81話 「最終皇帝の選択」【後編】
おそらく〈戦神〉は――
――戦の理の頂点にある。
現界における戦という概念を包括的に司る女神、アテナ。
最も注視すべきは、頂点にあることよりも、その能力が〈現界〉の出来事によって左右されている可能性があるという点にあった。
アテナの言葉端に表れる『経験』という言葉がそれを表している。
――戦神はその膨大な経験によって戦闘の『最適化』を行うのか。
一方で、だからこそ――
「経験したことのない事柄に関しては、対応が遅れるんだ」
現状がそうだった。
ただ腕を掴みにいったのならアテナはたやすくそれを弾くだろう。
だが、彼女にとっての『未経験』は、不可視の効力をもたらす神格術式を使用している最中に、自分の居場所を察知されるという点にあった。
そうに違いないとサレは徐々に確信を強める。
「戦神の臨界点ってのはつまり――」
それまでの経験を統合した限界にある。
シオニーの何らかの察知能力を、アテナは知らなかった。
魔人の魔眼術式にさえ対応するアテナが未経験なのだとすると、シオニーの察知能力にも何らかの秘密がありそうだが――
「今は――」
この機を逃すまい。
ゆっくりと分析に浸りたいところでもあったが、手を止めてこの捕縛から逃れられては意味がない。
すてに先手は打っていた。
黒炎での燃焼握撃だ。
アテナの腕をつかんだ瞬間に黒炎を爆発させた。
しかし、どうにもアテナの手首の表面に薄く強靭な『膜』のようなものがあって、その膜と競り合いを起こす以上の効果は起こせなかった。
おそらく神格術式による防御なのだろうが、ともあれ捕縛という最たる目的は果せたといっていい。
サレは思考を巡らしながら、器用に、しかし強烈な威力を込めて、捕まえたアテナの腹部に膝蹴りを叩き込んだ。
超至近での瞬間攻防。
「んっ……!!」
力を込めるようなアテナの声が鳴り、身体がくの字に折れ曲がる。
頭が下がったところへすかさず皇剣の柄頭による殴打を打ち下ろし、
「【散れ】――」
サレは容赦なく〈神を殲す眼〉を同時発動させた。
「させないわよ……!!」
しかし、即座に身体を起こしたアテナが、空いている左手を掌打の形に整えてまず皇剣の柄頭を下から撃ち抜いた。
さらに同時に、柔軟な脚部の可動域を活かした鋭い蹴り上げがサレの顔面に襲い掛かり、視界を遮る。
サレは上体を反って蹴り上げをすれすれで避けるが、〈神を殲す眼〉はおかげで不発だ。
また柄頭を下から打たれた衝撃でサレの手から皇剣の柄がするりと抜け、勢いそのままに後方に飛んで行った。
「ちっ……!」
サレは皇剣が手から抜けたのを見て思わず悪態をつきそうになる。
「いい加減その手を放しなさいよ……! ほら、あんたの大事な剣、飛んでいっちゃったわよ?」
アテナはアテナでサレの膝蹴りをもろに喰らって息を吸いづらそうにしているが、しかしそれでも大きな隙は見せなかった。
それどころか、すぐさま空いている左手に神格剣を召喚し、サレの右腕目がけて思い切り振りおろしていた。
先ほどサレの捕縛を受けた時の対応とはまるで違う、戦神らしい対応力の復活。
「放さないなら斬りおとしてあげる……!」
「お断りだ! ――〈改型・切り裂く者〉!!」
サレがとっさに術式を装填する。
その左手に。
青白い粒子がサレの左腕に集まり、腕を中心にして術式陣が展開され、その手の延長線として魔力剣が形成される。
形成されて即座に、サレはその手に展開した〈改型・切り裂く者〉の刀身でアテナの神格剣の斬撃を受け止めた。
「なによ、媒体なしでも使えるのね? まあ、ずいぶんと貧相にはなるらしいけど――」
だが、刃の競り合いが始まってものの数秒で媒体なしの〈改型・切り裂く者〉の刀身が揺らいだ。
――競り負ける……!
