64話 「愚者の覚悟」
碧い水が街燈の光を反射して街を神秘的な色に染め上げている。
湖都ナイアスは夜でも人が多い。
眠らない街と呼んでもいいくらいの人と活気だ。
そんな様々な人々の視線が今こちらに向けられていて、〈シオニー・シムンシアル〉は少しのむず痒さを感じていた。
――ん、んう……
別に自分という特定の存在に視線が向けられているわけではないけれど、
――やっぱりちょっと恥ずかしい……
シオニーはそんな思いを胸中に浮かべながら、ナイアスの街路を走っていた。
すると、風を切って走る中、突然隣から甲高い声があがる。
「なによシオニー、あんたちょっと顔赤いけど――はっ! まさかあんた大勢の視線を浴びて興奮しちゃったの!? 愚か!? 愚かね!? 愚かなのね!?」
「本人に同意を求めるなよ!!」
プルミエールがハイテンションでそう訊ねてきていた。
「ほら! 犬耳もぴくぴくせわしなく動いてるわ!! 確定!! 確定よ!! 確定よね!?」
――なんで微妙に疑問形なんだ。
まったくプルミエールの相手は疲れる。
こんな時でさえ普段とまるで対応が変わらないのは、ある意味尊敬に値するが、ああはなるまいと心には刻んでいる。
シオニーたち〈凱旋する愚者〉は、固まって湖都ナイアスの街路を移動していた。
移動する集団の先頭にはトウカがいて、その周辺を陸戦班が固めている。
後方はマリア率いる海戦班。
ギリウス率いる空戦班は『上部』を飛翔している。
そして中心部にはアリスをはじめとした非戦闘員が纏まっていた。
プルミエールはアリスの専属護衛という役割で、アリスの傍をふらふらと飛び回っている。
当のシオニーも似たような役回りで、以前非戦闘員を率いて逃走戦を繰り広げた前例から護衛を務めていた。
――サレは……大丈夫だろうか。
そんなシオニーが胸中に浮かべる。
外敵に対してまっさきに反応するのはいつもサレだ。
損な役回りをしていると思う。
未知の敵対勢力に対する斥候、兼、迎撃要員。
暗中を一人で突き進まないことには果たせない情報収集。
正直なところ、自分がその役回りだったら少し臆するかもしれない。
情報を得るために単身で突き進むなんて――足がすくむ。
――まあ、当のサレはそんなこと考えてないのかもしれないけど。
単に人より敵意や害意に敏感で、さらに単独で行動することを許されているから、こうして単独先行しているだけかもしれない。
どちらにしても、本人が独善主義を謳っているわりには、今までの彼の行動はずいぶん献身的だ。
――いや……
サレの故郷の話を聞いた時、彼はこんなことを言っていた。
『俺は同胞の死の現場に立ち会えなかった』。
その反動が今のこの行動に繋がっているのかもしれない。
――うーん……私がもっとうまく慰められたらなぁ……
「ねえ、愚狼? さっきからあんた尻尾しんなりしてるけど、もしかして怖気づいたりしてんの?」
「えっ!? い、いや、そういうわけじゃない。ちょっと考え事をしてただけだ」
「愚魔人のこと? それとも愚民五十号のこと?」
「それどっちもサレのことだろ」
「やっぱり!!」
「色々途中のやり取り飛ばし過ぎだろ!!」
無視しよう無視しようと思っても、プルミエールのあまりの奇人っぷりに思わずツッコまずにはいられない。
「いいじゃない、途中で面倒になることだってあるわ。高貴、しかしたまに面倒……!! フフッ……!」
――面倒、しかしたまに高貴。
発言をまるまる逆にすると自分のことを端的に表し得ることに、彼女は気付いているのだろうか。
テンション高めに白翼をばさばさ羽ばたかせているプルミエールを見ていると、一抹の考え事などその破天荒さに押し込まれてどうでもよくなってしまう。
「ま、別に心配はしてないわよ? あんたはあんたのしたいように動きなさい。もししくじっても高貴な私がフォローしてあげるわ?」
「ありがたいけど、そんなにいろいろ背負って大丈夫なのか?」
「大丈夫に決まってるじゃない。たかが五十人背負えないで高貴なんて言えないもの。高貴かつ美麗その上天使つまり私!! ――だから大丈夫よ」
