80話 「最終皇帝の選択」【前編】
「あたしを前にして威勢良いこというのね。ちょっとイラっとしたわ?」
「こうでもしないとジュリアスが俺の獲物まで持っていっちゃうからな」
サレはアテナと打ち合いながら、精一杯の皮肉を交えて言った。
「生意気いうのね」
「分別がないのが我がギルドの特色の一つだ」
今まで手を合わせてきた者の中で、彼女は『最強』であった。
少なくとも、対単体戦において彼女以上の存在などサレは見たことがなかった。
アルフレッド、その他の魔人族の屈強な男たち、リリアン、その他の卓越した魔術士であった魔人族の女たち、彼ら彼女らをもってして、この女には届かないだろうという思いさえ抱いた。
戦いの神。
〈戦神〉。
その名は伊達ではなかった。
「〈闇夜の踊子〉」
不意にアテナの舞が変調する。
独特のリズムを刻むステップ。
柔らかく地を撫で、鋭く踏み、舞う。
アテナの新たな〈神格術式〉の発動を察知して、サレは警戒を強めた。
だが、警戒を強めたからといって、一歩でも近接戦闘状態のこの距離から離れるわけにはいかなかった。
離れたところで決定打がない。
対して、向こうにはあらゆる戦神系の神族の力を使用できるという、膨大な攻撃のバリエーションがある。
それに対処できると自負を抱くほど自惚れてはいなかった。
舞いを変調させたアテナを前に、サレは左手に握った皇剣に〈改型・切り裂く者〉を装填し、左斜め上から袈裟懸けに斬り掛かる。
すると、
――消えた。
今、まさに目の前で、アテナの姿が霞むようにして消えた。
消えた以外に形容の仕方がなかった。
まるで透明な霧にまぎれるかのように、スゥと背景に透過したのだ。
――さっきの神格術式の効力か。
内心で情報を更新しながら迎撃意識を高める。
「あんた、確かに強いわ。たぶん戦系神族でも主神未満だったら本当に殺せるかもしれない。間違いなく異端だわ。異族に与えられた『枠』は確実にぶち壊しちゃってるわね。――でも、それでも『まだ』よ。あたしの枠にはまだ踏み込めないわ。だから――『それまで』なの」
意味深な言葉がどこからか飛んでくる。
声がぐわんぐわんと回って聞こえた。
動きながらの発声ゆえだろうか。
――見えない。
声を追うのは愚策だ。
絶対につかめない尻尾をつかみにいくようなものだ。
そうして馬鹿みたいに尻尾を追っているうちに、本体の方が回り込んで背中を切りつけてくるかもしれない。
サレは直感的に戦闘選択を取捨し、身体を脱力状態に移行させた。
後発からの反射による迎撃を選んだのだ。
「そう、それ。そういう風に仕込まれたのかもしれないし、あんたの『直感』なのかもしれないけど、あんたの戦闘時における選択は極めてあたしの選択に近い。――この意味がわかる?」
――どこだ。どこから声を放っている。
五感を研ぎ澄ませ、アテナの挙動を探る。
「あんたの戦闘性能って、あたしの〈戦神〉としての性能にとても近いのよ。戦闘行動の『最適化』は戦神の加護の根幹だから、私に近いってことはそれだけ戦闘者の中で上層に君臨してるってことよ。――今、あたし褒めてるからね。あんた〈戦神〉に褒められてんのよ、誇りに思いなさい」
声が巡り、耳を貫く。
その言葉の意味をややあって把握し、
――なんとなく、そんな気はしたよ。
サレは納得を胸中に生んだ。
戦闘行動の最適化。
ほぼ素手による防御のみで、こちらからの攻撃をすべて受け流して見せたのだから、まさしく神の如き『間違いのなさ』だとは思っていた。
どんな方法を使っても『最適解』で防御される未来図ばかりが自分の頭の中には巡っていた。
「その固有術式も、〈黒翼〉も、私はどちらも『経験』したことがある。魔人の黒炎を作り出したのはテオドールだったし、当の本人もよく黒炎を翼の形態に変化させて使っていたわ」
アテナの言葉はあえて確信的な物言いを避けているかのような、あえて遠回りに喋っているかのようなものにサレには聞こえた。
うなずくに値する意味合いではあれど、どこかぼんやりしていて裏を含んでいるかのような。
断言はしないが、ヒントを出そうとしている。そんな感じだ。
この微妙な間合いはなんであろうか。
ふとサレがそんなことを考えて、そして一つのそれらしい答えをすぐに見つけた。
――試……されてる?
