58話 「偽悪的マスカレイド」【後編】
「俺さ、ジュリアスが結構険しい顔で言うからさ、ヤバイ奴なんだな、とか思ってたわけだよ。――それがこの有様ってどういうことなの?」
爛漫亭の大広間に集まった面々の中で、サレがレヴィを指差しながら言葉を紡いでいた。
一方のレヴィはサレに指を差されると、身体をビクリと反応させてジュリアスの背に隠れた。
がたがたと震えながら覗き込むように様子を窺っている。
「怖い。あの人怖い」
「レヴィ兄さんは兄弟の中でも特に『役者』っぽいというか、なんというか。いや、馬鹿なのは否定しないけどね?」
「馬鹿とはなんだい、馬鹿とは!」
「おい、うるさいから黙ってろ」
「ひぃっ!」
――実はちょっと楽しい。
「レヴィ兄さんはこのとおりへたれなんだけど、部分部分で無駄に果敢なところが露見しちゃう人で、『今こんなことしてる僕カッコイイ!』とか『こんな風に振る舞えたらカッコイイだろうな! 試しにやってみよう!』とかを地で信じて行く人だから…………あの、説明してる僕が恥ずかしくなってきたからこれ以上は察してくれないかな?」
ジュリアスがうなだれながら言う。
「つまり、あの飄々とした余裕も、妙な女たらし風味も、その謎の美学に則って演じられた姿ってわけ?」
「美人は本当に好きだよ! だからギルドもかわいこちゃんが多いところを選んだんだ!」
「お、おい皆! ここに馬鹿がいるぞっ!! 俺たち以上の馬鹿がいるぞ!!」
サレが言うと、辺りから「おお! これが稀に見る俺たち以上の馬鹿か!」という大歓声が起きた。
しかし一方では「わらわはあんな馬鹿に手こずったのか……」という悲歎に暮れる声もあった。
「レヴィ兄さん、影武者も僕がバラしちゃったから、あとでエルサ姉さんあたりに付け込まれるよ? ――いや、もう闘争を辞退したのなら問題はないか……はあ……」
ジュリアスは自分の背に隠れるレヴィを一瞥した後、嘆かわしげにため息をついた。
そんなジュリアスにサレが再び訊ねる。
「でもジュリアス、お前が『第三王子は天空神の力に耐えうる』って言ってたくらいだし、能力的には十分なんだろう?」
「そうだね。ただレヴィ兄さんの神族は戦闘にはあまり向いていないんだ。神格術式同士の競り合いは借り入れた神族の力の格さえ近ければある程度は防げるから、レヴィ兄さんなら耐えたと思うけど」
「なるほど」
「ディオーネも本気じゃなかったからね」
「あれでか」
「あれでだよ」
一息つき、ジュリアスが続ける。
「レヴィ兄さんの契約している神族は大体が自然や創造を司る系統の神族でね。話を聞く限りサレは見たらしいけど、〈水神〉、〈土神〉、〈風神〉とか。他にも農業系神族や料理系神族とか……」
「おおう……」
前者はともかくとして後者はなんとも素朴な印象を受ける。
「水を操る神格術式は見たけど――」
サレはふとそこで気になったことがあって、疑問の声を浮かべた。
「そういえば水神を呼んだ際の加護はなんなの? 〈舞神〉みたいに加速したりしないの?」
「ほら、兄さん、そろそろ自分で答えてよ」
「え、えー……」
ジュリアスの背に隠れていたレヴィが、ジュリアスの促しに従ってビクビクと顔を出しながら、サレの問いに答えた。
「その……水神の加護は……あの……触れた水を浄化するっていう加護で…………」
「……」
「えっ、なんか僕悪いこと言った!?」
サレの顔が一瞬にして苦々しげに変化したのを見て、レヴィが身体をビクつかせた。
「ついにで訊くが、土神の加護は?」
「ふ、触れた土に栄養を補給できるようになる……」
「ああっ!?」
レヴィの言葉の直後に響いたのはサレの声ではなく、少し離れたところで話を聞いていたクシナだった。
我慢できないとばかりにこめかみに血管を浮かばせ、レヴィに鋭い視線を飛ばしている。
「お、落ち着けクシナ! 俺も気持ちは分かる! すごく分かる! 超分かる!」
サレはひとまずクシナの肩を押さえて「どうどう」と諌めた。
「な、なんなのこの人たちぃ! 美人なのに怖い人ばっかりじゃないか! ジュ、ジュリアス! お前何か怖いことされてないか!? 困ったら兄ちゃんに言えよ!?」
ジュリアスにしがみつきながら言うレヴィは、傍から見れば甘いマスクのいかにもな貴族坊ちゃんという風情で、サレはそれを見てため息をつくしかなかった。
「はぁ……くそ、我ながらため息が多いな。一体誰のせいだ……。――ジュリアス、お前が言っていた『早々に戦意を折れる相手』ってのはこの第三王子で最後か?」
「うん、そうだよ。だから他の王族は連帯ギルドも含めて闘争らしい闘争を仕掛けてくるだろうね」
「私としましては他の皆さんもこの方と同じくらいだと本当は助かるのですけどね」
すると、そこへアリスがやってきて、レヴィを一瞥した後にいつものソファに腰かけた。
レヴィもアリスの登場に気付き、その姿に一度見惚れた後、ジュリアスに訊ねていた。
「この人は……?」
「〈凱旋する愚者〉のギルド長だよ、兄さん」
「こ、こんなかわいい人が!? ――こんな外道だらけの!?」
「いやはや、かわいいと言われてしまいました」
無表情で言うアリス。
動きはわざとらしく演技ぶっていて、頭をぽりぽりと掻いて照れる仕草だが、顔の演技は適当だ。
「レヴィ、それは違う。この中で一番性質が悪いのがこのアリス――いだだだだだ!」
サレが身を乗り出していった瞬間、机の下でそのつま先にアリスの踵が落とされていた。
まるで見えているかの如きクリーンヒットだった。
サレの台詞は自分の悲鳴に遮られる。
「なんです? どうしたのです? サレさん、いきなり悲鳴をあげないでください。びっくりするじゃないですか」
無表情を装いつつも、ピクピクと口角が上方向に震えてる。
――な、なんて絶妙に憎たらしい表情だ!