媒体なしでの〈改型・切り裂く者〉の形状維持は普段以上の労力を要した。
結果として、神格を有する黒炎燃料との融和性の操作も揺らぎ、アテナの神格剣との間に明確な格差が生まれる。
予測。
霧散する。
このままではだめだ。
「――最昇華だ、〈サンクトゥスの黒炎〉!!」
だから、サレは最後のサンクトゥスの黒炎の『最後の鍵』を回した。
三段階目の流動性回路を動かしたのだ。
現状解読できた術式構造の中の、最高神格への入口。
温存という選択を当初からほとんど捨てていたサレが、それでもなおその鍵を回さなかった理由は、そのあまりの燃費の悪さにあった。
――持って三分だろうな……!
黒炎燃料と自分の魔力燃料の癒着が起こっていることは、今までの黒炎使用の状況をかんがみれば当然認識できていたことだ。
〈祖型・切り裂く者〉の刀身色の変化などがその証明の一つでもある。
ともかくとして、黒炎の神格をあげればあげるだけ、同時にそれに引っ張られる形で自分自身の魔力も消費される。
特に最高神格への〈昇華〉を行うとその消費量も格段に上がり、継戦能力に多大な障害を起こすことになるのだ。
だが、もうそんな心配はしていられない。
――ぶっ倒れてもいい。
ここで負けるのは、許さない。
そんな負けを――自分に許してたまるか。
「ちょっ、なによその魔力……!! ばっ、馬鹿じゃないの!? あんたら馬鹿じゃないの!?」
アテナの焦燥の声をかき消すかのように、サレの左手から伸びた〈改型・切り裂く者〉の刀身が轟音を唸らせた。
刀身の色が黒色に変わり始め、禍々しい雰囲気を漂わせながらアテナの神格剣を押し返し始める。
「シオニー!!」
「わかってる!!」
そこで、サレは自分の後ろに匿っていたシオニーに合図を送った。
すでにサレ本人は術式のコントロールに大部分の処理能力を割いていて、その競り合いの状態から有効打を放つ余裕はあまりなかった。
だが、サレの後ろには『銀狼』がいた。
合図と同時、一瞬で『大狼』に化身したシオニーがその強靭な四肢で地面を蹴り、アテナの後背に回り込んで前足による殴打を繰り出す。
尋常でない速度で振り抜かれた前足は、一瞬のうちにアテナの後背に現出した〈戦神の盾〉の表面を爪でかすりつけるが、
「……ッ!」
それを貫きはしなかった。
――もう対応力が戻ってきたのか……!
焦燥しておいて、それでもなお隙を見せない。
でたらめな存在だ。
銀狼が再び左右へ跳躍を刻み、盾のない方向から爪撃を放つ。
しかし再びの盾の現出。
完全にアテナの対応力が戻ったのをサレは確信した。
笑みだ。
目の前のアテナが笑みを浮かべている。
が――
その笑みを壊す者がいた。
直後、そのアテナの盾を貫く存在があった。
それはいうなれば金色の閃光の迸りだった。
サレの身体のすれすれ、そしてシオニーの目前を驚異的な速度で走って行った〈金色の矢〉。
それが後尾に気味の悪い笑い声を引き連れて、アテナの神格盾を貫いていた。
「フフッ……!! フフフ……!!」
その笑い声が、矢を放った者の様相を如実に知らせる。
「こ、殺す気かプルミエール!!」
よく知る天使族が放った金色の矢だった。
自分の身体すれすれを通って行ったことに冷や汗と抗議の声を漏らし、しかし内心では良くやったとも思う。
とにかく、プルミエールの矢によってシオニーの攻撃を遮っていたアテナの盾は崩壊した。
その間に追撃が間に合えばようやくアテナへの一撃が見舞える。
――間に合え。
シオニーが前脚を振り上げて、再びの爪撃を――
「――『慣れたわ』。さすがに今のは危なかったわね。それにしてもメシュティエたちは何をしているのかしら。ちゃんと他の戦力を引き留めておきなさいよ」
