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魔人転生記 -九転臨死に一生を-  作者: 葵大和
第六幕 【超越:愚者は世界を翔け昇る】
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75話 「戦場の戦神」【前編】

 アテナが形容した『これ以上に変なの』はほぼ時を待たずして姿を現した。

 それは戦闘能力に関して異族最高種と讃えられる存在。

 圧倒的な暴力をその身に宿す存在。

 強く、気高く、他の者に畏怖を抱かれる存在。

 そしてその畏怖をアテナも抱いたことがあった。

 遥か昔、神族が神界(イクシス)に閉じこもる前のこと。

 馬鹿な異族と戦をしたことがあった。

 その時に〈戦神〉でありながら畏怖を抱いたことがあった。

 たかだか異族に対して、屈辱的な畏怖を。

 ――忘れもしない。


『魔人……っ!!』


 アテナはその顔に見覚えがあった。


『〈テオドール〉!! なんであんたがこの時代に――!!』


◆◆◆


 声をあげた時にアテナはすでにセシリアの身体と完全に『同化』していた。

 憑依と言ってもいい。

 セシリアとアテナの最終手段でもあった。

 アテナがセシリアの身体に入り込んだ一方で、セシリア自身の意識は決して眠っているわけではなかった。

 セシリアの意識はまだ覚醒していた。

 身体の主導権はアテナが持っていったが、意識自体は醒めていて、別の視点から現状を眺めることができていた。

 そして思った。


 ――戦の神と謳われる神族が、その戦いという分野において己以外の存在に畏怖を抱くことがあるのか。


 ――と。

 (ことわり)を司る神族はその分野において臨界にあるという。

 ゆえに戦神にとって戦場では自分以外がすべて劣等者なのだ。

 誰かを恐れる道理などない。

 まして、


 ――『憧れ』を抱く余地など当然ない。


 なのに、


 ――どうして彼女は焦燥を感じているのだろうか。


 そして、


 ――なぜ彼女はその〈魔人〉に羨望を抱いているのだろうか。


 セシリアは自らの身体と同化している戦神アテナの感情の機微に勘付いていた。


◆◆◆


 サレは敵陣に突っ込む直前、己の意識の変遷を一瞬の内で巡っていた。


 ――結局のところ、闘争も戦争も同じものだ。


 規模の違いや勝ち負けの置き所などの些細なニュアンスの違いはある。

 しかしそれは厳密ではないし、厳密ではないから発言者の思惑によって都合よく歪曲する。

 力比べの終着点をどこにおくのか。

 相手が負けを認めた時か、それとも死んだ時か。

 勝敗を決めるために戦う。

 そして勝つためには『敵』を害する必要がある時もある。

 それは否定しきれない。

 だから、戦いに身を置く限りは害する行為を否定はしない。


 ――これはすべて、自らの人格を守るための独善的な理屈だ。


 考えすぎるな。

 もっと簡単なことだ。


 ――いずれ来る脅威に対抗するという目的のためには、この戦いが必要で。


 もっと簡単に。


 ――目的のためには勝利が必要だ。


 重視すべきは。


 ――生きられる可能性が最も高いのはこの道だ。


 結局。


 ――死にたくない。


 あと。


 ――死なせたくない。


 だから。


 ――死んでくれ。


 そこまで思考を巡らせ、ついにサレはそれらの闘争に不必要な思考を全て切り離した。

 己の存在が無機質な『物』に変容していくのを感じながら、終いにそんな意識の感覚までもを切り離し――


 サレは〈魔人〉という銘の『剣』になった。


◆◆◆


『こ、この――』


 セシリアの身体に乗り移ったアテナが、セシリアの口で苛立たしげな声をあげる。

 まずは目視。

 一瞬で懐に入り込んできた〈魔人〉は片手に長剣を握っている。長大な刀身をたたえた術式兵装だ。

 その術式剣を魔人が無造作に空に掲げ、片手で振り下ろしてくる。

 速い。

 刀身が纏う圧力は異常の一言に尽きる。


 ――踏み込むべきね。


 しかし戦神は冷静だった。

 アテナの直感があえて魔人の懐へと踏み込むことを選択した。

 あれほどの長大な刀身をもっているなら離れても意味はない。

 射程の外へと逃げるよりも内に潜り込んで攻撃の始点そのものを潰してしまった方が有効だ。

 振り下ろされてくる剣の柄を握った魔人の手を、掌打で下から打ち上げる。


 ――胴がガラ空き。


 もう一方の手で同じような掌打の形を作り、隙が生まれた魔人の腹部へと打ち込む。

 一連の動作は流麗で、非の打ちどころのない精確さと素早さを誇っていた。

 ――が、


 ――斬り落とされる。


 瞬間、アテナには『未来図』が見えていた。

 隙だらけの腹部に真っ直ぐ打ち込んだ自分の掌打はしっかりと魔人の胴部にダメージを与えるが、それと同時に魔人が左手で短剣を抜いて自分の腕を斬り飛ばす。

 そんな未来図だった。


 ――この魔人は……!


