74話 「怪物と呼ばれた天使」【後編】
「いいわ!! 今最高の気分だわ!!」
気分が高揚する。
高ぶって、身体が内から破裂してしまいそうなほどだ。
だがその最高の気分は『最高に楽しい気分』ではなかった。
気分が高揚して、頭の中が透き通って、視界が明瞭になって。
それでも、楽しくはないのだ。
声高に叫ぶのは楽しさとはまた別の、内から湧き出てくるとある感情をどうにか発散させるためだ。
こんなに延々と溢れ来る激しい感情を抑えておくことは実に難しい。
自制心のタガなんてものは、もともと緩いこともあってとっくに崩壊している。
――ああ、本当に、
「タダで済むとは思ってないでしょうね……!! ――ぶち殺すわよ……!!」
いつまでも溢れ出るこの『怒り』をすべてぶちまけてしまいたい。
「術式装填――天術〈星天大弓〉」
言いながらプルミエールは身体を半身に傾け、左腕を地面と水平に伸ばした。
すると即座にその左手に金色の粒子を放つ華美な大弓が現れ、手の内に握られた。
「矢は何がいいかしら」
あの忌々しい神族たちを葬れるような矢が良い。
きっとそれがベストだ。
――どうやったんだっけ。
神族の神格を超えるには、どうすればいいのであったか。
さっきは出来た。
できていたはずだ。
敵の神格矢を〈星屑の天幕〉で弾き落とした。
あれはどういう術式を組んだのだったか。
――そうだ、思い出した。
「とにかく天力をぶち込めばいいのよ」
プルミエールは自己の脳内で話を完結させ、そして納得した。
次いで、その場で声を出しながら術式を構成していく。
「■■、■■■■、■■■」
――圧縮よ、圧縮。
ひたすらに天力燃料を圧縮だ。
莫大な天力燃料を頭上の〈天輪〉に送り込んだ。
今度はそれを引き出して、術式が自壊する限界まで燃料をぶち込めばいいのだ。
既存の術式に莫大量の天力が入りきらないなら、今この場で術式自体を改良してしまえばいい。
正直なところ、形態はどうだっていいのだ。
撃ち出す道具が弓だから、一応のところは矢という体裁を取るつもりだが、そんなのはどうだっていいのだ。
飛べば良い。
いつもなら様式にもこだわるところだが、今はどうでもいい。
飛んで、当たって、敵が、外敵が――
「――壊れればいいのよ!!」
そしてついに、プルミエールの右手に一本の『金の矢』が現出する。
弓の装飾の華美さに比べるとだいぶ簡素な造りの矢だった。
棒に矢じりと矢羽らしきものがついただけの金色の矢。
あまりに天力を込め過ぎたためかところどころにひび割れがあって、そのあたりから細かい金色の粒子が漏れ出ている。
――ちょっと無様ね。
まあ、自壊しなければそれでいいだろう。
そう思って嘆息を一つ。
プルミエールはそれを左手に持った大弓につがえた。
「う、うわあ……ぬし、それ撃つのか? こ、ここで撃つのか?」
するとプルミエールの後ろからトウカが不安げな声音で訊ねていた。
「当たり前じゃない! 何のために作り出したと思ってんの!?」
「い、いやな? それって撃った時にすっごい反動とかあったりはせんのか? こう、近くにいる者にまで響くような反動とか――わらわが何を心配してるかわかっとるか?」
「なによ……?」
プルミエールはトウカの問いにわずかばかりの思考をめぐらせるが、次の瞬間には頭の上に疑問符を浮かべながら答えていた。
首を傾げて、
「――何も心配ないわ?」
今にも「よくわからないけど」と前置きしそうな様相だ。
「ああ……なにも分かってないということが分かった。今の謎の間と語尾の疑問符が力強く主張してきた。こう、ひしひしとクるものがあった……」
「ま、なんとかなるわよ。マリアあたりがなんとかしてくれるわ? ああでも、一応私の後ろにいた方がいいわね。――うん」
「やっぱりか……」
「それと――そろそろ維持するのも限界だから、撃つわね? はい――」
「えっ!? ちょっ! 待つのじ――!!」
プルミエールが言うや否や、その右手の指から金色の矢が離れ――〈星天大弓〉の強靭な弓弦に弾かれた。
金色の矢はその場に暴風のような天力の奔流を巻き起こしながら、彼方へと飛翔した。
◆◆◆
セシリアが放った〈巨人殺しの矢〉とプルミエールが放った〈名も無き金色の矢〉は、まるでお互いに引きあうかのように限りなく衝突に近いルートをたどった。
だが、真っ向からの衝突はしなかった。
お互いの身体をかするようにして飛翔したのだ。
結果、〈巨人殺しの矢〉はプルミエールが展開した〈星屑の天幕〉に突き刺さり、半分ほどを貫いて勢いを失った。
