97話 「戦景色に最初の幕を」
「どう思う?」
「どうって? ちゃんと言葉にしなさいよ、愚眼鏡」
「うちの副長ってさ、臨戦態勢入ってないときはかなり馬鹿だし、結構ぬけてるけどさ、一旦臨戦態勢に入ると逆に後先考えないところ、少しあるでしょ?」
「そういえばさっきも〈血の涙〉がでてるのに〈神を殲す眼〉を使おうとしておったのであるよ」
「そうそう、そういうの。そんなうちの副長がさ、『あんなこと』言われてただで引きさがると思う?」
「盗み聞きはよくないですよ、メイトさん」
「えっ!? 待って!? ノリノリでこの距離から囁き声拾って僕たちに翻訳までしたのアリスだよね!? 盗み聞きした張本人アリスだよね!? これ責任転嫁ってや――オウッ!」
「おや、すいません、目が見えないのでつい不慮の事故で拳がメイトさんの腹部に……」
「えげつないのであるな、アリス……」
「ですがまあ、メイトさんの危惧していることもわかります。そうですね、生物的に死にかけですし、戦闘終えたばかりでハイになってそうですし、サレさんもしかしたらヒャッハーしてしまうかもしれませんね」
「おいおいおい、冷静に言ってるけど血の涙でてるのにそれはまずくないか?」
「では言い出しっぺのマコトさんがサレさんのことを止めてきてください」
「無理!! 無理無理!! 見ろ!! なんだあのいかにも『やばいやつです』みたいな雰囲気出してる神族はッ!! 非戦闘民族な私がいったらでこぴん一発で即死しそうな雰囲気だぞ!!」
「意外と皆の衆、薄情であるなあ……我輩が行くべきであるかなあ……」
「ギリウスさんが行くとまた『竜族か……』みたいな展開になって面倒なことになりかねないのでダメです」
「我輩、ついにギルド内で種族的差別を受けるように……」
「おい!! そろそろやばいぞ!!」
「仕方ないのう……!!」
◆◆◆
「【砕け散れ】――」
『それは悪手だな、魔人』
二人の言葉が交錯した瞬間、その場に割って入った者がいた。
その場に飛び込んできたのは――真っ赤な紅葉柄の着物をはためかせたトウカだった。
彼女はサレの〈神を殲す眼〉の術式紋様が輝くのとほぼ同時にやってきて、サレの目蓋を乱暴に手でおろすのと同時に、
「あとであやまる。今は眠っとれ」
言葉を放ち、手刀をサレの首裏に凄まじい勢いで叩き込んだ。
もともと体力を使い果たして気絶しかけだったサレへの手刀は、たやすくサレの意識を刈り取り、その頭はがくりと前に垂れ下がった。
一瞬のできごとに、サレの胸倉をつかんでいたユウエルは多少目を丸めたが、驚くといったほどでもないようで、余裕をたやさずにトウカの顔を見ていた。
一方のトウカからはユウエルの顔は白光に覆われて見えず、
「ぬしの顔、目に優しくないのう……ちと背けておいてくれんかの? わらわ、文字通り顔が光輝いているタイプはあまり好みではなくての――」
サレの代わりに可能な限りの皮肉をユウエルに対して投げかけ、その間にサレの胸倉をつかんでいるユウエルの手を払い、サレの身体を片脇に抱きかかえてその場を離れた。
――かなりおっかないのう、これ。こんなのによくもまあ真っ向から反逆心をぶつけようとしたもんじゃ、わらわたちの副長は。
内心でユウエルの存在圧力に震えながら、トウカは足早に賭けていった。
その場に残されたユウエルは、駆け去っていくトウカとその脇に抱えられたサレを見ながら、
『なかなか――今代もまた面白そうな世になっているな。くっく――悪くない』
含み笑いをこぼしていた。
◆◆◆
〈凱旋する愚者〉のギルド員にとって、サレの神族に対する反抗の意志は同調に足るものだった。
ジュリアスとはテフラ王国にきてからずいぶんと近しい関係になっていたし、親愛の情もある。
また、神族の定める『等価』の判断に異議を唱えたいのも同じだった。
神族と、純人族と、異族。
その差は誰が決めたのだ。
理不尽だ。不条理だ。
そう叫びたかった。
だが、
「……言えぬよ。駄々をこねてもどうにもならぬことはある。駄々をこねてどうにかなるなら――」
そもそもこんな境遇にはいなかった。
トウカはジュリアスと神族たちのほうを振り向かずに、小さくつぶやいた。
◆◆◆
