73話 「怪物と呼ばれた天使」【中編】
――もっと、もっとよ。まだ足りないわ。
集中しなさい。補給して、集めて、貯めて、送り込んで、また補給して、集めて。
もっと、もっと――
プルミエールにはすでにディオーネやジュリアスの声は聞こえていなかった。
かわりに、自分の中で今にも暴発しそうに脈動している天力のわめき声を聞いていた。
頭の中には編み上げた天術式が浮かんでいる。
その術式の効果はいわばただの貯蔵だ。
天力をためておく貯蔵庫。
構成術式はたいしたものではない。
しかし問題もある。
術式を維持しながら天力を補給するという同時行動が結構面倒で、ついでに少し頭が疲れるのだ。
だが今ならできる。
――集めて、集めて、集めて。
もっとできる。
――貯めて、貯めて、貯めて。
嗚呼、いくらでも集められる気がする。いつまでも貯められる気がする。
もう少し貯蔵術式をいじって容量をあげよう。
まだ集められる。もっと貯めよう。
嗚呼、どれだけ集めても天からは燃料が減らない。
なんて素晴らしい力なのだろう。
プルミエールの集中力は極限にまで達していた。
頭の一部で常に処理し続けている術式に、同時進行で新しい術式を継ぎ足し改良していく。
本来なら手順を追ってやるべき工程を、プルミエールは一気に同時進行で越えて行く。
規格や定理などをまるまる無視しためちゃくちゃな処理方法。
だが極限にまで達したプルミエールの集中力と、そして天賦の才に恵まれた術式構成力が、そんな力づくの方法を成し遂げさせてしまっていた。
すると、しばらくしてプルミエールはふと自分の唇のあたりにわずかな重みを感じる。
なんであろうかとそのあたりを片手で拭って見てみると、
――あら、鼻血かしら。高貴じゃないわね。
自分の血がこびりついていた。
ちょっとやり過ぎただろうか。
本当はまだいける気がするけれど。
そんなことをなんともなく思いながら、おかげで少し周囲に注意が向くようになって、ふと顔をあげた。
『おい小娘!! それ以上やると貴様自身が壊れるぞ!!』
白い光に包まれた少女が鬼気迫る表情でこちらに言葉を放っていた。
――何よ、大げさね。大丈夫よ。もっといけるわ。今ならいけるの。
「■■■、■■」
――あら、変な言葉がでるわね。違うわ、今のは術式に使おうと思っていた言語よ。――ああ、ちょっと間違っただけよ。今集中してるの。大丈夫よ、ちゃんと答えるから。
◆◆◆
プルミエールの口から出た謎の音を聞いて、ジュリアスとディオーネは血の気の引くような思いを抱いた。
それは明らかにまともな言葉ではなかった。
『この小娘――対話言語と術式言語がごちゃごちゃになってるぞ。頭の中の術式処理能力が限界を超えて稼働してて、簡単な対話に使うだけの能力すら割けない状態になってるんだろう』
「これ以上続けるとどうなる?」
『知らん。脳の能力を術式処理能力だけに割いて、しかもそれで限界を超えたやつなど見たことがない。だがまあ、糸が切れれば死ぬか廃人だろうな』
「それは困るのう」
すると、その場に現れた者がいた。
「この馬鹿には生きてもらわねばならん。なんと言っても与えられた屈辱をまだ返せていないからな!! わらわの角で肉を串焼きにしたこととか!!」
青い雷を身に纏った着物姿の鬼――トウカだった。
お気に入りだと言わんばかりにいつも着ていた紅葉柄の着物も、激しい戦闘を経たためかところどころ破れていて、妖艶な肢体が一部露わになっている。
開戦前に後頭部の高い位置で一本結びにしていた黒い長髪は、今では紐が切れたためにすべて下ろされていて、腰にまで届かんばかりであった。
そんなぼろぼろの姿でも快活な笑みを見せるトウカは、ジュリアスとディオーネに近づき、問いかけた。
「で、この馬鹿はまともに会話もできない感じなんじゃったか?」
『ああ、術式処理に集中しすぎてな』
「おお、おお。このめちゃくちゃ眩しい金色の輪っかじゃな。――うむ、ならここは正気を取り戻させてやらねばな」
「でも会話が――」
