63話 「魔人と巨人」【後編】
初撃。
サレが行った。
異常な瞬発力でオースティンの懐に潜り込んだサレは、左足を大きく前に踏み込みながら右腕を拳に構えた。
足の裏を伝ってきた地面からの反発の力を、身体の流動性をもって右腕に集約し――撃ち抜く。
狙いは腹部。
――むせび泣け……!
拳に手加減はない。
剣を使わない代わり、全力で倒すと決めた。
サレの拳が風を纏って貫かれる。
しかし、次の瞬間には――
サレの拳はオースティンに払われかけていた。
拳が腹部に差しこまれる前に、払われかけていた。
振り抜いた右腕の外側から、腕を真っ二つに薙ぐような勢いでオースティンの『払い』が飛んできたのだ。
その払いが形容しがたい膂力を湛えているのを見て、サレは内心、
――ヤバい。
そんな焦燥を得ていた。
想像以上の速さだ。
――予想を上回られた。
身体が大きければ大きいだけ、その肉体を素早く動かすためには大きな力がいる。
だから『大きくて速い』を体現する者はそう多くない。
だが、
――馬鹿か。種族として根本から身体の作りが違うんだぞ。
高く、大きく、その身体を十分に動かすための筋肉も多大に。
誰もが身体の巨大さに釣り合う膂力を当然のように備え得るからこその〈巨人族〉だ。
――同じ領域で考えるな。
だが、理解したところでいまさら全力で振り抜いた拳をひっこめることもできずに――
メキ、と伸ばした右腕の肘辺りから音が鳴ったのをサレは聴いた。
繰り出した拳はオースティンの腹部に軽く触れたが、触れた瞬間に外側からの払いを受けて大きく左前方に投げ出された。
投げ出された腕の勢いに身体がつられ、体勢が左に傾く。
なんとか姿勢を元に戻そうと踏ん張りを効かせるが、それもつかの間、
「防御せねば首が飛ぶぞ?」
追い打つようにサレの右側面からオースティンの回し蹴りが飛んでくる。
オースティンの声を認識し、言葉の意味を捉えた頃には、その踵がサレの首を刈り取る寸前まで迫っていた。
避けるか、せめて防御をしなければ間違いなく首を持っていかれる。
そんな確信によってサレの胸は大きく高鳴った。
――右腕を。
防御のための最適位置にあったのは右腕だった。
強烈な払いを受けて肘に異常を負った右腕。
それを再び防御に使うのは気が引けたが――
「おんし、なかなか自分に厳しいのう」
サレは右腕で防御を行った。
右腕を首の横で縦に構え、回し蹴りへの防御とした。
さらに、その右腕を左腕で支える。
「っ――!」
だが、サレの身体はオースティンの猛烈な回し蹴りを受けてたやすく宙に浮きあがり――
支えを失った身体はそのまま左方向へ吹き飛ばされていった。
◆◆◆
――まあ、戦狂いには違いない。
オースティンは派手に吹っ飛ぶサレの姿を、回し蹴り後の肩越しに見て思った。
――魔人族……か。
オースティンはサレの種族を知っていた。
精確にはそれは予想であったが、〈サンクトゥス〉の名に聞き覚えがあった。
――じいさんのじいさんから耳にたこができるまで聞いた話が懐かしいわい。
『魔人族とは対峙するな』。
オースティンはそんな言葉を思い出す。
そのまま昔の思い出に浸りそうになったが、しかし今必要な情報ではないと切り捨てて、すかさず意識を現状に戻した。
――もっとたやすく勝利を勝ち取れる方法を持っているのに、あえて殴り合いとは。
魔人族の眼の力も、伝え聞いていた。
だから、あの小さな戦士が本気で自分を殺しに来れば、自分がここに立っていられないであろうことをオースティンは察していた。
「なかなかどうして、おんしも狂っておるな」
オースティンは自嘲染みた笑みを浮かべる。
ひとまず現状で殴り合いになっているのは、自分にとってはラッキーだ。降ってわいた幸運である。
だがそれでもなお、あの魔人には恐るべき武力の片鱗を見た。
――あの身体に、あの膂力で、あの戦闘センスか。
どうにも指示語が多くなるのは年のせいか。
ともかくとして、今の攻防である程度の力量把握はできた。
先ほどの拳は、払わなければ腹部を貫かれていたかもしれない。
払った腕に関しても、真っ二つに割くくらいのつもりで薙いだにも関わらず、あの体勢から勢いを殺された。
そしてなによりもあの曇りのない取捨選択だ。
負傷した右肘を防御に回し、苦痛と引き換えに即死を免れた。
極限状態でその選択を冷静に行えたのはそういう状況に慣れているか、本能的に命のやり取りに優れていたか。――あるいはどちらもか。
今さっき回し蹴りを喰らって身体ごと吹き飛んだのも、蹴りの勢いを殺すためだろう。
――うまく飛びおったなぁ。
見事なタイミングだった。
踏ん張れば腰骨ごと曲げてやったものを。
