61話 「魔人と巨人」【前編】
「真っ先に行ったのはサレかの。相変わらず攻撃への反応が早いのぅ」
トウカは爛漫亭の三階あたりから黒い翼を生やしたサレが凄まじい勢いで飛んで行ったのを下から眺めていた。
自分たちはようやく爛漫亭の外に出たばかりだというのに、すでにサレは迎撃に動いていたのだ。
「まあ、アレは好きにさせたらいいじゃない。もともと『遊撃枠』なわけだし。あの愚魔人は片っ端から攻撃に反応してればいいのよ。そうやって誰よりも早くに接敵して、その敵を撃滅する『剣』なんだから」
トウカの隣にはプルミエールがいた。
白翼の状態を確かめながら、なんともなくそんな言葉を紡いでいる。
彼女の言葉はぞんざいにも聞こえたが、一方でその中にはサレに対しての信頼が含まれているように思えた。
続けてプルミエールはトウカに言う。
「大丈夫よ。アレはまだまだ愚かだけれど、戦事に関しては頼っていい愚か者だから。それに、ちゃんと生きて帰るよう行動なさいって、私いつもいってるし。――つまり私の高貴なアドバイスを聞いてるわけだから万が一にもしくじるようなことはないわ! そうね! ないわねっ!」
「そ、そうじゃな。いや、プルミの言う理由はよくわからんが、深追い等の心配はないじゃろ。サレもその辺はちゃんと分かっておるはずじゃ。形勢が悪くなれば迷わず逃走する道を選ぶじゃろ」
――気負い過ぎなければ、じゃがな。
内心で一言を付け加えたトウカは一旦大きく息を吐いた。
「さて、わらわたちも動きたいところじゃが――」
どこへ動くか。
どんな風に動くか。
それが問題だ。
加えて考えておくべきは先ほどの爛漫亭への弓撃にどういう意図が含まれているか。
すると、トウカの内心を察するように、外に続々と現れてきたギルド員たちの中からクシナが躍り出てきて、声をあげていた。
「サターナが受けた弓矢の一撃ってのは牽制か陽動ってとこだろ? 第二射が来てないからな。本当にその方法で殺るつもりならもっと派手にやるよな」
そんなクシナのやや疑問を含む言葉に答えたのは、海戦班長たるマリアだった。
トウカたちと同じく早い段階で外に出てきていたマリアは、その瞳を精霊眼独特の金色に彩りながら辺りに不自然な動きがないか視線を飛ばしている。
「でしょうねぇ。もしくは副長を『釣る』のが目的かしら?」
「あんまり有効な手段じゃねえな。サターナ以外が釣れることだってあるだろ。だから、誰か決められた個人を釣るのが目的なんじゃなくて、あわよくば何人かをこの拠点から引きはがそうって算段かもしれねえ」
「そうですねぇ、クシナの言うとおりかしら」
まだ二撃目は来ない。
たったの一撃だけだ。
動きがそれだけしかないため、速攻で迎撃に行ったサレを除くとギルド員たちは動きが取れない。
一方で、アリスを守るという一番の大義がある以上は、たった一発の弓撃でギルド員全員が釣られるのは愚の骨頂でもある。
つまり、動けないといよりもまだ動くべきではない、という方がその状況を説明するのに適していた。
「ともあれ、第二撃には準備しといた方が良いかの」
それまでの情報を総括し、トウカが言う。
その言葉に苦々しげに答えたのはアリスだった。
「ふむ……またこの爛漫亭が戦場になるのはどうにも良くありませんね。亭主にも申し訳がたちませんし」
アリスが顎に指をおいて考え込む仕草を見せる。
「いっそのこと――ここから移動してしまいましょうか。向こうだけこちらの拠点を知っているというのがそもそもの不利です。このまま囲まれて滅多打ち、なんてのは皆さん嫌でしょう」
アリスは続けた。
「ここは要塞ではありません。ただの宿泊所です。閉じこもって攻勢に対応できるような要塞兵器があるわけでもないですし、縮こまってジリ貧になるよりはマシでしょう」
