78話 「神の悪戯」
――神族の意志に制限を掛けるのはあまり心地のいいものではない。
たとえそれを相手側が快く了承してくれたとしても。
本来なら、神族の自由意思を尊重するべきなのだろう。
ジュリアスは顔に苦虫をかみつぶしたかのような表情を浮かべていた。
ジュリアスはメシュティエの契約している神族〈力神アスラ〉に少しの間の能力貸付停止を言いつけた。
それは願いにも近かったし、一方で命令染みた意味合いも含んでいるように思えた。
でもそれは――
「まるで自分の才に自惚れているような、傲慢な行いだ。もとより自分の力で得た『信頼』じゃないのに、それを我が物顔で使うのは――」
――気が引けるよ。
ジュリアスは最後を自嘲気味に紡いだ。
しかし、そんなジュリアスの言葉にすぐさま答える存在があった。
隣を飛翔している天空神ディオーネだ。
『馬鹿かお前は。神族に愛される才はお前自身の『行い』によって得たものだぞ?』
「え、そうなの?」
『まあ、もちろん匂いが良いとかが根本的な起因にはなっているが、それだけで神族がたかが純人にここまで『特権』を認めるわけがないだろう』
「じゃあ、なんでさ?」
『なんでと言われると明確に一言では表せないが――』
ディオーネはほんの一瞬言葉を詰まらせた。
そのあとに続けた言葉は少し堅い言葉。
『――神族に対する理解、配慮、あとはお前自身の性格、思考、それらが神族にとって興味深く、また同時に慈悲にもなり得たからだ』
「わかりづらいね?」
『ともかく、お前は幼少時から神族と直接的に関わる機会を得ていた。それは確かに先天的な才能だ。だがそこからお前が神族により気に入られるようになったのは、お前自身の行いゆえだ。そんなに理由を知りたければ各々の神族に逐一訊ねればいい。神族にだって個性はある。それぞれ違う答えが返ってくるだろうよ』
「じゃあこの闘争が終わったら聞いてみることにしようかな」
『勝手にしろ』
敵陣につっこんでいる最中にさえ悪戯気な笑みを浮かべるジュリアスに、ディオーネは困惑したような顔で言葉を返した。
「なら、まずはこの戦いを勝利で終わらせないとね。ただでさえサレ達に重荷を背負わせてしまっているから、せめてこちらの領分の厄介事は僕が片付けないと」
ジュリアスは再び意識を前に向ける。
視界の奥には白ローブと燕尾服の二つの影。
『大丈夫だ。アレが本当に歴代の魔人たちの遺児ならばやすやすと死んだりはしないだろう。黒炎の加護もある。魔人の皇を名乗るからには相応の力を認められているはずだ』
するとディオーネが同じように前を向きながら、ジュリアスの心配を和らげるように魔人に関する言葉を紡いだ。
『私は神界にこもっていた関係で二代目以降の魔人皇には詳しくないが、初代と二代目を見ればだいたい予想はつく。押しなべてデタラメな奴らだ。だからそんなデタラメなやつらに認められているなら、私としてはある程度の信頼はおける』
確信を持っている風に言い張るディオーネを見て、またジュリアスは笑った。
「魔人族のことをよく見てるんだね、ディオーネ」
『たまたま近くにいて、たまたま奴らが生意気だったから、たまたま私の目に留まりやすかっただけだ』
「素直じゃないにも程があるよ……」
そっぽを向くディオーネに苦笑しつつ、ふと前方にいる例の二人の姿が鮮明に見えてきて、ジュリアスは襟を正した。
「――〈ソル〉、神格槍を」
槍神の名を呼び、願いを紡ぐ。
求めるは武器。
すると、掲げた右手に一秒を待たずして白光の槍が現出した。
ジュリアスがそれを握り、
「ありがとう、ソル」
一礼を。
次に見るのは隣の〈天空神〉だ。
「――ディオーネ」
『みなまでいうな、分かってる』
彼女の言葉を聞き、ジュリアスはうなずきを返した。
そして。
ジュリアスが槍を握っていない左手を前方の神族と思しき二つの人影に向け――
まるで上から叩き付けるかのようなモーションで振るった。
「潰れろ――〈天空圧〉」