「ああ、何が詰まって大丈夫なのか分からないけど、なんとなく察した。――察したということにしておいてやる」
シオニーは呆れ顔で笑った。
そして再び前へと視線を向ける。
それと同時――
「大丈夫。――もう取りこぼしたりしないんだから」
シオニーの耳は極小さな声でプルミエールが自分に言い聞かせるようにつぶやたいたのを、しっかりと捉えていた。
◆◆◆
――はあ。
ため息を一つ。
しばらく間をおいてから、胸中に二言、三言。
――いやはや、心の中でため息をつく所作に、果たして意味はあるのでしょうか。
我が身のことながら、不思議な行動を起こしてしまったものです。
アリス・アートは周囲をギルド員たちに守られながら、そしてそんなことを思っていた。
すると――
「――ん? アリス、今ため息ついたでしょう」
――なぜこの天使は汲み取ってもらいたくない心情に限って恐ろしいまでの察しのよさを発揮してくるのでしょうか。
「いえ、表面上には出さなかったつもりでしたが」
「私は高貴だから、なんでも分かるのよ!」
――そろそろご自分の言語能力が破綻していることも分かった方がいいと思います。
ほら、その高貴な察しのよさでこの指摘も察してください。
「……」
――……こういう自分に不都合な気配にはことごとく鈍いようです。まったく使えない察しのよさですね。
なぜ胸中のため息を察することが出来て、明確な指摘は察せないのでしょうか。
「ア、アリス、なんかものすごく渋い顔をしているぞ。護衛のギルド員が怯え始めているんだが……」
「そんな顔をしていましたか」
アリスはシオニーの指摘を受けて表情をニュートラルに戻した。
それにしても、
「なぜ私が渋い顔をすると皆さんが怯えるのでしょうか」
「ま、まあ経験則に依るところだろう。なんというか……」
シオニーが慌てたような身振り手振りで間を取っているのを、アリス本人はもちろん視覚効果として捉えてはいなかったが、その声色から彼女が大方そういう状況にあることを把握し、
「さあ、頑張って言葉にしてください」
あえてプレッシャーをかけることにした。
「うう……あの……その、えっとだな……つまり……」
困惑した様子が声や言葉からありありと伝わってきて、
――やはり、シオニーさんをイジっている時が一番癒されますね。
アリスは心の中で充足感を得ていた。
「そ、そうだ! アリスが渋い顔をしていると――」
シオニーがようやく閃いたというように喜びに満ちた笑みを浮かべた。
「あ、もういいです。からかっただけですので」
「……私、今泣いていいよね」
「愚かね。愚犬だわ」というプルミエールの声が近くから飛び、「シオニーは真面目じゃなぁ」という苦笑気味のトウカの声が前の方から飛んできた。
さらには、「我輩はシオニーの生真面目さが好きであるよ?」とギリウスのフォローが上空から降ってきて、
「結局みんなに聞かれてたんだな。こういう弱み情報に対してはみんな本当に地獄耳だよね」
「私はシオニーの味方だぞ、安心しろ……」
最後に、ギルド内での扱いが似ているマコトが、シオニーの肩を力の籠った手で何度か叩いた。
「まな板と犬ねえ……ダメだわ、字面にするとネタとしての発展性も見込めないわ」
「ホント容赦ないな!!」
「くやしかったらまな板直してから来なさい!」
「こ、壊れてないから!! 私のまな板はこれがノーマルだから!!」
絶叫気味に放ったマコトのツッコみが響くと同時、ギルド員たちが驚愕の表情を浮かべる。
「あいつまな板ってことついに自分から認めやがった……!」「内面も外面もついに完全なるまな板に……!」そんな声がぽつぽつとあがる。
「やっぱりあんたおかしくなってるわよ……? こう、ツッコミにキレがないとか以前に、まな板説に自分で賛同しちゃってるじゃないの……もうツッコむ場所自体がズレてるわ……」
「わあ……まさかプルミエールに冷静に指摘されるとは思わなかったなぁ……」
マコトは茶色のふさふさとした尻尾をしんなりさせて、長いストレートの髪を何度か撫でつけて身なりを整えたあと、しばらくの微妙な間をおいて――
