53話 「王族聚合」【後編】
「それで、ジュリアスの主張はやはりいつも通りなのかな?」
エスター第六王子を諌めた〈カイム第二王子〉が、静寂の隙間を縫ってジュリアスに言葉を投げかけた。
「はい。今は王族が団結してその統治力を活かし、早々に〈アテム王国〉に対する防衛力を整えるべきです」
「しかしだね、ジュリアス。ニーナの言うとおり、現に何者かによって我らの長兄である〈キアル第一王子〉は殺されているんだ。犯人が何者か、という厳密な推理はおいておくにしても、王族を害せる者が近くにいるという事実は見逃すわけにもいかないだろう?」
「カイム兄様の言うとおりだよ。もしかしたらこの中に犯人がいるかもしれないじゃん。あたしはやだね、こんな状況で手を組むなんて」
カイムの言葉にニーナ第四王女が同意を示す。
さらにそこへ、エスター第六王子が言葉を付け加えた。
「それに、陛下自らが王位を賭けの景品に差し出した以上、今回の闘争はアテム王国とは関係なしに遂行されるべきだ」
「……」
ジュリアスは兄姉たちの声を聞き、即座の返答をせずにあえて沈黙を呈する。
その脳裏では思考が巡っていた。
実際、闘争さえ終えてしまえば正式な王位継承者が生まれ、同時にナイアスの主な構成組織であるギルド群にも一定の統率がとれる状態になる。
防衛力を育てるという自分の目的に、一応は合致する体勢だ。
だが、そのためには今回の王権闘争という面倒なやり合いを経なければならない。
加えて、その闘争のせいで王族間に新しい因縁が生まれる可能性もあるし、下手をすれば誰かがいなくなる可能性すらある。
――それはだめだ。
テフラ王族は神格者として一定以上の実力を持っている。
その貴重な戦力を自国内のいざこざで浪費してしまうのは愚行だ。
「もし統一までの間に防御が手薄になることを懸念しているのなら、いっそ今のうちにナイアスのギルド群に対して王族から命令を出してしまえばいいんじゃないか?」
ジュリアスの思考の途中に別の王子から声が飛んでくるが、
「彼らは軍隊ではありませんよ。そもそも厳密にはテフラ王国に帰属する存在でもありません。命令というのはいささか違うと思いますが」
ジュリアスが即座にそれを否定した。
「だがギルドとてテフラ王国という領土に無条件で住まわせてもらっている身だ。対外国との戦の時くらい、その対価を支払うのが道理というものではないか?」
「果たしてそんな命令をギルドが聞きますかね。――いいえ、十中八九聞かないでしょう。彼らにとってテフラ王国は融通の利く住みやすい大地ではありますが、命をかけて守るほどの価値を認めているかについては首を傾げたくなるところです。確かに湖都ナイアスのギルドには異族も数多くおり、そして彼ら異族は純人族と比べて住める大地が限られてはいますが、必ずしもそういった大地が全くないというわけではありません」
だったら、とジュリアスが繋いだ。
「分が悪ければ彼らは逃げればいいのです。そしてこの広い世界のどこかに住める大地を探し出し、そこに定住すればいい。わざわざテフラ王国のために命を懸けて戦う必要なんてない」
サレはジュリアスの言葉を後ろで聞きながら、仮面の下につい苦笑を浮かべてしまっていた。
――そのとおりだよ、まったくもって。
新たな定住可能地を探すのに苦労はするだろうが、死ぬよりはずっとマシだ。
言うとおり、分が悪ければ逃げればいい。
天秤は闘争ではなく逃走へ、たやすく傾くだろう。
結局、ギルドは王国帰属の軍隊ではないのだ。
アリエルに住まう一定以上の地位を持つギルドはともかく、湖都ナイアスで好き放題をしているギルドはまずテフラに命を賭すほどの帰属意識は持っていない。
ナイアスのギルドはあくまで王国の領土を借りる代わりにその内的発展に尽くしている協同者であって、王国そのものに忠誠を誓っているわけではない。
当然、テフラ王族に忠誠を抱いているわけでもない。