それが天空神の〈神格術式〉を発動する合図だった。
◆◆◆
王族会議の時にも使ったディオーネの荷重術式。
天空から下方に対して押しつぶすように働く重力場。
それを今回は王族会議の時よりもさらに強めに調整し、神族と思しき二人にぶつける。
異族でも跪かずにはいられないであろう圧力だ。
――耐えるだろうか。
本当にあの二人が神族なら、神格術式をぶつけるか相応の神力をぶつけることで相殺くらいはできるだろう。
だから、この天空圧に対する反応であの二人が本当に神族なのかが分かる。
色々と状況の推察は行き渡っているつもりだった。
アテナが同格の主神であるディオーネをよそに、あえて魔人との戦闘に終始している理由。
それはつまり、放っておいても別の手で対抗できるという確信を持っているからだろう。
戦神が戦術的な均衡判断を誤るわけがない。
敵への信頼が、逆にジュリアスに予測を閃かせる。
そして、その予測は確固たる結果としてジュリアスの眼前に現れる。
「いやはや、もう少し執事ごっこをしていたかったですねえ。結構これ楽しいんですけど」
ジュリアスはその声をどこかで聞いたことがあった。
昔。ずっと昔に遊んでもらったことがある〈神族〉の声。
――貧乏くじ引いたかなあ……
その声に思い当たるところがあって、ジュリアスはとっさに胸中で言葉を浮かべていた。
結果を見る。
天空圧を放ったあとの目の前の光景。
強めに放った天空圧を受けながら、軽々と、平然と、その場に片足で立ってくるくる身を回す燕尾服の男の姿があった。
先ほどまでの冷然厳粛な立ち姿はどこにもない。
軽やかに一本足でその場を踊る男。
男は撫でつけたオールバックの髪をくしゃくしゃと手でかき乱し、さらに燕尾服を脱ぎ散らかしはじめた。
そこからの様相はまるで変装していたと言わんばかりの変わりっぷりだ。
いや、もはや変身だ。
「まあ、でもしょうがないですねぇ。脳筋神族に見つかったのが運の尽きでしたねぇ。はあ……私にもこういう時に役立つ豪運とか分けてくれませんかね。今度エスティナちゃんに聞いてみることにしましょうか」
男はくるくると水平回転しながら、徐々に整いつつある変身後の派手な衣装を翻しつつ、ジュリアスの方へと近づいて行く。
モノクロと蛍光色のけばけばしい縞模様衣装がジュリアスの視界を覆っていった。
端的にその態様を表すに、
――稀に見る悪趣味さだ……
ジュリアスの内心のつぶやきは的を射ていた。
いつのまにかその男の手元には宝石が散りばめられたステッキが握られていて、頭にはシルクハットが現出していた。
「僕、あの悪趣味な感じに見覚えあるんだけど――間違ってないよね」
『ああ、間違いない。あんな悪趣味な神族は一人しか知らん』
「はあ……」
ジュリアスは槍を持っていない方の手で頭を抱えた。
しかしすぐに顔をあげ、目の前までくるくると回り踊りながら近づいてきていたその男を見た。
「おや、どうしました? なんだか訝しげな表情ですね? お二人で相談事ですか? ――ちなみにその〈ロリ神〉は頭悪いですから、何かを相談したところで解決しないと思いますよ? フフッ、あっちの脳筋神と同じで――」
男は猛烈な勢いでまくし立てている。
語中で淡々とけなされたディオーネは片手で握り拳を作り、それをわなわなとふるわせていた。
今にも暴発しそうな怒気が傍からで伝わってきて、ジュリアスは早めに男に話しかけることにした。
胸の内に盛大な面倒臭さを感じながら、言葉を紡ぐ。
「元気そうだね、〈ロキ〉」
――と。
◆◆◆
その言葉に男はすぐさま反応した。
かぶっていたシルクハットのつばを人差し指で上へ押し上げ、視界が広がるようにしながらじりじりとジュリアスに近づく。
そして、
「おー? ……おお! これはこれは! 〈ジュリアス〉じゃありませんか!! 大きくなりましたね!」
「今まで気付いていなかったのかい?」
「え? もちろん気付いてましたよ? ハハハ、気付かないわけないじゃないですか」
