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1.魔法による初めての人助け

 柚子城ランはある朝、自分が不思議な力を持っていることに気付きました。

 どうも自分が頭の中で強く念じたことが実際に起こるらしいのです。

 最初にそれに気付いたのは目覚まし時計が鳴ったときでした。

 ランは目が覚める前に無意識のうちに目覚まし時計を止めてしまう困った癖がありました。ちゃんと目が覚めているわけでもないのに、手が自然と動いて勝手に目覚ましのベルを止めてしまうのです。

 ちゃんと起きることができないと小学校に遅刻してしまいますし、お母さんにも怒られてしまいます。困ったランは目覚まし時計を自分の手の届かないところに置いておくことにしていました。これなら無意識のうちに時計を止めたりもしないだろうと考えたからでした。ベッドから少し離れたところに置かれた目覚まし時計に、ランは安心していました。

 ランは自分の手を見ました。

 目覚まし時計が手の中にありました。

 どうして手が届かないところにあったはずの目覚まし時を自分の手の中にあるのかランには分かりませんでした。

 もしかしたら知らないうちに時計のところに歩いて行って、時計を持ってきたのかもしれない、と思いました。

 しかしそれが間違いであることを、彼女は知っていました。

 ランは直前まで夢を見ていました。

 夢の中で彼女は布団にくるまって寝ていました。すると目覚まし時計が、遠くの方でやかましい音を立てて鳴り始めました。

 ランは布団から手を突き出して、目覚まし時計の方へと向けました。

 不思議なことが起きました。

 なんと目覚まし時計がふわりと浮きあがり、彼女の方へと飛んで行ったのです。それは彼女の手の中にきれいに収まりました。

 そこで目が覚めたのです。

 そして手の中には目覚まし時計が握られていました。

 ランは夢だと思っていましたが、しかしどうやらそれが夢ではなく、本当にあったことらしいと彼女は思いました。

 もしそれが本当にあったことだとすると、とても不思議なことです。

 ランはためしに目覚まし時計を宙に放りました。そしてそれが空中でぷかぷかと浮かんでいるところをイメージします。

 すると放物線を描きながら落ちていた目覚まし時計が速度を落とし、最後には止まってしまいました。そして彼女の目と同じ高さのあたりに浮かんでいます。

 超能力という言葉をランは思い出しました。

 ランはそれをテレビで見たことがありました。男の人が手を使わずにコインを動かしたり、コップを瞬間移動させたりしていました。

 テレビに出ていた偉そうな男の人が、それは手品だとうるさく主張していましたが、ランはその男の人が間違っていたことを悟りました。

 不思議な力は本当にあるのです。

 柚子城ランは超能力と言う言葉を思い出しましたが、魔法と言う言葉の方が好きだったので、自分が使える能力は超能力ではなく魔法なのだと考えることにしました。

 彼女は宙に浮かんだままになっている目覚まし時計から意識をそらしました。

 とたんに目覚まし時計は支えを失ったようにぽとりとカーペットの上に落ちてしまいました。

 部屋のドアが開きました。

 ランがびっくりしてドアの方を見るとお母さんが立っていました。

「なにをやっているの? 遅刻するわよ」

 お母さんは言いました。どうやらランが魔法を使えるようになったことに気がついてはいないようでした。彼女はほっとして「分かっているよ」と答えました。

 お母さんはランから目を離してカーペットの上に落ちている目覚まし時計を見ました。ランは魔法がばれてしまうのではないかとひやりとしましたが、お母さんは何も言わずに部屋を出ていきました。