ギルドそのものは流浪の商人的気質によって保たれているといってもいいかもしれない。
「ではどうしろと言うのだ。今から王国騎士でも育てろと言うのか?」
別の王子からまた声があがる。
「いいえ、命令ではなく『取引』をすればいいのです」
あらかじめその質問を予想していたかのように、ジュリアスが間髪を入れずに答えた。
「彼らは商人的気質によってこの国に居を構えています。だから、その商人的気質の部分に訴えかければ良いのです」
その言葉に真っ先に反応したのは〈セシリア第一王女〉だった。
「ならばジュリアス、ギルドの防衛力を借りる対価として、私たちは何を差し出す」
有無を言わさぬ鋭い眼光を視線に乗せてジュリアスに問いかける。
対するジュリアスはその眼光を真正面から受け、臆すことなく返した。
「『湖都ナイアスの統治権』を」
ジュリアスの声が飛び、会議の間に冷たい沈黙が走った。
誰もがその言葉を即座に理解できなかった。
それぞれの脳裏で何度か反芻し、ようやく――
「馬鹿なッ!」
〈エスター第六王子〉の怒声があがった。
「王国の領土をどこの誰とも知れぬ者に渡せというのか!!」
「必要とあらばそれ以外のものでもいいでしょう。あくまで例えです。しかし、彼らが求めるのならばそれすらも対価に支払うべきだと僕は考えていますよ。よいではありませんか。僕たちテフラ王族は〈空都アリエル〉ならまだしも、〈湖都ナイアス〉の統治にはあまり関わってこなかった。いまさらその領域の統治権を分け与えたところで、テフラ王国自体に大した損害は見られないでしょう」
「王族の統治が――いや〈王国法〉による調停が行き渡らなくなれば、湖都といえど混沌の災禍に呑まれるかもしれないんだぞ!」
「いいえ、アレはもはや湖都には必要ないものです。王国法という強大な執行力をテフラ王族が振りかざすことによって湖都の秩序が乱されることはあるとしても、その逆はありません。現に、王族がでしゃばらなくとも湖都はそれなりの秩序を維持してきた。僕は自分の目で湖都の内情を観察し、そういう確信を得ました」
ジュリアスが一息つき、また大きく息を吸って続けた。
「話を戻しますが、今この部屋にいる各王族の連帯ギルドはテフラ王国のギルド群の中でも特に『商人的気質』に恵まれた者たちです。なぜなら他のギルドよりも先にこの王権闘争戦に目をつけ、可能ならばそのおこぼれを得ようとした者たちですから。その意図がどこにあるにしても、この闘争に目をつけたこと、そしてこの闘争に勝つ自信があるということ、勝ったあとに目的があること、そういった意志を持っているのは確かな事実でしょう」
ジュリアスの空色の視線が王族の後ろに控えている各ギルドの長をなぞっていった。
「――ゆえに、今この場にいる〈連帯ギルド〉と取引をするのです。彼らはテフラ王国に少なからぬ執着を持っているし、そのために力を行使する意志も持っている。だから、現状で最も防衛力を取引する相手として相応しいのは、ここにいる〈連帯ギルド〉なのです」
「なるほど、あながち暴論でもないな」
エスターとは違ってジュリアスの言葉を静かに聞いていた〈セシリア第一王女〉が、赤銅の長髪を揺らしてうなずいた。
長姉のうなずきにエスターが思わず反対の意を示す。
「し、しかし姉上、それでは王族の威信が――」
言い掛けたところを遮ったのはジュリアスだった。
ジュリアスとエスターの間に、激しい舌戦の様相が現れ始める。
「――威信? 威信とはなんです? 王とは民のためにあるべき者です。王なくして秩序が保たれる領域にいまさら王が必要ですか? そんな領域に王の威信がまだ残っていると、エスター王子殿下は思っているのですか?」
「黙れっ! 知った風な口を聞くな!」
エスターは額に青筋を浮かばせてジュリアスに怒りをぶつける。
ジュリアスの後ろに立っていたサレは、そのジュリアスが小さなため息を吐いた音を聞いていた。
「黙っておれ、エスター」
すると、ジュリアスが何かを言う前に、セシリア第一王女がエスターを諌めていた。
