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魔人転生記 -九転臨死に一生を-  作者: 葵大和
第六幕 【超越:愚者は世界を翔け昇る】
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82話 「歴代皇帝の記憶」【前編】

 身体の中を、冷たい感触が走って行った。

 それは腹部から侵入し、背中にまで達し、そしてすでに傷ができていた脇腹へと抜けていった。


「か――」


 次いで、喉の奥から何か鼻にツンとくるような液体が昇ってきて、それが喉にからみついて思わず咳き込んだ。

 言葉ではない、水が勢いよく跳ねるかのような軽快な音がなって、ついにそれは口からあふれ出た。


 ――しくじった。


 サレは胸中で思いながら、両断されかけた腰部を片手で押さえて、吐き出した自分の血の中に倒れ伏した。


◆◆◆


 ――言われなくたってわかってる。


 だけど、しかたないだろ。

 しかた……ないじゃないか。

 ああ……もうちょっとで勝利への糸口が見えそうだったのになぁ。


◆◆◆


「強かったわよ、あんたは。確かに魔人だったわ。でも、『魔人の皇』ではなかったわ。まして、『魔神』でもなかった。あなたの内面は、皇らしい器でもなく、神の器でもなく、あくまで人のままだったわ」


 サレを上から見下ろしながら、そういったアテナの顔を、サレはぼやける視界に見た。

 しかし、そこから動こうという気力が起こらなかった。

 両断されかけ、かろうじて繋がっている腰部が激痛にまみれ、しかしそんな状態であるにも関わらず魔人の身体は修繕を開始している。

 生きているのが不思議な状態だった。

 まして、そこから再生しようなどという光景は現実感さえ薄い。

 だが傷が深すぎた。

 治るまでが遅すぎた。

 アテナには容赦がなく。

 彼女は神格剣を両手で構え、地に臥すサレの頭部に狙いを定め、振り下ろした。


◆◆◆


 瞬間、そこへ横から銀色の光が走ってきた。

 銀の大狼、シオニーだった。

 狼形態のままその場へ突進してきたシオニーは、その大きな口を使ってサレの身体を器用にくわえ込み、駆け抜けていった。

 大狼の疾走で数秒ほどを駆け抜けてアテナから離れたあと、サレの身体をゆっくりと地面に下ろす。

 銀の狼は犬が餌をねだるような、か細く高い唸り声をあげ、その鼻でサレの頬を押した。

 しかしサレに反応はなかった。

 なおも狼はサレの顔を舐めたり、その腕を甘噛みしたりとサレの反応を待った。

 それでも、

 

 サレは動かなかった。


 ただただ赤い色の血だけが地面に広がっていって。

 そして、


「オ――――」


 銀狼の悲痛な遠吠えが、戦場に響いた。


◆◆◆


 その遠吠えに、〈凱旋する愚者(イデア・ロード)〉の面々はすぐに反応した。

 戦景旅団との交戦の中で、ちらりと遠吠えのあがった方向に目を向け――


「――おいおい。――あ? ……マジかよ」


 自分たちの愛すべき馬鹿の一人が血に臥しているのを見て、それぞれが呆けたような声をあげた。

 見たくない現実が、そこにはあった。


◆◆◆


 銀狼の遠吠えが止むと、銀狼の身体が光に包まれ、その場に人の形態を象ったシオニーが姿を現した。


「あ……あ……あああ!! 私がっ……!! 私のせいで……っ!!」


 もはや彼女には周りなど見えていなかった。

 取り乱すという形容ですら足りぬほどに、狼狽(うろたえ)え、泣き、叫び――


「逃げなさい!! シオニーッ!!」


 ゆえに、プルミエールの突き刺すような怒号が響いて初めて、目の前に神格剣を携えたアテナが迫っていたことに気付いた。

 その光景を見ていた〈凱旋する愚者〉の面々は、自分が背後から切りつけられるのを全くいとわずに、交戦中の敵から目を逸らし、背を見せ、一斉にシオニーとサレの方向へと走り出した。

 それぞれがそれぞれの名を呼んだ。

 トウカ、マリア、プルミエール、ギリウス、クシナ、ジュリアス――誰か、誰でも良いから、


 二人を助けてくれ、と。


◆◆◆


【死なせないわ。この子だけは――絶対に】


◆◆◆


 彼らの心からの願いに答えたのは、〈凱旋する愚者〉の面々でも、ジュリアスでもなかった。

 その声は〈凱旋する愚者〉の面々には届いていなかった。

 ただ一人、サレにのみ届いていた言葉だった。

 虚ろな意識の中に、凛とした声が響き渡った。

 どことなく聞き覚えのある声音に、サレはめぐりの悪い思考をなんとか稼働させて、誰の声だったかを思い出そうとする。


 ――ああ、そうだ。


 確かこの声は、


 ――二代目様?


