることができませんでした。宿題もやっていません。宿題を忘れた彼女は間違いなく担任の先生に怒られてしまうでしょう。寝不足ですので、もしかしたら授業中に眠ってしまうかもしれません。今日のことを考えるととても嫌な気持ちになりました。

 通学途中に蓮見結衣と会いました。彼女は元気にランに挨拶します。

 しかしランは元気に挨拶を返すことができませんでした。結衣は彼女の元気がないことに気付きました。

「どうしたの? 元気がないみたい」

「大丈夫。なんでもないよ」

 ランは無理やり笑顔を作りました。こういう時こそ魔法が使えたらいいのにとランは思いました。自然な笑顔を作ったり、楽しい気持ちになることができる魔法があるのならば、ぜひ使ってみたいと思いました。

 残念ながらランは、そのような魔法の使い方を知りませんでした。

 ランが使うことができる魔法は限られています。

 ものを動かす魔法と、ものを瞬間移動させる魔法。

 彼女が使える魔法と言えばそのぐらいでした。

 でもランはもう魔法を使わないことに決めたのでもう関係ありません。

「大丈夫に見えないよ。何か心配なことがあるの?」

 結衣にはランの気持ちなどお見通しのようでした。ランは彼女に自分が宿題をやっていないことを伝えました。結衣は黙って聞いていました。

「じゃあ、私が宿題を見せてあげる」

 話を聞いた結衣は言いました。

 宿題をやっていない人に自分の宿題を見せるということはいけないことでした。先生はいつも宿題を自分の力でやりなさいとうるさく言っていました。ランはためらいました。

 それでもランは結衣から宿題を見せてもらうことにしました。確かに宿題を見せてもらうのはいけないことだと分かっていますが、先生に怒られるのはもっと嫌でした。それに自分は宿題ができなかっただけで宿題をする気はあったのだと思っていましたから、先生に怒られるというのはなんだか理不尽な感じがしたのです。

 宿題を見せてほしいと結衣に告げると「でも先生には内緒だよ」と彼女は言いました。ランも先生に叱られるのは嫌なので「もちろん」と答えました。

 学校に到着し自分の教室に入ると、さっそく結衣は宿題のノートをランに差し出しました。ランはノートを受け取ると辺りを確認しました。

 できれば周辺にいる生徒にも、自分が宿題を写しているところは見られたくありませんでした。

 周りの生徒たちがランと結衣に注意を払っていないことを確認してから、彼女が結衣から借りた宿題のノートを開きました。

 結衣は優秀な生徒でしたので宿題は完璧でした。ランは彼女に感謝しながら宿題を写し始めます。まったく同じ解答にしてしまうと宿題を写したことがばれてしまう可能性があるので、たまに違う解答を書き込んだりしてばれないように気を遣いました。

 半分ほど宿題を写したときのことでした。同じクラスメイトの松原がランに声をかけてきました。

「お前、何してんの?」

 松原はランのノートを覗き込みました。彼はどうでも良いことに興味を示す傾向がありました。同級生のことをいつも観察し、少しでも面白そうなことを見つけてはちょっかいをかけてくるのです。

 柚子城ランは、遠慮することなく自分のテリトリーに入り込んでくる彼のことが苦手でした。

 自分が友人から宿題を写してもらっていると知られたら、彼はクラスメイトに言いふらしてしまうかもしれません。

 もしそうなったら結衣にも迷惑が掛かってしまう。そう思ったランはノートを腕で隠そうとしましたが、既に手遅れでした。

 松原は半ば強引にランの手から結衣の宿題ノートを奪い取りました。

「だめ!」

 ランは思わず叫んでいました。クラスいる人間がみんなランと松原の方を向きました。そしてそれとほぼ同時に、松原が大声を出しました。

「柚子城の奴、宿題写してる!」

 ランは頭の中が真っ白になりました。何も考えられなくなった彼女はノートを取り返そうと松原に飛び掛かっていました。

 ランと松原はもつれ合ったまま倒れました。ランは彼の手からノートを奪おうと必死でした。途中で松原の顔や体をずいぶん引っ掻いてしまい、ノートを取り返したときには、彼の体は傷だらけでした。

 ランは結衣のノートを胸に抱えて松原から距離を取りました。

 松原はゆっくりと立ち上がりました。こちらを見つめるその瞳には、はっきりとした怨嗟の念が感じ取れました。彼は遠巻きに見ているクラスメイトに向かって叫びました。

「柚子城が人の宿題写してた!」

 ランに傷つけられた彼はクラスメイトを味方につけようとしていました。宿題を写すことは悪いことです。それは全員が知っています。松原はランがいかに悪いことをしているかをみんなに訴え始めました。