「これが今の私たちに望める最大の譲歩で、同時に最大の勝利なのでしょうね」
アリスが言った。
「仮にアテナが健在ならば、ジュリアスの寿命はさらに短くなったのであろうな」
ギリウスが補足するように相槌を打った。
ジュリアスは退かない。
恐らく絶対に負けるつもりがない。
言い得ておかしなものだが、ジュリアスは命の灯火の限界まで突き進むだろう。
その前進の糧になるのがあそこにいる〈王神〉だ。
存在の寿命を懸ければ無理やりにでも前に進むことができる術を、ジュリアスは持っている。
とにかく、ジュリアスには目的のために命を容易く投げ捨てる人外染みた意志の力がある。
そしてそれは危うさでもあった。
「死ねばジュリアスさんの望みは叶いません。しかし、ここで退いてもそれは同じです。ゆえに、ジュリアスさんは淡々と目的のために命を削るのでしょう。たとえ目的の達成の前に命が尽きようとも、今この瞬間に望みが潰えるよりはマシだと言って」
その選択は普通は行えない。並の者では行えないだろう。
「命を二の次に考えるなんてのは、生物的に壊れてる証だ」
クシナが言った。
目的と命の天秤が、ジュリアスの場合目的に傾いている。
「俺たちとはそこが根本的に違う。いや、似てはいるが、あいつのは直接的すぎる」
〈凱旋する愚者〉はギルド員の生存を至上に掲げる。
そして象徴であるアリスの生存をより上位に置く。
当初はそうでもなかった。
まだ集団がギルドとしてアリスのもとに結束しきっていなかった時ならば、アリスよりも自らの命を優先したかもしれない。
アリスはそれで良いと言うだろうし、他の誰もそれを非難したりはしなかっただろう。
だが今は、本質が変容してきた。
建前の本音化とでも言おうか。
生存を至上に掲げながら、自らの命よりも象徴の命を優先しようとする意識が生まれている。
これは『矛盾』だ。
「……」
クシナはハっとして口を開けたが、周りの状況を見てその葛藤を声に出すのをやめた。
――意味ねえな。
命のために、命を捨てる場合があるかもしれない。
だからなんだというのだ。どうしろというのだ。不条理的だ。理不尽的だ。
そもそも、
――そうだ。そんな状況に陥らないようにするべきなんだろ、俺たちは。
命の選択の必要を迫られるような状況を作らないようにすべきなのだ。
「まあ……」
そんな答えに行きついたところで、
「あいつを救う術は――俺たちにはないんだろうな……」
皆がジュリアスたちの動向に気を配る中、そんなクシナのつぶやきが耳に吸い込まれていった。
◆◆◆
それからの成り行きは、今までのやけに長く感じられた戦闘からは想像だにしないほどにそそくさと過ぎ去って行き、とっくに昇り始めていた日は真上あたりに到達しようとしていた。
ジュリアスを取り巻く神族たちの動向は、サレが気を失って担ぎ込まれてからものの数分で終息し、その後〈王神〉はすぐに姿を消した。
当のジュリアスはいくばくかロキと会話をしていたようだが、しばらくするとロキを片手で追い払い、〈凱旋する愚者〉たちの方へと歩を進めてくる。
途中、地面に跪いて項垂れていたセシリアに歩みより、ジュリアスはその肩を掴んで優しく抱き上げた。
セシリアはセシリアで、呆然としながらもジュリアスに何か言葉をかけられて、その後、まるで必死で嗚咽をこらえるかのように震えながら、瞳に雫を浮かべていた。
そんな彼女を戦景旅団のメシュティエたちに引き渡し、ジュリアスは再び歩み始める。
その顔にはいつも通りの、どちらかといえば少しふざけている時のようなへらへらとした笑みを貼り付けていて、
「ご苦労様。助かったよ――皆」
ギルド員たちを見回してから言った言葉に、彼らは一度衝撃を受けて、しかしその『意図』をなんとなく察し、
「感謝しろよ、王子様」
同じような笑みを浮かべて、そんな声を掛けた。
そうとしか――言えなかった。
◆◆◆
テフラの王権を賭けた闘争戦の第一幕は、そうして一旦幕を下ろした。
諸処の問題は残ったが、一応のところ、〈第七王子ジュリアス〉とその連帯ギルドである〈凱旋する愚者〉が、第一王女セシリアとその連帯ギルド戦景旅団に勝利したという形で終息を迎えた。
長く激しい戦いの終幕であり、また一方で――
次の舞台への幕開けでもあった。