7話 「逆風世界の抵抗者」【前編】
――出逢いというのは唐突で、そのわりにびっくりするような意味を孕みつつ、そして自分に一世一代の選択を要求してくるものである。
◆◆◆
あらかたの準備を整え終えたサレが「さて、どこへ行こうか」と胸中に言葉を浮かべたその時、サレの感覚器は周囲に動体の気配を感知していた。
音、気配。微弱な空気の揺れのような――
持ち上げかけた荷物を一旦おろし、両手を自由の状態にして動体の居場所を探る。
いざという時にすぐに反応できるように、身体に臨戦態勢を敷いた。
勝手にそうなるように、十数年間叩きこまれてきた成果とも言える反射だった。
――何だ。否、誰だ。
左腰の鞘から皇剣を引き抜く。物陰に隠れ、周囲をうかがった。
◆◆◆
動体の気配は徐々に近づいて来る。
――声だ。
自然の環境音にまぎれて、誰かの『話し声』がどんどんと近づいて来ていた。
◆◆◆
「こんな辺鄙なところに人がいるのかのう?」
「いると思われます。魔力を感じました」
「魔力? ――なら純人族ではないのか?」
「純人族が魔力を内包していたら、いまごろ私たちは生きていませんよ。十中八九、異族でしょう」
「ふーむ……ま、言葉の通じる異族であることを願うばかりじゃな」
「それにしても、我輩たちもずいぶん遠くまできたものであるなぁ」
「私たち、出会ってまだ数週間ですけどね。あたかも長年の友人であるかのように振る舞われても対応に困ります」
「つ、つれないのであるよ! 我輩、少し寂しいのである……」
「そんな野太い声で寂しがられても――」
◆◆◆
まっさきにサレの耳に入ったのは三つの声だった。
その他にも複数の声が、徐々に大きくなって伝わってくる。
言葉を話すということは人系種族なのだろう。
話し声はさらに近くなる。
もうすぐそこだ。
◆◆◆
「思いだした。この辺、昔〈魔人族〉が住んでた場所だよ。たしか――イルドゥーエ皇国だったかな。前にアテム王国と戦争して数が少なくなったって聞いてたけど、もしかしてその生き残りかな? ――うわぁ……魔人族かぁ……いまさらになってちょっと怖くなってきた」
「魔人族であるか。あの種族はいろいろと凄まじいと聞くのであるよ」
「あー! あたしも超知ってるよ! イルなんたら皇帝さんが昔一人で国を壊しちゃったとか、神様に喧嘩売ったとか! 前に聞いたことあるよ! 超ヤバいって!」
「あらあら、それは彼らの暴力のみを見るからですよ。彼らは純人族と和平を結ぶほどの許容力と、平穏な心を持ってもいたのですから」
「というか、こんな時くらい少し静かにできないのかお前ら……」
◆◆◆
――多いな。
サレは物陰で毒づく。
声が多すぎて状況がつかみづらい。
もちろん、彼らが自分と敵対すると決まったわけではないが、それでもなお、仮にという場合を想定しておくべきだ。備えはあった方がいいだろう。
そしてついに、物陰から半目を出せば、声の主たちの姿が見える位置にまで、発声者たちが近づいてきた。
サレは意を決して半目を出して、目を凝らす。
近づくものがどんな身なりをしているのかを、見極めるために。
武器は。服は。鎧は。種族は。
――何者なのか。
近づく者たちの姿をサレの目が捉えた時、サレは唖然とした。
――なんだ、アレは。
唖然としたその要因は、端的に彼らの容姿に現れていた。
見慣れない容姿だ。
異端の姿態。
一見して納得せざるを得ない、あきらかな〈異種族〉の特徴。
頭から一本角が生えている者。
人型なのに、頭がトカゲ風の者。
頭に獣の耳が生えている者。
右腕が部分的に透けている者。
背から白い大翼が生えている者。
尻尾が生えている者。
――いや、俺も生えてるか。
ともかくとして、異様で、壮観だった。
多種多様。まさにその言葉が合致する。
ふと、唖然としている自分に気付いて、即刻物陰から首を引っ込めた。
まだこちらには気付いていないようだ。
再び彼らから声があがる。
「待つのである、皆の衆」
「どうかしましたか?」
「死の臭いがするのう」
「超臭う!」
一団が足を止めた。
サレが隠れている瓦礫の山の、目と鼻の先だ。近い。
「ぬっ、なにやつッ!」
少しの沈黙のあとに、あらためて様子を窺おうとサレが半目を出すと、一団の中にいたトカゲ頭の異種族と目が合ってしまった。
トカゲ頭は声をあげると同時に身構え、じりじりとサレの隠れている瓦礫の山へと近づいて来る。