アテナが自分を試している。
そんな確信染みた思い。
それを信じるとして、ならば『何故』試しているのだ。
「初代様のことをよく知っているらしい」
ときたま見え隠れする彼女の消極性には気付いていた。
基本的にアテナは防御に寄った戦運びをしている。
「あいつがあたしたち神族に喧嘩を売った時に、それを買ったのはあたしたちだからね。今でも鮮明に覚えてるわ。あいつとの闘争は――」
まるでこちらの様子を窺っているかのような闘争運び。
また、〈テオドール〉――つまり〈初代魔人皇〉を意識した口ぶりも気になる。
「ちょっと、『苦労』したわね」
アテナの最後の言葉。
サレはそれを聞いた瞬間、アテナがこうも会話を間延びさせている意図に気付いた。
なぜ試すように、何かを確かめるように、こんな戦運びをしているのか。
――『怯え』だ。
サレはアテナの最後の言葉に、ほんのわずかばかりの怯えを感じ取った。
掻き消えてしまいそうな一瞬の震え。
予測が加速し、他の情報に結びつき、答えを顕す。
――これは初代様の『威光』だ。
アテナは初代魔人皇テオドールに似ている自分の実力を推し量っているのだ。
何故か。
かつてテオドールに、少なくとも抜き差しならない状況に追い込まれたことがあるから。
もともとテオドールより上位の存在であったなら、そのテオドールに似た自分の力を確かめる意気など浮かびはしない。
「またこの程度の存在か」とすぐに斬り捨ててしまえばいいだけだ。
しかしアテナはそれをしない。
アテナは恐れている。
テオドールの『可能性』に。
そしてその可能性の有無を確かめることで、彼女には何らかの『利益』があるのだろう。
ないならばすぐに全力で葬りにくるはずだ。
現状で彼女は自分よりも上手なのだから。
――繋がりそうだ。
もう少しでアテナの利益に関しても何か分かりそうだ。
サレの思考は一つの終着点を覗けそうな位置にまでめぐっていた。
――導け。
『戦神の性質』を。
それが打開策へと繋がる。
確信めいたものを得たと同時、
「でも、あんたに『可能性』はなさそうね。だから――そろそろ転じるわ」
声が不意に後方から聞こえて。
周囲を回っていた声は、ほんの瞬き一度程度の間隙に、サレの真後ろに回り込んでいた。
声に反応し、反射に近い形で身体よりも率先して首が後方を向き、さらに瞳孔がその先を捉える。
アテナが〈黒翼〉の自動迎撃を掻い潜って、その手に持った白剣を自分の背中に差し込もうとしている姿が映った。
その姿はアテナの明確な『攻勢への転換』を表していた。
◆◆◆
背中側から身体の内へと、冷たい物が差しこまれた瞬間、サレは驚異的な反応速度で身体をひねった。
思考さえを置き去りにして、条件反射のように。
その結果、
「……内臓には届かなかったかしら?」
背中から腹部へまっすぐに刺しこまれるはずだったアテナの白剣は横腹に抜け、内臓の表面をかするようにして走りぬけていった。
しかし、確実にサレの腹部の肉を削いでいったことに違いはなく、
「っ――!」
数瞬をおいてその横腹から血が噴き出る。
サレは短いうめき声をあげながらも、ひねった勢いを利用して左手の〈改型・切り裂く者〉をアテナに対し振り抜いた。
「そう、魔人の意志はこの程度じゃ折れないから、絶対に反撃してくる」
裏拳を放つかのような動作で横薙ぎに振るわれた術式兵装は、アテナが縦に構えた白剣と競り合い、
――受け流される。
サレの予想通り、たやすくアテナの白剣に勢いを殺され、斜め上へと流れた。
即座の動きで流れた剣を引き戻そうとする一瞬に――隙が生まれる。
懐間近のアテナを見れば、その両手に一本ずつ白剣を握っていて、受け流しに使った剣とは別の剣で再び刺突攻撃を仕掛けようとしていた。
