59話 「眼差しは空の玉座に」
第三王子レヴィが爛漫亭から去ったあと、ジュリアスはその場に残り、再び〈凱旋する愚者〉のギルド員たちと会談に及んだ。
爛漫亭一階の大広間。
大きな窓から燦々と差しこんでくる光に照らされた大広間には、ギルド長アリスと副長サレをはじめとして、各戦闘班の班長もそろっている。
それぞれは椅子に座ったり、床に座っていたり、仲間たちと談笑しながら壁に背を預けて立っていたり。
広間中央寄りのソファに座っているのはアリス、サレ、ジュリアスだ。
その周りにギリウス、トウカ、マリアが立ち並び、また少し離れた場所の特段豪奢な飾り付けソファにはプルミエールが一人で寝転がっていた。独占状態だ。
そんな光景もちょくちょく見慣れてきたところで、プルミエールに構うとロクなことにならないことを知っていたギルド員たちはすでにソファの独占には諦め気味である。
「さて、どこから動いてくるかなぁ」
ふと小休止の間を得たところでジュリアスがつぶやいていた。
王族会合に出席するために身に着けていた豪奢な外套はすでに脱いでいて、そこらへんを歩いていそうな住民と変わらぬ軽装姿だ。
とはいえ、美しい金髪と空色の瞳は格好に関係なく輝いていて、それだけで並々ならぬ雰囲気を醸しているのも確かであった。
「ジュリアスさん、私たちは結局あなたが〈空都アリエル〉でどのような大立ち回りをしてきたのかをまだ知りません。――まあ、一応の予想はついてますけどね? しっかりヒャッハーヒャッハーしてきたんですよね? ちょっと頭オカシイ感じで喚きたててきましたよね? 『僕が王様だぁ!』とか叫んできましたか?」
「ねえねえ、同意求めるのやめない? なんだか僕が同意しなくても風評被害を受けそうだけど、一応ちゃんと否定はしておくからね? ぼ、僕そんなヤバいやつじゃないよ?」
ジュリアスが額から汗を噴き出しながらアリスに嘆願するように言った。
「そうですか……」
「なんでちょっと残念そうなの!?」
「えっ……? だ、だって……ジュリアスさんはもっと頭のヤバい人だと思っていましたので……なんだか残念――ああいえそんな、内心で『ちっ、面白くない人ですね』とか『もっと身体張って笑えるネタ作ってきてくださいよ、使えませんね』とか思ってませんから……」
「あっ! 今僕の心が軋む音がっ! ああっ! これ以上は『ポキッ』ってなりそうだからやめて!」
言いながらジュリアスは周りのギルド員に助けを求めたが、ギルド員たちから返ってきた視線には売りに出される家畜を見るような悲愴感が乗っていた。
『共倒れは勘弁』『死ぬなら一人で死ね』『心の弱いやつから死んでいく』『さらばだジュリアス』目は口ほどに物を言う。
ジュリアスは彼らの胸中の言葉を精確にくみ取っていた。
「まあいいです。――ともあれ、大立ち回りをしてきたこと自体は知っています。なんといっても、聞くところによればサレさんは空から投げられた球のように落ちてきたと言いますしね。少なくとも穏便に事が済めばそんな笑える――いえ、悲惨な光景は繰り広げられなかったでしょうし」
「アリスさん、わざとですよね? 俺はそんなに笑えなかったんですよ? 結構下腹部のあたりがヒュンヒュンしたんですよ?」
その場にいた者は、アリスの口撃の標的がジュリアスからサレに移ったことを察していた。
サレはなんとか抵抗の意志を見せたが――
「いやはや、しかし私も可能ならばその光景を見たかったですねえ。最近はどうにも自らの視力のなさを恨むことが多い気がします。ああ、本当に……サレさんの一生モノの身体を張った『ギャグ』を見逃すなんて……」
「くそぉっ! 最近アリスの嫌味が露骨過ぎる……! 心が折れそうだ……!!」
追撃に心が軋んで、結局一人で跪いて悔しげに床を殴りつけた。
すると、ちょうどその頃になって、爛漫亭の玄関口から見慣れたサイズに戻った人型のギリウスが姿を現した。
「こうもサイズが切り替わると幾分混乱してくるものであるなぁ……あ、サレ、無事であったか?」
無邪気で快活な笑みを浮かべながら近づいてくるギリウス。
対するサレはギリウスの顔を見るや否や、
「でぇぇぇい!!」
素早い動きで近寄り、中段掌底をギリウスの腹部に叩き込んでいた。
「おうふっ!! ――であるっ!!」
ギリウスの両足が浮かび上がり、支えを失った巨体が爛漫亭の玄関口を逆方向に突っ切り、爛漫亭の向かいにある壁まで吹っ飛んで激突する。
爛漫亭が面している路地からまばらに悲鳴が上がった。
「虚しい! なんかすっごい虚しい! まるで気が晴れない!」
サレの叫びが残響した。