加えて言えば、こちらが反撃の様子を見せなければ向こうはさらなる手を悠々と打って来るだけだ。
「うむ、アリスの言うとおりじゃな。ある程度は圧力をかけ返さねば嬲り殺しにされてしまうじゃろ。どこが手を出してきたかはわからんが、いずれにしてもこのままでは不利じゃ」
ギルド員が一斉にうなずきを見せた。
その様子を視覚のないアリスに知らせるように、アリスの傍らにいたプルミエールが言葉を紡ぐ。
「愚民どもはあなたの案に賛成したわよ、アリス。私もあなたの意見に賛成するわ。あなたのことは私がまた守ってあげるから――だから好きに動きなさい」
プルミエールは珍しく優しげな表情を浮かべ、アリスの淡い黒髪を撫でていた。
「感謝します、プルミエールさん。今回もお願いします」
「フフッ、素直でよろしい」
プルミエールは妖艶な微笑を浮かべ、さらに数度アリスの頭を撫でたあとで、次にギルド員たちをぐるりと見渡した。
それぞれの顔を見て、そして自分の意志のこもった視線をぶつけ、「よし、ちゃんと愚民してるわね」と謎の納得を浮かべたあと、大きく息を吸いこんだ。
「――いい? 分かるわね? あんたたちは『剣』であり『盾』であり、そして『鎧』でもあるの」
プルミエールの声はナイアスの街路に強く響いた。
頭の中にスッと入り込んできて、高らかな響きを生んでいく天使の声。
「あんたたちは敵を撃滅する剣であり、敵の攻撃を跳ね除ける盾であり、一繋ぎの鎧でもある。だから、誰一人として欠けてはならないわ。欠ければ鎧はたちまち脆くなるから」
天使は言い聞かせた。
誰一人欠けてはならないと。
「綺麗事じゃ物事はそう簡単にまかり通らないって『私たち』はよく知っているけどね。でも、知っているからこそ綺麗事を追い求めるのよ。――いい? あんたたちは絶望してもなお理想を追い求める愚か者でありなさい。断崖絶壁に立ってもなお、己に課した建前を貫き通す愚か者でありなさい」
最後に皆を安心させるような柔らかな微笑を浮かべ、
「そうすれば――少しは私みたいな高貴な者になれるわ!! フフッ! 完璧ね!」
天使は笑った。
「色々と無茶いいやがる」
クシナが苦笑を浮かべる。
少し楽しげな、少し嬉しげな、そんな苦笑だ。
「だがまあ――俺たちにはそんくらいがちょうどいいか」
クシナが答えたあと、さらに響く声があった。
シオニーの声だ。
「べつに私はプルミみたいになりたくはないけどな」
「あら、生意気いうのねシオニー? ……愚魔人にマーキングしたくせに――」
「わああああああああああ!! そっ、それとこれとは関係ないだろっ!? しかも今言うことかっ!?」
「フフフッ……!!」
シオニーが顔を真っ赤にしながらあたふたとする様子を見て、ギルド員たちが「よし、調子出てきたな」と緊張がほぐれたように腕をまわし始めた。
「はい、では締まったか締まらなかったか判断に困るところですが――」
プルミエールとシオニーが小競り合いを起こしはじめたところでアリスが一歩前へ出てきて、大きく音を立てるように手を叩く。
「――では、がむしゃらに前に出ましょう」
続けて紡ぐのは闘争への意志。
アリスの口から言葉が放たれた。
「まずは、この王権闘争に勝利を」
それに対するギルド員たちの反応は――
「勝利を!!」
活気に満ちた返事だった。
◆◆◆
サレは一足先に爛漫亭から飛び出、湖都ナイアスを跳躍していた。
もはやその跳躍は飛翔に近かった。
背部に展開された黒炎の六枚翼を羽ばたかせるたびにサレの身体に莫大な推進力が加わっていく。
まるで真っ直ぐに飛ぶ黒い砲弾のようだった。
サレは遠くから矢を放ってきた人型から目を離さずに、最短でナイアスを突き進んでいく。
二撃目に注意を払いつつ進み、ついにその人型の全容がつかめる位置にまで近づいた。
――でかいな。――異族か?
