6話 「黒炎を掲げよ、最後の皇帝よ」
サレはひとしきり泣いたあと、ゆっくりと心境の整理につとめていった。
さまざまな疑問に解決点を見つけ、多少心が晴れたのは確かだ。
それでも、眼前に迫る光景はどうしようもない現実を突きつけてきて、振り払うこともできず、サレの胸を鋭くしめつけていた。
死体はない。
肉片にいたるまで、全て殲す眼で破壊してしまった。
サンクトゥス城は半壊。残ったのは瓦礫の山と、奇妙な形に抉れた土の地面。
サレはその地面にもう一度寝そべって、呆然と途方に暮れた。
――……どうしたものか。
アルフレッドたちを襲撃した何者かがまだ近くにいるのなら、それを探すのもいい。
だが、
――いるはずもないのだろうな……
サレが戻ってきた時にはその姿はなく、サレが〈殲す眼〉の反動で意識を失っているあいだに手を出されたわけでもない。すでに彼方へと撤退してしまったのだろう。
「はは、虚しいな……」
口に出しても虚しさが晴れることはない。
――俺は俺以外の全てを、失ってしまった。
確かに存在していた繋がりに郷愁を抱くばかりで、前を見ることができなかった。
◆◆◆
考えることをなかば放棄し、ただそこに寝そべっていたサレをよそに、空は刻々と暗さを擁していく。
「……」
何かをしなければいけない。
そんな強迫観念を思考の端っこに押しやりつつ、適当に考えをめぐらせる。
――今は動きたくない。
目元に腕を乗せ、視界を塞ぎ、そんなどうしようもない堕落を感じていた。
幾分経った頃だろうか。そうして地面に伏せっていたサレの耳が、奇妙な『音』をとらえた。何かが燻ぶるような、弱弱しい音だ。
崩れかけたサンクトゥス城の中から聞こえているようだった。
虫の音も聞こえない静けさの中で、やけに強く響きはじめたその音が気になって、サレは音の元を探すべく、気だるい身体を起こした。
◆◆◆
城の瓦礫を無造作にどかしていくと、徐々にその音の正体が明らかになっていった。
――炎の弾ける音だ。
そんな確信を得ながらさらに瓦礫をきり崩していくと、ついに音の元を見つけた。
それは大理石の残骸の中で、火元もなく燃え続ける〈黒い炎〉だった。
サレは少し驚いたように眉をあげ、
「〈サンクトゥスの黒炎〉…………本当に消えないんだな……」
大きさにして人の頭ほどの黒い炎が、装飾の多い銀色の皿の上で燃えていた。何度か目にしたことのある光景だった。
サレはその光景を見て、老魔人族たちに自慢げに聞かされた昔話を思い出した。
――『この炎は千年前から燃え続けているんだぞ』
サンクトゥス城を建設した〈初代イルドゥーエ皇帝〉は、己の魔術で生み出した黒い炎を魔人の力の象徴とし、先々まで祀っていくよう命じたという。
祀る、というといささか語弊があるかもしれない。
魔人族は神を持たないからだ。
しかし、火元もなくして、消えることもない初代皇帝の黒い炎は、意味的には信仰の対象としての神に等しい存在であった。
国として主権を謳った最初期の魔人族の遺産。祭りごとの際には、この〈サンクトゥスの黒炎〉を持ち出して場に掲げる。そんな風習があった。
――もう、この炎を掲げることもないのだろうけど。
それでも、その黒い炎はサレにとっては唯一残った思い出の品のように思えた。
身体に打ちつけられる夜風の冷たさを〈サンクトゥスの黒炎〉は和らげてくれる。
――俺のそばにいてくれるのは、もうお前だけだな。
サレは黒い火の隣に座り込んで、また茫然と時を過ごし始めた。
◆◆◆
そうしているうちに夜が明けてしまった。
時は待ってくれない。
――時が後戻りすることなど、もってのほかで。
◆◆◆
何も食べていなかったサレは、生存本能のささやきに無心で従うようにして、まわりの森から食料を調達してくるだけだった。
食事のあとは〈サンクトゥスの黒炎〉の近くに座りこみ、また動かなくなった。
時間が経てば経つほど、気力が削がれていく。
これからどうするか。
何を指針とするか。
目標はあるのか。
――思考を止めるな。考えろ。
ここで思考まで止めてしまったら、自分がその辺に落ちている石ころのようになってしまいそうで。
気力の減退にどうにかこうにか逆らうようにして、サレは思考を無理やり働かせようとしていた。
――アテム王国へ向かうのはダメだ。少なくとも魔人族百人を殺す力がある。
一人ならなおさら、見つかれば殺されるだろう。
アルフレッドたちの仇を取りたいとも思うが、現実的にその力はない。
「相手は王国だぞ――」
一人、対、王国だ。
聞けばそれも大国である。気が狂っても、それが無謀なことだと理解できそうな図式。
――悲劇の主人公よろしく、アテム王のもとへはせ参じて復讐を語るか?
