52話 「王族聚合」【前編】
暗転は一瞬の事だった。
瞬きを一つした程度の、まさに一瞬の後――
「空が――」
開けた。
◆◆◆
見上げた先、空が近い。
雲が近い。
そして、
「星が近いなぁ……」
語尾の吐息に感嘆を込めて、サレは言っていた。
転移術式で飛んだ先は祭壇のような場所だった。
周囲にはきめ細かい肌をした石柱がいくつも立ち上がっており、足元には先ほど見たものと同じような術式陣。
術式陣から少し離れた位置に視線を移すと、簡素な花壇のようなものがまばらに見えて、そこに植えられた花々が風に揺れていた。
さらに視線を移し、今度は真後ろ。
そこには――
「――空」
地のない空間が広がっていた。
一歩踏み出せば何もない空間へ飛び出せる。
空中。
自分が立っている場所が〈空中地盤〉であることを確信させられる光景だ。
「ここは空都アリエルの最西端に設置された転移門。だから、後背は崖になっているわけさ。落ちたら湖都まで真っ逆さまだよ。まあ、その前にシルフィードにぶつかってバラバラになるけどね」
「シルフィードね。――いざ近づいてみると、それがどんなものなのか気になってくるな」
好奇心がうずく。
サレは妖しげな笑みを浮かべて、おもむろに後ろへの一歩を踏んだ。
そうして足場のぎりぎりまで近づき、あと一歩を踏み出せば崖下に落ちてしまいそうな位置で、首を伸ばして下を覗き込んだ。
見下ろした先。
碧い湖の街。
夜の湖都ナイアスは、まるで宝石が散りばめられているかのような綺麗な光を宿していて、本当に美しかった。
光に彩られた街。
色とりどりの光源を反射し、空気に碧い色を加えていくアレトゥーサ湖の湖水。
サレは衝動的にその眼下の光たちを掴まえたくなって、思わず手を伸ばしていた。
すると――伸ばした手に何かが当たった。柔らかいけれど重い。押した先に重厚感を感じさせる何か。
たとえば数層にも及ぶ空気の壁のような。
「これが〈シルフィード〉か……」
風の塊だ。
さらにその風の塊に手を押し込んでいくと、ある部分から急に風の勢いが強くなる。乱気流のように多方面から自分の手を風が襲った。
「それ以上は手を奥に差しこんじゃだめだよ」
ジュリアスが念を押すように言った。
「分かってるよ。これ以上は俺も怖いからな」
突き出した手をひっこめながらサレは苦笑した。
「確かにこんな風域帯を飛んで越えようとは思わないなぁ……」
たとえ空を自由に飛べる翼があったとしても、シルフィードに挑戦しようとは思わないだろう。
サレは納得を胸に、ようやく踵を返した。
「空の都はどんな色なのかな」
「実際に見てみればいいさ。僕が言うとなんだか親馬鹿ならぬ国馬鹿な感じだけど、すごく綺麗だよ」
ジュリアスは微笑をたたえ、サレを手招きした。
手招きしながら、もう片方の手で遥か向こう側の白色の光に彩られた街を指差している。
そしてジュリアスは笑みを浮かべて――
「ようこそ、空都アリエルへ」
そう告げた。
◆◆◆
祭壇があった場所は石造りの宮殿のような様相を呈していた。
まるで屋根のない宮殿だ。
丁寧な造形で作られた階段や、それ一個が一つの芸術品のように深い造詣を掘り込んだ石柱が立ち並び、青い炎の松明が辺りを照らしている。
さらに歩いて行くと、サレとジュリアスの前に巨大な門が現れた。
高さにして数十メートルはあろうかという巨大な門だ。
門のいたるところに人を模した細工が掘り込まれ、宮殿と同じように青い炎の光で照らされている。
