79話 「白銀の半神」
もう一人の神の気配は自分の後ろにあった。
音もなく忍び寄ってきた気配。
ジュリアスは顔から血の気が引いていくのを感じながらも、冷静に対処の動きを起こしていた。
ロキの誘導にひっかかったことを逆手に、片手に持っていた槍の柄頭を後方へ向けて押し込む。
「……っ」
小さく息を吐く音が聞こえて、ジュリアスの手に手応えが返ってくる。
どうやら一撃を見舞えたらしい。
さらに槍を後方へと押し込み、そして機を見て大きく距離を離した。
――まずは姿を。
そう思い、気配の方向へと視線を滑らせる。
数瞬。白いローブに身を纏った人型が目につき、ジュリアスはその人型の『奇妙さ』に気付いた。
近くで見て初めて抱いた違和。
白ローブを身に纏った小さな人型の足元。
その足が――
――透けている。
馬鹿な。
ジュリアスの頭の中を短い言葉が駆け巡った。
――気配は神族なのに。
その様相はまるで霊体種族の如き。
神族は白光を身体に灯すが、決して存在感が薄いわけではない。
むしろ普通の生き物よりも存在感を主張する。
――。
思考の言葉が続かない。
ジュリアスは自分が混乱しはじめていることを自覚し、とっさに思考を切った。
――まだ情報が足りない。判断を急ぐな。
再び視覚に集中し、その白ローブの姿を見る。
「君は――何者だい?」
返ってはこないだろうと思いつつ、この間隙で言葉を飛ばす。
なんでもいい、反応が欲しかった。
「……」
だが、予想通り反応はない。
先ほど槍の柄頭で打たれた腹部を擦りながら、何故か首を傾げている。
子どもが何気なく見せるような仕草。
そのわざとらしい隙にジュリアスは戸惑いながら、白ローブに一定の注意を割きつつ、少し離れたところでケラケラと笑っていたロキに視線を向けた。
ロキはジュリアスの視線を受けて眉をあげる。
「おやぁ? 彼女のこと知りたいんですか? ――どうしましょうねぇ、すぐに教えてしまってはあなたの困る顔が見れないですからねぇ。うーん――」
戯れの神が顎に指をおいて、思案気な表情を見せた。
数秒して、仕方ないといわんばかりに両手を広げて見せてから紡ぐ。
「ま、いいでしょう。ワタシもなんだかんだ言ってジュリアスには砂糖菓子のように甘いですからね、特別『事実』を教えてあげましょう。彼女は〈死族〉ですよ。しかし〈神族〉でもあります。嘘じゃありません。本当ですよ?」
「――余計に混乱したよ」
事実による攪乱。
もはやどれが正しくて、どれが間違っているのかすら分からない。
たとえそれが事実であったとしても、なぜその混合が起こっているかの『理由』がわからない。
これ見よがしに『事実』を披露して見せたロキだが、結局その事実はジュリアスにとってゴミ以下だ。
――そうやって内心を掻きまわすのがロキの狙いなのだろう。
またケラケラと笑い出したロキを見て、ジュリアスは内心に思った。
「混血種族は確かに存在するけど、神族と死族の混血なんて――」
「おや、なぜありえないと思うのですか? ジュリアス、いつもあなたに教えてあげていたでしょう? 『時には自分の常識をすべて疑え』と。嘘吐きが真面目に吐く至言の一つです。まあ、真面目な嘘吐きなんて胡散くさいですけどね」
「そこまで言うならあえて君の言葉を信じよう。だから、次の質問だ」
ジュリアスにとって死活に繋がる疑問は、
「その死族は、『どの神族』との混血なんだろうね」
それであった。
◆◆◆
しかし、そうして口ばかりを動かしていると今度は目の前の白ローブの方が動き出す。
ロキは白ローブの事を『彼女』と形容した。
となれば女なのだろう。
そんな白ローブの女が、首を傾げる仕草をやめてジュリアスを見た。
見ながら――近寄ってくる。
大きな動きを見せるでもなく、ただ近づいてくる。
意図が掴めない。
異様だ。
――こうなれば自分で情報を引き出すしかない。
目の前の女が何者なのか。
神族なのか死族なのか。
もっと反応が見たい。
内心に浮かべたジュリアスは、容赦なく攻撃を敢行した。
「跪け、〈天空圧〉」
左手で再び叩き付けるかのようなモーションを起こす。
天からの押し潰すかのような圧力。
その荷重を受けて、女の動きは一瞬鈍くなった。
ディオーネの神格術式に対して多少の抵抗力はあるようだが、ロキほど完全なものではないようだ。
神格術式が通ることを知ったジュリアスは、さらなる手を重ねる。
「潰れろ、〈全空圧〉」
