67話 「戦景色に彩りを」【後編】
「ああ、もうここまででいいよ、じいさん」
今にも湖都ナイアスの南東国門に辿りつこうかという時になって、不意にサレが隣を走るオースティンに言った。
――間に合わなかったか。
案内の不必要を述べた理由は当然、サレ自身が『開戦』の気配を察知したことに起因している。
「こんなところから目視できたのか? ――わしには何も見えん」
「種族柄、目が良いからね」
オースティンの感心を適当にいなしながら、サレは南東国門を形成している支柱を見上げ、次に周辺の建造物を眺めた。
「いけるな」
言い聞かせるようにうなずきを作り、
「樹上生物か何かか、おんしは」
サレは周辺の建造物や国門支柱の亀裂や凹みを足掛けにして、器用に国門の最上部へと登っていった。
眼下ではオースティンがそれを真似しようとほんの二三秒ほど四苦八苦していたが、サレが足場にした箇所がどこもかしこも巨人の身体には小さすぎることに気付き、嘆息しながら諦念の表情を浮かべていた。
◆◆◆
国門の最上部へと到達したサレはその場にしゃがみ込み、頬を撫でる冷たい風を感じながら遠くの草原丘陵へと向ける。
サレの目は土煙が上がっている『戦闘部』の概要を即座に捉えた。
――〈神を殲す眼〉になってから余計に目が良くなった気がする。
そんな感慨を心の隅に浮かべつつ、さらに注視を向ける。
――〈凱旋する愚者〉はナイアスを背に迎え撃つ形か。
対する〈戦景旅団〉はナイアスに向かって進軍する形。
――先頭にトウカと陸戦班。上空にギリウスたち空戦班。海戦班は中位置。
最後方に下がっている非戦組を中心に扇状に広がる形だ。
とはいえ、個人間の距離はバラバラで、かろうじて班ごとに集まっていると形容するのが恐らく最も適している。
隊列も何もあったものではない。
ギルド長たるアリスは最後方に下がりつつも、非戦組と比べるとやや前のめりの位置だ。
「位置としては正しいけど……」
そう言いながら、サレはアリスの位置が心配であった。
アリスはギルド長である立場上、今回の闘争では首級ということになる。
ギルドが倒れるか王族が倒れるかで勝負が決まるからだ。
そんなギルドの長であるアリスが、非戦組の内部にまで隠れてしまえば、たとえ非戦組に手を出さないだろうとの査定をジュリアスから受けているセシリアや戦景旅団でも――
――さすがに手を出してくるだろう。
無制限の寛容など期待する方がどうかしている。
――やっぱり人数差があるな。
一目見て隊列の密度の差に気付いてしまう。
分は一方的に悪い。
「……」
自分はすぐに激戦部に向かうべきだろうか。
視界に映る状況を整理しながら、サレは己に問いかけた。
数で負けている状況をかんがみれば、即時即決で助力に向かうべきだ。
刹那の決断を下す。
そうしてサレはすぐさま激戦部へと向かおう黒翼を発動させた。
落下地点を見極めようと再度激戦部へ目を向け――そこでとある違和を見た。
「んん?」
サレの決断を鈍らせる『違和感』の出どころは、トウカとセシリアの攻防の中にあった。
今、一団の先頭に立っていたトウカが雷化状態でセシリアに突っ込んだ。
進軍してくる戦景旅団の隊列に紛れ込もうとしていたセシリアに対して攻撃を仕掛けたのだ。
その刀による一撃を――
「……避けた?」
セシリアは素早い身のこなしで避けていた。
トウカが攻撃し、セシリアが避けた。
ただそれだけだ。
しかし、その一連の流れがサレに奇妙な違和感を抱かせた。
細かな、しかし重大な違和だ。
「なぜ――」
――〈法神テミス〉の神格術式に守られているはずのセシリア第一王女がトウカの攻撃を避けたんだ。
今までのテフラ王族は避けるそぶりすら見せなかった。
「……」
サレはそこで動きを止める
迷った。
どうしても今の光景に感じた違和が気になっていた。
ゆえに、再び天秤にかける。
即時助力で全面攻勢に加わる方が良いか、それとも今の違和の正体をはっきりさせた方がプラスになるか。
見極めようと、大きく目を見開く。
――みんなが耐えられそうなら、今回は少しばかり時間をもらおう。
しかし、分が悪くなりそうならばすぐに向かうべきだ。