 いつかの〈神を殲す眼〉への変化を促された時の状況に似ている。

 あの時は黒炎が〈初代魔人皇テオドール〉の意思を模倣するようにして、声を再生した。

 まるで記憶や意思の再生機(レコード)のように。

 今回サレの脳裏に響いた声はテオドールの声ではなかった。

 同様の無機質さが随所に表れてはいるものの、声の音程は高い。

 女の声だ。

 前に数度だけ聞いたことがある。


 その声は〈二代目魔人皇〉の声だった。


【皇の器? 神の器? ああ、嫌だわ。傲岸不遜な神族の連中はこれだから嫌なのよ。この子は紛れもない皇よ。誰がなんといおうと、この子は魔人の皇。勝手にあんたたちで決めつけないでもらえる? それを決めるのは私たちよ。あんたたち神族じゃないわ。魔人の皇は、魔人が決めるの。あんまりむかつくこというと――】


 殺すわよ。


 サレ以外には聞こえていない声。

 その状況の変化に気付かないアテナは、シオニーとサレの前にまで猛進してきて、手にもった神格剣で二人をもろとも切り裂きにかかった。

 だが、


 サレの背部から突如として再び燃え上がった黒炎が、その剣を受け止めた。


 そして、


「――っ!! こ、これ……まさかっ……!! 〈イゾルデ〉の――」


 アテナの焦燥を含んだ声音がその場にあがった。

 燃え上がった黒炎はいつものように黒翼を象るわけでもなく、急に八つに分離した。

 アテナの剣を受け止めていた部分の黒炎が率先して分離状態から形態変化を起こしていく。

 柄のようなものが分離体から伸び、次に刃のような鋭さを持った部分が分離体から伸び、ついにはその一つ一つが同じような形態を取った。

 それはまるで――


「〈黒剣〉……!」


 黒炎で作り出された八本の剣のようだった。


◆◆◆


【黒炎の三つ目の鍵を開けている間だけ、『私たち』があなたを守ってあげるから、はやく立ち上がりなさい。私の可愛い末子】


 ――厳しいなぁ。


【これでも〈二代目魔人皇イゾルデ〉は優しかった方よ】


 サレは頭に響く声に返事をしながら、返ってくる言葉にたいして違和感と確信を覚えた。

 特に今の言い回しは、まるで別の誰かが二代目魔人皇を形容しているかのような言葉だ。

 一方で、声や口調は本人に近しい。


 ――本人では……ないんだね。


【……限りなく彼女の人格に近いモノよ。私は彼女であって、彼女ではない。彼女の人生の大半と共に過ごし、彼女の意志と魔力を受けながら、彼女の行動や思考を誰よりも近くで見ていた。そしてそれは二代目に限ったことではないのよ】


 ――つまり?


【私という存在が〈初代魔人皇テオドール〉によって創りだされてから今日まで、私は誰よりも近く、誰よりも長く、歴代魔人皇の傍にいた。だから私は『再生』する。模倣し、彼らの意志を再生することができる。初代であったら、二代目であったら、三代目であったら、あの魔人皇であったら、こういう時、どのような言葉を紡ぐだろう、と】


 ――どうにも話が壮大過ぎるよ。


【初代魔人皇テオドールはそういうレベルの存在だったのよ。誰も思いつかないような壮大な術式を開発しちゃったり、戦神となぐり合って勝ったり。神族が畏怖を抱くような男だったの。私の父はね。それに、よく口では厳しいこと言ってるけど、結構優しいのよ? 何者にも屈するなとか、すべてを超えるつもりで生きよとか、なんだかんだいって、結局こんな風に後世に役立つものを残してるわけだし】


 ――違いない。


【まあ、あなたが自力でこの三つ目の鍵を開けなかったら、こうしてはっきりとその能力が使われることもなかったのだけど。――ほら、そろそろ起きなさい。私が、私たちがこうして出ていられるのは三つ目の鍵が開いているうちだけよ。私が吸い取ってしまっているあなたの魔力が尽きればそこでおしまい】


 ――分かりましたよ、二代目様。


【そう呼んでくれるのね】


 ――厳密にあなたが本人でなくとも、その意思と考え方は限りなく二代目様なのでしょう。

 なら俺にとってはそれでいい。


【そうね、あなたがそう言うのなら、私も気兼ねなく再生することにするわ。――〈剣帝〉と呼ばれた二代目魔人皇の人格と力を】

 