――じゃあなんで今驚いたのさ。
ジュリアスは一瞬にして燃え上がりそうになった心の炎をなんとか理性で押しとどめた。
「おやおやぁ? いけませんねぇ、ジュリアス。短気は身体に毒ですよ? もしかして怒ったんですか? 怒っちゃったんですか? ばっかですねえ、私が嘘吐きだってあなた子供の時から知ってるじゃないですか」
「せめて久方ぶりの挨拶くらいはまともにできると思ったのさ」
「できたじゃありませんか。私にとってはこれがまともな挨拶です。あと――ほら、再会を祝してプレゼントを差し上げましょう」
男――〈ロキ〉はシルクハットを手にとって、一指し指でくるくると何度か回したあとジュリアスに手渡した。
頭頂部がジュリアスの方を向くように渡されたそれは、すっぽりとジュリアスの手に収まる。
「プレゼントってこれ?」
「いえいえ、そっちじゃなくて、『こっち』です。ほら、よく見ててくださいね。シルクハットの中からぁ――」
次の瞬間――
「グシャっと!」
その頭頂部を向こう側から鋭い『剣』が突きぬけてきた。
銀の刀身。
鋭い切っ先。
ジュリアスは手に持っていたシルクハットの向こう側から突然顔面に襲い来た剣を、咄嗟の反応でなんとか避けきる。
手にもっていたシルクハットを投げ捨て、さらに大きく一歩後退した。
「っ……!」
一瞬遅れて心臓が高鳴り、額から冷や汗が噴き出る。
対するロキは新しいシルクハットを再び頭上に現出させ、ケラケラと軽い笑い声をあげていた。
そして再びじりじりとジュリアスに近づいていく。
「おやぁ、すいませんね。本当にプレゼントをあげるつもりだったんですよ。ほら、本当はこっち、この砂糖菓子をあげたかったんです」
そういって上着の内ポケットからキャンディのような砂糖菓子を取り出し、これ見よがしに見せつけてきた。
だがその逆の手にはまだ一本の剣が握られている。
どうやらその剣は先ほどのステッキに仕込まれていたもののようだ。
「ロキ、君がなぜ現世でこうも自由に動いているかとか、なぜこの闘争に参加しているのかとか、いろいろ聞きたいことがあるんだけど――」
ジュリアスは汗をぬぐいながらもロキの話を遮って言った。
すると、ロキはそれまでの飄々とした雰囲気を一度だけひっこめ、真面目らしく答えて見せた。
「私がタダで教えると思いますか? 『遊びましょう』、ジュリアス。昔みたいにゲームをしましょう。それに勝ったらちゃんと質問に答えてあげますよ。――〈戯神ロキ〉としてね」
ロキは右手の砂糖菓子も左手の仕込みステッキもその場から奇術のように消し去ってみせて、そのあとで両足をぴしりと揃えた。
大きく両手を広げて、「おいで」と言わんばかりにジュリアスを迎え入れる姿勢だ。
ジュリアスは戯れの神の言葉を聞き、少し残念そうな顔で答える。
「分かったよ、今は『敵』なんだね、ロキ」
「判断は個人にお任せします」
『ロキ、私のことを頭悪いとか言った代償はその身に刻んでやるからな。このゲテモノ神が』
「おお、ディオーネ姉さんは怖いですねぇ。かわいいかわいい末弟に慈悲をくれてもいいのですよ?」
『私から分化したわけでもないのに姉呼ばわりはやめろ』
「つれないですねぇ。私より先に生まれたんですから姉であることに違いはないでしょうに」
会話はほどほどに、ジュリアスは神格槍を構えてロキと対峙した。
「ああ、それと」
するとロキがふと思い出したかのように言葉をこぼした。
「私の隣にいた彼女――面白いから連れまわしてたんですけど――結構危ないですよ? ――ほら、もう右に回り込んでます。あーあぶない」
言われ、ジュリアスは己の知覚域からさっきまで寝転がっていた白ローブの人影が消え去っているのを知り、とっさにロキが指差している自分の右方向を振り向いた。
だが――そこには人影がなく――
「あっ、間違えました。私から見て右でした」
――この……っ!
ジュリアスは悪態の言葉を飲み込み、振り向く余裕がないと察知するやいなや、とっさに逆の方向へと身を弾いた。