 自分のダメージを顧みていない。

 むしろ、自分の身体を率先して餌にしている。

 恐ろしい思考回路。

 死狂いか、はたまた――

 アテナは掌打を打つのをやめながら、ふと魔人の顔を見た。

 そして理解する。


 ――死狂いではないのね。


 生狂い。

 狂ってはいるが、しかし真逆の印象を魔人の顔から見て取った。

 そしてもう一つ。

 顔を近くで見て気付いたことは――


『テオドールじゃないのね。似ているけど、違うわ』


 急停止からの後転で距離を取りながら、着地のあとで再び魔人の顔を見る。

 かつて自分が恐れを抱いた男の顔に、雰囲気がよく似ていた。

 しかし雰囲気が似ているだけで、よく見れば顔は別人だ。

 だが、まあ、


『あいつの末裔ではあるのよね』


 魔人であることは間違いない。

 本能も理性もそう告げている。

 アテナは剣を抜いて構え直す。


 ――警戒すべきは〈殲す眼(グラム・イストーラ)〉ね。


 だが、あの魔眼は『神格』を超えない。

 それに魔人のあの眼を相手にした『経験』が自分の中にはある。

 ゆえに魔人があの眼を使おうとすれば『未来図』が見えるはずだ。

 なにも恐れることはない。


 ――テオドールは死んだんだから。


 もう戦神の領分が侵される恐れはない。


◆◆◆


 ないはずだった。


◆◆◆


 アテナはつぶさに目の前の魔人の挙動を観察し、次の一撃で確実に仕留めてやろうなどと胸中に抱いていた。

 魔人が動きを見せればその先を見ることができる。

 自らの分化神族である〈狩猟神アルテミス〉の未来を見通す眼の代替使用。

 そうして先を見て、最適解を探し、打ち込めばいい。

 そう思っていた。

 だが、


 ――次に起こした魔人の行動は『未来図』に映らなかった。


 魔人の殺気がピリピリと身に突き刺さる。

 その赤い眼を見開き、瞳の中に金色の術式紋様を浮かばせている。

 アテナは即座に魔人の魔眼術式の発動を察知した。

 今にも害意の言葉を紡ぎそうだ。

 口が小さく開き、喉仏のあたりがぴくりと動き、


 ――なんで。


 赤の瞳が輝いた。


 ――なんでアルテミスの未来視が発動しないの。


 アテナの視覚には何も浮かんでこなかった。

 そして、


『あ――』

「【散れ】」


 魔人の口から害意の言葉が放たれた。


◆◆◆


 何かがおかしい。

 異常だ。


 アテナは自分の背筋がぞわりと泡立つのと同時、刹那の時間で〈神格術式〉を発動させていた。

 魔人の固有術式は神格を超えない。その言葉の持つ輝きが自分の中で一瞬にして失せた気がして、即座に自分の姿を覆い隠すほどの大きさの『大盾』を召喚していた。

 神格の大盾。

 表面は白光が燦然と輝き、金色で縁取りされた豪奢な紋様が描かれている。――描かれていた。


『〈戦神の盾(イージス)〉が……割れるなんて――』

 

 その盾は中心部から奇妙な破砕を起こし、弾け散っていた。

 そんな光景を信じられないといった様子で眺めていたアテナだが、弾け散った盾の残骸の向こう側、魔人の瞳がぴくりと微動したのを恐るべき観察眼で察知して――


『っ……!』


 また寒気を感じて〈戦神の盾〉を連続召喚していた。

 一枚、二枚、三枚。続けて十を超えるまで。

 アテナの周りに一瞬にして十数枚もの巨大な神格盾が現れ、アテナの身を外界の視線から覆い隠すように並んでいく。

 これで多少の時間は稼げる。

 そういう確信は得られるくらいの鉄壁。

 その間にアテナは盾陣の中心で声をあげていた。


『アルテミス! ――アルテミス!! 出て来なさい!!』


 まるで子供をしかりつけるかのようなトーンでアテナが言うと、一秒を待たずして不意に彼女の側面に神界術式が広がり、その術式の中から長い髪をシニヨンに纏めた美女が姿を現した。