◆◆◆


 その浮遊する八本の〈黒剣〉に見覚えがあった。


「テオドールの〈黒翼〉の次はイゾルデの〈黒剣〉って――」


 千年前に自らが畏怖を抱いた存在、初代魔人皇テオドール。

 その娘の〈二代目魔人皇イゾルデ〉が使っていた黒炎の応用術式。

 それに気づいた瞬間から、アテナの脳裏に戦神としては思い出したくない忌々しい記憶が蘇り始めた。


「まさかその黒炎……」


 嫌な予感がした。

 黒翼、黒剣。どちらも歴代魔人皇のうちの二人が黒炎を使って多用した独自の術式だ。

 千年の時を経てそれらが再現されている。

 魔人の末子によって。


 ――いけない。


「あんたは――」


 野放しにしてはいけない存在になりつつある。


 アテナの胸中にそんな言葉が浮かび、彼女は一転して強い殺意を身に纏いはじめた。

 死にかけのたった一人の異族に対し、戦神が対等な位置にまで降りて、本気の殺意をぶつけようとしていた。


「〈戦神の剣(ウィクトーリア)〉、〈戦神の盾(イージス)〉」


 アテナは黒剣と競り合っていたアレスの神格剣を投げ捨て、新たに神格兵装を装填した。

 右手には鍔の部分が美しい翼を象っている白の剣。刀身には金色で縁取られた幾何学模様と、不思議な文字が描かれている。

 左手には今まで多用していたのと酷似した外見の白の盾。しかしこれまで召喚してきた使い捨ての盾とは違って、造形の精巧さは桁違いで、大きさはアテナの身体の半分をゆうに覆う程の大きさだった。

 その二つの神格兵装を構えたアテナが、再び地面に臥しているサレを目がけて前進する。

 サレを守るように滞空していた八本の黒剣は、その場から一度はなれたアテナに対して追撃のそぶりは見せなかったが、再びアテナがサレに近づくと一斉に剣の切っ先をアテナに向け始めた。

 そして、アテナがサレからある一定の距離の中に侵入した瞬間、


「くっ……!!」


 八本の剣が凄まじい速度で舞った。

 盾を構えて前進してくるアテナに対し、左右上下、前方後方、あらゆる方向から八本の黒剣が斬撃を見舞う。

 高速。神速。

 まるで指揮者のいない剣舞だ。

 一方でアテナも、恐るべき速さの剣撃でそれらを撃ち落としたり、左手の盾で弾いたりしながら対応しているが、黒剣の剣舞を受けながらの前進には苦戦している。

 特にサレに近寄らせないようにアテナの前方から襲い掛かっている四本ほどの黒剣にてこずりながら、徐々に後退していった。


「まるで本物の剣舞ね……!! 剣帝の黒剣とまた打ち合う日が来るなんて……今日は間違いなくここ数百年のうちで最悪の日だわ……!!」


 アテナは言いながら、再び前進を試みた。

 舞神の神格術式を複合し、不可視と立体機動を加えて倒れているサレへの道筋を探す。

 宙を走り、緩急や左右への揺さぶりを行いつつ、浮遊している黒剣の隙を伺う。


 ――早くしないと。


 魔人が起き上がってしまう。

 黒剣の動きを見れば分かる。

 あの黒剣はまるで意思があるかの如く、主の回復を待っているのだ。

 その間に主を守るべく、自動で敵に対する迎撃を行っているのだ。

 分かっている。

 分かっているのに。


 ――道筋が……ない。


 アテナの脳裏には八本の黒剣を抜ける道が一片たりとも浮かばなかった。

 その理由の一つは明確だった。


 ――だめよ……セシリアの身体に傷がついてしまう。


 私には――


 ――あの剣舞を無傷で突破した『経験』がない。


 突破したこと自体はある。

 遥か昔に、自分の身体で。

 だがその時は傷を負った。

 自分の身体であるし、神族の回復力もあるからとその選択を容易に受け入れたが、今の状況はあの時とは別だ。

 あくまで今の自分は純人族であるセシリアに力を貸している存在なのだ。

 ゆえに、受けた傷は主体であるセシリアに反映されるし、憑依から戻れば苦痛の大半はセシリアが受けることになる。


 ――ダメよ。それはダメ。


 神族としても、セシリアの友人としても、その選択だけは取れない。

 たとえセシリアが良いといっても、アテナはその選択だけは取るまいと心に決めていた。


 現界の契約者を助けるために存在する神族が、契約者に害を及ぼすような選択を取ってはならない。


 純人族や異族が神族の発達させた文明に殺されないようにと、わざわざ神界にまでこもった意図がないがしろにされてはならない。

 神族の存在意義は救済にある。

 かつてより上位の神族がそう宣言し、また自分たちも心からその神族の意見に賛同し、従った。

 だから、自分が神族として力を貸した結果として、契約者が害を被ってはならないのだ。

 そうなれば今の神族の存在意義そのものに傷をつけることになる。


「それだけはダメなのよ……!」


 苛立ちを含んだ叫びをあげて、アテナはついに足を止めた。

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『やあ、葵です』
(個人ブログ)
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