「ここがアリエルの入口だよ」
門自体は常に開け放されているようで、門の奥の景色を遮っているわけではなかった。
だからこそ、視線を奥に向ければ門の向こう側には街の光が見えて、
「よくもまあ、こんな芸術品染みた街並みを作ったもんだなぁ」
湖都ナイアスとは違って、異様に整った景観を宿した〈空都アリエル〉の街並みがその瞳に映り込んだ。
◆◆◆
格式高いだとか、格調が整っているだとか、そんな形容が真っ先に思い浮かぶような景観を〈アリエル〉は持っていた。
乱雑さの中に賑やかさを保つナイアスとは真逆だ。
計算されつくしたかのように規則正しく並ぶ街路、家々、街灯。
その大部分は滑らかな白い石材で構成され、一定間隔で並んだ街灯がそれらの建造物を照らしている。
アレトゥーサ湖の碧色と様々な色の光源に彩られた彩色豊かな街が湖都ナイアスだとすれば、空都アリエルは白の建造物と黄色と青の街灯によってのみ照らされ、どちらかといえば彩色よりも街そのものの『造形美』を追求したような街だった。
あるいは昼であったなら別の印象を得たかもしれないが、夜の景観に関してはおおむね胸に浮かんだ言葉のとおりだろうとサレは思う。
さらにそれから数十分歩くと、芸術品染みた建造物の中で特に巨大な建物が視界に映るようになった。
城だ。大きな大きな、巨城。
世界中の建造物の中でも、巨大と称するのが最もふさわしいと思われるほどの巨城だった。
サレがこれまでの人生の大部分を過ごしたイルドゥーエ皇国の皇城〈サンクトゥス城〉よりもそれは遥かに大きかった。
あまりのスケールの違いに息を飲まずにはいられない。
呆気にとられているサレを見て、ジュリアスは少し笑いながら言う。
「〈テフラ王城〉だよ。アレだけの巨大な城がよく空に浮かんでいる大地に乗っていられるな、とでも思ったかい?」
「まったくそのとおりだよ。重さで空都ごと下に落ちてしまうんじゃないかと思った。――俺が住んでいた城とはえらい違いだ」
「そうか、サレも魔人族の皇族だったね。皇族ともなれば城には住んでいるものか」
「アレと比べると『小屋』みたいな城だったけど」
「大きければいいという単純なものでもないさ。あれはあれで移動が面倒でね。僕も小さい頃によく迷っては兄さんや姉さんたちに泣いて助けを求めていたよ」
ふと懐かしい感慨にふけるかのように、ジュリアスが目を細めて言った。
その視線は遠くにそびえる巨城へと注がれている。
「――どこで掛け違ったのだろう。いっそ子供のままでいられたらよかったのに」
その言葉はサレの耳に強く響いた。
ジュリアスは再び口を開く。
自分に言い聞かせるように、言葉を紡いでいく。
「でも、過去には戻れない。何も知らなかったままの自分には、もう誰も戻れないから」
「だから」ジュリアスは続けた。
「僕は僕の想いのために、必要とあらば覇道を歩もう。王道を捨てでも、それでも歩み続けよう」
ジュリアスはサレの方を振り向き、いつもの快活な声で言った。
「さあ、行こう。君は君たちのために、僕は僕のために、よりよい相互利益を得るために――」
ジュリアスは言葉尻を強調して、そう言った。
「……利益、か」
それはそれで正しい。
サレはジュリアスの言葉を受けて思う。
相互利益。お互いに自分のために利用し、利益を求める。
とても無機質な繋がり。
今のところは確かにそういうものかもしれない。
でも。
「行動を共にするうちに少しくらい情が混じったとしても、それはそれで仕方のないことだと納得してくれよ?」