――しくじった。
いや、むしろ、なぜ隠れているのか。
自分は人前に姿をさらせない怪しい者です、と逆に勘繰られてしまう。
そう考え、サレは意を決して陰から姿をさらした。
そのサレの姿を見た異種族たちが、一斉に身構える。
「待ち伏せ……! 純人族であるか!?」
「――待ってください。その判断は早急です」
「し、しかしであるな……」
「私たちは野生の獣ではないですし、まずは言葉を交わしましょう。そのあとで、判断すればよろしいかと」
トカゲ頭の男を片手で制しながら、灰色掛かった髪の女が一歩前へ歩み出てくる。痩せた少女だ。
抑揚のない声音で淡々と言葉を述べるその少女は、光の薄い淡泊な視線をサレに向けた。
薄紅色の視線だ。
――言葉を交わす、か。
サレはその少女の言葉に感応するように、片手にぶらさげていた皇剣を左腰の鞘にしまいこんだ。
対して、少女の提案を受けたその他の来訪者たちは、サレの納剣を見てしぶしぶといった様子で構えを解いた。
灰色髪の少女は皇剣をしまったサレを見て眉をあげた。
そこで、サレは少女の視線の動きを見て、あることに勘付いた。
見る、という動作に若干の遅延が見られたような気がしたのだ。
皇剣をしまった時も、皇剣の動きではなく、鞘に皇剣が収まった瞬間の金属音に反応していたかのようで。
「――目、見えてないの?」
つい、先に言葉を投げかけていた。
「はい。私は目が見えません」
――だからなんだと言うのだ。
逆に話の腰を折ってしまったような気がする。
サレは内心で叱咤した。
「その点はおいておきまして。――初めまして。私の名前は〈アリス・アート〉と申します。よろしければ、あなたのお名前をお聞かせいただけますか」
「――――サレ」
サレ・サターナ、と続けようとして、さきほどの夢と紙きれを思い出し、
「――〈サレ・サンクトゥス・サターナ〉」
言い直した。
「ありがとうございます。サレさん、とお呼びしてもよろしいでしょうか。私のことはアリスとお呼びください」
灰色髪の少女――アリスは、名乗り合いのあとも変わらぬ抑揚のなさで言葉を紡いだ。
「……サンクトゥス? うーん……どっかで聞いたことがあるような……」
一団の中の眼鏡を掛けた少年が、首をかしげながら思案に耽っていた。
「サンクトゥス……サターナ……――あっ!」
「何か思いだしたのであるか?」
「さっき言ってたイルドゥーエ皇帝だよ! 一国を滅ぼしたっていう魔人族の! 〈ガゼル・サンクゥトス・サターナ〉だっけ、たしか第三代皇帝だったような――」
「ということは、彼はその末裔であるか」
「たぶんね」
すべてを言わずして、先にサレの正体が知れていた。
そこへアリスが、
「メイトさん、ギリウスさん、サレさんがおっしゃらないことを先に明かしてしまうのは、いかがなものかと思われます」
「あっ、ご、ごめん」
「も、申し訳ないのである……」
「ふう」とアリスは無表情で一息つき、再びサレに視線を向けた。
「申し訳ありません、サレさん」
「構わないよ。俺はこの名に誇りを持っているから」
続けて、
「そっちの眼鏡の彼が言うように、俺は魔人族だ」
断言した。
ここまで情報が出てしまっては隠す意味もないだろう。
サレとしても敵対する意志はない。
アリスたちが友好的に接する限りならば――ひとまずは。
サレが自分の種族を明かすと、一団からはざわめきが起こった。
「本当に生きていたのか」「魔人族、初めてみた」「でも一人しかいない」という声や、さらには「魔人族とか激レアじゃん」等々。
また、それまで人形のように無表情だったアリスの眉間のあたりに、一瞬だけしわが寄ったのを、サレは見逃さなかった。
「気を悪くなされたらおっしゃってください。もう一度謝罪させていただきます」
「いや、構わないよ。むしろ――俺の方が気になるなぁ。その……なんというか――」
――トカゲ頭とか。角とか。獣耳とか。白翼とか。
直球の形容しか思い浮かばなかったサレは言葉を濁した。
同時に、目の前のアリスが頭を下げて謝るところを見ると、彼女たちに対する害意は失せていった。
――争うつもりは本当にない、か。
早急過ぎる結論と内心で揶揄したくもなるが、結局、サレは己の価値観のもとでそう決定した。
「いかがいたしましょう、皆さん。私個人としては、もう少しお話をしてみるべきかと思いますが」
「そうじゃな。アリスの意見に賛成する」
「我輩も同意である」