「悲劇にしても安っぽいな」
第一、アテム王のもとへ参ずることすらままならないだろう。
そのうえ、仮に仇をとってどうなる。
気分は晴れる。
その後は大罪人として逃亡生活でもするか。
――はは、それも悪くないかもな。
思って、脳裏に言葉が蘇った。
『僕たちは君にアテム王国へ行ってもらいたくない』
アルフレッドの言葉だ。案ずるような声色で、音として蘇った。
――荷が重すぎるよ、アルフレッド。
荷が重かったらさっさと帰ろうと思っていたのに。
帰るべき場所が、もうない。
アルフレッドたちのいる場所が、帰るべき場所だったのに。
「……くそっ」
思考を巡らせると、身体に活力が戻り始めた。そうして、力を込めた拳を地面に打ちつける。
――もっと考えろ。
アテム王国は魔人族を忌避している。ゆえに殺した。
アルフレッドは言っていた。もはやイルドゥーエ皇国はあってないようなものだと。国としての権利を有していないと。
そのイルドゥーエの隣国は――アテム王国だ。つまり、
――ほぼイルドゥーエ皇国の領地はアテム王国のものになったと考えていい。
そのイルドゥーエ領内にただ一人残る魔人族。
自分に、生存権が確約されているわけもなく。
むしろ、生殺与奪はアテム王の手のひら上だ。
そう考えたとき、サレの胸中に燃えあがるような何かが芽生えはじめた。
◆◆◆
「――抗おう」
◆◆◆
自分を作ったというアテム王の手のひらの上から、何としてでも抜けだしてやる。
――その腕を叩き斬ってでもだ。
そんな思いだった。
――なんとしてでも生き残る。
優先順位を見誤るな。仇はそのあとで取れる。隙を窺えばいい。まずは生き残れ。
――ならば、いつまでもここに残るのは愚者の選択といえよう。
サンクトゥス城を離れる決意をした時、サレの中で家族たちの死にも一つの整理がついていた。
無理にでも、つたなくとも、そうして整理をつけなければ――動くことすらままならなかった。
だから――
「アルフレッドも、リリアンも、ほかの家族たちも――死んだんだ」
声に出して自分に言い聞かせる。
生きた繋がりは、
――もうない。
◆◆◆
サンクトゥス城を離れる決意をしたサレは、その準備を整えはじめた。
荷物という荷物はアルフレッドたちがまとめておいてくれた。それ以外にしておきたいことがあったのだ。
サレはひっくり返した荷物の中身を再度適当に革袋の中にしまいこんだあと、横で漂うように燃えていた〈サンクトゥスの黒炎〉のすぐ傍にしゃがみ込み、炎が乗っている銀の皿を持ちあげた。
そうして、荷物と一緒に銀の皿を遠くに安置し、次に、崩れかけたサンクトゥス城を見つめる。
――いけるな。
片手で一度目元をぬぐったあと、特に痛みが感じられないことを確認して、サレは意識的に殲す眼を発動させた。
「――【砕けろ】」
崩れかけのサンクトゥス城を、バランスが悪くてまっさきに崩れそうな場所から解体していく。不安定な土台を削り、その身を小さく整えていく。
何度か〈殲す眼〉を使い、一回り小さくなったサンクトゥス城を見つめ、
「――よし」
とうなずいた。
手の届かない場所は〈殲す眼〉で形を整え、そのあとでほかの部分を手で整えていく。
そして数時間後、ようやく建物として一応の安定を得られたと確信すると、サレは城の内部へと足を踏み入れた。
肩に荷物をかけ、空いた両手に〈サンクトゥスの黒炎〉が乗った銀の皿をもって。
◆◆◆