サレは目を丸めているジュリアスに言った。
「俺たちは俺たちが嫌だと思ったなら逃げる。そんな集団だ。――でもそれは逆に、気に入ればその分だけ踏みとどまりもする、そんな集団でもあると言える」
そうでもなければ自分たちが一つの共同体を築くことなんてなかった。
利益のみで行動するのなら、とっくにこんな混成集団は分裂していただろう。
「伊達に酔狂。建前。それに曖昧な矜持も加えて、俺たち〈凱旋する愚者〉は繋がっているんだ」
サレの言わんとすることをジュリアスは察していた。
だから、少し恥ずかしがるような笑みを浮かべて、ジュリアスは言葉を返す。
「なんでそんな曖昧なギルドに連帯を頼んでしまったのだろうね、僕は」
「自分で言うなよ、選んだのはお前だぞ?」
「はは、そのとおりさ。――そこに後悔はないよ」
ジュリアスのうなずきにサレも笑みを返す。
そうして頭を少し掻きながら、ちょっとだけ恥ずかしそうな仕草を見せて、
「――だから、ジュリアスが俺たちの輪に加わるに相応しいと皆が認めた時には、そこら辺のギルドよりは頼ってくれていい」
最後は力強く。
信じれくれていいとジュリアスに告げた。
「励まし方が遠まわしだねぇ。でも、その言葉を覚えておくよ」
ジュリアスは眉尻を下げた笑みを見せた。
呆れているような、それでいて嬉しさもこもっているかのような、柔らかな笑みだった。
しかし、その笑みも次の瞬間には消える。
再び巨城の方を向いたジュリアスの瞳には強い意志の光が閃いていた。
「なら――行こう。ここからは戦場だ。自分たちが良い闘争を得られるだろうと願いながら、ただ前へ進んで見せよう」
ジュリアスの言葉にサレは頷き、居住まいを正した。
ここからは闘争を甘受する場になる。
覚悟の上だ。必要だと思うからこそ、それを甘んじて受けよう。
断崖から一歩前へ進むために。
◆◆◆
「お待ちしておりました、ジュリアス殿下」
通りすがる人にも立ち並ぶ建造物にも目もくれず、二人はテフラ王城への道を歩んで行った。
ついに王城の門前にたどり着くと、そこには数人の門番が立っており、ジュリアスの到着を確認すると即座に片膝を折って頭を垂れていた。
ナイアスでのテフラ王族と、アリエルでのテフラ王族。
その間にある文化的といえてしまうまでの様相の違いに、サレは少し驚いていた。
同時に、ジュリアスが確かに『王族』であることを再確認する。
「もう兄さんや姉さんたちは着いているのかな?」
「はい。ジュリアス殿下で最後でございます」
「そうかい」
ジュリアスは素っ気なく答えるが、ふとそこで何かに勘付いたように頭を垂れている門番に訊ねた。
「――陛下は?」
「陛下は……」
ジュリアスの言葉を受けて門番たちは一斉に押し黙った。
答えかねているという様相だ。
しかし、当のジュリアスはその沈黙の様相を見て何かに納得したようにうなずいた。
「まだ自室に閉じこもったままなんだね。――まあいいさ、予想はしていたから」
「では、会合の場へご案内致します」
門番のうちの一人が頭を下げたまま立ち上がり、ぴしりと整った動きで踵を返した。
「分かった、お願いするよ。――行こう、『ギルド長』」
サレはジュリアスの呼び声に首を縦に振るだけで応えた。
◆◆◆
――長い。――そしてデカい。
テフラ王城に入ってから十数分。サレの胸中には悪態の言葉が浮かび始めていた。
――いつになったら会合の場とやらに着くんだよ……!!