いくつかの賛同の声が一団からあがった。
「わかりました。――サレさん、少しここに留まらせていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ――」
アリスの言葉にサレはうなずきを返し、
「構わないよ」
彼女が盲目であることを考慮して、声で了解の意を送った。
「それでは皆さん、一応、周囲の警戒をよろしくお願い致します」
アリスの言葉に一団から「りょうかーい」と気の抜けた返事が返ってくる。
サレは「椅子でもあれば」と思ったが、振り向けば瓦礫の山と、削られてこじんまりしたサンクトゥス城だ。でこぼこした地面ばかりが視界に映る。
一度うなだれて、仕方なく近場の瓦礫に腰をおろした。
「椅子でも出せればいいんだけど、どうにも散らかっていて――」
「いえ、お構いなく」
「ごめんね。じゃあ、ここでいいかな。――ちょっと失礼」
サレは一度断ってから盲目の彼女の手をとって、自分の隣に誘導した。彼女の手はひんやりしていて、なにより小さくて、強く握ったら壊れてしまいそうな手だった。
アリスはサレの手に促され、ゆっくりとした動作でその隣に腰を下ろす。
――本当に、不思議な来客があったものだ。
行儀よく膝元に両手をそろえておくアリスを見ながら、サレは思った。
独りになってからものの数日で、再び自分の隣に人が現れた。
奇妙な来客に、サレの心の穴がほんの少し震え、また同様に――ほんの少し、埋まり始めていた。
◆◆◆
「最初にお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「サレさんはこのイルドゥーエ領内からお出になったことはございますか」
「ないよ」
「――なるほど。だから、さきほど私たちの姿を見て驚いていたのですね」
「だから、というと? というか俺が驚いてたってわかるの?」
「見えないのに」とは口に出さず、しかし言外にそう悟らせると、
「単純に、声色に驚きが含まれていると思いましたので」
しっかりと意図をくんだ答えがアリスから返ってきた。
彼女はそのまま言葉を続ける。
「今の時勢に〈異族〉の存在を知らない人はあまりいません。人々は、どこかにこもってでもいない限りは、なにかしらの情報伝達によって異族の存在を知ります」
「異族?」
「端的に申しあげますと、純人族以外の種族のことです」
「なるほど」とサレは得心した。
「ここで一つ、単刀直入にお聞きいたしますが、サレさんはこのイルドゥーエ皇国をお出になるつもりはございますか?」
「うん。ちょうど出ようと思っていたところなんだ。もうここには……なにもないから」
「――左様ですか」
「――左様です」
あまりにも淡々としすぎていて、サレはつい些細なちょっかいを出してしまった。
皮肉というほどでもないが、鸚鵡返しも大概相手の怒気に訴えかける力は持っている。
アルフレッドたちとのやり取りだとむしろ皮肉の言い合いが日常だったが、そのノリを初対面の相手にやってしまったのは自分の不注意だ、とサレは頭を抱えた。しばらくして恐る恐るアリスの顔色を窺うと、
――うわぁ……全く動じてないよ……
アリスはまったく変わらぬ無表情のまま、ちょこんと小さな両手を膝元に置いていた。
さらに数瞬して、ゆるやかなペースを維持して言葉を並べ立てていた。
「それでは、さらにお聞きいたします」
「あっ……はい……」
彼女の無表情を崩せなかったことに若干の悔しさを感じつつ、サレは次の言葉を待った。
◆◆◆
「私たちと共に来る気はございませんか?」
◆◆◆
――待った挙句が、この凄まじい攻勢である。
鉄壁の無表情に、こちらの思考をたやすく停止させるほどの苛烈な攻撃力を持った言葉。
彼女はきっといい交渉人になるだろう。……うん。
「……えーっと、なんか、いろいろとくわしく訊きたいんだけど―――」
ともあれ、いつまでも思考停止しているわけにもいかない。
話を持ちかけられたのは自分なのだ。
「最初に申しあげますと、異族にとってこの場所は危険です。――隣国がアテム王国なので」
それは分かる。
だからイルドゥーエを出ようと思ったのだ。
「そして、〈純人至高主義〉を掲げるそのアテム王国は、先日ある布告を周辺各国へ通達しました」
「……布告?」
「そうです。――領地一帯の〈異族討伐計画〉の布告を、です」
サレの心臓は一度大きく高鳴った。