先ほど叩き付けた左手を今度は開いて女に向ける。
そして視界に映る女の姿を握り潰すかのような仕草で、グっと強く握りこんだ。
直後。
女の動きが完全に止まり、まるで見えない巨大な手に握られているかのように白ローブがぐしゃぐしゃと内部にひしゃげていった。
周囲から空気の圧力を受けているかのような姿。
潰れていく。
ジュリアスはそれを見ても手を緩めない。
一挙手一投足を見逃すまいと鋭い眼光を閃かせている。
また潰れていく。
みしみしと軋むような音が白ローブの内部から鳴った。
これ以上圧力を強めれば、そのまま肉塊になり下がるのではないか。
そう思ってしまいそうな光景だ。
しかし、
――〈死族〉なら死にはしない。
死族の肉体的外圧に強いという特性を考えると、そのまま握りつぶしてもそうたやすくは消滅しないだろうという確信がジュリアスにはあった。
「アハハ、女性相手に結構厳しいじゃないですか、ジュリアス。まあ、確信があるからでしょうけど。想像通り、彼女はそう簡単には死にませんよ。さあどうしましょうジュリアス。いっそバラバラにしてしまいますか? パーンって、スプラッタですねぇ」
いつの間にかどこからか取り出した木製の椅子に座って、ロキが楽しそうに手を叩いていた。
「あなたが術式燃料を持つ異族であったなら死族に効く浄化術式でも組めばいいのですけどね。残念なことにあなたは純人族だ。神格術式に頼るしかない。それとも浄化作用のある術式道具や聖具でも用意してきましょうか。――そんな時間はありませんね。こんなことなら一つくらい身に着けておけばよかった。さあどうしましょう。――ああ! そうだ、〈死神〉でも呼んだらどうです? 彼ならきっと死族の魂さえも消し去ってくれるでしょう」
「対価で僕も死ぬ」
「そうでしたねぇ」
けらけらと楽しそうに笑うロキ。
「それに、仮にも彼女は〈神族〉なんだろう。神族を殺しきってしまうのは〈神界〉にも少なからぬ影響をもたらすんじゃないのかい」
「えっ? そんな影響ありませんよ?」
ロキはあっけらかんと言いきった。
「彼女がいなくなったくらいじゃ大した影響はありません」
「どうして言いきれ――」
「ハハハ、まあ、神界にもいろいろあるのですよ。そこのおバカな姉上やあっちの脳筋な姉上とは違って、ワタシは他の神族の様子も適度に窺っていましたからね。――『いろいろあるんですよ』。あー残念、そろそろ彼女が動きますよ。ほらほら、前見ないと」
ロキに促され、ジュリアスはとっさに視線を白ローブの女に戻した。
見れば、どうやったかは知らないが〈全空圧〉の全方位圧力から抜け出している。
――いつの間に。
服はところどころ破けていて、しかしそんなのは構わないとでもいうように再びこちらに走ってくる。
――無策を繰り返したところで。
再びジュリアスは天からの圧力を女に叩き付けた。
しかし、二度目はどうにも効きがおかしかった。
ジュリアスが起こした天空圧は確かに女の周囲に荷重として掛かった。
女が足場にしている地面が軋むように揺れ、転がっていた小さな小石は地面と天からの空圧に挟まれて微塵になっている。
なのに――
女はそのまま走ってきた。
先ほどよりも強めに圧力をかけた。
走れるわけがない。
そうは思うが、現状が思惑と違っているのも確かだ。
ジュリアスは即座に思考を切り替え、ソルの神格槍を左手にも召喚し、うってかわって接近戦への意志を見せた。
見たところ女は手に武器を持っていない。
素手、対、槍。
リーチは雲泥の差だ。
よほどの技量差があれば素手でもなお懐へ潜り込んでくる者もいるかもしれないが、
「ソル、僕に上位加護を」
その些末な可能性すらジュリアスは潰していく。
〈槍神ソル〉の上位加護。
〈槍神ソル〉の通常加護は槍術使用時の膂力増加が主だが、より上位の加護に槍術の『最適化』という項目があった。
ジュリアスは自分の願いがソルに受け入れられ、それに伴って心身に何かが入ってくるのを感じ、同時――
「そろそろ正体を教えてくれないかな――!」
接近してきた白ローブの女に対し、双槍での接近戦を仕掛けた。
◆◆◆
初撃は突きだ。
直線で正面から突き進んでくる敵に対し、視線の高さに合わせてまっすぐに突き込む。
踏み込み、体重を乗せ、連動し、槍に力を伝える。
ジュリアスの放った槍撃の速度は上々で、手練れの一撃に相違ない迫力であった。
それに対する女の方は、
「……」
その一撃を片手で受け止めた。