十数分早足で歩き続けたにも関わらず、テフラ王城内部の景色は変わり映えが見て取れない。
端的に言えばまるでどこかの部屋に着く気がしない。
「この城を建築した奴らは能無しか、もしくは機能性を無視して芸術性のみを追求した馬鹿に違いない」などと思い浮かぶ限りの悪口を声に出さずに浮かべながら、サレはジュリアスの後ろを歩いていた。
階段を登り、廊下を歩き続け、壁に立てかけられた絵画の数々を視界の隅に追いやりながらさらに十数分を歩く。
「こちらでございます。ここから先は王族関係者のみ入室が可能となっておりますので、私の案内はここまでとさせていただきます」
「うん、案内をありがとう」
案内役の門番は再び片膝をついてジュリアスに向けて頭を垂れたあと、来た道を引き返していった。
「案内役一つとってもこれだけ広けりゃ面倒だろうなぁ……」
サレはその門番の後姿を見ながら、ごく小さな声で同情の言葉を浮かべる。
そうしてすぐさま色を正した。そう悠長にもしていられない。
正面を見れば、そこには大きな両開き型の扉がある。
シックな色の扉だ。色の厚塗りのせいで見ただけでは鋼材によるものか木材によるものかはわからないが、ひたすらに金がかかってそうだということはよく見て取れた。
この扉の先には他のテフラ王族たちがいるのだろう。
「血気盛んな王族も多いから、一応ここからは注意しておいて。王族に対する牽制は僕がするつもりだけど――」
「可能な限りは大人しくしているさ」
「うん。じゃあ――行くよ」
ジュリアスが扉の取っ手を握り、意を決して扉を開けた。
◆◆◆
「遅かったな、ジュリアス。お前が主催したというのに最後に来るとはずいぶんと余裕だな?」
扉の向こう側に広がった光景。――巨大な円卓のテーブル。
その円卓を囲むように、背の高い豪奢な椅子が立ち並んでいる。
そしてそこに座るのは同じく派手な身なりの王族らしき者たちだ。
さらに後方に視線を移す。
王族の後ろで、厳かさを醸し出しつつ直立不動な体勢の各連帯ギルドの長たちが目に入った。
様相は様々だ。
一目見て異族と分かる者もいれば、鎧に身を包んでいて概容が掴めない者もいる。
黒装束と白装束という対極的な衣装を着ている者たちもいて、なんだかんだと彩色に富んでいた。
部屋の扉を開けたジュリアスに真っ先に声を掛けたのは、サレと一度対峙したことがある第二王女〈サフィリス〉であった。
ジュリアスに前もって聞いていた王女の異名は〈狂姫〉。
その異名が何の所以につけられたものなのかは聞いていないが、なんとも興味をそそる異名だとサレは思った。
〈狂姫サフィリス〉は円卓に両肘をつき、胸の前で手を組みながら好戦的な笑みを浮かべている。
サフィリスの後ろには巨大な剣の鞘を床に突き立て、その柄に両手を置いて憮然と直立している銀鎧の男がいた。
「まあいい、早く座れ。お前の話を聞こうではないか」
「ジュリアスの話ぃ? ――もう聞き飽きたけどなぁ。闘争を抜きに王族が団結するべきだって言うんでしょ?」
ふと、そこへ横やりを入れてくる存在が一つ。
狂姫サフィリスの隣に座っていた金髪碧眼の『少女』が声の主だ。
甘ったるく語尾を伸ばし、気だるげに言う少女は足を組み直してから続けた。
「――ムリじゃん。ムリムリ。だってキアル兄様が殺されてるんだよ? こんな状態で手を組んだって、次は自分が殺されるかもしれないとか、考えちゃうでしょ?」
「その辺も含めてもう一度話し合うために今日はこのような場を開いたのですよ、〈ニーナ〉姉さん」
「ふーん。あたしは答えなんかでないと思うけどねぇ」
「もうよいニーナ。このままでは埒があかぬ。――早く座れ、ジュリアス」
さらに隣、ジュリアスが〈ニーナ〉と呼んだ少女の隣に座っていた赤銅色の髪の女が、ジュリアスに座るよう促した。
「顔を合わせるのは久しぶりですね。来て頂けて嬉しい限りです、〈セシリア〉姉さん」
「面倒な挨拶は抜きにしろ」