「と、まぁ年寄なりに色々と考えてみたんじゃが――」
戦狂いという表現も正しい。
だが、
「おんし、『死狂い』か、『生狂い』でもありそうじゃの」
オースティンはその場で問いかけた。
◆◆◆
オースティンの問いかけの直後、頭にいくらかの砂埃をつけたサレが教会隣の屋根の上に跳び戻ってきた。
派手に吹き飛んだわりに、けろっとしている。
そうして、こともなげにオースティンの問いに答えていた。
「矛盾してないか? それ」
「だから、どちらかじゃろ」
サレは黒髪についた砂ほこりを手で払いながらも、オースティンの一挙手一投足に目を光らせている。
「おんしの考えはたぶんこんなところじゃろ? ――『自分の体術の錬度を測るのにちょうどいい物差しを見つけた。ついでだからここで体術の向上も試みよう』」
オースティンが訊ねると、
「おお、鋭いね」
楽しそうな笑みを浮かべて、サレが返した。
「はあ、これはわしのギルドの者どもよりよっぽど壊れておるな……ジジイ、年配者として最近の危険な若者の行方が心配じゃ。――命を賭けて修練を積む馬鹿がどこにおる」
「ここにいるとも」
「やっぱり壊れとるな」
オースティンは額を片手で押さえ、またため息をついた。
「まあよい。それで、おんしはその『眼』を使わんのか?」
オースティンのその言葉を受けて、サレが目を丸める。
「俺、魔人族だって言ったっけ?」
「サンクトゥスの名で気付いたのじゃよ。やや間接的な因縁があってな」
「へえ」
「まあ、それはよい。わしの問いに答えてくれんかの」
「使わないよ」
サレは即答した。
「どちらも制限があるからね。もしあとになって使いたくなっても、その時点で燃料を使い切ってるなんてなったら使えないわけだし。切り札は最後まで取っておくべしって言うだろう。――じいさんからすれば腸の煮える思いかもしれないけど」
「いや、わしはそれでもいい。戦とはそういうものじゃ。必要と不必要、使用と温存の取捨選択、全て含めて戦術であり戦略じゃ。おんしが自らの選択を信じているのならば、とかくは言わん。言わんつもりじゃったが――」
「ただ、気になったのじゃ」オースティンは続けた。
「武器を自ら投げ捨てて、接戦に挑む理由を。こんな状況で自らを追い込む心理を」
死にたがりの狂人か、それとも、生きたがりの狂人か。
「もう一つ答えてくれんかの。――なぜこの状況で自らにさらなる試練を与える?」
オースティンは最も気になっていた点を素直にサレに問いかけた。
「これから生き残るのに、必要だと思ったからだよ」
「――ああ」
即座に返ってきた言葉に、オースティンは納得してしまった。
「失敗すれば死ぬかもしれんのにか? 死は怖ろしくないのか?」
「いやいや、怖いに決まってる。死にたくはないよ?」
小首をかしげるサレを見て、オースティンは思わず小さな笑みを漏らした。
「ああ、おんしは――『生狂い』の方じゃな」
オースティンはようやく疑問が腑に落ちた感じを得て、再び身体に構えを敷いた。
「生き抜くことに狂っているのもまた、壮絶そうじゃな」
「でも、もう死ぬのには飽きたからね」
笑いながら、サレも同じように身体に臨戦態勢を敷き、そして両者が同時に動き出した。
◆◆◆
右肘は折れていた。
見た目で分かるほどの折れ方ではないが、確実に傷として顕在化した。
肉弾戦で骨を折られたのは、アテム王国の王剣の将エッケハルトに骨ごとぶった切られたことを除けば久々だ。
――あれは剣だからカウントしない。
そういうことにしてある。
ともかくとして、魔人族の肉体を肉弾戦で壊すほどの力はさすがといったところだ。
自分の見たてに違いはなかった。
いい機会だ。
――と、ダメージを受けてもなお、悠々とこんなことを言っていられるのにも当然理由があって。
「もうくっついたからな……!」
「異族同士こういうのも心苦しいがのっ! おんしは別じゃ! この化物めっ!」
不思議と嫌な感じのしない形容を耳で捉えつつ、サレはオースティンの後背に高速で回り込んで、真後ろから脇腹を下から持ち上げるように殴りこんでいた。
短いアッパースイング気味の単打だ。
――アルフレッドに初めてげろ吐かせたパンチ……!
内臓目がけて一直線にねじ込む。
ねじ込めればいかに巨大な鉄塊の如き肉体でもダメージは入るだろう。
「ジ、ジジイになんてパンチ撃つんじゃ……!! 殺す気か!? いや、結構殺す気か!! そうじゃったな!!」
しかし、サレの拳は多少オースティンの脇腹にめり込みはすれど、すぐさま身体を回転させたオースティンの機転によって力が逃げ、ついには滑るように空を切る。
――その巨体で器用なことを……!
