98話 「新たな幕は残響と共に」
初代魔人皇がどうして神族を敵にまわしたのか、少しわかったような気がした。
全く同じではないだろうが、その根本は同じだろうとも思う。
神族にもいろいろいる。
ディオーネのように親しみやすい神族もいれば、そうではない者もいる。
――同じだ。
恐らく、神族を個別に見たのだ。
種族ではなく、個として認識したのだ。
〈凱旋する愚者〉の根本にあるモノの見方。
しかし、種族は種族だ。
神族は神族という括りにあるし、結局、その個人への敵意が、種族という括り全体に波及してしまえば、それは種族同士の戦争になる。
――あなたは一体何に喧嘩を売ったのですか。
初代魔人皇テオドールに問いたい言葉。
あの〈王神〉にだろうか。
それとも、もっと強力な別の神族にだろうか。
魔人に少なからず好意的なディオーネまでもを、手ごまとして本気の戦闘に引きずり出すほどの存在が、神族にいるのだろうか。
そしてそれにあなたは喧嘩を売ったのか。
もう少し、もう少し話が聞ければ、歴史を知ることができれば、今の時代の流れをもっと知ることができるのかもしれない。
そうすればきっと、アルフレッドたちを、俺たちを襲った理不尽も――
◆◆◆
「――い」
「――いよ、ちょっと」
「――のくせに!!」
甲高い声が耳を劈いていた。
起きる寸前、靄のかかる脳裏と、朦朧とした意識。
「りんご!! りんごよ!! 黄金のりんごが食べたいわ!! 持ってきなさい愚民ども!!」
「ねえちょっと、うるさいよプルミ」
はっきりと言葉を認識したところで、ついにサレはふと目を覚ましていた。
眠っていたか、気絶していたか、いずれにしても、そこでようやく自分が気を失っていたことに気付いて、
「……あれ?」
「あ、サレ超起きた」
サレは片手を顎において思案気に首を傾げた。
傾げながら、周りを見回す。
ベッド。
窓。
風に揺れるカーテン。
差し込む陽光。
テーブルに飾られた碧い花瓶と青い花と、備え付けの椅子に座る仲間たち。
隣には自分が寝ているのと同じようなベッドが三つ並んでいて、一つ隣に白翼をバタつかせたプルミエール、そのさらに奥にはうんざりした表情でプルミエールを見るシオニーがいる。
椅子に座ってプルミエールを諭しているのは眼鏡姿のメイトで、両手を器用に使って赤いりんごの皮をむいている。
プルミエールの隣で彼女の腕の傷口に薬を塗っているのはマリアだ。
視線を戻して自分のベッドの周りを見れば、イリアが膝を床につけながらベッドの上に両腕を乗せ、さらにその上に顎を乗せるようにして表情窺うようにこちらを見上げている。
実に愛らしい仕草だ。
「おはよう、サレ」
「ん? ああ、おはよう、イリア」
彼女がその仕草に驚異的な破壊力をもった無垢の笑みを上乗せし、サレに声を掛ける。
サレはいまいちまだ状況が掴めていないようだったが、イリアの笑みにつられて頬をほころばせながら言葉を返した。
「どこで気を失ったんだっけか」
「ああ、起きたんですね。おはようございます、副長」
「うん、おはよう、マリア。俺、どこで気を失ったんだっけ。記憶が曖昧だなぁ」
「あらあら、トウカの手刀が結構効いたようですね」
「……トウカ、トウカ。あー……」
言われてサレは間延びした声をあげた。
――思い出した。
気を失う寸前に、かろうじて耳に入った声。
あれはトウカの声だった。
「そうか。トウカに『助けて』もらったのか」
さらに前を思い出す。
――危なかった。我ながら脆い理性の防波堤だ。
ジュリアスの呼んだ〈王神〉とやらに対して、〈神を殲す眼〉を使おうとしたのだ。
血の涙がでていたというのに。
「助けてもらったと思えるのなら、副長はまだ大丈夫ですよ」
マリアがこちらの内心を見抜いたように声を掛けてくる。
「――面目ない」
「何言ってんの!? あんたに保つほどの面目なんてもとからないわ!! この愚魔人め!!」
やたらプルミエールがハイになっているのはどういうわけか。
基本的にいつもトんでいるプルミエールだが、今に至ってはやや引くくらいにテンションが高めだ。
「なんでこんなにハイなわけ? プルミのやつ」
隣でバタつくプルミエールの腕に薬を塗っているマリアに対し、サレは問いかけた。
マリアはその顔にいつもどおりの柔和な笑みを浮かべ、サレの方を振り向かずに答える。
「この子、どうにも副長を撃ってしまったことがまだ引っかかっているようで。心の整理がうまくつかないんじゃないでしょうか」
「ちょっと!! 何言ってるのよマリア!! 私そんなんじゃないわ!?」
「はいはい。わかったから少し大人しくしていなさい」
サレはマリアの答えを聞いて、納得した。
同時に、
――ああ、これは疑いようもなく――俺の責任だ。
そんな思いを得た。
「副長だけの責任ではないですよ」
――わかってる。
「でも、当事者は俺で、そしてプルミだ」
「ええ、それはそのとおりです。だから誰も責めませんし、逆に誰も二人の間を取り持ったりはしません」
「うん、それでいいよ」
サレは一度困ったような笑みを浮かべたが、すぐにそう返した。
