84話 「凱旋への道筋」【前編】
【おいおい、無駄話はそれくらいにしとけよ、息子】
アテナに言葉を投げかけた直後、サレの脳裏に再び声が響いた。
荒々しげな男の声だった。
――あ、ガーとやってドーンなご先祖様。
確か、
【ガゼルだ。ガゼル・サンクトゥス・サターナ。三代目だぞ、崇めろよ】
「は、はあ……」
【まあいい、時間もない。さっさと殺っちまおう。お前要領悪いから何度か教えるが、さすがに三回くらいでなんとかしろよ? お前の魔力残量的にあと一分も持たないだろ?】
鼻で笑うような声音に、思わずサレは内心に浮かべる。
――俺は黒炎の意思にまで馬鹿にされているようだ。
【いいか、俺の黒炎術式は〈黒砲〉だ。読んで字の如く、黒炎を一気にガーっと解放して収束させてドーンって発射するんだ。わかるな?】
「いや、わからないです……」
【わかれよ!! なんとなくわかるだろ!? 四代目にも教えたことあるけど、あいつは理解して実行したぞ!?】
――それ四代目の察しの良さがアルフレッドレベルだったんです。
【補助してやるからやってみろ!! いいか、ガーっとやって――】
――ちょっと待ってください。なんか聞いた感じそれ結構広範囲に渡る攻撃だと思うんですけど、周りにまだ味方もいるのであんまり無差別だとやばいんじゃ……
そんなサレの内心の問いをまるで意に介した様子もなく、不意に黒炎がサレの前方で円形を象り始めた。
まるで黒炎で描かれる術式陣だ。
直径がサレの身長ほどで、次第に円の中心部に向かって黒炎が収束していく。
次いで鳴るのはキィという収束音。
さらにチリチリと危うげな摩擦音が収束部で鳴り始め、
――あ、これはやばい。
思った瞬間、
【――ドーンだ!!】
脳裏に威勢の良い声が響き渡った。
◆◆◆
サレの前方に展開された円形術式陣から、莫大量の黒炎がまるで『黒い光線』のように前方に発射された。
術式弾を発射するかの如き簡素さだが、一方で規模が桁違いであった。
収束の枠が耐えきれんとばかりに徐々に解放され、最初はサレの身長ほどの直径の太さであった黒炎の光線も、最終的には爆発的に直径を広げる。
射線上のすべてを喰らい尽くすかのような黒閃が、凄まじい勢いで迸って行った。
「――」
その光景を見ていた者たちから声すらあがらない。
茫然、唖然。
黒い光線が走って行った部分、地面が、まるで柔らかいバターをスプーンかなにかで抉ったかのように綺麗に削り取られていた。
それが地面の裂傷として遥か遠くにまで続いている。
地形が変わった。
「……は?」
そんな地形の裂傷を見た後で、ようやく周りから呆けたような声があがる。
【当てろよ!!】
「当てたら後ろのジュリアスまで巻き込んでましたよ!!」
サレはとっさに軌道を横にずらし、アテナから狙いを外していた。
理由は単純で、アテナの後ろのほうにジュリアスがいたからだ。
サレの〈祖型・切り裂く者〉でも届かないだろうという距離だが、三代目魔人皇ガゼルの〈黒砲〉の射程距離はそんな水準をたやすく超えていった。
【おい、やべえ!! お前の魔力ほとんど残ってねえ!!】
――四代目様が三代目様のいい加減さを嘆いていた意味がよくわかりました。
そしてそれすらを忠実に再現する黒炎の意思もまた、どことなく茶目っ気があるようだが、
「まあ、大丈夫。黒炎が使えなくても、手はある」
これで決着がつけられれば御の字だったが、思った以上に規格外の術式が多いのと、最高神格状態の黒炎を扱える時間が単純に少なかった。
だがサレの脳裏には別の『凱旋への道筋』が浮かんでいた。
アテナに胴を半分切断される直前に気付いた勝利への糸口。
――初代様が造った黒炎の『再生機能』に気付けたのと、アテナが三代目以降の黒炎術式は体験したことがないというのがわかっただけでも。
とりあえずは良い。
「シオニー」
そこで思考を一度切って、サレは後ろで呆けていたシオニーの方を振り向いた。
「な、なんだ!? どうした!? 傷が痛むのか!?」
シオニーは唐突に声を掛けられたせいか、今の光景が理解できていないせいか、思い切り声を裏返しながらおろおろしてサレの声に応えていた。