「あれ? やっぱり私毒されてるよね?」
「気付くのおせえ……」ギルド員全体からのため息交じりのツッコミが巻き起こった。
◆◆◆
――話が逸れました。
いつものことだと思いながらも、今の闘争中、かつ逃走中な現状をかんがみると異様な状況だ。
だが彼らは彼らで飄々としつつも、現状から目をそむけている節は見えない。
――見えないのは視力がないので当然として。
感じられない、と言い換えておこう。
視覚以外の感覚器頼りの情報源ではあったが、単純に走っている時と比べるとプルミエールやシオニーの様子は違っている。
身体を捻ったり、大きく動かすことによって増える細かな衣擦れの音や、首を左右に振ることから生じる微細な声量の変化、揺れ。
そういった通常とは違う周りの行動の変化をアリスは捉えていた。
周囲を警戒しているのだ。
口で達者な言葉を放ちつつ、周囲に注意を振りまいている。ずいぶん器用な真似ができるようになったものだ。
――頼もしいですね。
本心だ。偽りはない。
しかし、
――また……ため息が出てしまいそうです。
何に対してかと言われれば、
――もちろん、自分の『不甲斐なさ』に対してでしょう。
アリスは毛先がほんの少し跳ねている自分の黒髪を摘まんで、指の間で転がすように捩じった。
◆◆◆
〈凱旋する愚者〉には、今回の闘争で他の連帯ギルドと比べて不利となる構成的な欠点がある。
――長としての私の防衛能力が希薄すぎますね。
アリスは内心に浮かべた。
必ずしも自分たちだけとは言い切れないが、大体は合っているはずだ。
闘争に勝利するには相手の王族か、その連帯ギルドの長を潰せばいい。
ゆえに、先手を取れるからと言って無暗に護衛を削ったりはしない。
極端に攻撃に転ずれば、その間隙を縫った一撃によってたやすく自分たちの王族や長が倒れる可能性が増すからだ。
手薄なところへ放たれる一本の矢。
たかが一本といえど、あながち馬鹿にもできない。
しかし、それらはあくまで定石として考えるならば、の話で。
たとえば、標的となる『ギルド長』が――
その一本の矢を掴んで膝でぶち折るような猛者である場合。
だいぶ話が変わってくる。
「シオニーさん、『匂い』の方はどうですか?」
「ん? ……ああ、かなりついてきてるよ。数は――ちょっと数えるのが面倒になるくらいだな。後方一帯『追跡者』で埋められてる。これだけ確信的な動きだし、敵の連帯ギルドで間違いないだろう」
アリスたちはナイアスを一定方向に移動していた。
その理由は『追われているから』だった。
爛漫亭を出てからわずかの間に、シオニーがその匂いを察知した。
ひとまず爛漫亭を離れようとして移動したわけだが、気付けばいつの間にやら逃走者だ。
「誘導されてるみたいに進行方向にだけは敵の匂いはしないけど――」
位置が分かっていて迎撃に移らないのにも理由はあった。
向こう側が明確な攻撃を仕掛けてこないのだ。
加えて、『非戦組』も一緒に移動する中での全面攻勢はできるだけしたくなかった。
そういうわけで現状、この誘導に乗る形になっている。
「きっと自信家なのよ。この悠長な誘導は自分の先手の策が万が一にも崩れることを考えていないからじゃないの? もし奇策で反撃されて手薄な指揮官が狙われたらどうするのかしらね? まあ、今のところそんなハッタリめいた『奇策』なんて思い浮かばないんだけどね? ……んあー!」
プルミエールが不機嫌そうに鼻を鳴らしている。
アリスはプルミエールの言葉にうなずきつつ、さらに思慮を巡らせた。
「そうですね。自信はあるのでしょう」
この自信ありげな誘導攻勢の最たる理由。
――格下に見られている。
それはある意味仕方がないし、侮ってくれるのなら願ったり叶ったりだ。
だが逆接すると、
――ナイアスで何度か暴れた私たちを、格下に見れるだけの実力がある。
アリスはジュリアスの言葉を思い出した。
〈戦景旅団〉。
ジュリアスの話では相当に戦事に優れているらしい。
――匂いますね。
なけなしの情報を推測を重ねて集めていくと、その名がありありと浮かんでくる。
