5話 「魔人が哀哭した日」
激情で発動させた〈殲す眼〉が及ぼした破壊の影響は、想像以上に大きかった。
視覚が途切れ、意識も途切れ、次に目を覚ました時、目の前には瓦礫の山が広がっていた。
サンクトゥス城も、地面に横たわっていた家族たちも、全てが壊れた。
その地面さえも奇妙なかたちに抉られていて、ようやく自分が激情にまかせて起こしてしまった惨状に気がついた。
「…………アッハッハ」
乾いた笑い声しか上がらない。
自分が寝転がっている地面だけが無事だった。
アルフレッドやリリアン、そしてその他の魔人族の遺体も全部、消えていた。
「――自分がなにをしたかわかってんのかよ」
乾いた笑い声のあとに、自分を責めるような言葉が口から紡ぎ出でる。
――わかってるよ。
見ていたくないから、全部壊れてしまえばいいと願ったんだ。
「俺自身の、独善的な思いによって――」
彼らは死んでいた。
そのうえ、さらに、俺は彼らの骸をも壊した。
「そうだ。――俺が彼らを壊したんだ」
自分を育ててくれた家族たちの骸を。
――俺が、納得したいがために。
俺は頭のどこかがおかしいのだろうか。
でなければ、骸といえども、彼らの躯を、そして思い出がつまったこの城を、壊そうとはしなかったはずだ。
普通なら、墓でも作ろうとしたのだろうか。
「――違う」
俺は納得できなかった。
俺の視界に入った光景の全てを――否定したかった。
「――そうだ。それでいい」
――独善的であれ。
「自分のことだけを、考えていればいい――」
ハハハ。
……。
――そんなこと、
「――出来るわけないだろう…………」
◆◆◆
ずっとその場で寝転んでいるのは楽だった。動きたくなかった。
浮かんでくる考え事に、ただじっとして思考を巡らせる。
なぜ、アルフレッドやリリアンがあっけないほど簡単に、簡素に、俺を旅に送り出したか。
そういえば、と冷静に働き始めた頭の中で言葉を紡ぐ。
アルフレッドが持たせてくれた荷物の中に、何か入ってないか。
◆◆◆
「……やっぱりあった」
ビッシリと備品がつまっている荷物の中から、薄い日記帳を見つけた。
表紙には「サレへ」とだけ書かれている。
俺は震える指先に力を入れて、その日記帳を開いた。
書かれていた内容は衝撃的で。
それでいてどこか確信的で。
俺の頭は書かれていた内容をすんなりと受け入れてしまった。
日記はこんな言葉からはじまっていた。
『サレへ。この文章を読んでいる頃には、森を抜けてイルドゥーエの外の大地に立っているのかな。もしかしたらもう夜になっていて、どこかに宿を取ったりしているかな』
そんな書き出しだった。
『ここには君の出生に関することが書かれている。僕たちが独自にまとめたものだ。二年前から、僕たち一族は交替で純人族の領地へ潜入して、情報を集めていた』
だから、アルフレッドたちは急に自分たちの訓練をしはじめたのか。
『結果、君の素性が確認できた』
その一文を読んで、嫌な胸の高鳴りをおぼえた。
――知りたい。
知りたいけれど、
でも、知ることで何かを失ってしまうかもしれないと、漠然と予想してしまった。
結局、俺は意を決して次のページに視線を走らせた。
『最初に言おう』
息を飲む。
『――サレ、君はたしかに魔人族だった。――僕たちと同じ、魔人族だ』
――ああ……よかった…………
心底ホッとしてしまう。
『ただ、君の魂はさまざまな陰謀に絡めとられていた。縛られていたといってもいい。君は言ったね、俺には赤子以前の記憶がある――と。その記憶はほとんど壊れていて曖昧だけど、確かに何度も死んだ、殺された、と』
……。
『君の出生の秘密は――イルドゥーエ皇国の西にある純人族の一国家〈アテム王国〉にあった。イルドゥーエの隣国だ。実のところ、魔人族が最後に臨んだ戦が、〈アテム王国〉との戦だった。もっとも苛烈で、もっとも悲しくて、もっとも魔人族を奪った戦だ』
俺の出生が、どういう風に純人国家に関わっているのだろうか。
『君には何度も言ったかもしれないけど、まだ魔人族が多く存在していた頃、イルドゥーエは主権をもった皇国だった。イルドゥーエ皇帝がいて、対外主権を持ち、確かな国家としてこの世界に存在していた。その頃から、アテム王国を含むいろいろな国と戦っていた魔人族だけど、特にアテム王国は魔人族の滅亡を率先して望んでいた。理由はさまざまあっただろうけど、今はおいておこう』
〈アテム王国〉――か。
『そして、どこよりも魔人族の滅亡を望んでいたアテム王国は、はるか古に、ある〈計画〉を立てていた』
――計画?