回転の力で攻撃をいなす。
字面にしてしまえば容易くも見えようが、この刹那で、しかも不意打ち気味の一撃をいなされるとなるとさすがに驚愕を浮かべたくなる。
――どうやって一撃を見舞う。
力でも、技術でも恐らく向こうの方が一枚上手だ。
体術一本で生きてきた強者に接近戦を挑んでいるのだから当然と言えば当然だ。
年の功という名の経験の差もある。
サレが次の一打に一瞬の迷いを得た瞬間、オースティンは即座に攻撃に転じていた。
巨体がサレの目の前に現れる。
踏み込みまでが想像以上に速い。
蹴りだ。
――中段、いや、フェイントからの上段……
ことごとく急所を狙ってくる。
サレは己の下した判断に身を委ね、上段蹴りに合わせて本命の防御を敷くことにした。
一応形だけ中段のフェイントに引っかかりつつ、力を抜いてすぐに上段への防御に転じられるよう備える。
予想通りオースティンの中段蹴りは途中で器用に軌道を変えて、側頭部狙いの上段蹴りにきり変わった。
――いなせる。
オースティンの膂力の度合いに、その肉体が織りなす速力にこちらの目と身体が慣れてきた。
――いなして、崩して、そこへ一発。
だが、サレの予想はすぐに裏切られる。
上段側頭部狙いの蹴りだと思った攻撃は、サレが縦に立てた腕のガードを躱すように形を変え、
「残念じゃな、わし、こっからでも形変えられるんじゃよ」
逆方向、斜め上からの振り下ろし気味のかかと落としになってサレの頭頂部へ襲い掛かった。
サレは咄嗟に逆方向からの攻撃に対処すべく左腕を顔の左上に構えたが、その腕の先端、指の先をかするくらいのギリギリのところを、オースティンのかかとが通過した。
ガードをすり抜けられた。
「くっ、くそがっ!!」
サレは最大級の悪態を言葉に乗せながら可能な限り迅速に回避行動を行った。
最大級の速度で頭を引っ込める。
ただそれのみだったが、
「すばしっこいのう。真上から振り下ろしておけばよかったわい」
結果として、髪を数本『切り落とされる』に留まった。
踵を振り抜いたあともなお、片足で立ちながら再び蹴り足をふらふらと宙に漂わせているオースティン。
対するサレは、
「こんな足場でよくもそんな器用な真似ができるな……」
いつの間にかヒビが割れたり、へこんだりして荒れ果てている教会の屋根を見つつ、そんなことを口の端に載せていた。
「傭兵業とかしてるとようわかるがな? まあ戦場ってのは大体足場がひどいもんじゃ。そこらへんに死体はころがっとるし、放り投げられた武器やらなにやらがひしめいていたりもする。激戦部なんてそりゃあもう滅茶苦茶じゃ。一応わしはそういうところでも戦ってきたからのう。ま、経験の差、年の功ってことにしておくとよいぞ。戦狂いはおんしだけではないからな」
サレはオースティンの答えに全面的に納得しながら、同時にそのオースティンを攻略する糸口を探していた。
幾度かの攻防から情報を収集し、分析し、予想する。
アウトレンジから速力に物を言わせて後背を取る戦法を、サレはよく取っていた。
今回もその事例に漏れず、数度そういった戦法を使ったわけだが、
――背後は取れる。速度は俺の方が上だ。足場の問題があってもその点は揺らがない。
そういった確信を得た。しかし、
――問題は、後背を取れても攻撃までにオースティンが反応できてしまうことだな……
驚異的だ。
後手に回りながらも自分の攻撃に反応し、凄まじい精度でいなしてくる。
経験の差、年の功とはよくいったもので、
――上手も上手だ。
後手に回り、後背を取られているというのに、なぜそうもたやすく攻撃をいなせるのか。
全く原理が理解できない。
ただ何となく、
――分析するだけ無駄な気もするなあ……
オースティンの顔を見て、そう思った。
「予測とか、計算とか、そういう類のモノに近くはありそうだけど……」
サレがつい言葉にして出すと、オースティンが、
「何考えてたのかなんとなく顔色で察するに――おんし、なかなか鋭いぞ。そうじゃ――」
巨人はわざとらしく胸を張り、腰に両手を添えて、ふんぞり返りながら、
「――戦いは勘とか感覚じゃ……!! やられてからなんとなくうまいこと対応すれば良いんじゃ!!」
言った。
対してサレは、
「やっぱりかぁ……」
自分の予想が見事に当たったことに一抹の喜びと、大きな切なさを胸に抱いていた。