 ランは部屋を出て階段を降りました。彼女の部屋は二階にありました。

 食卓ではお父さんが朝ごはんを食べながら、新聞紙を広げて読んでいました。お母さんが「行儀が悪いですよ」と注意していましたが、お父さんは「ああ」と答えただけでした。

 いつもの朝です。

 ランは嬉しくなりました。

 急いで朝ごはんを食べると二階に駆け上がり、ランドセルを背負いました。

「行ってきます」

 元気よく挨拶をすると「いってらっしゃい」と両親の声がしました。その声には自分の娘に対する愛情にあふれていて、自分はとても幸せな人間なのだとランは思いました。

 優しいお父さんとお母さんと、そして今のランには魔法があるのです。

 幸福すぎて怖いくらいでした。

 ランは自分の魔法を、他人の幸せのために使おうと考えました。

 他人を幸せな気持ちにするのはとても楽しいことでした。

 通学途中で、ランは親友である蓮見結衣に会いました。

 蓮見結衣は柚子城ランと特に仲が良く、いつも一緒に遊んでいました。

 そうだ、自分の魔法で最初に幸せにするのは親友の結衣にしよう。

 そうランは考えました。

「ねえ、何か困っていることはない?」

 ランは聞きました。

 結衣は少しだけ考えていましたが、首を横に振って答えました。

「いいえ、特に困っていることはないわ」

 それを聞いたランは少しがっかりしました。でも困っていることなんて無い方が良いに決まっているのだと思い直しました。

「そう。もし困っていることがあったら教えてね」

 ランは気を取り直してそう言いました。

 彼女の言葉に結衣はにっこりと笑って「うん!」と元気よく答えました。

 ランはとても嬉しくなりました。

 学校での生活もいつも通りでした。

 この学校で彼女が魔法を使えることを知っているのは、本人である柚子城ランただ一人なのです。

 自分だけの秘密を持つということはとても楽しいことだとランは感じました。

 それでも彼女は魔法を他人のために使うことにしています。そして魔法を使うとするならば、やはり学校と家で使うことになることでしょう。

 ばれなければ良いな、とランは少しだけ思いました。

「あ!」

 唐突に隣の席に座っていた結衣が驚いたような声をあげました。

「どうしたの?」

 ランが聞くと結衣は悲しそうな顔をしてこちらを向きました。

「宿題忘れた。ランドセルに入れておくのを忘れちゃった」

 彼女は目に涙をためていました。もう少しで泣いてしまいそうな感じでした。

 結衣は成績優秀で、いつも担任の先生から褒められていました。彼女も先生の期待を裏切らないようにと、一生懸命に努力を続けてきました。

 彼女が宿題を忘れたことを知ると、先生はがっかりしてしまうでしょう。もしかしたら結衣は先生に怒られてしまうかもしれません。

 先生に叱られている結衣のことを想像してランは悲しい気持ちになりました。そして今こそ自分の魔法を使うときだと考えました。

「大丈夫だよ、安心して」

 ランの言葉に結衣は首をかしげました。彼女の言っている言葉の意味がよく分からないようでした。

 ランは座席を立ち上がり、トイレへと急ぎました。

 トイレには個室が並んでいます。ランは一番奥の個室に入りました。

 ここならば自分の魔法を見られる心配もありません。

 まだ目覚まし時計を浮かせることしかしていないので、魔法で結衣の宿題ノートをここまで移動させることができるのか自信はありませんでした。

 しかしやらなくてはいけません。大事な親友が困っているのですから、ここで魔法を使わないようであれば魔法を持った意味がありません。

 ランは結衣の宿題ノートがどんなものかをよく知っています。強くイメージすることなど簡単なことでした。

 彼女の宿題ノートを魔法の力を使ってここまで、ランの手の中まで飛ばしてしまえばいいのです。

 ランは魔法を使おうとしましたが、ふと思いました。

 もしかしたら、いや間違いなく結衣の部屋にある窓には鍵がかかっているはずです。だとしたら魔法でノートを飛ばすことなど、できるわけがありません。ランはすっかり困ってしまいました。

 そろそろ授業が始まってしまいます。あまり時間はありません。

 一生懸命考えたランは、ある可能性を考えました。

 それは物体を動かす以外の種類の魔法も使えるのではないか、例えば瞬間移動させることなどもできるのでないか、と言う可能性でした。

 可能性があるのならばさっそく試してみなければなりません。ランはまぶたを閉じて、頭の中で結衣のノートをイメージしました。そしてそれが自分の手の中にある状態を思い描きます。

 すとんと何かが自分の手の中に落ちる感覚がしました。ランは目を開けました。すると結衣が使っている宿題ノートが手の中に、確かにありました。

 やっぱりだとランは思いました。自分の能力はただものを動かしたり浮かせたりするだけではなく、ものを瞬間移動させることもできるのです。ランは嬉しくて仕方がありませんでした。

 能力の有用性が証明できたことと、結衣の役に立てたことも嬉しいのですが、それ以上に、これから自分の力を使ってたくさんの人を幸せにできると考えたからです。

 ランは急いでトイレから出て教室へと向かいました。早くしないと授業が始まってしまいます。

 教室で泣きそうな顔をして机についていた結衣は、ランの手に握られているノートを見て顔を輝かせました。

 ランはノートを廊下で拾ったと説明しました。ノートがランドセルから落ちたなどという作り話を結衣が信じてくれるかどうかランには判りませんでしたが、ほっとしている結衣はそこまで考えることはしませんでした。彼女はランに「ありがとう」と最大限の感謝の言葉を贈りました。

 結衣が喜んでくれたのでランは幸せでした。自分の初めての魔法を、結衣のために使って本当によかったと思いました。またなにかあったら相談してね、きっと力になれるからとランは結衣に言いました。「うん」と結衣は元気よく頷きました。

 先生が教室に入ってきました。

 一日の始まりです。


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