57話 「偽悪的マスカレイド」【前編】
「カッコイイ剣だねぇ、それ」
サレは右手に〈サンクトゥスの黒炎〉を纏わせ、左手に皇剣を握っていた。
対する第三王子レヴィはサレの持つ皇剣を見て悠然と感嘆の息を漏らしている。
その言葉尻が空に掻き消えたと同時、サレの身体は高速で前へと弾かれる。
レヴィの視線さえも置き去りにして、魔人が超人的な速度でレヴィの側面に回り込んでいた。
まずは左手の皇剣を一振り。
狙いは無難に首元だ。
八分ほどの力で横薙ぎに振るう。
「残念。ただの攻撃は俺には通らない。――この国ではね」
そのことはサレとて知っていた。
予想どおり、近頃で見慣れた法神テミスの神格術式陣がレヴィの首横に広がり、皇剣の刀身を受け止めた。相も変わらず反則染みた自動防御だ。
しかしサレの動きもそこでは止まらない。
術式の起動言語を口ずさむ。
「薙ぎ払え、〈改型・切り裂く者〉」
術式装填。
皇剣が青白い魔力燐光を噴き出し、その身を長大に伸ばす。
「君は魔術式を扱うのか。青い光――実に美しい光だ」
レヴィは巨大な力の波動をたたえるサレの術式兵装を横目で眺めるが、まだ悠然とした様相は崩さない。
余裕の笑みが顔に揺蕩い、男ながらの美貌を彩る。
その笑みを視界に捉えながら、サレは内心に思った。
――その笑みを、ぶち壊してやる。
サレの心の奥底に残忍とも形容しうる黒い感情が渦巻いた。
それはどちらかといえば悪戯心から来る程度の些細な感情だったが、サレの振るう力はその程度の戯れ染みた感情でさえも魔人の技として顕現させる。
サレは流れるような動作で身体を横に回転させ、レヴィの身体を支点にぐるりと彼の背後に回り込んだ。
背合わせの状態。
回り込みの途中で刀身を短めに凝縮させた〈改型・切り裂く者〉を逆手に持ち、振り上げ、自分の腰の横を通して背中側へ刺しこむ。
切っ先がレヴィの背へと差し込まれる。
だが、またしてもその部分に法神テミスの神格防護陣が展開され、バチバチという音を弾けさせながら〈改型・切り裂く者〉を打ち止めた。
「何度やっても変わらない。俺が『神格』にある限り、君の攻撃は届かない」
レヴィはサレが後ろ側に回り込んだことに一瞬遅れて気付き、言葉を発しながら振り向く。
彼が異変に初めて気付いたのはその時だった。
「あれ?」
振り向いた先、すでにそこにはサレの姿がなかった。
レヴィが疑問を浮かべた瞬間、再びレヴィの後背で音が鳴る。
神格防護陣と皇剣がせめぎ合う音だ。
サレがまたしてもレヴィの裏に回り込んで〈改型・切り裂く者〉を打ち付けていた。
「だから、何度やっても――」
音に釣られ、レヴィが振り向く。
だが――
いない。
またしてもサレは振り向いた先にはいなかった。
確かに剣は打ち付けられている。
テミスの神格防御が自動で反応しているからこそ、術式剣とせめぎ合い、きりきりと身を削るような音が鳴っている。
だから近くにはいる。
すぐ近くにいるはずなのに――
レヴィはサレの姿を捉えることができなかった。
◆◆◆
「恐ろしい攻め方をするのう、我らが副長は」
「何をどうしたらあんな残忍な考えが思い浮かぶのでしょうねぇ……」
トウカとマリアが呆然と立ち尽くして状況を見ていた。
二人の目にはサレの動きが見えていた。
立ち回りを演じている二人から離れていたからこそ、見えていた。
サレがひたすらにレヴィの視界から外れるように彼の後背へと回り込んでいる姿が。
皇剣を打ち付け、それに反応してレヴィの身体が動作する瞬間に、それを上回る異常な速力で再び後背に回り込んでいる。
首は右か左、どちらかにしか回らない。
右に回ればその視線を掻い潜るように左に移動し、左に回れば右に回り込む。
ただそれの繰り返し。
しかし、
「後発からの動きでそれを完璧にこなすとは。まさしく異常な観察眼と速力じゃな」
見てから回り込む。
言葉にすればたやすいが、それを現実の動きとして確立させるのはあまりに難しい。
「サレにはわらわたちの心配なぞ不要じゃなぁ……注意を促す必要もなかったか」
トウカが苦笑しながらつぶやいた。
「一対一にすると手がつけられませんねぇ、うちの副長は」
マリアもいまさらながらに痛感していた。
魔人族が魔人と形容される所以を。
その異常なまでの戦闘力を。
レヴィがそこらの武芸者よりは手練れであることは自らが手を合わせて実感している。
もちろんそれは神格術式という神の御業を体得していることを含めての総評だが、それにしても目の前の戦闘はあんまりだ。
力の差が如実に表れすぎている。
「サレがときたま口の端からこぼす過去の馬鹿みたいな修練内容も、あながちウソだと思えなくなってきたところじゃ……」
「ですねぇ……」
二人はしみじみとして頷き合った。
◆◆◆
――見えない。見えない……!