『魔人族と何度も交戦していたからこそ、アテム王国は魔人族の強大な力を熟知していた。個人の力量が違いすぎることを理解していた。だから、ある時からアテム王国は――』
◆◆◆
『――魔人族を作ろうとした』
『アテム王国に忠実で、従順な魔人族を』
『魔人族を滅ぼすための、魔人族を』
◆◆◆
『計画の第一段階は魔人族の躯を手に入れることだった。数百年前に、アテム王国はある魔人族の〈躯〉を確保した。そしてさらに数百年の膨大な時間を掛けて、骸となったその魔人族の〈躯〉を、術式によって再生させることに成功した』
――馬鹿な。
そんな術式が可能なものか。
『膨大な時間と、莫大な数の術師の一生を糧に、それを可能にしてしまった』
――狂ってる。
『魔人族の躯は再生し、器として、武器としての力を取り戻した。次に、アテム王国はその器に入れる〈魂〉を作ろうとした』
その言葉を視線がなぞって、ふと鼓動の音がさわがしくなった。
『その魂のもとが――』
――……
『――サレ、君だった』
――ああ……
『アテム王国は再び大規模な術式を使い、君の〈魂〉をどこかから召喚した』
――あまりに狂気的だ。
『君は違う世界からきた誰かだったのかもしれない。彼らですら、それを知らない。ただ、そういう術式としか認識していなかった。そしてアテム王国は、どこかから呼んだその魂を――歴代のイルドゥーエ皇帝の中に無理やり押し込んだ』
入れた。
どうやって。
『アテム王国は、魔人族生成とはまた別に、魔人族を滅ぼすことに特化した純人を育てていた』
……。
『その純人は、魔人族を滅ぼすとまではいかないまでも、イルドゥーエ皇帝の前でなんとか立っていられるくらいの力はあった。だから、その者に君の魂を持たせ、相対と同時に術式でイルドゥーエ皇帝の中に魂を押し込めるように、仕込んでおいた。こんなにも複雑で、大半を天運にまかせるような手段が――成立した瞬間だ』
でも、なぜ?
そもそも、なんですぐに器に魂を入れなかった?