 ランは生きた心地がしませんでした。悪いことは分かっています。でも宿題をする気はありましたし、ちゃんとできなかった理由があるのです。彼女はそう主張しようと思いましたが、言葉が出てきませんでした。どきどきして心臓が爆発してしまいそうでした。

 松原は両手でノートを頭上に掲げて、これが蓮見結衣のノートであり、それをランが自分のノートに書き写しているのを見たのだと大声で説明していました。

 だんだん何も考えられなくなっていきます。ランは松原の手の中にある結衣のノートを奪いたいと強く願いました。

 具体的なイメージがランの脳内に浮かび上がります。

 べちん、という音が教室中に響き渡りました。

 まるで水をつめた風船を無理やり割ったような音でした。

 赤い液体が、松原と周囲にいたクラスメイトにかかりました。

 それはランのところにも少量ですが飛んできました。

 手のひらにかかったそれをランは確認しました。

 血でした。

 ランは松原の方へと視線を向けました。

 彼は茫然とした顔をしていました。その顔は血でべったりと汚れています。彼の視線はランの方ではなく、自分の手のあたりに向けられています。しかし彼は自分の手を確認することは出来ませんでした。

 なぜなら松原の両手は既に存在していなかったからです。彼の両手は手首から先が無くなっていました。彼は真っ赤に染まった両手首を見ていましたが、何が起きているのかを理解することは出来ていないようでした。

 心臓の鼓動に合わせて彼の両手首からビュッビュッと血が噴き出しています。

 まず事態を理解したのは、周囲にいたクラスメイトたちでした。

 二、三人が大声を上げて周りの人間を押しのけて逃げ出しました。

 恐怖と混乱はあっという間に教室中を包みました。みんな我先に教室から逃げ出そうとしました。そんな中、最後まで事態が呑み込めなかった松原が声もなく倒れました。どうやら意識を保つことが困難になるほどの血を失ってしまったようでした。彼は白い顔をしたまま動かなくなりました。

 そしてこの教室でまだ事態を理解できていない人間が一人いました。誰でもない柚子城ランです。

 ランも松原のように茫然として立ち尽くしているだけでした。

 しかし彼女の場合、自分が魔法を使ってしまったことを理解していました。

 ランは彼がノートを頭上に掲げて説明を始めた時、頭の中でイメージしてしまいました。それは彼の両手が消えて、ノートがこちらに飛んでくる様子でした。

 そのイメージの中では血は一滴も出ていませんでした。松原の両手は、それこそ魔法のように消失し、ノートがふわりと飛んでくるのです。

 でも現実は、そうはいきませんでした。

 両手首からはイメージしていない大量の血が出てきました。ランは自分の足元を確認しました。血まみれのノートが落ちていました。

 結衣のノートです。

 このノートもふわりと飛んではくれませんでした。

 私の魔法は完璧ではないのだ、とランは悟りました。彼女は使わないと決めた魔法を無意識のうちに使ってしまい、しかもクラスメイトを傷つけてしまったのです。ラン自身は松原に不快感を覚えてはいたましたが、それとこれとは関係ありませんでした。

 ランは人を傷つけてしまったのです。

 昨日の野良猫と同じで、自分の魔法が原因です。

 わざとじゃなかったんだ、なんて言い訳は通用しません。

 教室に残っているのは倒れたままの前原と、ランだけでした。親友だった結衣もランを置いたまま逃げてしまったようでした。

 ランは駆けだしました。松原の方を見ることもなく教室を出て、階段を駆け下りました。

 あれだけの騒ぎです。事態はすぐに先生たちの耳に入るでしょう。あの教室に先生たちが詰めかけるに違いありません。

 証拠は何もないので、ランが犯人だと思う先生はいないはずでした。でもランは既に冷静な判断ができなくなっていました。

 彼女は靴を履きかえると学校から逃げ出しました。もう一秒たりとも学校にいたくありませんでした。

 ランは走り続けました。

 どこに向かっているのか、全然わかりませんでした。

 彼女はただひたすら走り続けました。

 気が付くとランは自分の家の玄関にいました。自分では何も考えていませんでしたが、身体は通学路を覚えていたようです。見慣れた家の前についたので、ランはとてもほっとしました。

 しばらく家の前から動けませんでした。

 とても疲れていたからです。ただでさえ運動は苦手なのに、それに加えて精神的な負担が大きかったので、ランはくたくたになっていました。

 早く自分の部屋に入って休みたい、布団にもぐりこんで眠りたいとランは思いました。

 平日のこんな時間に家に帰ってきたのですから、お母さんは変に思うでしょう。ランはあらためて自分の格好を確認しました。服にはところどころ血が飛んでいます。こんな恰好をお母さんに見られたら何を言われるかわかりませんでした。

 でもそんなことはどうでも良いと思えるほどにランは疲労していました。

 ランはドアを開けて中に入りました。

 玄関には見たことのない男性用革靴が一足、きれいにそろえられていました。


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