その人型は明らかにサイズが大きかった。遠目から見ても巨大であるとすぐに分かるほどの大きさだ。
〈巨人〉。
そう形容するのが一番正しいように思えた。
その巨人はこん棒のような太さの矢を片手に持っていて、同じく巨大な弓の弦にそれを乗せ、こちらに的を絞ろうとしている。
巨大な弓矢を引く腕には隆起した筋肉群。
その筋肉の迫力は筆舌につくしがたく、まるでそれ自体が別の生き物かのように脈動している。
足場にしているのはどうやら教会の屋根のようだった。
装飾味の強い派手な紋様や天使の飛翔図が、壁や窓ガラスに刻み込まれている。
「――っ」
そんな感想を胸中に得たところで、巨人が第二射を放っていた。
サレは自分の胴体を照準に凄まじい速度で迫ってくる矢を目視し、同時に背部の六枚翼を大きく羽ばたかさせた。
六枚翼からの推進力を真横に得る。
宙空で足場もなしに行う方向転換。
その軌道転換の直後、すぐ隣を巨大な矢が風切り音と共に駆け抜けていった。
サレは空中を横に移動しつつ、近場の屋根に器用に着地すると、それを足場に再び前への跳躍を行う。
――三発目は撃たせない。
サレはそこからさらに加速した。
――距離は十分縮まった。
矢による攻撃に気を配る必要がなくなる。
撃たれる前に接敵できると確信できれば、あとは最高速で一気に突き抜けるだけだ。
巨人が矢筒から矢を取り出そうとしているのが見える。
行くなら今だ。
そうしてサレは一気にその足に力を込めた。
黒の六枚翼は今まで一番派手に大気を打ちつけ――
サレの身体が異様なまでの速力を纏い、前に弾かれた。
そしてわずか数秒。
ついに接敵する。
第三射を装填しようとしていた教会上の巨人の元へ。
サレは勢い余る身体に制動を掛けながら、巨人と同じく教会の上に着地し、右手に持っていた皇剣の切っ先を向けて訊ねた。
「所属を聞こうか?」
永晶石の刀身が月光を反射して煌めく。
その光に照らされるようにして巨人の顔が鮮明に表れ、サレの瞳に映った。
後頭部で一本に結ばれた長髪と豪勢な顎髭に、しわという名の年季が入った顔。
身体が巨大であることを除けば、その辺の酒場にいそうな豪気な老人といったところだ。
一方で、その隆起した筋肉に覆われている鋼の如き身体は、とてもではないが老人のもののようには見えなかった。
すると、サレの観察の目が老人の身体に入ったあたりで、ようやく問いに対する答えが返ってくる。
「ほほう、中々やるのう、おんし。こりゃ大物が釣れたかもしれぬ。――おお、そうじゃったな、所属じゃったな。えーっと、わしは――」
老齢の巨人は頭をぽりぽりと掻き、
「あれ、所属どこじゃったかな」
言った。
「おいおい」
サレが自分の歩幅で七歩ほどを距離を開けた状態から、軽くツッコミを入れる。
老齢の巨人はあごひげを撫でながら「うーむ」と重々しい声で唸っていた。
「えーとな? もうちょっと待ってくれい。今喉元まで出かかっているのじゃ、喉元まで――」
サレが唐突に背筋に悪寒を感じたのは、老人がそこまで言葉を紡いだ直後だった。
サレは己の本能のままに、躊躇いなく後方への全力回避を行う。
そして――
――あっぶね!
後方へ跳躍する最中、自分の眼前を巨大な弓矢の矢じり部分が薙ぎ払われていったのを見た。
巨人が片手に矢を持って、一瞬のうちに踏み込み、その矢じり部分で攻撃を加えてきていたのだ。
教会の屋根のぎりぎりまで後退したサレは即座に顔をあげ、今起こったことを反芻した。
――油断も隙もあったもんじゃねえ、このジジイ!
隙だらけの考え込む仕草から、滑らかな動きでの攻撃姿勢への転化。
流麗過ぎて攻撃だと認知するのが遅れるほどの動き。
サレにとっての七歩という距離を、大股の一歩で一気に縮めてきたのにも驚かずにはいられない。
「おお! ――やはりやるのう、おんし。殺ったと思ったんじゃがのう……わしも耄碌したってことかの……ジジイ悲しい……」
両手で顔を覆ってしくしくと泣いて見せる老巨人。
だがその指の隙間からは耽々と隙を伺う眼光が走っていて、
「おい、二回目はないからな!」
サレは少しふてくされたように言った。
「おんし、結構厳しいのう。わしのギルドの小童共はもう少し気遣ってくれるぞい?」
「知るか、二回も殺気含んだ攻撃しといて談笑持ちかけるってのは虫がよすぎるぞ、じいさん」
「フォッフォ、それもそうじゃの」
巨人は大きく笑って見せて、そのあとに今度は大きく胸を張った。
巨大な身体がさらに大きく膨らむ。
直後、その巨体から強声が放たれた。
「わしは戦景旅団の一団員、〈巨人族〉の〈オースティン〉じゃ。王権闘争の大々的な開戦を受け、我らが盟主とその連帯王族〈セシリア第一王女殿下〉の命により、おんしらから勝利を奪いに来た!」
堂々たる名乗り。
続けて、巨人オースティンから声が放たれる。
「こちらも名を聞いておこう! 〈神域の王子〉の目にかなったギルドの者よ!」
その声に、サレもすかさず答える。
黒のマントを手で翻し、片手に持った皇剣の切っ先を高々と天に掲げ――強い意志の視線を向けて言う。
「〈凱旋する愚者副長、〈サレ・サンクトゥス・サターナ〉。残念ながら、勝利は渡せない。――代わりにあなたには敗北を差し上げよう!」
好戦的な笑みがサレの顔を彩った。