『なぜわざわざそういう過程を経たか。少し抽象的だけど、それは彼らが呼んだ魂自体をも、強靭にしておきたかったからだとおもう。歴代のイルドゥーエ皇帝という魔人の皇の中に魂を入れ、徐々に魔人族の躯に順応させようとした。同時に、その肉体に染みついた〈戦いの記憶〉を引き継がせようとした』
戦いの、記憶。
『どれほど器が優れていても、相手は同じ魔人族だったから。別の箇所で既存の魔人族を上回らなければならなかった。そして彼らは、その方法に確信をもっていた。器に魂が癒着する前なら障害なく魂を取りだせることを、実証をもとに知っていたんだ。実際に最初は、魂を器に入れたらしい。でも、その時に癒着と分離の法則に気づいて、慌ててこういう手段を計画に差し込んだのだろう』
でも、
『君は結局〈歴代皇帝〉の戦いの記憶を引き継がなかったから、失敗に終わったみたいだけどね』
歴代イルドゥーエ皇帝の躯に魂を押しこみ、躯の記憶を引き継がせようとした。
だが、彼らの目論見は失敗に終わった。
そのことは俺が一番よく知っている。
それを引き継がなかったことを、知っている。
――ざまぁみろ。
そんな言葉が脳裏をよぎった。
『ともかく、いきなり別の精神が躯に入ってくれば、隙が出来る。対魔人族に特化したその者たちは、たちまちその隙を突いて歴代皇帝を殺しにかかった。どうせなら歴代皇帝を滅ぼしておきたいと思ったんだろうね。そして、彼らはイルドゥーエ皇帝を殺した。でも肉体と十分に癒着していなかった君の魂は、肉体の死につられることがなかった。つられたのはイルドゥーエ皇帝個人の魂。君は死の苦しみを味わうだけで、魂が消滅することはなかった』
まるで歴代皇帝の魂が俺の身代わりになったかのような状況だ。
俺の魂が邪魔をしなければ、彼らは生き残ったのだろうか。
『引き継いだか引き継いでいないか。それを確認する術は君の意識が覚醒すること以外になかったから、彼らはその方法を取り続けた。そうして出来あがった――あるいは、壊れていった君の魂を、ついに器に入れたのが十八年前のこと』
◆◆◆
魔人族を滅ぼすための魔人族が――完成した日。
◆◆◆
『だけど、唯一、最後の最後に、そこまで完璧だったアテム王国が予想だにしなかった出来事が起こった。君が器に入れられ、覚醒した瞬間、君は赤子のままでなんらかの手段を講じ、アテム王国から逃げ出した』
俺の記憶の中に、そんな出来事はない。
『これは僕の予想だけど、歴代イルドゥーエ皇帝の魂の残滓が君の魂にほんの少し付着していたのかもしれない。覚醒した瞬間、それまで君が入れられてきた歴代イルドゥーエ皇帝の魂の残滓も同時に覚醒し、君を助けるために器を借りて策を講じた。――まあ、これは僕の憶測さ。希望といってもいい」
……。
『――僕たちがつきとめた情報はこのくらいだ。本当はもっと細かい事柄に関しても調査したかったけど、最近アテム現王にアテム王城への侵入が発覚して追われる身になったから、これ以上はきびしいかもしれない』
……。
『最後の出来事や細かな事柄についてもっと知りたいなら、アテム現王に直接聞くのが一番手っ取り早い。でも、僕はそれを君に望まない。君はアテム現王に追われている。僕たちの大切な家族が危険にさらされるのは、本望じゃない。だから、あえて君に復讐を頼んだりもしない。でも、ここからそれを決めるのは君自身だ。君がやりたいようにやるといい。最後に、まとめよう――』
◆◆◆
君は――初代イルドゥーエ皇帝の〈躯〉を持ち、歴代イルドゥーエ皇帝の〈魂〉に触れ、最後のイルドゥーエ皇帝アルフレッド・サンクトゥス・サターナに育てられた〈魔人族〉だ。
◆◆◆
『もしこれを見ても、君はイルドゥーエに戻ってきてはいけない。アテム現王に見つかってしまったからには、きっとイルドゥーエはアテム王国に襲撃されるだろう。でも、僕たちだってタダで滅ぼされはしない。僕たちが一番恐れているのは、君がイルドゥーエに戻ってきて、その挙句、アテム王国に連れ去られることだ。君は僕たちの光で、生きる意味で、守るべき家族なのだから。君が歴代皇帝の遺児だからというわけではないよ。たとえ君が純人族の子だったとしても、サレがサレであることに違いはない。――君は君だ。君こそが僕たちの家族』
