76話 「戦場の戦神」【後編】
「昇華しろ、〈サンクトゥスの黒炎〉」
突如として目の前に現れた無数の巨大な白盾を前にして、サレはおもむろに〈サンクトゥスの黒炎〉の格を上げた。
術式内の鍵を回し、全三段階の〈神格化〉のうち二段階目までを解放する。
――〈戦姫セシリア〉。
王族会合の時に見た赤銅色の髪の女が白盾の奥にいる。
冷然とした表情の中に、ときたま好戦的な笑みが混じる女。
戦神アテナに愛された者。
戦狂い。
――温存はするべきじゃない。
肩書だけで判断することはないが、事実、先ほどの攻防には肩書に相応の熟達さが見て取れた。
自分の手のすべてが読まれたのだ。
あえて攻撃を受けにいったことも、そのあとで腕を一本もらおうとしていたことも。
自らの身体を餌にする方法だ。
そこまで奇天烈ではないにしろ、奇策の部類には入るかもしれない。
だが、それをすべて読まれた。
中でも一番驚異的なのは、
――〈神を殲す眼〉を後発の動きで防ぎ切った。
恐るべき対応力。
初撃でこれとなると、さらに慣れられる可能性がある。
――早く。
早く決着をつけなければ。
サレはサレで言い知れぬ危機感を感じていた。
本能的なそれである。
そうして再度の攻撃を意識し、サンクトゥスの黒炎を右腕に纏わせる。
背部の黒翼はそのままに、そのおおよそのコントロールを炎の意思に任せた。
――防御と迎撃は任せた。
胸中で念じると、黒翼が喜んでいるかのように身を猛らせてさらに巨大化した。
それを確認したサレは視線を前へと向け、
――行く。
セシリアへの道を遮っていた白盾を黒炎の右手で貫くべく、地面を蹴った。
◆◆◆
――〈神を殲す眼〉か。
基本は〈殲す眼〉と同じ。
ただし格が『昇華』している。
『でも、基本が変わらないなら――』
こちらには『経験』がある。
過去に魔人族との戦を経た経験が、自分の中には蓄積されている。
そして戦に関してならば自分は完成された能力を誇っている自負もある。
あとは――
『セシリア、もう少し身体を借りるわね。傷はつけないように気をつけるわ』
神族の現世関与には、神族同士の中で暗黙のルールが存在する。
遥か昔、神族が神界に引きこもることを決めた時に『より上位の神族』が定めた不文のルール。
――私が現世に関与すればするだけ他の主神級神族も現世に強く関与できるから、あんまり長引かせるわけにはいかないわね。
さじ加減こそいい加減だが、いまだにそのルールを全面からぶち破った者はいない。
それは宣言をした『より上位の神族』の存在のことを誰もが知っていたからだ。
ともあれ、
『ディオーネの威圧感が嫌な感じだわね……』
魔人の背後に控えている〈神域の王子〉ジュリアス・ジャスティア・テフラと、〈天空神ディオーネ〉の存在が不気味だ。
こちらが憑依現世したのを見ればまっさきにつっかかってきたもおかしくないところを、魔人の裏に潜んで観察に徹している。
慎重論を持ち出して警戒を強めているのか、もしくは――
『気付かれたかしらね? ――こちら側の切り札に』
しかし、今は、
『目の前の魔人からなんとかしなきゃね』
そういってアテナは腕を水平に振り抜き、召喚していた〈戦神の盾〉をすべて消し去った。自らの意志で消失させたのだ。
――術式燃料を消耗させることくらいはできたかしら。
ただの時間稼ぎだ。
あわよくばその程度の戦果が見込めればそれでいい。
たいした神力を込めずに数を召喚した盾などに用はない。
『〈戦神〉の本領はこんなもんじゃないわよ』
白く光る粒子となって空に舞い上がる白盾の中を、戦神が走った。
◆◆◆
サレが四枚目の白盾を突き崩そうとした瞬間、盾が自壊した。
白い粒子になって空へと舞いあがっていく無数の白盾。
「……くそっ」
その白い粒子の向こう側で、恐らく自らの意志で盾を消失させたであろうセシリアの姿が見えた。
一連の行動を見てサレは相手の意図を察し、してやられたという思いを得た。
自分が黒炎を使って盾を壊したのも無意味だったというわけだ。
燃料の無駄使いにしかなっていない。
かといって盾を放置しておくわけにもいかなかったのだが、いずれにしても、もう二三枚というところで向こう側から盾を放棄されると若干の苛立ちを感じずにはいられない。
そんな逡巡を得ながらも、サレは視界の奥の方から直進してくるセシリアの姿をしっかりと見ていた。
見て、そして、
「【弾け散れ】!!」
術式の効果範囲に入ったと直感した瞬間に、セシリアの顔面に焦点を合わせて害意の言葉を紡いだ。
『単調だわね! 魔人族の末裔! あんたが魔人族の魔眼術式を持っているって分かっていれば防ぎようはあるのよ! たとえ神格と張り合う破壊効力でもね!』
言うと同時、まるで〈神を殲す眼〉の効果範囲を熟知しているかのような精確さでセシリアが自分の前面に白盾を召喚していた。
サレの〈神を殲す眼〉はその白盾を吹き飛ばすにとどまり、
「チッ!」
思わず舌打ちをしてしまう。
むしろ、何発撃てるかも定かではない現状では発動しないくらいの方が良かったが――
――盾の召喚位置が絶妙過ぎる。
焦点が合わなければ〈神を殲す眼〉は発動しない。
だがセシリアの身体に張り付くように現出した白盾は、サレにわずかの挙動で焦点を結ばせてしまう。