差し込まれるのが早いか、剣を引き戻しながら斬りつけるのが早いか。
至近距離での瞬間攻防。
――間に合わない。
サレの直感はアテナの優位を報せた。
わずかにアテナの刺突攻撃の方が早い。
刃を刺し込まれ、次いで自分が引き戻した剣がアテナに襲い掛かるが、避けられる。
そんな図が浮かんだ。
最悪、腹部を貫通されても、その間に引き戻した剣でアテナにダメージを与えられればいい。
だが、アテナは剣を差し込んだ瞬間にその場を離れるだろう。
剣を捨ててでも離れるだろう。
アテナにとって神格剣は即座に再生産の利く消耗品だ。得物を離すということは本来武器使用者には忌避されるべき行動だが、アテナにとっては大した問題ではない。
だから、サレは別の方法を取った。
「【くたばれ】……!!」
サレとてそのアテナの攻撃を最小限のダメージに抑える手段はあった。
だが、そうなればさらに戦闘が長引く。
結局、この『決して間違いを犯さない戦神』相手には、多少強引にでも攻勢を仕掛けなければ有効打は与えられないのだ。
そして恐らく、長引けば長引くほど、
――戦神が『成長』してしまう。
一つの確信を胸に、サレは両眼を見開いた。
一撃をもらう覚悟を決め、〈神を殲す眼〉を発動させた。
「まだ甘い」
直後、サレの視界を真っ白な光が覆った。
「またか……!!」
再びの神格盾だ。
つまり、
――これも読まれてたのか……!!
思いながら、仕方なしに引き戻した皇剣で目の前の神格盾を打ち付ける。
――いない。
当然だ。
ここまで読まれてなお、その場にアテナが残っている可能性などいまさら微塵も感じない。
皇剣が白盾を打ち、鐘が響くよう鈍い金属音を鳴らして吹き飛んでいく。
その白盾の向こう側には戦神の姿はない。
先ほどのように唐突にそこから気配が消えたのだ。
――舞神の神格術式だ。
そんな確信を抱こうが、それを破る方法がなければ意味がない。
完全な後手だった。
後手から攻撃をいなし、致命傷を避ける超絶的な反射がサレにあるにしても、傷を負っていることに違いはない。
傷は蓄積し、また血が流れればいつか血液は尽きる。
――〈祖型・切り裂く者〉で周辺一帯を薙ぎ払うか。
思うが、直後に自らで否定の言葉を送る。
――だめだ。味方と敵が入り乱れつつある戦場で使うには〈祖型・切り裂く者〉は無差別的すぎる。
あくまであの術式が祖型である所以の一つだった。
――まずい。
次も意識の外から不可視状態で差しこまれたら、傷を負う。
サレは方策に思い悩んだ。
いつ来る。
不安がよぎり、そして――
次の瞬間、空を走ってきた音があった。
「真後ろだッ!! 距離三十!! 縦に振り抜け!! そこに『味方』はいないから安心しろ!!」
それは声だった。
想像していた声とは別の声。
アテナの紡ぐ音ではなく――強烈な響きをもった、聞き覚えのある声だった。
ゆえに、サレは何の迷いもなくその指示に従い、皇剣に〈祖型・切り裂く者〉を装填する。
同時、自分の真後ろに向け、背負い下ろすかのように振るった。
振り向いた先、そこには何もいなかった。
少なくともサレの目は何も捉えていなかった。
だが、
「ちっ!」
〈祖型・切り裂く者〉がその地点に着弾する間際、その場に霧が晴れるようにして薄い存在感をたたえた〈アテナ〉が姿を現し、黒の刀身を避けるように横方向へ飛び退いていた。
飛び退いたアテナの手にはアルテミスの〈神格弓〉が握られており、それを見てサレは自分が遠距離からなぶり殺しにされた可能性があったことを知る。
だが、現状はそうでもなくて。
すると、直後に土を踏む軽い足音が自分の後方で二度ほど鳴り、振り向けば、