サレの耳にそんな言葉が入ってきた。
瞬間、アテナの神格剣と競り合っていた左手の〈改型・切り裂く者〉から重さが消える。
アテナが不意に剣を引いたのだ。
そしてその剣が向かう先は――
「やめろッ!!」
サレが叫んだ。
アテナがサレとの競り合いを放り出して、その神格剣の切っ先を〈シオニー〉に向けて突きだそうとしていた。
◆◆◆
思考さえ入る余地のほとんどない刹那の時間で、サレには二つの選択肢が差し出されていた。
なぜなら、アテナの攻撃をシオニーが避けられそうになかったから。
不意と、彼我に存在する力量差。
サレもシオニーも、まさかアテナがセシリアの身体を犠牲にして反撃に及ぶとは予想していなかった。
そう、まるで犠牲だ。
サレの〈改型・切り裂く者〉との競り合いから剣を引けば、サレの術式剣がアテナの身体――つまりセシリアの身体に襲い掛かる。
なのに、アテナは剣を引いた。
肉を斬らせて骨を断つ。
銀狼を斬るために、サレから意識をわざと逸らした。
それゆえにサレに提示された選択肢。
このまま無防備になったアテナの右腕を斬りおとすか。
即座に〈改型・切り裂く者〉でシオニーへの攻撃を防ぐか。
前者を取ればシオニーは被弾する。
それが致命傷になるか軽傷になるかは分からないが、傷は確実に生まれる。
ほんの一瞬の選択で、結果が変わる。
それほどの刹那。
サレの選択は――
「下がれシオニー!!」
後者だった。
◆◆◆
サレが術式剣を装填させた左腕を驚異的な速度で振り放ち、アテナの神格剣に打ち付けた。
黒と白の刀身がバチバチと音を立ててせめぎ合う。
「――そうよね。『あんた』はそういう選択を取るわよね。『理解したわ』。あんたの戦闘に際しての性格を。その傾向を。だから――」
それ、使わせてもらうわね。
サレの耳にそんな言葉が入ってきた。
◆◆◆
アテナはサレの内面を見抜いていた。
――この魔人は、戦争や闘争に徹しきれていない。
個人間の命のやり取りは別だ。
己の命に対する喪失の覚悟と、敵の命に対する奪取の覚悟は持っているように見て取れる。
でなければ死を端的に表現する両眼の破壊術式を使えないだろうし、初手のように自らの身体を餌にしたりはしないだろう。
そして、だからといって投げやりになっているわけでもない。
この魔人の理性は、『生への執着』によって最終判断を行っている。
それは一方で死への恐怖を抱いているとも言える。
死への恐怖と、死への覚悟を、矛盾しながらもバランス良くそなえているようにアテナには見えた。
だがそれは『個人』においての話であって。
「あんた、軍隊には向いてないわ。それと、絶対に指揮官にはなっちゃいけないタイプよ」
――『この男は仲間の死を見過ごせない』。
その死がたとえ矮小な可能性であっても、この男は首を突っ込む。
恐ろしいまでに整った戦闘理性の天秤が、仲間を介入させることでたやすく歪むのだ。
これは集団対集団の戦争では致命的だ。
生きることではなく、勝つことを目的にしている場合はなおさらだ。
そうして勝機を逃す。
切り捨てられない。
だから、隙が生まれる。
アテナは自分の神格剣を迎撃するために身体ごと腕を投げ出したサレの腹部に向かって、その白剣を刺し込んだ。
アテナには初めから本気で銀狼に剣を刺し込む気などなかった。
つまるところフェイントだ。
だから、即座に攻撃を反転させて、サレに生まれた『隙』に剣を刺し込むことは容易だった。
そして、
アテナの振るった白剣は、まるで柔らかな土に刺し込むかのようにたやすくサレの腹部を貫いていき――
終いにはその背を突き破った。