その笑いかけの表情を隠せる技量を持ちながら、『あえて隠さない』あたりがもっと憎たらしい。
サレは内心で毒づいた。
「そ、そうか。僕はこんな苦労の絶えなさそうな人のギルドに攻撃を仕掛けてしまったのか。もっと考えてから行動するべきだった……」
「そうです、苦労が絶えないのです」
「どの口が言う――おうっ!! 脛は結構痛いぞアリス……!!」
「苦労が絶えないのは事実ですよ?」
――ま、まあ間違ってはいないんだけど……あなたもわりと楽しんでる内の一人ですよね? そうですよね? アリスさん!?
「なんだか姉さんたちの闘争の空気に流されてしまって……慣れないことはするものじゃないね、ジュリアス」
「もともと兄さんに争い事は向きませんよ」
「でも一度でいいからこうやって野心家っぽく振る舞ってみたかったんだよ。いっぱい王族がいる中で、王位継承権のために争い、そして勝利する! カッコイイよね! 男のロマンだと思うよ! 戦って王位をゲット! そこからなんだか没落気味だった王国を再建! んー、いいね!」
「なにいってんだコイツ」ギルド員たちからそんな言葉が漏れた。
ただサレだけは「やべえ、ちょっとわかるわぁ……」とうなずいている。
「テフラは没落してないですよ、兄さん。不吉なこと言わないでください。――そうやって謎の人物に成りきった挙句、なんだかんだで僕の言うことも聞きませんでしたしね」
「ごめんよぉ、ジュリアス、許しておくれぇ」
「僕よりも実害を被った〈凱旋する愚者〉の皆と、そんな兄さんに付き合わされた連帯ギルドに謝るべきじゃないかな」
「分かった! 一人一人に謝って来るよ!」
レヴィの『素』は清々しいまでに素直だった。
すると、レヴィは一人で立ち上がり、いきなりその場で大きく頭を下げた。
「申し訳なかった、皆さん」
突然の謝罪に、大広間に集まったギルドの面々は面食らったように「お、おう」や「あ、いえ、こちらこそ」などと良くわからない反応を示した。
「普段外道染みてるだけあって真摯に謝られると対応に困るんだな、こいつら」サレがそんな言葉を浮かべて得心した。
すると、最後にレヴィはサレの方に向き直り、
「あ、あの……ごめんなさい」
「ん? あ、ああ、なんかこちらこそごめんなさい」
「お前も同類じゃねえか」とギルド員たちから声が飛んでくるが、サレはそれを極力無視することにした。
その後、レヴィはさらに軽傷を負ったギルド員のもとまで訪れ、一人一人に丁寧な謝罪をしていった。
「ねえ、ジュリアス、テフラ王族ってホントに血繋がってるの? 怪しくない? ねえねえ? 全然王女たちと違くない? レヴィのやつすっげえ良いやつじゃん。いや馬鹿だけどさ?」
「ま、まあ母親は違うからね……きっとそこが大きな違いになったんだろうさ……」
ジュリアスは眉間を指で押さえながら絞り出すように言葉を吐いた。
「次はかわいこちゃんたちにも謝らないと。僕を慕ってくれるのを良いことにつらい思いをさせてしまった」
〈凱旋する愚者〉の面々に対する謝罪を終えたレヴィがサレとジュリアスのもとに戻ってきて、ふとそんな決意を浮かべていた。
サレがレヴィの言葉を聞いて、思い出したように訊ねる。
「ちなみにレヴィの連帯ギルドってどんなギルドなの?」
「ん? ああ、僕の連帯ギルドは〈傍に仕える者〉ってギルドでね。〈メイド道〉を極めんとするかわいこちゃんたちによって結成されたギルドさ!」
「ああ!?」
「ひっ!」
再びクシナの怒声がどこから飛んできて、レヴィは身をすくませた。
見れば十歩に満たない距離にクシナの姿があった。
肩元で切りそろえた白い髪を左右に揺らしながら、じりじりとレヴィに近づいてくる。
そんなクシナを止めるべく、サレは彼女の前に躍り出て、
「ど、どうどう。――ほうら、猫じゃらしですよお。フフッ、こんな時のために暇を見つけて作っておいたんだぜ! ほら! 猫じゃらしですよーう」
懐から先端に毛玉がついた棒を取り出し、クシナの前でちらつかせていた。
しかし、
「おい、サターナ、ぶち転がされてえのか」
凄まじい勢いで振り下ろされたクシナの手刀が、猫じゃらしの胴部を鋭利な刃物で切り裂いたかのように叩き斬った。