しかしそれはまともな防御ではなかった。
彼女は自分の片手を槍にあえて貫かせ、槍を手に固定し、そのまま力を入れて軌道をずらしたのだ。
しかも、全く苦痛を表すこともなく、淡々とそれを行った。
大きな動きに伴って白いフードが彼女の頭部からはだけ、ようやく顔全体が露わになる。
真っ先に目に入ったのは白銀の髪だった。
その色味は発光しているようにさえ見えた。
美しい白銀の輝きだ。神族の白光にも似ている。
ジュリアスはその外観を初めて見て、そして――
「ああ……」
彼女が神族との混血であることに、初めて確信を得た。
感慨に耽るかのような刹那の間があったが、状況は動き続ける。
「……」
女は噤んだ薄い唇を決して開きはしなかった。
しかし、身体の動きは見せた。
掌を槍の刃に貫かせながら、さらにその刃を自らで握りこんだのだ。
血はまったく出ていなかった。
そして異変が起こる。
ジュリアスが女の手から槍を引き抜こうと柄を強く握って引っ張った瞬間――
「えっ?」
ジュリアスが確かに掴んでいた槍神ソルの神格槍が、その場から忽然と消え去った。
一瞬にして、跡形もなく。
突然のことに理解が追い付かないジュリアスだったが、一方で動きを止めない女の次の行動を見て、ある事実に勘付いた。
女はジュリアスから一歩離れ、先ほどジュリアスがそうしたように、まるで手に持った槍を真っ直ぐに突き刺すかのようなモーションを見せた。
その手には何もない。
だが、
『避けろジュリアス!!』
ディオーネの警告する声がジュリアスの耳をつんざいた。
ジュリアスはディオーネの警告の意味をその声の数瞬後に理解する。
槍を放つかのようなモーションをした彼女の手に、
「くっ!!」
今さっきまで自分が手にしていたはずの『ソルの神格槍』が握られていた。
◆◆◆
――『盗られた』。
直感的に、ジュリアスの中に言葉が浮かび上がっていた。
今この女は『ソルの神格術式を使わずに』神格槍を召喚した。
問題はそこだ。
槍神の術式描写が見られなかった。
自分の手から消えた神格槍と、ソルの術式を使わずに神格槍を召喚した女。
二つの要素の先に見えた事実は、
「〈盗神ヘルメス〉の術式か!!」
ジュリアスの内心を揺るがした。
即座の回避行動によって紙一重で槍の刺突を避け、逆の手にもっていたもう一本の神格槍で牽制の突きを入れつつ、すぐさま後退する。
『間違いない、盗神の力だ。――どういうことだ、あの糞ガキが現界の民に術式を貸すものか。ロキの〈半神〉という言葉と関係があるのか? くそっ、前代未聞だ、わけがわからん!』
ジュリアスの隣で宙に浮いていたディオーネが悪態をついた。
「ヘルメスの術式は確か――」
『ああ、盗むことに特化している。盗んで、利用する。基本はそれだ。だが現界の民が使うには対価やら条件やらがキツかった気がするが――』
「盗むモノに対する観察や事前の経験が必要だった気がする」
「――となると、あの外圧に強いという死族特性が条件の達成を補助しているんだな」
あの槍の喰らい方は露骨だ。
自分から刺さりにいっていると言っても過言ではない。
ジュリアスは思いながら、十数歩先で神格槍を片手に握っている女を見た。
彼女は不思議そうにその槍を眺め、
「……うーん……うまく……できない」
掻き消えそうな小さな声でつぶやいていた。
扱いづらそうに神格槍を回したり突いたりしているその姿には、まるで初めて槍を扱ったかのような危うさが映っていた。
「あなたが盗ったのは槍だけです。ジュリアスのあの動きは〈槍神ソル〉の加護によるものですから、槍を盗っただけでは再現できませんよ」
「……ふーん。じゃあいらない」
ロキの言葉を聞くや否や、彼女は急に興味をなくしたように神格槍を投げ捨てた。
そして今度はジュリアスに視線を移し、おもむろに片手を水平に掲げた。
――まさか。
それはまるで〈天空圧〉のための予備動作のようだった。
『まずいぞジュリアス、私の術式も盗られている。さっき二度〈天空圧〉を撃っただろう。二度目の効きが悪かったのは私の神力ごと術式を盗られたからだ』
「わかってる!!」
淡々と述べるディオーネと対照的に、ジュリアスは女が天空圧術式の予備動作を取った時点で、即座に前進への歩を進めていた。
遠ければ遠いほど視界に相手の姿を捉えやすくなる。
そのため、天空圧は中距離から遠距離で最も命中精度が高くなる術式だ。
それを使用者であるジュリアスは熟知していたがゆえの接近だった。