レヴィはもはや反撃するという動作さえ忘れ、ただひたすらにサレの姿を追っていた。
振り向けど振り向けど、剣を打ち付けてくる男の姿は見当たらない。
姿のない亡霊に取りつかれているのではないだろうかと、そんな錯覚さえ感ぜられてくる。
「な、なんなんだこれはっ……!」
レヴィはついに悠然とした様相を捨てて、思わずその場から大きく駆けだした。
その場に留まっているから見えなくなっているだけだと、そんな確信を得たゆえの移動。
だから大きく距離を離そうとした。
しかし――
「ひっ!」
駆け出したと同時、背部からこれでもかと乱打の音が弾ける。
がちん、がちん、がりがり。硬質な音が背後から鳴る。
後ろを振り向きたいが、同時に振り向きたくもない。
もはや前を向いて走る事すらままならなかった。
神格防御があるという確信の安堵が、後背からの斬撃音によってかき消されていく。
姿が見えないことがなによりも恐ろしげだ。
亡霊のようだ。
もしかしたらこのテミスの神格防護陣をも、亡霊の透質性によってすり抜けてきてしまうのではないか。
レヴィの想像力は、悪い方向に作用し始めていた。
「ハハッ、ハハハハハ! ほら! 何か手を打て! 打てる手があるのなら今打たねば後悔するぞっ!」
不意に後方から喜色を含んだ声が飛んでくる。
「その腰に佩いた剣は飾りなのか? 他の神族の力は? 多重契約しているんだろ?」
――そうだ。俺は何を防戦に手をこまねいていた。
「っ――水面に宿れ、〈水神セストス〉!!」
レヴィは近場にアレトゥーサの碧水が流れている水路を見つけ、思わず近寄った。
そうして手を水につけ、神の名を呼ぶ。
瞬間、アレトゥーサ湖の碧水面に神格術式が広がり、一瞬にしてその碧水の群が数メートル上空へ立ち昇った。
宙に舞った碧水は無重力に浮く水のように柔らかく形態を変え、その身を針のように変化させる。
直後、周囲一帯に膨大な量の『水の針』が降り注いだ。
レヴィはその攻撃のあとに自分の後背で剣が打ち付けられる音が止んだのに気付き、攻撃が成功したと言う自負を得る。
――やった!
