第一話
初投稿です。よろしくお願いします。
「この国の人は、都合の良い時に信じてもいない神を信じる。」
たまたま見ていたTVのCMのセリフに私は激しく同意する。
私がこの国に来てからは見た光景といえば、年初めこそ神社という神様を祭っている施設に大量の人が押し寄せ、金を投げ、手を合わせてその年の幸せを願うくせに普段は神への信心の欠片も見せずに自分のために時間と金を費やす光景である。そして何か失敗を恐れたり、大事な時に神に祈る。当然だが一年間に硬貨数枚程度で救われるなんてうまい話は…あるはずがない。
他の国では毎日何度も神に向かって礼をすることで敬いの気持ちを見せている国も多々あったが、この国では「八百万」といって様々なものに神がいると信じ込ませ(たいていの場合それは神ではなく精霊である。精霊は神の部下だ)、ひどい時には生きている人を神だといって金やその他諸々のものを要求する始末だ。
そんな彼らの中には神がどんな姿でどんな存在なのかに興味を持ち、研究する者もいるが、その研究の資料は残念なことに彼らと同じ「人」が書いた書物や絵であることが多い。それも空想が素材になっている。それらの本や絵がまったくの嘘、というわけでもないが、少なくとも人間を神が泥から作ったりはしないし、手をかざしただけで失明している目が見えるようになることはない。手をかざす前に目の手術を施したほうが良い。もっと現実を見て欲しいものだ。
ある球技の監督は「運は身近に転がっている」と言っていた。運と神は実は同じことであって(もっと言えば彼らの言う悪魔や鬼も同じなのだが)それは正しいが、このことを本当に理解している人は少ない。
もっともっと周りを、身近を、よく見てほしい。今、まさに、試験前で単位の取得が危うく、試験が無くなることを神に願っている君の前で、ジーンズに緑のパーカーを着て、TVを見ながら、コーヒーをすすって、人について考えているこの私も神の端くれなのだ。
「神に願う前にもっと勉強したほうがいいよ」
ヒロに私はそういう。
「拓哉はいいよな。勉強しなくてもほとんど『優』じゃん。天才だよ。俺はいつも『可』なのに」
「『可』でもありがたいと思えよ…。試験1週間前切らないと勉強しないのだから。」
私は今は鈴木拓哉と名乗っている。この国だと以前には山本勘助として武田なんとかに仕えていたり、駆け出しの頃には若気の至りではあったが蘆屋道満として安倍晴明と名乗っていた友人と世間を賑わせたりもした。あの時の最上様からの怒られ方は半端じゃなかった。
「だって普段は部活が忙しいんだよ。」
「いやいや、その試験前にもかかわらず新作のゲームを買いに行って、そのゲームを徹夜でやっていたのは何なんだ?」
「だって大学生の間だけだぜ、遊べるのは。社会に出たら自分の時間なんて持てないし、自分探しの旅にも行けないんだぜ。時間は有効に使わなきゃ。」
私は言い訳を聞いても、もっといい時間の使い方があると思うし、社会に出なくてもやるべきことはやらなければいけないと思うのだが、何も言わないことにした。ちなみに彼の自分探しの旅は成功したこともないし、成功する見込みもない。
「で、試験はどのくらいヤバイの?」
一応、聞いてやる。
「過去問が一問も解けない。」
「昨年末の試験と変わらないな。なら大丈夫だろ。引き続き頑張れ。」
そう言って私はまたTVに目を向ける。私は私の仕事をする。
神の仕事は人の努力を評価することだ。評価に応じて結果を与える。TVでは国会議員が番組の中でいかに自分の党が国民の生活のために努力しているかを語っている。隣ではヒロはが何か呻きながら必死に教科書を読んでいる。あえて言っておくが、昨年彼が『可』を取れたのは私が少し力を使ったからだ。本当はギリギリ『不可』だったものが多数ある。今回は…少し痛い目にあったほうが彼のためだな。