城の内部へと足を踏み入れたあと、もっとも倒壊の危険が少なそうな部屋を探す。
何個目かの部屋が条件に合いそうだったので、その部屋に銀の皿をおいた。
次に、黒炎の乗った銀の皿のまわりの床に、魔力を灯した指で〈魔術式〉を描いていく。
ミスのないよう、ゆっくりと。
焼き斬るように床の大理石に式を刻んでいく。
サレがおもむろにはじめた魔術式の刻印は、そのあと数時間に渡って行われた。
◆◆◆
――いずれ、この初代イルドゥーエ皇帝が生みだした黒い炎が役に立つかもしれない。
その術式描写は、そんな思いがあったゆえの『下準備』だった。
そうこうしているうちに全ての式を彫り終えると、サレは一息ついて――
「痛いだろうけど、仕方ないな」
そうつぶやきながら、上半身の服を脱いでいった。
今度は指ではなく、背中に佩いていた短剣を引きぬいて、あらわになった自分の右肩にほんの少し突き立て――『刃をすべらせた』。皮膚を切ったのだ。
「……っ!」
意図した自傷行為。
きっと痛いだろうと覚悟しながらの自傷ではあれど、鋭い刃が身体の表面をなぞるたびに、看過しがたい痛みを生まれて思わず呻く。
――動くなよ、我慢して、描き切れ。
描け、描け、描け、と呪文のように頭の中に念じながら、サレはさらに自分の右肩に短剣の刃をすべらせていった。
右肩を始点とし、右の腕へ。廻り、回り、腕という描写平面を可能な限り使い切りながら、立体的に短剣をすべらせていく。
当然、短剣が走った場所からは鮮血が噴き出て、そのつど熱さと痛みが内心を騒ぎたてた。
声を押し殺すような吐息をつきながらも、サレは短剣を持つ手を止めなかった。
サレが自分の右腕全体に傷として描いていたのは〈魔術式〉だった。
サンクトゥスの炎の周りに刻印したものと同じような、複雑で膨大な魔術式だ。
それを身体に刻んでいっている。はたから見れば狂気の沙汰とさえ呼べる、そんな所業だ。
――魔力で刻印しても、自分の身体じゃ消えちゃうからな。
最初はサレもさきほど銀の皿側に施したように、魔力を灯した指で術式を描いていこうとした。
しかし、自分の身体には魔力が流れている。術式描写に使う指先の魔力と同質の魔力だ。それが障害になった。
消えるのだ。
常時身体に流れている魔力の奔流に流されて、せっかく式として描いた術式陣が、時間と共に掻き消えてしまう。
サレが欲しかったのは、絶対に消えない、式の証明だった。
ゆえに、サレが導き出したのは物理的な『傷』による術式描写だった。
しかし、『それ』でさえも、描いた魔術式は即座に消えていってしまう。
――便利だけど、不便な身体だ。
内心に呟きながら、サレは己の身体に視線を向けた。
魔人族の脅威的な『回復力』が作用していた。
傷口をすぐにふさぎ始めてしまう――魔人の身体。
ゆえに、サレは何度も何度もその身体に刃をすべらせた。
いかに回復力に優れた身体であっても、同じところを何度も切り裂いていれば、徐々に傷痕が残っていく。
その傷痕が鮮明になるまで、何度も同じ魔術式を自分の身体に刻んでいった。
痛みと失血との勝負だった。
時間と共に右半身は真っ赤に染まっていき、また、短剣もその刀身を鮮血で染めあげていく。
そうして、ついにその式の刻印を終えた時、気力が尽き果てて、サレは倒れた。
サレはサンクトゥスの黒炎の傍に伏して――寝息を立てはじめた。
◆◆◆
『――無茶するなぁ、サレ』
アルフレッド?