「なんだよ……そんな大事なこと……いまさら言いやがって――」
『最後に、現実的な話をしておこう。もし僕たちがみんなアテム王国に殺されていたら、結果的にアテム王の悲願は虚しくもおおよそ叶ったことになる。魔人族を滅ぼしたいという彼の悲願は。僕たちがいなくなってしまえば魔人族は君だけになるからね。アテム王が君をどうしようと思っているか、二つの予想がたてられる』
一つ。
『君が魔人族として強大な力を秘めていることに変わりはない。もともとアテム王は君を魔人族を滅ぼすための戦力として使おうとしていたくらいだから、また別の目的で軍事利用しようとするかもしれない』
二つ。
『最後の魔人族である君を異分子と認めて、抹殺しに来るかもしれない。いずれにせよ、アテム王は君を放ってはおかないだろう』
終わりに。
『さっきも言ったとおり、君がどうするかは君次第だ。君は最後の魔人族として、独善的根拠に基づいてでも、好きなように行動していいんだ。僕たちの仇を取る必要もない。――君との日々はとても楽しくて、幸せだったよ。――それじゃあ、気をつけて。行ってらっしゃい、サレ』
紙に涙が落ちて、斑点を描いていく。
血の涙ではない、透明な雫が。
全ての説明を聞いて、俺はさまざまな疑問に答えを見出していた。
何度も死に直面した理由。
俺の精神は歴代イルドゥーエ皇帝の躯に入れられ、そのたびに殺されたから。
尻尾が生えた理由。
俺の躯は初代イルドゥーエ皇帝という古の魔人族の躯だから。
アルフレッドたちが急に訓練を始めた理由。
俺のためにアテム王城に侵入しようとしていたから。
アルフレッドやリリアンが旅に出るように促してきた理由。
アテム現王がイルドゥーエを襲撃すると予想していたから。
みんなが俺を守ろうとした理由。
俺を――――
◆◆◆
【その躯はお前にくれてやる。躯の方も、お前の魂に感応して独自の変化を遂げているようだしな。それはすでにお前のものだ。私に気兼ねする必要はない。――魔人の誇りを胸に、強く生きよ――私の息子よ】
【なんとか奴らを出し抜くことができたわね。これで私たちの最後の望みは全うできたわ。あとはあなた次第。――いずれ会うその時まで、健やかに――私の息子】
【アテムとの戦の最後に俺の躯ン中に入ってきやがったのはお前か。邪魔されたのは頭にきたが、それがお前の意志じゃなかったんならしかたねえ。今回は許してやる。だがな、どうせなら当分こっちには来るなよ? 今こっちに来られると、しかたねえとは思いつつ、ふとした拍子にお前を殴っちまいそうだ。――まあ、元気でな――俺の息子】
【貴様は我の遺児であること、そして魔人族であることを誇りに思うがいい。――優雅に生きよ――我が息子】
◆◆◆
躯の底から、いくつもの声が響いてきて――
◆◆◆
【申し訳ありません。全ての家族を守ることが、僕にはできませんでした】
【末代のイルドゥーエ皇帝よ。お前が気に病むことではない。お前はイルドゥーエ皇帝として出来る限りを遂行した。たった一人の私たちの息子を、お前は守り抜いたのだ】
【私たちも初代様と同じ気持ちよ、アルフレッド】
【ありがとうございます、初代様、歴代様】
【私たちは先に行く。――さらばだ、息子よ】
躯の中から、確かに在った何かが抜けだしていく感触があった。
【僕たちはサレの心の中にいるよ。もうここにはいられないけど、君が覚えていてくれれば、僕たちは君の中で生き続ける。でも、それに縛られなくていいんだ。好きなように生きてくれることが、僕たちの望み。元気で――僕たちの息子、サレ】
「アルフレッド……!」
最後に一つだけ、温かい何かが残っていて――
【行ってらっしゃい、サレ】
自分が泣いていた時に、いつも優しく抱いてくれた人の温かさだ。
「リリアン……!!」
最後に残った、何かも消えた。
◆◆◆
抜けだして行く魂たちは泪に姿を変えて、地面に吸い込まれていった。
俺はそれを救いあげることも、止めることもできなくて。
生まれたばかりの赤子のように、無様にも泣きじゃくった。
『好きなように生きろ』
仄かな独善性を含んだ優しい言葉が、いつまでも心に残っていた。
―――
――
―
序章終。