◆◆◆
「はい、では茶番はこの辺でよろしいでしょうか」
「僕前から思ってたんだけどさ、本題に入る前にこうやってワンクッション置くのって君たちのギルドのしきたりか何かなの?」
「いえ、別段しきたりなどというわけではないのですが……そうですね、馬鹿な方――あ、いえ、深刻な話が苦手な方が多いのでときたまこうやって駄々を捏ね――いえ、場をリセットさせようとしているのでしょう」
「ねえ、それ疲れない? その話し方疲れない? やめてもいいんだよ? 素直に言葉にしていいんだよ?」
サレが涙目でアリスに言う。
するとアリスは時が止まったかのようにすべての動きを一度止め、次にゆったりとした動きでサレの方へ顔を向けた。
そして低く重みのある声音で、
「本当に……よろしいのですか……? 本当に……素直に言葉にしても……?」
「えっ、う、うん……なんでそんな怖い顔なの……」
「……そうですか……分かりました。では試しに先ほどのジュリアスさんの問いに素直に答えましょう」
周囲からギルド員たちのごくりと息を飲む音があがる。数にして二十以上。ギルド員の半数が今なにか身に危険を感じた。
すでにアリスの表情は冷ややかなものに変貌していた。
目からは光が消え失せ、目蓋は半分ほど下がり、その盲目のジト目で周囲のギルド員をぐるりと見渡し、そしてついに口を開く。
薄いピンク色の小さな口が、徐々に徐々に開いていって――その喉奥から――
「ああっ!! やっぱダメだ!! 俺たちの心が折れる未来が見えた!! アリスの口の奥に悪魔がっ! 悪魔が見えた!!」
サレの絶叫のあとに「その表情だけで十分だ!!」「もうやめてくれ!! 今自分が死ぬビジョンが見えた!」「こんな人前で本気泣きはしたくない!!」というギルド員たちの悲鳴があがった。
「……そうですね。私もこんな場所で皆さんの息の根を止めてしまうのはしのびないと思っておりました」
――彼女は一体何をその小さな口から迸らせようとしていたのか。
サレは身体の奥から来る震えを抑え込み、大人しくソファに座ることにした。
「また僕が引いてはいけない紐を引いてしまったようだね……」
「ああ、お前はいつもそればかりだ、ジュリアス。そろそろ慣れろ。――でないとギルド員の心が持たない」
「気を付けるよ……」
両手両足を床につけて跪いている複数人のギルド員を横目でちらりと見て、ジュリアスは心の中で謝罪の言葉を述べた。
そうして場が落ち着いていくのを見計らってから、ジュリアスは話を戻す。
「――結果的に〈王権闘争〉は開始されたよ。一部王族は早々に辞退を申し入れてくれたけど、その他は残った。特に王女たちは誰一人退かなかったよ。彼女たちはこれから連帯ギルドと共に王権を手に入れるべく動いてくるだろう」
「そうですか。では私たちはその生き残った王族とそれに組する連帯ギルドの相手をすればいいのですね」
「そうだね。他にも込み入った懸念がないこともないのだけれど、ひとまずはそれで良いと僕も思うよ」
「他の懸念ですか。少し気になりますね。一端だけ聞いておきましょう。まったく情報がないのと多少情報があるのでは物事の捉え方も変わって来るでしょうし」
アリスはジュリアスのいう懸念を気に掛けた。
しかし、当のジュリアスはその瞬間に自分の懸念をこの場で言うべきかどうか迷った。
ジュリアスが喉元で押さえ込んでいた懸念は、サレにはすでに伝えてある懸念でもある。
今回の王権闘争にはアテム王国が関わっている可能性がある。
確証がないからこそ、迷う。
そしてさらに言えば、〈凱旋する愚者〉がアテム王国と因縁深いからこそ、迷うのだ。
〈異族討伐計画〉の被害者たち。
ここで自分がアテム王国という単語を口走ったら、果たして彼らは冷静でいられるだろうか。
ジュリアスは予想する。
体裁として、彼らは冷静さや常日頃の剽軽さを保つだろう。
外面に変化を載せはしない。
少なくとも、現状で笑いを浮かべていられる状況から察するに、彼らはそうした不穏な色を隠す術には長けていると見ていい。
――決して激情型が居ないとは言わないけれど。
ともかくとして、彼らはアテム王国という単語を冷静に受容する。
しかし実際の心の内は判断しきれない。
近頃親交を深めてきているとはいっても、彼ら個々人の心中を察せるほど深い仲ではないし、何より自分と彼らには決定的な違いもある。
滅びを強いられた者たちの胸中はもとより自分には汲みとれないかもしれない。
言うか、言わぬべきか。
激情に駆られた彼らが突発的な行動を起こす可能性がないとは言い切れない。
そんな逡巡が、わずかな時間の間にジュリアスの脳内を駆け巡った。