「少し頼まれてくれないかな」
「……ん、何をだ? 私はどうすればいい?」
しかしサレが続けて言うと、一拍をおいて冷静さを取り戻し、真面目な顔でうなずいた。
「俺、これから『我がまま』いうから。だから、我がままいってもいいか、ちょっとアリスに聞いてきてくれないかな」
「べつにいいが――」
シオニーは首を傾げながらも了承の意を返した。
それを聞いたサレは、アテナがまだ先ほどの攻撃に対して思案と警戒をしている様子を見て、残りの魔力を総動員して黒砲の術式陣をハッタリ用に展開させたまま、シオニーを手で招きよせた。
そうして近づいてきたシオニーに耳打ちをする。
すると今度はシオニーが、
「わかった。聞いてくる。すぐだからなんとか持たせてくれ」
そう答えた。
「ああ、まだハッタリは効きそうだから、今のうちにね」
サレが悪戯気な笑みを返すと、シオニーは即座に銀狼形態に化身して、先ほどのサレの攻撃の衝撃で停滞気味に陥っていた戦況の間隙をすいすいと縫って行った。
向かう先はアリスがいる非戦組の方だ。
◆◆◆
ちょうどシオニーがサレの頼みを聞いてアリスのもとへと向かっていた時、非戦組の先頭で戦況を隣の非戦組ギルド員たちから聞いていたアリスの姿があった。
戦況が広がり、さらに三つ巴にもなると、聴覚のみでは認識しきれなくなっていた。
「シオニーがこっちに向かってくるぞ」
主にアリスに戦況の報告を行っていたのは人狐族のマコトだった。
「そうですか」
「う、うん」
――機嫌悪いなぁ……
そんなマコトはアリスの傍にいるため、彼女の感情の機微に気が付いていた。
表情や声色。様々な要素からアリスの内心を察知する。
付き合いも長くなってきて、ようやく彼女の仕草やらなにやらに見慣れてきたおかげもあるのだろう。
しかし一方で、
――今日のアリスは珍しく感情が行動に出てるからなぁ。
そういう露骨な異変があったからでもあった。
アリスは基本的に怒っていても喜んでいても、あまりそれを動きに表さない。
そんなアリスが、今は珍しく片足で地面をトントンと軽く踏み鳴らしていた。
「その……怒ってるのか?」
マコトが思い切って訊ねると、
「……」
無言のうちに思い切り苦々しい顔を返された。
――相当だなこれ……こんな顔見たことないよ……
巻き沿いとか喰らったらやだなぁ……私巻き沿い喰いやすい体質だしなぁ……
マコトは思いながら、こうなればヤケだと原因を追究してみることにした。
「な、何が原因だ……?」
「プルミエールさん風に言うと、愚魔人です。愚魔人。略して『愚』です」
――やっぱ相当だよぉ、略しすぎだよぉ……
アリスがプルミばりにわけわからなくなってきてるよ……
突っ込んだ方がいいかな……? いやでも今そういう状況じゃないしな……
悩んだあげく、マコトは「よし」と自分に気合を入れてさらに踏み込むことにした。
「サレがどうかしたのか? ぶった切られながら結構頑張ってるけど。――ちょっと信じられないよな、あのふざけた回復力」
「そうです、サレさんはふざけてます」
――もうまともに会話できなくなってきてるよこれ。
「マコトさんの説明によれば、あとから突っ込んできて戦神と一人で戦ってるらしいですね。ギリウスさんが倒れて『俺がもっと早く着いていれば』とか思って責任感じてるんでしょうね。ふざけてますね」
「あ、ああ、たぶんサレのことだからそうだろう」
「なんでですか? なんであの『愚』さんは独りで全部背負おうとするんでしょうね? 前にも言ったんですけど、まったく学習しませんよね? 察し良いとか出逢った当初は思ってたんですが、そうでもないですよね。あの愚さん」
――ぐさん、てもう傍から聞いたら誰のことだか分からないな。
「確かに私は頼りないかもしれません。それは認めます。ですが私は長ですよ? ギルド長です。あの愚さんは副長です。おかしくないですか?」
「な、なにがだ?」
「責任って、長がとるものですよ? 私が一番上にいるんですよ? 私が何のために長になったか、あの愚さんは真っ先に気付いたはずなんですけど、たぶん今は忘れてますね。私が何のためにあの愚さんを副長にしたかも、実は気付いてないんですかね」