「助かったよ、シオニー」
「まあな、たまには私のことも敬うといいぞ」
「あとで喉掻いてあげるからね」
「う、敬えっていったんだぞ!! なんでそうなる!! …………ま、まあ別にそれでもいいけど……しょうがないなまったく……」
もじもじしながら両手の人差し指を合わせているのはいつもの彼女の姿があった。
銀髪に犬耳、冷たい美貌は今は少しなりをひそめているが、一方でクールな容姿とのギャップともいえるかわいらしさは見て取れる。
〈シオニー・シムンシアル〉。
サレを救った声の主は人狼族の女だった。
「ホント、シオニーは黙って凛としてればクールビューティーな感じなのに、喋ると残念だよね」
「おい、残念ってなんだ。私の堪忍袋の緒の強度にも限界はあるぞ」
「かわいいから許して」
「……か、考える」
――いつにも増してちょろい。
「今心の中で『ちょろい』とか思っただろ」
「お、思ってないよ! ぜんっぜん思ってない!! まったく思ってない!! ちっとも――」
「白々しすぎてこっちが恥ずかしくなるからもうやめろ!!」
シオニーが顔を赤くしながら叫び、そして腰の細い鞘から細剣を抜き放った。
その細剣の切っ先が向く先は――
「俺じゃないよね?」
「あ、当たり前だっ! ――あの女に決まってる」
サレの一撃を避けてから首を傾げ、なにやら思索に耽っていたアテナの方。
サレとシオニーがひと時の茶番に供することができたのも、アテナが攻撃の手を止めたのが原因だった。
すると、そのアテナがシオニーの方を見てふと言葉を投げかけた。
「どうしてあたしのいる位置が分かったの? 〈闇夜の踊子〉使ってたし、さすがに見えないと思ったんだけど」
「わざわざ教えると思うのか? 私は素直に戦神が怖いからな。冗談でも情報は与えないぞ」
「そう、わかったわ。じゃあ、自分で確かめるわね」
再びアテナが『舞い』を開始する。
「混成接続、〈湖上の乙女〉、〈闇夜の踊子〉」
独特の歩調と、独特な腕の動き。
戦場に相応しくない、流麗な舞だった。
微細な動きのブレすら感じられない、あまりに整った体捌きが、徐々に加速していく。
そしてある速度を超えた瞬間――
その姿は空気に紛れて消えた。
薄く、霞むようにして消えるアテナの身体を、サレの視覚は見失う。
眼としての基本的機能にも優れている〈神を殲す眼〉で捉えられないのならば、当然シオニーの眼にも映ってはいないだろう。
だが、彼女は、
「右、すぐ来る」
早口でアテナの存在位置をつぶやいていた。
そしてまた、まるでシオニーがアテナの位置を確実に知らせてくれると確信したいたかのように、間髪いれずにサレの身体が稼働する。
シオニーの身体を片手で引き寄せ、自分の後ろに隠しながら、何も見えない右側の空間に〈サンクトゥスの黒炎〉を纏った右手の突きを振り抜いた。
すると、
「――っ、なんなのよ! もうっ!」
サレの突きを、上半身をのけ反らせて避けるアテナの姿がその場に現出した。
予想外の攻撃を受けて、アテナの舞が崩れたがゆえの術式の途絶。
舞神の神格術式の弱点が露呈した瞬間でもあり、サレにとっての貴重な攻撃チャンスでもあった。
サレは繰り出した突きの手を即座に開き、目の前で身体を反っているアテナの腕を掴みにかかった。
――自由に舞を踏ませるのはまずい。
不可視、高速化、立体機動。
単一ならまだしも、複合されるとまったくもって手が付けられないという印象は今に抱いたものではない。
まずは動きを束縛するのが優先だと思い、とっさに腕を伸ばしていた。
そして、
「――捕まえた」
サレの手がアテナの腕を捉えていた。
さらに、
「やっと戦神の性質が分かったよ」
サレは言い放っていた。