『もっと早くに言ってくれれば、僕がやってあげたのに』
そんな楽しそうな顔で言うなよ。どっちにしても痛いのは俺じゃないか。
『ははは、もちろん僕はそれを眺めて――』
『兄さん、愛情が、いびつ』
『リリアンに諭されてしまっては僕も強く言えないじゃないか』
最初からそんな堂々と言うなよ。
『まあ、そんな無茶をさせてしまったのも僕たちのせいだけど』
『ごめんね、サレ』
気にしてないよ。俺が勝手に決めたことだから、大丈夫だよ。それより――
『そうだ。一つ言い忘れていたんだけど、君にもう一つ、名前を与えようと思ってね』
――名前?
『――〈サンクトゥス〉。イルドゥーエ城の名前でもある。歴代皇帝が引き継いできた名だ。君にこの名を継いでもらいたい。――歴代皇帝の加護よ、彼を守りたまえ。――神をもたない僕たちにとっては少し行きすぎた名かもしれないけど、すべての魔人族の加護と共に、ってね」
――はは、大げさな名前だ。
『フフ、そうだね。――さて、あまり尾を引かせるのも君のためにならないし、そろそろ行こうかな。君はまだこちらへ来てはいけないからね』
『またね、サレ』
――。
◆◆◆
「待って……待ってくれ――」
宙に手を伸ばしながら、サレは目を覚ました。
――夢か。
嫌な夢だ。
――決意が鈍りそうで。
「はぁ……」
つい、ため息が漏れる。
ふと自分の右腕に視線を運ばせると、そこには思い描いた魔術式がくっきりと浮かんでいた。とりあえず、術式の刻印には成功したらしい。
再び服を着込み、サレは立ちあがった。
一度だけ銀の皿の上で燃えあがる〈サンクトゥスの黒炎〉に目配せをして、
「――行こう。せめて、共に」
そう声をかけた。
次いで、サレはおぞましいほどの膨大な魔術式が刻まれた右腕を黒炎にかかげた。そして――右掌で黒炎に触れた。
そこからは瞬く間のことであった。
サレがサンクトゥスの炎に触れると、黒炎は喜んでいるかのようにその身を大きく猛らせた。瞬間、銀の皿の下に描かれた魔術式と、サレの右腕に刻まれた魔術式が同調するように輝いた。
そして、その輝きがおさまったかと思うと、黒炎は一瞬にして――サレの右掌に『吸い込まれて』いった。
サレはいくばくかの間、自分の身体の動きを確かめていたが、
「――うん」
最後に短く呟き、黒く変色した右腕の魔術式を撫でて、サンクトゥス城をあとにした。
◆◆◆
外に出たあと、ふと先程の夢が気になって、サレは荷物を漁った。
「……本当はアルフレッド、生きているんじゃあるまいな?」
乱雑に積め込まれた荷物の中から出てきた紙きれに、
『君に〈サンクトゥス〉の名を継いでもらいたい。初代様から歴代様へ。先代様から僕へ。僕から君へ、継ぐ名だ。魔人族の加護と共に。――〈サレ・サンクトゥス・サターナ〉』
そう書いてあった。
さらに、
『そして最後に、君に〈イルドゥーエ皇帝〉の地位を与える。あってないようなものなのは確かだけど、それでも、役に立つことがあるかもしれない。必要とあらばこの地位を生き抜くための道具にしなさい。イルドゥーエ皇帝の証明は君の持つ〈皇剣〉によってなされる。だからその剣を大事にしなさい。――少しは親らしいことが言えたかな――』
先代イルドゥーエ皇帝、アルフレッド・サンクトゥス・サターナより。
――少しだけ、笑った。