アリスはまくし立て、一旦息を吐いた。
その後でさらに、
「私から『責任を取る』『責任を担う』という役割まであの愚さんは奪って行くんですかね? もう馬鹿ですよね、愚馬鹿です」
悪態を加えていく。
――サレ、アリスが前代未聞な状態だ。覚悟した方がよさそうだぞ。
マコトは内心でサレに少し同情しつつ、しかし、
「それもそうだな。そう考えると確かに愚馬鹿だな」
言われてみればそのとおりだと賛成の声をあげた。
「そうです、愚馬鹿です。副長って、長よりは責任軽くて、でも集団の二番目の権力者として結構わがまま言えるじゃないですか。というか一番わがまま言える立場ですよね。――だから私はサレさんを副長にしたんです。
マコトの賛同を受けて、そうアリスは付け加えた。
「最初の時――初めて私たちが戦闘というものに身を投じたアテム王国第二王剣との戦闘の時、サレさんは誰よりも強く、皆を引っ張り、そして誰よりも『背負う』ことを選びました。そして私たちは彼に背負わせることを良しとしてしまいました。一族を殺され、命からがら逃げだし、傷心していたという理由はありますが、それはサレさんも同じです。――でも、背負わせてしまいました」
だから、
「私はサレさんを副長にしました。サレさんを上からも下からも支えるために。サレさんが背負ったら、他のギルド員でそれを支えるために。もちろん、私が一番背負うべきなのですが、あの愚馬鹿さんは勝手にどっかから責任というものを新しく見つけてはさらに勝手に背負ってくるので」
「そうだなぁ」
「荷を背負いながら、そのうえ皆を引っ張ろうともしますよね。さすがにそれでは手が回りません。サレさんは皆を引っ張りあげるだけでいいんです。わがままでもなんでもいって、サレさんの位置まで皆を引っ張り上げるべきなんです。そうでないとこのギルドは停滞してしまいます」
アリスは見えない目を確かにサレのいる方角へと向けていた。
「抵抗を、闘争を、戦闘を。それらと共に歩むしかない私たちは、魔人族という最高水準の抵抗者に頼らざるを得ない一方で、それと同じ位置にまで、同じ舞台にまであがって行かなければなりません。今のところの『仇』が強大な国であるアテム王国なんですから、当然の話です」
アリスは続けた。
「だから、何度も言いますが、サレさんにはわがままをいってもらって、そのわがままに応える形で他の方々がサレさんの位置にまで昇って行く必要があります。失敗したら責任はすべて私に押し付ければいいんです。なのに――」
「サレは全部持っていこうとするからなぁ」
「だから怒ってるんです」
珍しく長々と話したのが疲れたのか、アリスは一旦言葉を切って何度か深呼吸につとめていた。
すると、いつの間にか戦況の間隙を縫ってきていたシオニーがすぐそばにまで寄ってきて、人型に戻りながらマコトとアリスに声を掛けていた。
「サレから伝言だ」
「大声あげれば聞こえますよ」
「アリスには聞こえるだろうけど、他にも伝える奴がいたからな。それも内密に。ついでだからここまで来たんだよ」
「そうですか」
シオニーはアリスが不機嫌なのに気付いて、マコトにちらりと目配せをした。
対するマコトは「察しろ」と言わんばかりに苦笑を返した。
「で、あの愚馬鹿さんはなんと?」
「ぐ、ぐばか? あ、ああ、サレのことか。うん、愚馬鹿な。――『我がまま』言ってもいいか、だって」
「いまさらですか」
「そうだな、いまさらだ。私も思う。あと、『一人じゃうまくできなかったから、みんなの力を借りるよ』とも言っていたぞ」
「またいまさらですか。馬鹿なんですか?」
「わ、私にいうなよ」
「すいません、ちょっといらいらして興奮しました」
アリスの口からそんな言葉が出るとは思わなくて、シオニーは「相当だな……」とマコトに再び目配せをした。
「で、最後に、『怪我させたり、失敗しちゃったらごめん』だそうだ」
シオニーが言った瞬間、
◆◆◆
「あなたがそれを言いますか!!」
◆◆◆
アリスの怒号がサレの耳にまで飛んだ。