そしてまた、その基点となる『分水嶺』を見誤ってはならない。
そう自分に言い聞かせ、サレは全神経を観察に回し、思考をフル回転させはじめた。
◆◆◆
後退を重ねて戦景旅団の一団に紛れようとしていたセシリアに神速で迫ったトウカは、セシリアの脇をすり抜ける瞬間に再び一刀による居合抜きを放った。
自らの身体に乗る〈雷装〉の速力と、神速を自負する居合抜きの速力を合わせ、瞬間的な攻防を挑んだ。
しかし、
「雷装状態の速力でもアルテミスの眼は欺けぬのか」
「『かろうじて』だとも。誇って良いぞ、東の戦鬼よ」
セシリアは寸でのところでその居合抜きをかわして見せた。
軽い身のこなしで左右にステップを刻み、その身体が戦景旅団の波に紛れていく。
「さあ、末弟よ、異族たちよ。闘争に勝利したくば私のもとへ辿り着くがいい。――たどり着けるのならな」
その言葉を最後に〈戦姫〉の姿が戦景旅団の隊列の中へと消えて行った。
「癇に障る言い草じゃな……! ……たわけめっ」
さすがにこれ以上の猪突は分が悪い。
トウカは自分が仲間たちの位置から一人突出していたことを自覚していたし、敵の大将に釣られて突撃を敢行するのは愚策であると気付いていた。
しかし一方で、不意の初回攻防を勝ち逃げされたことにたいする悔しさもあって、その場で誰に対してでもなく悪態をついた。
◆◆◆
「見事な隊列運動であるな。異形のファランクスとでもいうべきであるか」
ゆっくりとこちらへ迫りくる重装歩兵の集団は体躯こそバラつきがみられたが、その歩調は些細な乱れもなく揃っていた。
その見事な隊列の様相は〈凱旋する愚者〉の面々に強烈な圧力を与える。
「そうだね。それに対して見てよこれ。僕たちの隊列。――もうバラッバラだよね!! いっそ清々しささえ感じるくらいバラッバラ!! なにこれやる気あるのなめてるの? ――とかヤジ飛ばされても文句ひとつ言えないよこれじゃあ!」
声のとおり「まばらになんとなく班ごとに集まった」という体な〈凱旋する愚者〉の一団から、少年が叫んでいた。
メイトの声だった。
「なにあんた、非戦組じゃなかったの? もしかして眼鏡が愚かすぎて頭おかしくなっちゃったのっ!?」
その声に首を傾げながら振り向いたプルミエールが、心底心配するような顔でメイトに問いかけた。
「ちょっと君なにいってるの!? ちゃんと正しい言葉使おうよ!! 不本意ながら言ってる意味はなんとなく分かるんだけどね!?」
「分かってるならいいじゃない。面倒な眼鏡ね」
「傍若無人に翼が生えてるだけの君に言っても効果ないと思うけど、一応言っておくと君はもう少し聞く側のことも気遣った方がいいと思うよ!!」
「うるさいわね、その愚かな眼鏡叩き割るわよ。パリーンってするわよ」
「だよね! 僕の説教の労力は当然無駄になるよね!」
テンション高めにプルミエールとの会話をこなすメイトであったが、「お前もはやく質問に応えろよ」と周囲のギルド員に言われ、大げさなリアクションを引っ込めた。
すると今度は神妙な顔つきで自分の眼鏡に手を掛け、静かに言葉を紡ぎはじめる。
「まあ、なんというかね、今回ばかりは少し分が悪そうだから――僕も前に出ることにしたよ。ホントは殴り合いとかヤなんだけどねぇ。なんたって眼鏡が割れるからね」
「お前普段ツッコみが主なのに急にボケるのやめろ。供給過多になる。マコトがいればいいけどあいつ今後方避難中だから」
「あ、うん、ごめん。ちょっとテンション上がっちゃっただけなんだ。――それでね、とにかく僕も交戦組に参加することにしたよ。肉体面は君たちと違って脆弱な方だけど、アリスを守る盾の一枚くらいにはなれるつもりさ」
言いながら、メイトは自ら眼鏡を外した。
その行動をなんともなく見ていたプルミエールは、いつか彼とした会話を思い出し、問いかけた。
「そういえばあんた、〈魔眼術式〉持ってたんだっけ?」
「そうだよ。サレのと比べるとインパクトには欠けると思うけどね。――だから、少しは安心して前を向いてくれていいよ」
メイトは微笑を浮かべながら言った。
「あんた、その言葉がどれだけ重いか、ちゃんと分かってるわよね?」
「もちろん。ちゃんと理解しているし、覚悟もしているよ」