「狙いさえ絞らせなければ――」
「何か忘れてませんか? ジュリアス。今私たちは戦景旅団と共にいるのですよ? 戦景旅団の団長はどんな神格術式を使ったんでしたっけ?」
ロキのケタケタと弾む笑い声が飛んできて、ジュリアスはハッとした。
一瞬で脳裏に浮かんだ予想。
それが事実となって目の前に現れようとしていた。
「……〈ぜんぽうしんりき〉」
右手は天空圧の予備動作のままで、左手をジュリアスに開いて見せて。
女が〈力神アスラ〉の力場術式を発動させていた。
ジュリアスは前進への速度を緩めようと踵で地面を削ったが、結果としてそのブレーキは間に合わなかった。
「ぐっ……!!」
ある部分を通過した瞬間、ジュリアスの身体に強烈な後方への力が掛かる。
アスラの力層に触れてしまった。
身体全体に掛かった後方への力によってジュリアスの身体は軽々と飛ばされる。
地面を数度転げ、やっと回転が止まったと思って顔をあげたところに――
「〈てんくうあつ〉」
上からの圧力が来た。
『ヘルメスとの半神だけあって面倒な奴だな……!!』
しかし、その荷重はすぐさま消える。
ジュリアスの横で神界から顔を出していたディオーネが、今度は身体ごと神界から出てきて、片手を上へ向けて開いていた。
その手からは白発光する細かい粒子が発散されていて、まるで神力燃料そのもので圧力を受け止めているかのようだった。
『自分の術式を自分で止めるなど、さすがの私も初めてだぞ』
「ありがとう、ディオーネ」
『礼はいい。それよりどうするんだ。私がやるか? アテナが憑依顕現しているようだから私も同じ程度なら時間が取れるが』
「それだと主体がディオーネになっちゃうよ」
『何か問題か?』
上からの荷重が消えたのに気付いたディオーネは、空に向けてあげていた手を下げ、ジュリアスの方を振り向きながら言った。
対するジュリアスは向こうで一人唸っている女に視線を釘付けにしたまま、ディオーネの問いに答えた。
「問題だね。今回の闘争は僕たちテフラ王族の問題だから。神の力を借りながらでも、主体だけは常に僕でなければならない。ディオーネが別個に顕現するなら別だけど、僕に完全に憑依するのはだめだよ。僕の意志が現場から消えてしまう」
『頑固者め。私もロキを前にして完全顕現したいのはやまやまだが、主神アテナがそれをやらん以上、まだ出るのは躊躇われる。他の神族とのバランスもあるからな。今のこの状態でさえロキがああして現界にいるから行えたようなものだし――』
「そうだね」
『ならばどうする。ロキと、ヘルメスの半神。片方は完全に神族、そしてもう片方もほぼ神族そのもの。純人のお前が主体のままでなんとかなるのか?』
「なんとかするよ。――『対価を払う覚悟はある』。だから、あくまで僕の意志で、神族の力を使おう」
『説得しても無駄か?』
「うん」
はあ、と大きくため息をつくディオーネをよそに、ジュリアスは女からほんの少しだけ視線を外し、周囲をぐるりと見渡した。
その数秒間で目に映ったのは、アテナと交戦するサレと、戦景旅団と総力戦をしている〈凱旋する愚者〉のギルド員たち。
善戦に善戦を重ねている様子が見える。
「彼らは十分によくやってくれた」
『――そうだな』
「これ以上は彼らにも悪い。向こうもアテナさえいなければ優勢が決定的になる。だから――あとは僕がなんとかしよう」
『せめて魔人がアテナとの戦闘を終えるまで待てないのか? まだ可能性はある。アテナがいなければお前がこれから使おうとしている神格術式の『対価』も減るはずだ』
「でも――」
ジュリアスが再び言いかけた瞬間、
『待ってろジュリアス!! まだ待ってろ!!』
〈サレ〉の怒号が響いていた。
ハッとして振り向くと、アテナと剣戟を交えながらほんの一瞬だけこちらに視線を向けるサレの姿があって。
――そんなにぼろぼろなのに。まだ君は荷を背負っていくつもりなのかい。
『俺が言うのもなんだけどな!! なんでも背負い込もうとすると周りからどやされるぞ!! だから、まだ待ってろ!!』
続けて、
『ホントお前がいうなよ!!』
と辺りから〈凱旋する愚者〉のギルド員たちから一斉にツッコみが入り、
『俺たちがその荷を少しでも減らしてやるから――』
もう少し待ってくれ。
そんな複数の声が重なった。
「わかった。もう少しだけ――可能性に賭けてみるよ」
「それでいい!!」
最後に、皆の威勢の良い声が返ってきた。