対して〈名も無き金色の矢〉は――
「あら? ――外れたわ? 『暴れ矢』すぎたかしら」
敵陣の中央前列に立っていたセシリアのわずか右を通過して、そのまま異常な速度で彼方へと飛翔していった。
残念そうに眉をしかめるプルミエールだったが、彼女はすぐさま次の行動に移る。
「じゃあ、今度はもう少し形態も整えてから撃ち出すことにするわね」
自分の後方で射出時の天力の奔流を受けて盛大にひっくり返っていた仲間たちに向かって、笑顔を見せていた。
「大丈夫よ、次はちゃんと『壊す』から」
無邪気で、しかし、かえってそれが残忍さを強調しているような笑みだった。
◆◆◆
轟音が自分の脇を通過した。
すれすれ、わずかな横。
その美しい金色の矢が奏でていたのは克明な『死の音』だった。
「――今のに当たっていたら、私は死んでいたか?」
誰にでもなく言いながら、幾秒遅れて徐々に心臓が高鳴ってくる。
いまさら寒気がやってきて、背筋をなぞっていった。
収まれと念じても、心臓の高鳴りも寒気も一向に収まる気配がない。
すると、不意に自分の問いに答える声があった。
それは頭上から降ってきた声だ。
『ええ、死んでいたわ』
無慈悲な答え。
見上げれば、自分の頭上で神界の門をあけて半身を乗り出している〈戦神アテナ〉の姿があった。
白い布を片方の肩から下げただけの簡素な服装をした少女。
神々しい白の輝きを身体やその布から発している。
彼女は片手で長い前髪をかきあげながら、再び言葉を放った。
『もう一度言うけど、死んでたわよ』
「そうか……私はこの横幅二歩に生死を分かたれたのか」
このわずかな幅が、命の幅であったのか。
『正直、私も驚いてるんだけど』
するとアテナがさらに神界から身を乗り出してきて、重力を受けてずり落ちそうにになった胸元の布を手で引っ張り上げながら続けた。
『あんまり悠長にしている時間もないわね。まあ、今のところ脅威なのはあの〈天使族〉と〈鬼人族〉だけよ。〈竜族〉は倒れたことだし』
「――そうだな」
『こうやたらめったら神格を超えられるのは神族として容認しがたいものがあるわね。今日で三人よ? 潔癖症のテミスなんかが見たら発狂しそうね』
法神テミスは法や規律、秩序を司る神族だ。
確かにそんな神族からすると今の想定外な光景は信じたくないだろう。
「防護術式も抜かれているわけだし、すでに発狂中かもな」
セシリアはなんともなく言葉を返す。
アテナとの会話で徐々に内心は落ち着いてきた。
『これ以上変なのが出てこないことを祈るばかりね。あと、分かってると思うけど、私はセシリアの匂いが好きだからあんたが本当に死にそうになったら無理にでも介入するわよ。――いいわね?』
「ああ、構わん」
『ディオーネとの手合わせもあるかもしれないしね』
天使も鬼も危険だが、やはりその中でもダントツに注意すべきはアテナと同位の神族だ。
主神級〈天空神ディオーネ〉。
格はもとより術式も相当にでたらめなものが多いだろう。
だが、それにさえ注意すれば――
『大丈夫よ、あの異族たちはまだ集団戦に適応できていないようだから隙はできるわ。そこを突けばいいの。もちろん力押しだって一向に構わないけどね』
「戦神なのに戦術を使わないというのも滑稽な話だな」
『戦いの原点は純粋な力比べよ。原始的な力押しだって戦術の一つじゃない。――良いのよ、私が良いって言うんだから、良いの』
あとは本当に、
『あれ以上めちゃくちゃなのが出てこないことを祈ってなさい。さすがにあの竜やら天使よりも上の存在が出てくると、私も気が気じゃなくなってくるわ』
「そんな者がいたなら私もすぐにアテナに戦いを投げ出すだろうな」
すでに一度死にかけているのだ。
アレ以上となると皮肉の一つも出てこない。
セシリアは思いながら一息をついた。
ここからはまた総力戦だ。
一層気を引き締めなければならない。
「――ふう」
息を吸って、吐いて。
二度深い呼吸を繰り返し、視線を前へ。
あの天使が再度右手に淡い金の矢を形成している。
撃たれる前に先手を。
そう思ったセシリアは、今度こそアテナの神格を使うべく、新たな起動言語――神語を紡ごうとした。
すると、その瞬間、視界のずっと奥の方にとあるモノが映った。
「……なんだ?」
向こうにいる天使たち〈凱旋する愚者〉の、さらに奥側。
何かが『いる』。
近づいてきている。
新手の攻撃か、もしくは向こうのギルドの援軍か。