「んああっ!! 自前の猫じゃらしがッ!! せっかく作ったのに!! 俺不器用だから結構苦労したんだぞっ!!」
サレの悲鳴が広間に木霊した。
「あ、あの……」
両膝をついて床に転がった猫じゃらし(自前)の残骸を眺めながらガックリとうなだれるサレに、レヴィがおもむろに近づいていった。
そしてその肩を慰めるように数度撫でて――
「猫じゃらしを作るなら胴部はもっと柔らかい素材にした方がいいよ。その方が動きも大きくなるし……あ、そうだ、今度僕の庭から良い素材を持ってきてあげるよ! ね? だから元気出して?」
「ああ……レヴィ……お前は話が分かるやつだな……!! 過去のことは水に流して友達になろう!」
「おい!! あの馬鹿どもなんとかしろよ! なんかむかつくぞあいつら!!」
急に芽生えだした友情に対してクシナが苛立ったように声を飛ばしていた。
◆◆◆
「なんか、いざ今回の王権闘争から辞退するとなると暇になるなぁ。カイム兄さんも辞退を宣言しているんでしょ?」
「ええ、今は率先して政務をこなしてくれています」
「カイム兄さんが政務に携わっているなら僕の出る幕はなさそうだなぁ。一応助力を申し出てはみるけど……」
「ならレヴィ兄さん、僕から少し頼まれてはいただけませんか?」
「何をだい?」
レヴィがサレと共に『新型猫じゃらし』について相談していると、ジュリアスがその輪に加わって話を切り出していた。
「兄さんに湖都ナイアスの南西の敷地を使っていくらかの農作物を作って欲しいのです」
「農作物? これまたどうして?」
「この闘争が終わった暁には、テフラ王国は本格的にアテム王国と戦争状態に入るかもしれません。そうなれば危険を避けようとする商人たちがナイアスから離れ、それが原因で経済物資が減ってしまう可能性がある。国内物資の大半を彼ら行商に依存しているテフラ王国は、それだと瞬く間に衰退してしまう。それは問題です。装飾や家財ならまだしも、食糧関係の物資が減るのは非常にまずいのです。加えて言えば、それを見越した商人たちが王国相手に値段をつり上げて取引を持ちかけてくるかもしれません」
「どっちにしても僕たちには不利な状況だね」
「ですから、今のうちに多少の蓄えを作っておきたいのです。レヴィ兄さんなら短期間でも効果を挙げることができるでしょう? 水神や土神の自然系神族に加え、農業系神族とも契約している兄さんだからこそできることです」
その実、ある方面に関してレヴィは天才的才能を持っていると言っても過言ではなかった。
それが戦闘に向いていないだけで、持ちうる神格者としての能力は別側面から見れば誰もが欲しがるレベルのものである。
レヴィが空都アリエルの自宅内に作っている『庭』はその方面の学者に〈神の庭〉と呼ばれていて、相応に有名だった。
見たこともないような種類の樹や美しい花、香しい作物類が共棲しつつ、理想的な状態で保管されているらしい。
それは水神の加護や土神の加護、さらには上位の神格術式によってなせる御業だった。
「そういうことなら僕にぴったりだね。危険もなさそうだし、かわいこちゃんたちも手伝ってくれるそうだから、やってみるよ」
レヴィは柔らかな笑みを浮かべてうなずき、ジュリアスもその笑みにつられるように笑う。
――ちょっと兄弟が羨ましい。
その様子を見ていたサレはそんなことを思った。
「じゃあ、早速準備に掛かろうかな。土台を作るのは早い方がいいからね。あとこの爛漫亭のコックさんが僕に料理を習いたいって言ってたから、時々顔を出すよ。その時にサレの猫じゃらしの素材も持ってくるから。また何かあったらその時言ってね」
サレは神でも見るかのような目でレヴィを見つめ、大げさに手を擦り合わせた。
「ジュリアス、お前は本当に良い兄を持ったなぁ……」
「そ、そんなに大げさに言わなくても……」
若干ヒき気味のジュリアスだったが、
「まあ、同意はするけどさ」
『良い兄』という点にはしっかりと同意を示していた。
「ああ、お前は運に恵まれている。俺の周りは外道ばっかりでな……」
「お前がいうなよ!」という声が四方八方から飛び、
「じゃ、またね、サレ」
レヴィはそんな状況に笑いながら爛漫亭を出て行った。