否、諌めるというより制すると形容した方がいいかもしれない。
「ジュリアスの論は一考する価値がある。――だが、それでもなお、『次期王座に何者が座すか』という問題については解決の道筋すらついておらん。父上が名指しでもしてくだされば早々に解決するが、そこで再びキアル兄上を暗殺した者の話題があがってくる。結局はそこなのだ、ジュリアスよ。誰かがキアル兄上を殺した可能性がある。ならば、この闘争を進め、その中でボロを出すであろう暗殺者を探し出してしまえば良い。――いずれにせよ闘争は必要だ」
セシリアの言葉は過激だ。
闘争という端的な手段によって物事を解決しようとする。闘争への偏向。
セシリアの言葉を聞いていてたサレは、トウカの『脳筋風勝ち負け二極論』を思い出した。
ともあれセシリアの思考偏向は、『闘争主義』とでも呼べてしまえそうなもので――
――これが〈戦姫〉セシリアか。
サレはジュリアスにあらかじめ聞いていたセシリアの異名を思い出す。
〈戦姫〉とは、なんとも端的な名だ。
「それに、この場にいるギルドが同じ対価を求めたらどうするのだ。それが唯一の品である時、創造神でもない私たちは同じものを与えられん。その時はどちらかが退かねばならぬ。――とするならば、ギルドという立場の者たちにもこの闘争は体のよいものとなろう。『勝てばよし、負ければ譲歩』。そうさせればよいのだ」
「ほら、やっぱり」サレは仮面の下で口だけをそう動かした。
――トウカに似てる。
サレは確信を得る。
〈狂姫〉サフィリス第二王女の『享楽主義』に負けずとも劣らない〈戦姫〉セシリア第一王女の『闘争主義』。
――欲しければ勝って奪え、と。
〈戦姫〉はそういった。
「ジュリアスの言う取引もわかるが、我らとてこの場にいるすべてのギルドに対し、その欲するものを与えられるとは限らん。王族の所有物とて無尽蔵ではなく、譲渡によって秩序が乱れると感じたならばそれを制する意気も持たねばらん。この場にいるだけで十のギルドがある。――いささか多いのではないかな、ジュリアスよ」
だから、戦わせて数を減らせ。
サレはセシリアの言葉にそんなニュアンスを察知した。
「それによってテフラ王国の防衛力が下がり、結果アテム王国に敗北を喫した時は――与えるもなにも僕たちはすべてを失うのですよ?」
ジュリアスがセシリアに反論する。
そのやり方には賛成できないと、言葉面に暗喩されていた。
二人の間に視線の応酬があった。
すると、そこへ再びの横やり。
ニーナ第四王女だ。
「第一、アテム王国ってそこまで恐れるに足る国なのぉ? 確かに最近の〈異族討伐計画〉とかは目に余るけど、それだって最初から殺せるって確信してた異族だけを狙ってたんじゃないの? だから返り討ちにならないで済んでるだけで、本当はアテム王国自体そんな強くないんじゃないのぉ?」
ニーナの言葉に対し、ジュリアスは視線を王女に向けて答えた。
「あの〈魔人族〉を滅ぼしたのですよ? その時点ですでに驚異的だ」
「でも、魔人族だって数が減ってたっていうじゃん」
「彼らは数が少ないからといってそう簡単に滅ぼせるほど甘い種族ではありません。暴力という点において彼らほど卓越した異族はいない。たとえ数が少なくとも、そんな魔人族を滅ぼせた時点でアテムの軍事力は一定以上にあると見るべきです」
ジュリアスには〈凱旋する愚者〉の異族たちとの繋がりがある。
ゆえに、サレによって魔人族がアテム王国に滅ぼされたことも知っていたし、さらに言えばギリウスによって竜族さえもが討伐されたことも知っていた。
「そうだな。『アレ』はそこらの軍隊でどうにかなるような存在ではない。アテム王国が軍事的に優れていることは確かだろう」
サレという魔人族の生き残りの存在をほのめかすことはせず、ただ事実として述べるかのように〈サフィリス第二王女〉は言った。
当然、それは先日サレと直接剣を交えたからこそ出た言葉だ。