加えていえば、発動とほぼ同時という時間的にギリギリなところで白盾を呼んだことも、サレが反射的に視線を移さざるを得なかったのも原因の一つだろう。
――この魔眼術式に対する防御方法があまりにも神掛かっている。
まるで未来でも見通して準備をしていたかのような周到さだ。
サレがそんなことを考えていると、さらにセシリアの方から声が上がった。
『拙いわね、魔人の末裔! あんたの先祖はもっとうまくその眼を使ったわよ!』
その口ぶりに、ようやくサレは目の前の存在を正確に認知した。
目の前の存在は〈セシリア〉ではない。
「――〈神族〉か」
『そう、〈アテナ〉よ。私が〈戦神アテナ〉。セシリアの身体を使って顕現してるわけ。久々の直接戦闘が魔人族だなんて皮肉な気もするけど、これはこれで面白いかもね』
そういっている間にも〈アテナ〉がどんどんと迫ってきて、サレはとっさに皇剣を正眼に構えた。
『さあ、ついでだから、あんたがその眼を覚醒させて、本当に〈魔神〉になれたかどうか、確かめてあげる』
言いながら、アテナがサレの五歩ほど手前で斜め上へ跳躍した。
地面を思い切り蹴って空中へと舞い上がったのだ。
サレからしてみれ格好の的だった。
足場のない空中に身を飛ばすなど『動かないから攻撃してくれ』といっているようなものだ。
だが、サレが正眼に構えた皇剣を振り上げようと手に力を込めた瞬間に、ある可能性に思い至った。
――戦神。戦神系の『主神』。
一瞬の思考。
思い出す。
初めて手を合わせた神格者のことを。
その神格者が契約していた神族のことを。
アテム王国第二王剣の剣将〈エッケハルト〉と――その契約神〈戦神系舞神ユーカス〉のことを。
――……。
サレの『直感』は、殊、戦闘に関して神がかり的な精確さを発揮する。
そして今回の直感もその精確さにたがわない結果をもたらした。
サレが皇剣での切り上げ体勢に移行するのをためらった時、頭上からの日の光をちょうど遮る位置にまで跳躍していたアテナの身体が――
――消えっ……
違う、加速したのだ。
翼もない純人の身体で、空中で加速したのだ。
十分にありえた。
〈舞神ユーカス〉の神格術式の中に、空中をすら足場にする術式があった。
『〈湖上の乙女〉』
そう、確かそんな名だった。
サレの耳に入った術式の起動言語は上からでなく後方から聞こえた。
つまり、すでに周り込まれているのだ。
右でも左でもなく上を通り越して背後へ回り込むなんて聞いたことがないが、事実、目の前でそれをこなされた。
――まずい。
すでに攻撃態勢に入っているかもしれない。
振り向く余裕はあるのか。
いや、ない。
ならば避けろ。
前か、横か、とにかく一刻も早く――
『あっ、ちょっ――邪魔ねこの〈黒炎〉!! あんたまだ生きてたの!!』
サレが足に全力を込めてその場から跳躍しようとした瞬間、再び真後ろから声が聞こえた。
少し焦っているかのような声音だった。
それを聞いてとっさに、サレは足に込めた力を反転するために使う。
そうして後ろを振り向くと、
そこには自分の背から伸びた黒炎の翼を振り払っているアテナの姿があった。
黒翼がサレの意志に依らず、自ずからアテナを迎撃していたのだ。
アテナは黒炎を心底嫌がるかのように手で振り払いながら数歩を下がり、息をついてから言葉を紡いだ。
『ただ似ているだけかと思ったらまんまあの〈サンクトゥスの黒炎〉なのね。一体何年生きてるのよ。そこらの神族より長生きだわね。しかも忌々しさはテオドールが使ってた時以上だし、なんか意思っぽいの芽生えてるし。ホントあんたら魔人は術式研究者とか神族に対してロクなことしないわね!! 既存の概念ぶち壊しすぎ!! 学者とかテミスが泣くわよ!?』
「いや、テミスはもう泣いてたわね」そこまでアテナは続け、さらに一息をついた。
間合いはほどほどで、お互いに身体の緊張は解いていない。
『でもまあ、厄介だけどそれも私の経験の中にあるわ。そうだと分かってしまえば、あとはどうということもないわね』
軽く鼻を鳴らしながらいうアテナ。
対するサレは彼女の言葉を話半分にそれを聞きつつ、すでに動きを開始していた。
アテナへの前進行動である。
恐るべきことだが、〈神を殲す眼〉の発動を動きの機微から察する術を持ち、かつそれに後発しての的確な防御を行える技量をもつ〈戦神〉相手に、中距離からの〈神を殲す眼〉は有効打にならない。
単体での命中率に欠けるならば、この致命の一撃を叩き込むためにもっと別の方法を取る必要がある。
いわば隙を作らせる必要があった。
「少しは学んだの? でもダメね、単調過ぎるわ。近接戦で隙を作らせようってわけね? 戦神に純粋な近接戦を挑むなんて、やっぱり魔人は馬鹿ばっかりだわ」
意図を読まれたところで関係ない。
問題は地力の肉弾戦でアテナに隙を作らせられるか否かだ。
「『魔人は何者にも屈してはならない』」
「知ってるわ、そのフレーズ。昔テオドールもよく言ってたっけ」
――ああ、俺もその人に教わった。
魔人の始皇帝が謳う種族の矜持だ。
だから戦神を前にしても言い切ろう。
だからこそ、言い切ろう。
「――たとえ相手が神族であろうとも……!」
――脈々と継がれてきた魔人の意志と矜持を、俺が折ってしまうわけにはいかないんだ。
サレは右手に黒炎を纏わせ、左手に皇剣を握り、全ての神経を目の前の標的に注ぎ込んだ。