【はい、姉様】


 彼女はびくびくと何かに怯えているようで、その秀麗な眉を八の字に顰めながら、周囲をきょろきょろとうかがっていた。

 その様子に気づいたアテナは彼女の心中を察し、まるで安心させるように言葉を挟んだ。


『安心なさい、まだ私の盾があるから大丈夫よ』

【ほ、本当ですか……? あの魔人はもういませんか……?】


 術式の中の美女はまだ怯えているようだった。


『魔人の視界には入らないわ。だから私の問いに答えなさい。どうしてさっきの魔人の攻撃の時、〈未来視〉が発動しなかったの? あんたの常時発動型の加護でしょう? まさか獲物って認識が切れたわけじゃないでしょうね』

【違います、違います姉様。私の未来視はあくまで〈予測〉です。姉様も知っていらっしゃるでしょう。私の未来視は〈狩り〉を通じて得た膨大な経験則をもとにしたきわめて綿密な〈予測〉です。人も動物も異族も、様々を観察してきた私にとって大概のことは予測できます】

『そうね、そういう風に育つようには誘導したけど、あんたは私の思惑以上に育ったわ。でも、じゃあなんでさっきは見えなかったのよ。あんたは結構初期に分化させたんだから、〈魔人〉との戦も経験してるでしょ? その時に魔人の〈殲す眼〉も見ているでしょう?』

【姉様、アレは〈殲す眼〉じゃありません。術式紋様もわずかに違いますし、紋様の色も黒から金へと変わっています】

『こ、細かいわね。そんなとこまで覚えてるの』

【〈狩猟神〉の義務ですから。姉様がずぼら過ぎるのです】

『うるさいわね。それで、じゃあアレはなんなのよ』


 アテナが語気を強めて聞いた。


【――わかりません。でも、これは予測ではなく私の勘ですが、あの眼は私たち神族にとってとても危険なものです。いえ、きっとそうに違いありません】


 自信があるのかないのか判断しづらい答えが返ってくる。


『……そう。あんたが言うなら――そうなのかもね』


 アルテミスの予測は基本的に正しい。

 未来視の加護を寄越すくらいなのだから当然だが、


『いや、そうに決まってるわ』


 アテナにもまったくあてがないわけではなかった。

 ただ、自分が思い浮かべた想像をできれば信じたくなかった。


【……姉様?】


 彼女――アルテミスが心配するようにアテナの顔を覗き込む。


『ああ、もういいわよ。いきなり呼びつけて悪かったわね。あんたの後押しで自分の中の信じたくない予想を信じる気になったわ』

【お役に立てましたか?】

『ええ、とっても。ついでにお願いがあるんだけど』

【はい、なんなりと、姉様】


 アテナはふと自分の前方の盾が一枚消失したのを感じた。

 自らの神格術式ゆえに、術式に込めた神力が消えることには敏感だ。


 ――そんな簡単に壊していい代物じゃないわよ、それ。


 胸中で嘆息しながらアテナはアルテミスに続けて言う。


『ひとまずのところ――アレスと、ユーカス、それにライラスに、いつでも私の要求に答えられるように、って伝えておきなさい。ほんの一秒でも応えが遅れたらあんたら概念ごと消すわよ、ともちゃんと言っておくのよ』

【はい……】

『あと未来視の加護はまだ発動させておきなさい。もうあの魔人の魔眼に関してはとやかく言わないけど、その他の知識とそれに基づいた予測は有用だから、まだ使うわ。いいわね?』

【もちろんです、姉様。私ごときの予測が〈姉様の予測〉の手助けになるなら喜んで】

『よろしい。なら行きなさい』


 行け、と無造作にアテナが手を振ると、アルテミスは再び神界術式の中に消えて行った。

 それを横目にみながら、アテナがため息交じりに紡ぐ。


『〈神殺しの眼(ラグナ・イストーラ)〉か……まさか時代を経て今代にそれを発現させる魔人が生まれるとはね……ほんと――』


 ――嫌な時代。


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『やあ、葵です』
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