「そう」
プルミエールは当初こそ真顔でメイトに訊ねていたが、メイトの即答を聞くや否や、その顔に同じような微笑を浮かべ、
「なら、全面的に信頼するわ」
「うん、任せてくれ」
うなずきを一つ見せた。
メイトの確かな答えに、そしてプルミエールの信頼の言葉に、他のギルド員たちも同意のうなずきを返す。
そして――
「じゃ、私たちも行こうかしらね。どこかの馬鹿な魔人が謳った『建前』に命を懸ける愚か者として――」
断崖の異族たちが、前進への一歩を踏みしめた。
◆◆◆
さて、どう攻めるべきか。
――否、まず自分は攻撃と防御、そのどちらを主体に動くべきか。
竜人形態のまま翼をはためかせて低空を飛んでいたギリウスは、そんな言葉を胸中に浮かべた。
――サレがおるのであれば、我輩は長であるアリスの盾として立ち回るべきであろうが。
しかし、今はサレがいない。
プルミエールに言い渡された『役目』は確かに盾であるが、それは剣であるサレがいてこそでもあると、ギリウスは考える。
特に、今回は攻めなければならない闘争だ。
相手の首級を取らなければ勝利はないのだから。
――……。
考えている時間はあまりない。
ファランクスを組んで前進してくる戦景旅団の姿が徐々に大きくなっていく。
――初手に陸戦のファランクスを動かしてきたならば、我輩たち空戦班が空から奇襲をかけるのも一手であろうか。
考え、しかしギリウスはその方法に自らで指摘を加える。
先ほど遠目に見えた戦景旅団の中列。
今でこそファランクスの後方に隠れて見えていないが、確かに向こうには遠距離装兵がいた。
背に弓を構えた者。
さらに後方には無手の術式系装兵らしき者たちの集団もいた。
つまり、不用意に高度をあげれば『狙い撃ち』にされる。
陸戦限定でしか動けない者からすれば、空を自在に移動できる有翼系は脅威だ。
どんなに苛烈な攻撃を仕掛けても届かなければ意味はない。
だからこそ、初手のファランクスに対する保険として、戦景旅団は対空攻撃を後方に控えさせた。
「そんなところであろうか」
ギリウスは考えをまとめながら息を吐く。
一応、空戦班長として班員たちにある程度の指針は与えた方がいいだろうか。
否、与えるべきであろう。
集団戦を個人主義全開でこなすにも限界がある。
敵が強ければ強いほど、限界は近くに見えてくる。
攻撃の分散ならまだしも、防御の分散は『首級であるアリスを守る』という観点から絶対的に避けるべきだ。
だが、
――わからぬ。
防御だけでも、攻撃だけでも闘争には勝ちえない。
かといって、ギリウスにはその防御と攻撃のバランスのとり方がまるでわからなかった。
集団戦など経験したことがない。いや、正確にはあったが、今は立場も状況も違い過ぎて、同じものとして考えることはできなかった。
「考えなくていいのよ、愚竜」
ギリウスが内心で逡巡していると、不意に斜め後ろからそんな声が上がった。
「大体、あんたは頭使うタイプじゃないのよ」
プルミエールの声だった。
彼女は普段よりは幾分真面目な顔をしていて、白翼をゆっくりと羽ばたかせながらギリウスの隣にまで飛び出でてくる。
「あんたは行動で班を引っ張ればいいの。そういう脳筋効果を求めてあんたを班長にしたんだから」
「い、言いたい放題であるな」
しかし、とギリウスは繋ぐ。
「事実、班に一定の方針は与えねば綻びが生まれ、瓦解するのではないのであるか?」
「そういうことを気に掛ける対等な関係に私たちはいないのよ。この人数差で、この錬度の差で、みみっちいことしても順当にその差で負けるだけじゃない。同じ土俵にあがるだけ無駄なのよ。わかる?」
「ではどうしろと?」
訊ねた瞬間、プルミエールは大きくを手を広げ、声を一気に甲高く張りあげた。
「パワーよ! パワー!! 『パワー』に決まってるじゃない!!」
「やっぱり真面目じゃなかったのである……」とギリウスは軽く頭を抱えながら、ちらりと前方に目を向ける。
敵の重装兵のファランクスはより近づいてきている。
先頭集団として自分たちより前に密集している陸戦班もまだ動きを表していない。
トウカも悩んでいるのだろうか。
「そろそろ遊んでる時間もないのであるが……」