――あちらのギルドの長は、やはり矢を膝でぶち折るタイプの強者なのでしょうか。
仮にそうであればこうして多くのギルド員を使って自分たちを誘導するのにもある程度はうなずける。
反撃をたいして恐れていないのだ。
だからこれだけの戦力を悠長に使っていられる。
自分とは真逆の存在。
――ことごとく……私は脆弱ですね。
アリスはそんな言葉を胸中にぽつりと浮かべた。
◆◆◆
しばらくして、不意に上空からギリウスの声が降ってきた。
「あっ、この道はたぶんナイアスの外への道のりであるな。南東の国門に誘導されているようである」
「ああ、ならたぶん――セシリア姉さんだね。わざわざ広いところに連れて行こうとするところを見ると、その説が濃厚だ」
次いで、ジュリアスが集団の真ん中へと戻ってくる。
率先して周囲の警戒に乗り出していたが、それを切り上げてきたらしい。
少し息を切らしながらジュリアスが続けた。
「僕たちは『決戦場』へ誘導されているんだ。あの人は特に正面からの力の比べ合いを好むから」
「不意打ちだまし討ち上等の外道揃いな私たちにとっては天敵ですね。――正直真正面から殴り合いなんてしたくないんですが」
「でも、すでに半包囲されてるわけだし、現状では誘導に乗るしかない」
「先手を打たれ続けた結果の現状、というわけですか」
すると再び上方向からギリウスの野太い声が返ってくる。
「全くやりようがないわけではないのであるが、いかんせん、周りにまだ人やら建物があるのでなぁ。ここで暴れすぎるとジュリアスの言うアテム王国との『本戦』に支障をきたすかもしれないのである」
「ならいっそこの誘導に乗っかったまま『決戦場』とやらに行って、そこで暴れればいいんじゃない? ――愚王子、そのあんたの姉はあんたみたいに『周りの被害』とか『後々のために』とか考えるタイプなの?」
「特別ハイな状態になってなければそういう点にも思慮が行き届く人だよ。どっちにしろ周りから邪魔が入るのも嫌う人だから、少なくとも人がいる場所は選ばないと思う」
「分かったわ。――じゃ、決定ね。大人しく誘導されればいいのよ。話を聞く限り、そのセシリアとかいう愚王女は力比べの大好きな戦狂いの馬鹿なんでしょ?」
プルミエールはそこまでをなんともなくいうが――
「――なら、こっちの非戦闘員には手を出さないわ」
最後の言葉には並々ならぬ力が込められていた。
ジュリアスに「そうだわね?」と訊ねるような、それでいて断定するような物言い。
「その点は大丈夫だと思う」
ジュリアスも力強いうなずきを返した。
「そう」とプルミエールは妖しげな笑みを返し、さらに言葉を付け加えていった。
「まあ、もしこの子たちをダシに使われたら私も手段は選ばないけどね? ――その時は『謝る』わ、愚王子」
「なぜ僕に謝るんだい?」
ジュリアスは好奇心からくる笑みを顔に浮かべ、プルミエールに訊き返した。
プルミエールの妖しい笑みが濃くなる。
「もしあんたの姉が私の愚民兼子羊役に手を出すようなら、私は代わりにテフラ王国の住人を無差別に攻撃するわ? ええ、『人質』みたいなものね。あんたの姉が最低限の良識を備えた戦狂いならお互いに暗黙の了解は守るけど、もしそれがただの狂人であったなら――」
天使が宣言した。
「――私が全部滅茶苦茶にするから。だから一応、先に言っておくの」
プルミエールの目を見て、ジュリアスは思った。
――彼女なら本当にやりかねないかもしれない。
いや、間違いなくやるだろう。
予測が確信に変わる。
――彼女たちは嘘でも自分たちの仲間とそのほかの者の命を同列に扱わない。
身内を守るためならたやすく、その他を切り捨てることに徹することができる。
そういう者たちの集団だ。
そして彼らを選んだのは自分だ。
だから、
「分かったよ。その時は僕も覚悟を決める。そうなったら――お互いに進みたい方向へ進むことにしよう」
「そうね。きっとそれがいいわ」
「まあ、そうならないことを祈るよ」
「まったくね」
プルミエールは珍しく柔らかな微笑を浮かべ、その話をそこで切り上げた。