すると、正面でジュリアスの表情を見ていたサレがふと告げる。
「ジュリアス、言えばいいよ。例の話だろう? さっきは口が滑ったのかもしれないけど、それが故意であったにしろ事故であったにしろ、すでに俺はお前の言う懸念を聞いてしまっているんだ。なら皆にも聞かせた方がいい」
サレはジュリアスの逡巡の理由を見抜く。
対するジュリアスは、
「……そうかい。悟らせてしまうとは僕の失態だなぁ」
してやられたと頭を掻いていた。
「ジュリアスは結構顔に出るからな」
「次からはもっとうまく仮面を被ろう。――ちなみに、なぜ言った方がいいと思うの?」
ジュリアスはすでにサレの言葉を受けて懸念を皆に話すことを決心していたが、あえてサレに理由を訊ねてみた。
サレは訊ねられると大きく胸を張り、黒尾を大きく左右に振りながら答える。
「その方が俺が気兼ねなく発言できるからな!」
「ああ、なるほど、考えながら話すのが面倒なだけなんだね!」
「そうとも言う!」
自慢げに鼻を鳴らして言っていた。
「はあ……真面目に悩んだ僕が馬鹿みたいだ……」
「案ずるな、ぬしもだいぶ馬鹿じゃぞ。タイプは違うがな」
すると話を聞いていたトウカが「カカッ」と笑いながら口を挟んだ。
「そういうわけで、ぬしの懸念を聞こうか、ジュリアス? わらわたちも馬鹿ゆえに好奇心に忠実じゃから、ぬしの懸念を聞くまでしつこいぞ?」
「分かった分かった、言うとも」
ジュリアスが苦笑して言った。
◆◆◆
ジュリアスは、サレに説明したのと同じように、今回のテフラ王族騒乱にアテム王国が関係しているかもしれないという自分の予想を話していった。
ギルド員たちはひとまずのところ冷静にジュリアスの言葉を受容していた。
少なくとも外見上はそう見えた。
感情を爆発させてジュリアスの言葉を遮ったのでは話の腰を折る事にも繋がる。
それを理解していたがゆえの我慢でもあったのだろう。
そして、
「と、まあ、こんなところなんだけど……」
ジュリアスが全てを話し終え、息を大きく吐いた後に周りのギルド員たちに視線を滑らせていった。
周囲のギルド員の反応を観察しているという点ではサレも同様であった。
観察に回る二人が同時に心中に抱いたのは、
――半々、だな。
そんな感想だった。
一に、顔を顰める者。
アテム王国に対する嫌悪感からだろうか。
単一の表現では事足りないだろうが、根底にあるのはそんなところだろう。
二に、残忍な笑みを浮かべる者。
嫌悪感以上に復讐心が勝っている者だ。
復讐の対象がわざわざ寄ってきた、とでも考えているのだろうか。
それを見て、サレは自分自身に問いかけていた。
――なら、俺は?
自分はどちら側なのだろうか。
サレは口元に手を添え、自分の口角がどんな風に歪んでいるのかを確かめようとした。
「複雑な表情をしているね、サレ」
しかし、確かめる寸前でジュリアスに声を掛けられ、咄嗟に手を引いた。
「俺は――笑っているか?」
「どうだろう。笑みとはまた違う気もするけど、高揚はしていそうだね。〈神を殲す眼〉の術式紋様が薄らと浮き出てきてるよ」
「――そうか」
サレはジュリアスに言われ、目元を手で覆った。
そのまま再び内心で考えるように黙り込む。
少ししてサレからあがったのは、自分に言い聞かせるような声だった。
「あくまで予想。あくまで可能性の一端だ。――頭には入れておくにしても、それにばかりかまけるわけにはいかないな」
サレの声に、ジュリアスが反応する。
「そうだね。――皆も、その点は理解してくれ。僕はアテム王国との戦も視野には入れているけれど、その機会はここじゃない。今はテフラ王国を統合することが先決だ。もちろん、その最中に彼らが何らかの動きをこちらに向けて起こした来たのなら話は別だけど――今のところはそういう動きは見られない」
「――そうね。まだ確定した事項じゃないもの。今からピリピリしても仕方ないわね。――あ、でも私の視界にあいつらが映ったら私は全力で愚物を潰すけどね? フフッ……!! いいわ!! 私の高貴さを知らしめるのには絶好の機会ね!!」
プルミエールが白翼を見せつけるように大きく広げ、甲高い声で言った。
「ああ、見つけたら殺してやる。絶対に、この世から消してやる」
ドスの利いた声音で呟くのはクシナだった。
「そうだね。もし視界に映ったら、またその時に考えよう。だから今は――」
繋げるのはサレだった。
そして、そのサレの言葉を締めるのはギルドの長。
「ええ――この王権闘争をさっさと終わらせてしまいましょう」
アリスが最後に皆の意志を統一した。