セシリアはその存在を見極めたうえで対処するべく、一旦術式の装填を止める。
目を凝らし、それが何なのかを注視する。
――『黒い塊』。
視界の奥に映った不穏な色に悪寒を感じて、セシリアは近場に立っていたメシュティエに問いかけた。
「メシュティエ、確か凱旋する愚者の後方に何人か隠密をおいておいたな? 誘導時に使って残しておいた伏兵だ」
「ああ。もう少しやつらが前がかりになったら動かして、あのギルドマスターの首を狙うのもいいだろう」
セシリアの問いに、三歩ほど隣に立っていたメシュティエが答えた。
当の彼女もさきほどの天使族の一撃の余波を受けたようだが、大して動じる様子もなく淡々としている。
「だがまだダメだ。あの最後方の分隊を動かしてる『精霊眼の女』の警戒網が広すぎる。あの女をなんとかしなくては致命の一撃にはならないぞ。散々目立っている竜や天使よりもあの『精霊眼の女』の方が厄介だ。精霊術式での牽制、補助、連結。あのバラバラな集団の穴をたった一人で塞いでいる。――嫌な目を持っているな」
「――そうか」
メシュティエの言葉を受けてセシリアは考え込む仕草を見せる。
だが、そうこうしているうちに視界の奥の方の黒い塊が近づいてきている気がして、セシリアは首を横に振った。
「いや、動かせ、メシュティエ。後ろから何か来てる。二重尾行などという器用なことはしてこないだろうが、オースティンがいまだに戻らないのも気がかりだ。オースティンに食いついた何人かが合流しにきたのかもしれない。後方に待機させている隠密に勘付かれれば隠密の方が挟み撃ちにされるぞ。攻撃させないのならせめて退かせろ。戦力は無駄にできん」
「お前にしてはずいぶん防御指向だな、セシリア。――まあいい、お前がそこまでいうのなら動かそう」
するとメシュティエがたかだかと無事な右手を天に掲げ、手指を組んだり畳んだりと意味深なサインを作った。
その間もセシリアは視界の奥の方から近づいてくる黒い塊が気になっていた。
手前で術式を装填しかけている天使も気になるが、すでにそちらには戦景旅団の何人かが迎撃に向かっている。
まったく放ってはおけないが、それ以上にあの黒い塊が気になる。
本能が「アレを見ておけ」と警告しているかのようだ。
――獣か?
近づいてくる黒い塊の速度が異常に速い。
どんどんと視界の中で大きくなっていく。
ただの人族には出し得ないだろうと思える速度だ。
走ることに特化した獣系の異族だろうか。
獣化による疾走ならば、あれぐらいの速度は出せるかもしれない。
だが、徐々に近づくそれは、近づけば近づくほど異様さばかりを増大させていった。
「おかしい」
すると、手でサインを出していたメシュティエが首を傾げながら声をあげた。
「どうした?」
「反応がない。両端の旅団員にも同じサインを出させたから私の姿が見えなくともどれかしら見えているはずなんだが。右からも左からも隠密が動いたという知らせがないのだ」
セシリアがメシュティエに問うべく彼女の顔を見て、そして再び前方に視線を戻したとき、セシリアは心臓が再び嫌に高鳴ったのを自覚した。
「っ……!」
このたったの一瞬で、黒い塊が一気に近づいてきていた。
――獣化による疾走? ――馬鹿な。
「ただの獣があんな速力を出せるものか……ッ!!」
近づくとわかる黒い塊の速度。
桁違いの速度だ。
さきほどの竜の前進飛翔に匹敵する。
だがその割に身体は小さい。
大翼も見えない。
あえてそれらしいものをあげるならば――
「黒い翼……? いや、炎か?」
正確にはどっちだかわからない。
ただ、その背で身の丈の三倍ほどの黒い物体が燃え盛るように立ち昇っているのが見える。
「何が――」
『人』だ。
「――」
言葉が間に合わない。
こちらに近づいてくる黒い人型の速度が速すぎて、たったの一瞬ずつで情報が更新されていく。
人族だ。
背の物体は炎だ。
黒い炎だ。
黒い炎の翼だ。
天使と同じような六枚翼。
まがまがしい色をしている。
片手に持っているのは剣か。
刀身に永晶石の反射光。
豪奢な七色の光が見える。
剣に術式が装填された。
燐光は青い。
魔力だ。
異族か。
ならばあの黒い炎の翼はなんだ。
髪も黒い。
肌は白磁の陶器のように異様に白い。
薄気味悪い色合だ。
眼が――
「――赤い」
眼の中に――
金色の術式紋様が――
◆◆◆
『替わりなさいセシリアッ!! 〈魔人族〉よ!!』
◆◆◆
焦燥を孕んだアテナの声を聞いたところで、セシリアの意識は後方へと押し出された。