95話 「選ぶ者、下す者、抗う者」【中編】
神族を敵にまわす。
『最も神に愛された者』と呼ばれるジュリアスをして、おそらくそれは最大の『武器』の放棄を指した。
「――」
ジュリアスはとっさに言葉を紡げなかった。
代わりとでもいうかの如く、ジュリアスの後ろに控えていたディオーネがやや興奮した様子でロキに反論を送る。
「私たちが――いや、少なくとも私がジュリアスの敵になることなど到底ないように思うがな? ――ロキ、戯れもほどほどにしろ」
「そうですねぇ、少し言い方が悪かったかもしれませんね。確かに姉上はジュリアスの敵にならないかもしれません。――『姉上は』」
ディオーネは自分で一旦言い直して、同時にロキの言葉の暗示するところを理解せざるを得なかった。つまるところ、
「もともと神族といえど、一枚岩ではないですからね」
「――それは認める」
ディオーネは遥か昔の、まだ自分が現界にいたころのことを思い出す。
確かにその頃から、争うとまではいかずとも、折り合いの悪い神族はいた。
「――争いますよ? 争おうとしているのですよ。大半の神族が、主神級の神族までが独自の領域の神界にこもっている間に、本当にすべての神族がおとなしくしていたと思いますか?」
「……」
知らない。
ディオーネは沈黙で答えた。
「まあこの話はこのへんにしておいて――ジュリアス、確かにあなたに変わらずついていく神族はいるでしょう。ワタシたちの感覚でしかありませんが、それくらいあなたの存在は神族にとって魅力的だ。ですが、それゆえに、あなたの存在を一種の媒介として、神族同士の戦に関与する可能性もある――」
「僕が、ある一方の神族の肩をもつことで、他の神族を敵にまわす可能性があるということかい?」
「ええ。それも、一際厄介な神族を」
「それは僕がテフラを守ろうとする行為と、否が応でも関係する話かい?」
「ええ。かするどころか正面衝突するまでありますね」
「つまり、僕が望みを叶えようとすれば、可能性の話として、神族を敵にまわさねばならなくなるかもしれないと」
「あなたにわかりやすく要約すればそんなところです」
とんとんと対話が弾み、
「そうか」
ジュリアスが一度大きく息を吐いて、対話を切った。
そして――
「『是非もない』。僕の望みの前に立ちはだかるのならば、たとえそれが神族であったとしても、僕は押し通る」
言い放った。
◆◆◆
「そうですか。あなたが、あなた自身の力の切り札たる神族を敵にまわす覚悟があるというのでしたら、言葉の上では信用しましょう。では次です。あなたは自分の望みのために、何を賭けますか?」
ジュリアスはロキと視線を真っ向から交差させて、平然として答えた。
「『命』を」
「命ですか。――生物に賭けられる最大のチップは、まあ大半がそれでしょうね」
ロキは頷きで同意を示した。次いで、
「ですが命というのはどうにも言葉では実感がわきがたい。仮に、そう仮に。――私があなたの望みの前に立ちはだかる神族の一人だとして、あなたはそれをどう行動に表しますか?」
ジュリアスはこれまでのロキとの問答で、彼が自分に何を見出そうとしているのかがなんとなくわかった気がした。
字面ではそれらしく重くとも、いざ言葉にすると軽くなりがちな『覚悟』を、今自分に見出そうとしているのだ。
その理由はわからない。
だが、問答もせずに敵にまわることもできるこの状況で、あえてそれをするというのだから、
――ロキはロキで、信用や信頼をおく場所を探しているのかもしれない。
「……」
ジュリアスはロキを見据え、
「わかった。命を賭けよう」
言うと、おもむろに片手を開いてまっすぐに上へ伸ばし、その掌を天に向けた。
そのゆったりとした動作を見て、即座に声をあげた存在が二人。
『ジュリアス!!』
ディオーネと、
「やめろ!! 『呼ぶな』!! ジュリアスッ!!」
離れた位置で呆然と立ちすくんでいたセシリアだった。
◆◆◆
だがジュリアスは止まらない。
鬼気迫る怒声をあげたセシリアは、動きを止めようとしないジュリアスを見てすぐさま走り出した。
言葉で止められないのならば行動で止めようという魂胆だったのだろう。
だが、
「今度ばかりは大人しくしていてください、セシリア。――〈メル〉、彼女を足止めしておいてください。殺してはいけませんよ」
「……ん」
ロキがヘルメスの半神の名を呼び、指示を出した。
駆けだしたセシリアの前に半神の女――メルが立ちはだかり、
「てんくうあつ」
術名の音だけをなぞるように、拙い流れでその言葉を動作と共に放った。
すると、セシリアの上部から唐突に重い圧力がかかり、セシリアは思わず膝と手を地面についてその重さに耐える姿勢を取る。
「くっ……そっ……!!」
天からの圧力が重くて動くに動けない。
そうこうしているうちに、ジュリアスが天に掌を向けたまま――
「その名において、我が願いを聞き届けよ。――神々の王、〈ユウエル〉よ」
言霊を放っていた。
◆◆◆
それは唐突にして異様な空気を纏って現れた。
ジュリアスのかざした掌の先、その天高くに『神界術式』が広がり、その中から一体の人型が白発光を放ちながら現れた。
白光と共に降りてくる人型。
異常な存在感。
その身体から発せられる白光は、天空神ディオーネや戦神アテナと比べても一際強烈だった。
人型はディオーネやアテナと同じような白光する布きれを身に纏い、ゆっくりとジュリアスの頭上にまで降りてくる。