勝利を確信し、勢いよく振り向く。
――が、
「ハハハハ! 今のは悪くなかった! ほら、次だ! 次はどうするんだ!」
そこには無傷の魔人の姿があって。
その背部でけたたましい轟音を鳴らしている『黒炎の六枚翼』を目にし、レヴィは血の気を引かせた。
「な、なんなんだ君は――」
降り注いだ碧い水の針はその黒炎の翼にすべて遮られていた。
「『魔人』、『化物』、なんとでも呼ぶがいいさ。――さあ、また俺と踊ろう。俺はいつまでだって踊れるぞ。あと何分でも、何時間でも、何日でも! お前に剣を打ち続けよう! 斬撃を放ち続けよう! 何回でも何十回でも何百回でも何千回でも! もしかしたら法神テミスが気を抜いて一度くらい剣が素通りするかもしれない!」
――なんて恐ろしい考え方をするのだろうか。
レヴィは心臓が浮き上がるような感覚を得ていた。
「それまで、いつまでだって剣を振り下ろし続けよう! だから踊れ! 俺の前で踊り続けろ! ――死ぬまで踊れ!!」
楽しそうな笑みを顔に載せ、魔人が高らかに叫んだ。
「く、くそっ! なら次は土神に――」
レヴィはその喜色に彩られた魔人の顔が恐ろしくなって、とっさに迎撃の動きを開始していた。
再びその場に屈みこみ、その手を地面につける。
石面の地に〈土神〉の神格術式を描く算段だ。
しかし、その悠々たる神格術式の描写を、サレは許さなかった。
「なんだその動きは! お前は馬鹿なのか! なんでそう悠長に敵の目の前で術式を描写する! 法神の神格防護があるから安心しているのか!? ――それは間違いだ! いいか、そんなもの俺はいつだって壊せるぞ!」
石面に展開されかけた術式陣の前に、サレが近づいて言葉を紡いでいた。
「昇華しろ――〈サンクトゥスの黒炎〉」
そして、サレが〈サンクトゥスの黒炎〉を装填させた右拳を術式に叩き付けた。
瞬間。
パリン、と音を立てて展開されかけていた術式が割れ――
「ば、馬鹿なっ! 『僕』の神格術式が――!」
レヴィの悲鳴が街路に響いた。
◆◆◆
――よし、うまく『昇華』した。
術式を解析した甲斐があった。
サレはレヴィの神格術式陣を〈黒炎〉で食いちぎれたことを確認し、実は内心で安堵を得ていた。
王族会合の日、出立前にぎりぎりで黒炎の術式要点を掴んだ。
神格への『昇華式』がどこに仕組まれているかに関する要点を。
――時間がなくて試せていなかったけど。
今、この瞬間に確信する。
読みは正しかった。
違和を覚えた流動性回路の一つをいじると、サンクトゥスの黒炎は『神格炎』へと変化する。
そして今解析済みの部分だけでも『三つ』、その流動性回路がある。
まるで鍵のようだった。
一つその鍵を回すごとに、どんどんと格が上がっていくらしい。
ただし難点もあった。
神格を上げれば上げるほど、『自分の魔力』まで吸い取られていくのだ。
――お前、俺の魔力まで吸い取ってるよね。
心の中で黒炎に言う。
体感的であるがゆえの確信。
大部分の燃料は千年に渡って封入された魔人族の魔力燃料で代替が利いているが、格を上げれば上げるほど、それと共に自分の魔力も吸い取られていく。
――〈祖型・切り裂く者〉の魔力燐光が黒くなった時になんとなく察してはいたけど……
黒炎を右腕に封じているせいか、黒炎自体の燃料と自分の燃料が強く癒着してしまっているらしい。
〈祖型・切り裂く者〉のような多量の魔力燃料を使う場合には向こう側の燃料が『補助』するように流入してくるし、〈サンクトゥスの黒炎〉を使う時にはこちら側の燃料が向こう側に引っ張られるように流出している。
魔力光色の変化をしっかりと変化として捉えておいてよかったと、サレは内心に思った。
知らないで連発していたら速攻で倒れかねない。
――まだ改良を加える余地がありそうだなぁ。
体裁は好戦的な笑みを浮かべつつ、しかし内心では冷静に次への課題を見つけていた。
――さて。
そろそろレヴィへの威嚇も十分だろうか。
恐怖に恐怖を突きつけて、その意志を根元から折る。
戦意を刈り取って、心を折る。
そのためにわざわざ狂気的な好戦者を演じ、こうして回りくどい追い込み方もした。
だが、レヴィの顔を見る限り、そろそろ締めの時間だろう。
サレはそう思って、再び『演技』に集中した。
◆◆◆