ジュリアスの言わんとすることをトウカは理解し、しかしそれに対して「安心しろ」と堂々とした視線を返していた。
「問題ない。この馬鹿には謎の察知力があるからな。拾わなくていい小さなつぶやきとかをなぜか拾ってくる謎の感知能力じゃ。だから、自分が一番形容されたくない言葉を言われれば、さすがに拾うじゃろ」
『おい、説明はいいが早くしろ。向こうの術式装填がほぼ終わったぞ』
ディオーネは向こう側で光る弓を構える軍勢に目を向け、トウカを促した。
「よし、ならばさっさとやるか――」
そういうとトウカはプルミエールの傍らに立って、彼女の片耳をひっぱり、口を近づけて叫んだ。
「この『低俗』な『愚か』者めがぁぁぁぁぁぁああああああ!!」
◆◆◆
「はっ!? 私は高貴よ!? 愚かなわけないじゃないッ!! どこよッ!! 私を低俗とか言う愚民はッ!!」
瞬間、甲高いプルミエールの叫び声が響いて、同時――
「撃て」
対面する向こう側からメシュティエの発射命令が下されていた。
◆◆◆
号令と共に戦景旅団の術式兵たちが構えていた弓から次々と術式矢が発射され、そのあまりの数に光る帯状の絨毯のような様相を呈したまま〈凱旋する愚者〉の一団に襲い掛かろうとしていた。
しかし、その矢の波状攻撃が到達するギリギリにようやくプルミエールが我に返り、同時にトウカの叫びが加わって、
「なんとかしろっ! プルミッ!!」
「言われなくたってなんとかしてあげるわよ!!」
そして天使がいつもの妖しげな笑みを浮かべていた。
「天術、〈星屑の天幕〉――」
天使が前方に手を広げて掲げる。
同時、その手のひらから術式陣が瞬く間に展開され、さらに一秒を待たずしてそれが凄まじい勢いで巨大化していった。。
異常な大きさの術式陣。
ついにはその付近にいた凱旋する愚者のギルド員すべてを覆い隠すほどの大きさにまで広がり、直後に再びプルミエールの声があがる。
「――展開。――ほら! 私の高貴さにひれ伏すといいわ!!」
紡ぐ。
瞬間、術式陣が光に包まれ――金色の粒子をまき散らす巨大な〈天幕〉に変貌した。
空間に突如として現れた空から降りる金の天幕。
術式陣が広がっていた広大な領域すべてにその天幕が降りてきた。
舞い散る粒子の集合。
空のカーテンのごとく現れた金色。
粒子の一粒一粒が宝石かと見まがうまでの美しい光沢を放っている。
そしてその金色の天幕は、ついにその場に到着した数々の術式矢と衝突し――
その全てを叩き落とした。
ただの一本すらその天幕を貫通しなかったのだ。
上から舞い落ちてくる金色の粒子の流れに巻き込まれるようにして、術式矢は地面に叩き付けられ威力を失い、そして消滅する。
そんな光景を見ながら、誰もが声を失っていた。
〈凱旋する愚者〉の面々も、術式矢を射出した戦景旅団の面々も、舞い散る金色の粒子のあまりの美しさに思考を止め、感情を悦に至らしめた。
直後、彼らは次に恐怖を得る。
悦のあとの急転直下。
感情の冷却。
理由は明快だ。
より理性的に、力神の力層による加速を得た術式矢すらをたやすく叩き落とす強靭な術式能力を見たためだ。
そして神格矢を放っていた者たちが、その中で一番濃い『恐怖』を得ていた。
なぜなら――
「なんで――なんでアルテミスの神格矢がただの術式に負けるんだ……?」
とっさに理解できない。
どこからかぽつりと上がった言葉。
実際に神格術式を打ち破られたメシュティエや、またアルテミスの未来視によって神格術式が破られる図を見たセシリアが認識していた問題が、その瞬間全体に波及する。
あるいは、ギリウスとメシュティエの攻防を見て気付く者は気付いていたかもしれないが、とはいっても当事者でなければ納得は生まれづらい。
それほどに神格術式が他の汎用術式にやぶられるということは信じがたいことだった。
だが、ここにきてその問題が明らかに『顕在化』した。
微かな内心のざわめきが、時間と共に大きくなっていって、ついに動揺へと変容していく。
「狼狽えるな!!」