そしてついに言葉を放った。
『……現界か。――久しいな』
おもむろに周囲を見渡して、やや気だるげに紡ぐ。
声色は男だ。
またその声には竜族の咆哮圧――竜圧にも似た奇妙な重さがあった。
言うなれば音の威。
しかし、強烈な存在感を聴覚から訴えかける声とは違って、その顔は白光の逆光のせいでまるで見えなかった。
『余を呼んだのは――ジュリアスか。まあ、現界で余をこうも容易く呼べるのはお前くらいだろうな。……ふむ、懐かしい香りだ』
その神族は一人ごちて懐かしむように呟いていた。
白光はいまだ止むことなく、辺りをもう一つの太陽のごとく照らしつけている。
その光に対して異族たちはもちろん、純人も、またディオーネやロキの神族でさえも目をそむけていた。
ただ唯一、その存在の真下にいたジュリアスだけが、平然としてその神族の顔を直視していて。
ジュリアスは一度襟を正して、その存在を真っ向から見据え、言葉を紡いでいた。
「もてなしの一つもできなくてすまないね、〈ユウエル〉」
『なに、気にするな。――込み入った事情があるようだな』
その神族――ユウエルは再びぐるりと首を回す素振りを見せて、ロキの存在を確かめたところでそんな言葉を付け加えていた。
『ロキか。……ううむ。お前もよくよく捻くれた性分だな』
ユウエルは困った風にうめき声を漏らした。
「お褒めにあずかり光栄です、『陛下』」
『余を前にそうまで軽口を叩くのはお前くらいだ。まったく――存在が惜しくないのか』
「惜しいですとも。ですがワタシはワタシで――まあ、重ね重ねそういう『性分』ですので」
「頑固者め」
一瞬両者の間にぴりぴりとした緊張感が走ったが、すぐさまそれは鳴りをひそめた。
その頃にはユウエルの放っていた逆光もいくぶん弱まって、その顔だけはいまだに直視に難かったが、視線をずらせばなんとか顔をそむけずにいられる程度にはなっていた。
すると、
『……ユウエル。また貴様は――』
ディオーネが抗議染みた声音を含ませて、言葉を紡ぎかけていた。
しかし、ディオーネの声は有無を言わさぬ迫力をたたえたユウエルの言葉に阻まれる。
『……ディオーネか。貴様とは随分な口を利くな。発言を許した覚えはないぞ。お前はロキと違って口先に存在を賭ける愚か者ではないだろう。消えたくなければ黙っているが良い』
『っ!』
目に見える委縮。
天空神としてそれなりの権威を見せつけていたディオーネが、ユウエルを前にして怯えた犬のように小さくなる。
その姿が他の異族や純人たちには信じられなかった。
ディオーネの委縮という予想だにしない光景が、彼らの内にユウエルに対する『畏れ』を生み出していく。
誰もが動きを止め、場の進行を待っていた。
できるかぎり、その得体のしれぬ者の目に留まらぬように――息を潜めて。
そんな中、ただ一人純人でありながら声をあげる存在があった。
「王神よ!! 私の言葉に耳を傾けてはくれまいか……!!」
ユウエルはその声に反応して、身体を傾けた。
『ジュリアスの血縁か』
「僕の一番上の姉だよ」
『ああ、あの赤銅の女か。久しく見るが、良く成長したな。まあいい、ジュリアスのよしみだ、聞いてやろう』
ユウエルは若干けだるそうに片腕を払いながらも、そういって一拍をおいた。
セシリアは膝を折ってユウエルの前で頭を下げながら、すぐさま声をあげた。
「ジュ、ジュリアスの願いを聞き届けないで欲しい……!」
それはセシリアが紡げる精一杯の嘆願だった。
立場上、人にものを嘆願するということに慣れていなかったセシリアの口は、そんなぎこちない言葉を放つことしかできなかった。
対するユウエルは、
『ハハ、これはまた異な願いをする女だ』
小ばかにするような笑いを浮かべていた。
セシリアは自らが笑われているという屈辱を感じながらも、その笑いに対して抗議することはしなかった。
数瞬して、ユウエルの笑いが止み、
『断る。願いを聞き届けよと言ったのはジュリアスだ。余を呼んだ張本人がそういう限り、余は他の何人からも願いは聞き届けん。それと、口に気をつけろ。嘆願と言えど、そこにわずかでさえ指図の意図が入りこめば、お前は死ぬぞ。王への指図は命を刈るものと知れ』
「っ……!」
セシリアの嘆願はやすやすと切り捨てられた。
同時に、ユウエルの逆鱗に触れかかったことを知らされ、額から流れる冷や汗を止めることもできずに、ただその場で頭を垂れ続けることしかできなくなっていた。
『そろそろよいか。では聞こう、ジュリアス。お前は余の威を借りて何をなしたいのだ』
そして、ついにユウエルがジュリアスに本題を訊ねる。
「〈王神〉の威を借りて、ロキへの命令を」
『内容は』
「――『僕に従え』」
『ハハハ、端的でわかりやすい。だがジュリアスよ、少し興奮しているな。それを聞き届けても良いが、それをすればお前は限りなく死に近づくぞ。少し頭を冷やせ。主神に近い神族の隷属要求の対価としては、純人の寿命は短すぎる』
ジュリアスとユウエルのやり取りは周りの面々にも聞こえていた。
そして、そのやりとりを聞いてようやく――
◆◆◆
「そういうことですか」
◆◆◆
遠くにいたアリスが、真っ先に状況を飲み込んだ。
ディオーネとセシリアがジュリアスを止めようとした理由と、ロキがジュリアスに回りくどい応答を仕掛けた理由を知った。
「その神族は対価として術者の『命』を求めるのですね――」
アリスはぼそりと呟いて、片手を強く握りこんだ。