するとそこへ、思わぬ者が口を出してくる。
今まで一言も発してこなかった黒ドレスの王女。
〈冷姫〉――エルサ第三王女。
「サフィリス姉様はどうやらその魔人の生き残りと剣を合わせたようですね」
視線は下を向いたままだが、その声はサフィリスの耳に確かに届いた。
「面倒なことを口走りよって」とサフィリスが顔を顰め、エルサに言葉を返した。
「お前は本当に『覗き見趣味』が過ぎるな、エルサ」
「あれだけ派手に暴れて覗き見もなにもないではありませんか、姉様。私は『たまたま』見ていただけですよ」
「趣味の悪い奴め」
「行き過ぎた享楽を趣味にする姉様には言われたくありません」
その二人のやり合いを見ていたサレは、
――ああ……本当に仲悪そうだなあ……
そんな言葉を胸中に浮かべていた。
「よい、その辺にしておけ、サフィリス、エルサ」
エスカレートし始めた二人の王女の言い合いを、長女たる第一王女セシリアが止める。
そのあとで再びジュリアスに向き直り、言葉を紡いだ。
「話がずれたな。ジュリアス、ともあれ、お前の言い分は分かった。それが暴論でないことも理解した。――だが、やはり何者かにキアル兄上が殺され、そしていまだその犯人が捕まっていないことも確かだ。ハッキリ言おう。――この状態で王族同士がわだかまりなく手を取り合うのは不可能だ」
最終的に、どんな説得もそこに帰結してしまう。
ジュリアスが言葉を飾っても、事実が邪魔をする。
第一王子が殺されたという事実が。
「疑いたくはないが、第一王位継承者が狙って殺されたことを考えれば、王族関係者にその犯人がいる可能性は高い」
言ってしまえば、今この瞬間でさえも、その犯人がのうのうと話に加わっている可能性があるのだ。
絶対ではない。
絶対ではないが、いるかもしれない。
それぞれの王族が、周囲の兄妹たちに視線をすべらせていく。
誰も何も言わない。
言えない。
するとその沈黙を破って、カイム第二王子がついに言葉を紡いだ。
顔には柔らかな微笑がある。
「セシリアの言うとおりだ。ならばいっそ、闘争を早々に終わらせて正式な王を決めてしまった方が良いかもしれないよ。王さえ決まってしまえば、その護衛はたやすい。新たな王の身辺に護衛を集中させればいいのだからね。もし第一王子を殺した犯人がこの中にいて、その者が王になったとしても、『それはそれで良いのかもしれない』」
わずかなどよめきが王族間に広がる。
カイムはそのどよめきを鎮めるように、今の自分の言葉への説明を施していった。
「なぜなら、そうなればその者が王座を欲するために他の兄弟を殺すことはなくなるだろうから。それに、王になれば他の兄弟の目も集中する。そうやすやすと不気味な動きを見せることもできなくなるだろう。――まあ、極論染みてはいるけどね」
ジュリアスは締めるようなカイムの言葉を聞き――思わず歯ぎしりをしたい気分になった。
うまく丸め込まれた。
そんな印象。
ジュリアスは少し冷静さを取り戻したあと、さらに内心で言葉を紡ぐ。
――なぜ彼らはもう一つの可能性を考慮しないのか。
ここまでアテム王国の脅威性をアピールしたのにも関わらず、なぜ彼らはもう一つの重大な可能性を思い浮かべないのか。
◆◆◆
――キアル兄さんを殺したことさえ、アテム王国の差し金かもしれないという可能性を。
◆◆◆
ジュリアスは一度咳き込み、
「申し訳ありません。緊張がほぐれてきたら近頃の風邪がまた表に出てきてしまって……一度外の空気を吸ってきてもよろしいでしょうか」
「そんなに緊張していたのかい?」
「ええ、なんといっても久々の兄様姉様方との対面ですので」
「そうだね。キアル兄さんの葬儀以来、こうやって一同に会することがなかったからね。――良いだろう、少し休憩にしよう。身体を大事にしなさい、ジュリアス」
カイム第二王子が優しげな微笑を浮かべてジュリアスを促した。
ジュリアスは厳かに一礼すると、サレについてくるよう手で合図を送り、部屋から出て行った。