そして、
「なんなのよ!! ああ、ちっとも気分が晴れないわ!!」
プルミエールが苛立つように高らかな声をあげたところで、
「はい、治療はおしまい。じゃあ、私は次の患者のところに行くわね。あなたも少しは安静にしなさい? ――まあ言うだけ無駄でしょうけど」
マリアが立ち上がり、サレのベッドの上で跳ねて遊んでいたイリアの手を掴んで、
「ほら、行くわよ、イリア」
「ほーい」
そそくさと部屋から出て行った。
「よし、完璧だ! 見てよこれ! りんごにギリウスの顔彫ったんだけど僕天才的じゃない!?」
――その微妙なスキルはなんなんだ、眼鏡。
メイトが包丁片手にガッツポーズを見せて、
「じゃ、君らでこれ食べてね。若干食欲失せるかもしれないけど」
――じゃあ彫るなよ……
サレの内心のつっこみをよそに、メイトも部屋から出ていく。
「私もだいぶ良くなったから少し散歩をしてくる。プルミの隣にいると耳が持たないしな。――じゃ、またな、サレ」
「うん、気をつけていってらっしゃい」
最後にシオニーが一度伸びをしてからベッドから抜け出し、緩やかな歩調で部屋から出て行った。
扉が閉まり、部屋に残ったのはサレとプルミエール。
――さて、どうしたものか。
サレは内心に思う。
するべきことはわかっているが、相手が相手なだけにどうきっかけを得たらいいかが分からない。
まあ、ここは大人しく――
――あやまっておこうか。
サレはそう決心して、プルミエールの寝ている右側のベッドに向き直り、言葉を紡ごうとして――
「――」
結局言葉が出なかった。
視線の先には、膝元まで掛かっていた白い掛け布団を引っ張り上げて顔に押し当てているプルミエールの姿があった。
自分の顔を隠すかのように、布団を顔に押し当てつづけるプルミエール。
しばらくしてその肩が震えはじめた。
サレはその異変に気付いて、ようやく――
「泣いてるのか、プルミエール」
そう声を掛けた。
◆◆◆
返答はない。
かわりに、むせびなくような声と、彼女の震える身体が布団に擦れる音が返ってきて。
サレはとっさに言葉を紡いだ。
「悪かった、プルミ」
たぶん、もっとも彼女自身が恐れる行為を、自分がさせてしまったのだ。
ギリウスと同様に、プルミエールの保護心は高い。
一番最初にアテム王剣との戦闘の時にアリスを救ったのも彼女で、誰よりも真っ先に彼女を守ろうと決心していたのも彼女だろう。
愚民と罵るギルド員たちを助けようとする心の作用が、おそらく誰よりも高いのはプルミエールだ。
そして、
――俺は、そのプルミエールに彼女の愚民を撃たせてしまった。
俺を、撃たせてしまった。
「……」
かつてこんなに精神的に弱った彼女の姿を見たことがあるだろうか。
ふとサレは反芻して、再び自分の責を強く認識する。
「……本当は」
すると、ついにプルミエールが声をあげた。
顔に布団を押し付けたまま、こもった声音でつぶやく彼女の身体はまだ震えていて。
「――怖かった」
決して弱音を吐かなかった彼女が言うその言葉は、サレにとってとてつもなく重く感じられた。
「あんた、馬鹿みたいに丈夫だけど、もし本当に死んだらどうしようって、内心では思ってたのよ」
撃つしかなかった。
敵に殺されるなら自分に殺されろと言った自分の言葉に偽りはない。
本心だ。
しかし、
「怖いに決まってるじゃない」
分は悪く、相手も悪く、手加減をしている余裕もない。
中途半端に手加減をすれば逆にサレに傷だけを残して、アテナにはかわされた可能性まであった。
だから、ただ、天運に任せて撃つしかなかった。
「ああ」
サレは言葉を飾るのをやめて、プルミエールの言葉を聞くことに意識を傾けた。
「まあ、そういう状況にしちゃったのはあんただけの責任じゃないし、あたしの力不足もあるんだろうけど。――でもやっぱりあんたが悪い」
「ああ」
「あんなになる前にしっかり仕留めなさいよ」
「ああ」
「なんとかしなさいよ、あんた副長なのよ」
「ああ」
「次はしっかりやんなさいよ」
「そうする」
「またしくじったら、今度は本気であんたの脳天吹っ飛ばしてあげる」
「そりゃあ物騒だな」
「もう――」
あんなの嫌だから。
「絶対、嫌だから……」
「うん」
「……」
徐々に大きくなるプルミエールの嗚咽と、むせぶような泣き声と。
それでも彼女は顔を晒さなかった。
その姿はまるで孤高独尊を極めた女王のようで。
高貴さを崩すまいと耐える姿には、いっそ美しささえ見て取れた。
「ごめんな、プルミ」
サレはベッドから抜け出て彼女の傍に歩み寄り、優しく数度、その頭を撫でた。
「……うん」
サレの言葉に、彼女は一度だけ従順なうなずきを返し、しばらく肩を震わせ続けた。
サレは幾ばくかの間、彼女の隣に座っていたが、このまま居座っては彼女が顔を隠し続ける意味がなくなることにも気づいていたので、彼女の震えが収まりはじめたあたりを見計らって、その部屋をあとにした。
――お前が後ろにいてくれて、本当に助かったよ。
「――ありがとうな」
部屋の扉が閉まる間際、サレが背中にそんな言葉を載せた。