恐怖と動揺が蔓延する中途で、それを食い止めるようにセシリアの凛とした声が響いていた。
セシリアは戦景旅団員たちを押しのけるようにして前線へと姿を現した。
中央部で指揮をとっていたメシュティエの隣にまで歩み出ると、服の胸元がはち切れんばかりに大きく息を吸いこみ、
「たかが一度の攻防だ!! しかと見ろ!! そして見間違えるな!! 奴らは今にも倒れそうなほどに弱った『獲物』だ!!」
威力のある声で叫んでいた。
あれはボロボロだ。疲弊した獲物だ。自分たちにとっての弱者だ。
そう言い聞かせたあとに、続けて紡ぐ。
「獲物を過大評価するな!! あれは鼠だ!!」
もちろん、窮鼠が猫を噛むこともあるだろう。
しかし、
「あれは窮鼠ですらない!!」
まだ私たちはまともに噛まれてなどいないだろう。
メシュティエは負傷したが、隊全体としての傷などほとんどない。
そのメシュティエもいまだ戦線に参加している。
唯一窮鼠になり得た竜も今や地に臥している。
だから、
「この程度で動揺するな――歴戦の猛者たちよ!!」
セシリアの鼓舞は戦景旅団の揺らぎかけた士気を持ち直させた。
よく通り、よく響き、そして耳あたりの良い言葉で飾られた鼓舞の声。
そんな声を発したセシリアの姿は、さしずめ〈戦を導く者〉と称するに足るような、見事な立ち姿であった。
まさしく〈戦姫〉。
戦場の麗姫。
そしてその戦姫は、もう一つの鼓舞を行動によって起こそうとしていた。
「お前たちの背には〈戦神アテナ〉の加護を受けたこの〈セシリア〉がいるのだ!! 誇りを持て!! 旅団の矜持を忘れるな!! 戦の情念を貪れ!! そのうえでお前たちは勝つのだ!! その勝利こそがアテナへの供物にふさわしい!!」
セシリアは言いながら、先ほど戦景旅団の術式兵たちがしたような、見えない弓を構えるが如き仕草を見せた。
「――〈アルテミス〉! 力を貸せ!」
次の瞬間、その手には白を主体に緑と赤で彩られた華美な『大弓』が召喚されていた。
◆◆◆
周りから見てセシリアの鼓舞に指摘すべき間違いはなかった。
それどころか、多くの賞賛を送ってなお足りぬほどの優秀な鼓舞に見えていた。
だがしかし、セシリア自身は自らの行ったその鼓舞に皮肉の一つでも飛ばしたい気分だった。
特に、二つ目の鼓舞について。
――なぜ私は〈アルテミス〉を選んだのだ。
その一点について、自分の選択が正しかったかどうかを再度確認したくなる。
セシリアには二つの選択肢があった。
一つは現にしてみせたとおり、〈弓神アルテミス〉の上位神格術式を使い、他の旅団員には行えない神格の攻撃を行うという選択。
だがこの選択にはセシリアの『逃げ気』が顕れていた。
――なぜ私は〈アテナ〉の名を呼ばなかったのだ。
もし、だ。
もしアルテミスより上位の戦神系神族――その分野の主神である〈アテナ〉の神格術式を使って、持ちうる最大の神格による攻撃を行ったとする。
そしてそれが――
――あの天使族の術式に負けたら?
すべてが終わる。
間違いなく。
アテナの神格を後ろ盾にした鼓舞のすべてが瓦解する。
否、それどころではない。
力の位階がすべて覆る。
常識が覆る。
術式の学説が覆る。
あるいは、神族自身の認識すら覆るかもしれない。
――私はそれを恐れたのか。
だから、あえてアテナより位階の低いアルテミスを使うことを選んだのか。
仮にあの術式に弾かれてもまだ〈戦神アテナ〉という名前を盾にできるように。
それはなんと――
――なんと無様な考えだろうか。
――戦狂いが聞いて呆れる。
◆◆◆
だが、いまさら装填した神格術式を引っ込めるわけにもいかずに、セシリアは攻撃を敢行した。
「――大装〈麗樹神弓〉」
召喚した大弓を構え、さらに右手に矢を召喚する。
「〈巨人殺しの矢〉」
刺々しい新緑色の植物が巻き付いた神格大矢。
そしてそれを大弓につがえ――
「――貫け!!」
今にも放とうとした。
視線を穿つ。
狙いはあの天使。
そして目を向けた先――
あの天使族が同じように『術式弓』を構えていた。
金色の、美しい弓だった。