「だから力よ!! 力こそパワーゆえに高貴だから私っ!!」
――さ、さすがに我輩もちょっとイライラしてきたのである……
「アリスへの最後の壁としてマリアと海戦班がいるわ。だからそれはマリアたちに任せなさい。いくらマリアでもあの密集陣形に突撃されたらそう長い時間耐えられないと思うけど、だからこそ任せなさい。任せて、あんたは――『前に出るの』」
確かに、そう長い間守りきれないとの確信を持っているくらいならば、いっそのこと長期の防御線は捨てるべきだ。
消耗戦も然り。
捨て、代わりに攻撃に戦力をつぎ込むべきであろう。
先に首級を取るか、敵のギルド員を全滅させてしまうしかない。
「――前にあんたに盾になりなさいっていったけど、今回はあの愚魔人がいないから特別よ」
プルミエールは再び真面目なトーンで言葉を紡ぎ始めた。
そしてそこで一旦言葉を切って、
「悪いわね」
真っ直ぐな謝罪を述べていた。――申し訳なさそうな顔で。
視線は斜め下に背け、顔も俯き気味だ。
一種のかわいらしさすら感じるしょんぼりとした表情と仕草。
ギリウスは当然目を丸めて驚愕する。
同時に自分の目と耳が壊れたのではないかと不安げに頭を振ってみせるが、どうにもそうではないらしいと再認識する。
「あんたが能動的な攻撃を嫌っているのは知っているけど、今回はそうも言ってられないわ。だから――『悪いわね』」
――何を言うかと思えば。
そうギリウスは嘆息を歯の間から吐き出しつつ思った。
「我輩、確かに自分から攻撃するのはあまり好きではないが、それはあくまで好き嫌いの程度である。仲間を守ることと天秤にかける必要すらない程度の、いわば些事である。ゆえに、仲間のためなら喜んで好悪を捨てよう」
プルミエールに言う。
心底から出た言葉だ。
「なら――今回我輩は『剣』になればいいのであるな」
「そうね。あの愚王子と愚神族に手伝わせてもよかったけど――」
「それは悪手であろう。我輩たちの中には〈神格術式〉に対抗できるものがほぼいない。聞いたところによると神族の神力も無限ではないと言う。ならば、ジュリアスにはここぞという時に動いてもらうべきであるよ。向こうも同レベルの主神を従えているならなおさら、ジュリアスを消耗させるわけにはいかんのである」
ジュリアス以外の者が〈戦姫セシリア〉に接敵したところで意味はない。
サレほどの術式を使えなければ致命打は与えられないのだから。
そう考えると、
「我輩たちは自分たちが思っている以上にサレに頼り過ぎているのかもしれぬのであるな。重荷を背負わせないといいながら、事実は異なる。なんとも情けない限りである」
「……そうね」
プルミエールも珍しく自嘲気味な笑みで答えた。
「ではそろそろ行くとしよう。我輩が先陣を切る。プルミは他の空戦班員に適時アドバイスを。その場でのバランス取りは任せるのであるよ」
ギリウスは周囲の空戦班員たちを眺めながら続けた。
「我輩は単独で孤立してもすぐに墜ちることはないであろうが、他の者は別だ。我輩が攻撃の意気を見せつけて士気を上げるのもいいが、それで『前に出過ぎて致命傷を負いました』ではアリスに顔向けができん――のである」
ギリウスは言いながら、身体に軽く力を込めるように両の腕を持ち上げていた。
眼差しは前方のファランクスに向き、位置を確かめるように縦長の瞳孔が動いている。
「分かったわ。――あんた、本気になるとちょっと口調が堅くなるわね。少しだけ竜族の威厳とやらを感じるわ。――少しだけね」
「クハハ! これからそう何度もないであろうプルミの褒め言葉、しっかりと覚えておこう」
ギリウスは竜口を大きく開け広げて、その顔に大笑を浮かべた。
そうして数瞬の後、隣のプルミエールの身体を片手で優しく押し出す。
「離れろ」との言外の言葉。
すると、そのわずか数秒後。
ギリウスの身体がまばゆい光に包まれ――
「好む、好まざるこそあれど、『剣』との銘を負うのであればせめて名剣〈竜神〉で在ろう。名剣〈魔人〉に決して劣らぬ切れ味を――テフラの傭兵どもに見せつけるとしよう!」
〈シルフィード〉を力技で突き破った時の〈竜神形態〉を象った黒竜が、暴風と共に姿を現していた。