「それは神格術式なのか!? なぜ術式が解けるんだ! ぼ、僕の術式がっ!」
いつの間にかレヴィの一人称が『俺』から『僕』へと変容していた。
身に纏う雰囲気からも悠然さが完全に消え去り、代わりにあたふたと焦燥するへたれた雰囲気が顕れる。
サレはレヴィの問いにあえて答えずに、おもむろに〈改型・切り裂く者〉をレヴィに打ち付けた。
「ひぃっ!」
振り下ろした先にすかさず法神テミスの神格防護陣が広がる。
するとサレが左手で術式剣を振り下ろしたまま、〈サンクトゥスの黒炎〉を纏った右手を神格防護陣の前に揺らめかせた。
「なあ、どうなると思う? 今さっきお前の神格術式を割ったこの右手で法神の神格防護陣に触れたら――どうなると思う?」
レヴィはサレの言わんとすることを徐々に理解していって、その顔をみるみると青ざめさせた。
「あっ、うあっ……」
サレは黒炎を纏った右手を突きの形に整え、現在進行形で〈改型・切り裂く者〉と競り合っている神格防護陣に向けて振り抜く。
一秒と待たず、パリン、と音を立てて防護陣が砕け散り、抑止の力を受けなくなった〈改型・切り裂く者〉が凄まじい勢いでレヴィの首元に迫った。
「ひっ!」
レヴィの息が引っ込む。
対し、サレは寸でのところで皇剣を引き、レヴィの首元で制止させた。
ギリギリの制止だ。
自分の首がまだ胴体から離れていないことを知ったレヴィは、ついに緊張の糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
そんなレヴィと目が同じ高さにくるようにサレはしゃがみ込み――
「どうする? まだやる?」
言った。
「も、もう負けでいいです……」
「そっかぁ……もっといろいろ考えてたんだけどなぁ……」
「もう勘弁してください……」
決着がつく。
「まあいいや。ジュリアスの意気には添えただろうし」
命を刈るのではなく心を折る、というジュリアスの方策。
命を刈ってしまえばそれはテフラ王国の防衛力の喪失に直接つながる。
絶対とは言わないが、できる限りは戦意を刈って――『生かしてくれ』。
それがジュリアスの願いだった。
――なかなか無理難題を押し付けてくれるよ、ジュリアス。
ひとまず今回はそれらしくできた。
次がどうなるかは分からないが、今回は及第点としておこう。
そんな実感を得て、サレはトウカとマリアのいる方向へ振り向いた。
「よし、ともかくまずは一人だな」
「サレ……ストレスでも溜まっておるのか?」
「私でよければいつでも相談に乗りますよ……?」
二人の美女に何故か心配をされた。
◆◆◆
その後、サレたちは詳しい話を聞くためにレヴィを爛漫亭に連れて行った。
爛漫亭に帰り着くと、同じころに空都からジュリアスが戻ってきていて、レヴィが襟首を摘ままれて運送されている姿を見て一声を上げていた。
「あー……やっぱりこうなったかぁ……」
なにやら納得した風で頭を抱えている。
「そっちはどうだったんだ?」
サレは頭を抱えているジュリアスに、まずは空都でのエスターとのやり合いに関して結果を訊ねた。
無事に爛漫亭に戻ってきたところを見ると負けはしなかったようだが――
「うん、完全に勝負がついたわけじゃないけど、一応の区切りはつけてきたよ。あとはギルドを含めた闘争で勝てば文句は言われないんじゃないかな。――たぶんだけど」
「でもエスター兄さんだしなぁ」などとジュリアスは後付けする。
「そうか。まあ、そっちの詳しい話も気になるが、今はこっちの話の方が先決だな。ちなみに訊くが、この第三王子ってもしかして――」
「あっ! ジュリアス! ジュリアスじゃないか!」
すると、サレの言葉を遮るように、レヴィが声をあげた。
襟首を摘ままれた状態で唐突に身を起こし、ジュリアスに抱きつきにいく。
「お、おいっ、暴れるんじゃねえ」とレヴィの襟首を摘まんでいたギルド員が声をあげるが、その時ばかりはレヴィの引っ張る力が強かったらしく、もろとも引っ張られていった。
「助けてジュリアス! 怖い人たちに連れていかれる!」そう言いながらジュリアスに抱きつくレヴィを見て、サレがさきほどの続きを紡いだ。
「もしかして――ヘタレ?」
「あ、うん……そういう形容が一番似合うだろうね……」
ジュリアスが苦笑でレヴィを受け止めながら、そう返した。