「はい、それでは」
ジュリアスは空いている席に歩み寄り、周りの王族たちに一礼をしてから腰を下ろした。
サレはそれぞれの王族の後ろに立っている各ギルド長を観察しながら、しかし一言も発さずにゆっくりとジュリアスの後ろ側へと歩んでいく。
――みんな金髪碧眼かと思ったけど、違う人もいるんだな。
内心にはそんな言葉があった。
ジュリアスが〈セシリア〉と呼んだ女は赤銅色の髪と燃えるような橙色の瞳を持っていた。
サレは仮面の下からそれぞれの王族を観察する。
ふと気づくと、それぞれの王族の前には数字が彫られた小さな金板が立てられていた。
加えてよく見れば数字の上には薔薇の紋章が刻まれている。
一方で剣の紋章が刻まれている金板もあった。
サフィリス第二王女の金板に『二』と描かれていたことと、王女たちの金板にもれなく『薔薇紋様』が刻まれていたことから、サレは金板の意味を理解する。
――数字が序列で、薔薇が王女を表しているのか。
となると、剣は王子を表しているのだろう。
そこからそれぞれの王族たちの序列を推測し、情報を補完していく。
相も変わらず好戦的な、ともすればウズウズしているようにも見える笑みを浮かべている〈サフィリス第二王女〉。
その隣で足を組んで気だるげに椅子に座る〈ニーナ第四王女〉。
赤銅色の長髪をまるで微動だにさせずにじっと椅子に座るのは〈セシリア第一王女〉。
そして、
――あれが〈エルサ第三王女〉か。
視線の先には顔の下半分を黒い布で覆い隠している黒髪の女がいた。
王女たちは詳しく観察するまでもなく、皆が皆美貌ぞろいであったが、エルサ第三王女に至っては顔の下半分を隠していてもその向こう側から美しさが伝わってくるほどだった。
目は伏せられ、視線は全く上げられず、その瞳に映っているであろう表情などはまるで窺えない。
黒ドレス、黒髪、顔の下半分を覆う薄い黒布。
美しいが、雰囲気が冷たい。
――〈冷姫エルサ〉。
それが第三王女の異名らしい。
そんなエルサ第三王女の後ろには、いつか爛漫亭に乱入してきた狐目の男がいた。
――気味の悪い笑みだ。
何が面白いのかもわからないが、狐目の男はつり上げた口角を隠そうともしていない。
――確か、〈マーキス〉とか言ったか。
情報ギルド〈黄金樹林〉の長だと言っていた。
「おい、ジュリアス。お前の後ろの奴はなんだ。テフラ王族相手に顔も見せないとは無礼じゃないのか?」
サレが内心で思考を巡らせていると、ふと指差しでそんなことを指摘された。
自分に指を差した張本人に目を向けると、そこにはいかにも貴族らしいといった風体の男。
金髪をかきあげる仕草からはナルシズムが感じられないこともない。
男はサレの仮面が自分の方へ向いたことを確認すると、わざとらしく鼻で笑い、
「それともよほど醜悪な面をしているのか?」
「申し訳ありません、〈エスター兄さん〉。この場はあくまで王族同士の会合。連帯ギルドの出席はあくまでおまけ程度のものであると、そう同意したではありませんか。それに、この者たちはもともと流浪の衆です。厳密にテフラ王国民という訳ではありません。礼を失する出で立ちもお許しください」
金板を見るに、剣の六番。――〈第六王子〉だ。
「おい、僕を兄と呼ぶんじゃない。父上をたぶらかしたどこぞの馬の骨とも知らぬ女の子め。私生児と言う自分の立場を理解しているんだろうな……!」
「ええ、理解しております。しかし、そんな私に王族としての権威を下さったのも父上――陛下であることをお忘れなきよう」
「――ちっ」
〈エスター第六王子〉は金髪の男は憤りをありありと顔に浮かべて舌打ちをした。
「やめないかエスター。血を分け合った兄弟同士の仲がこうも悪いとキアル兄様もあの世で悲しむ」
そのエスターを止める男の声が一つ。
声の主は円卓を挟んでジュリアスの真正面に座っていた男だ。
「カイム兄様もキアル兄様もジュリアスに甘すぎるんです! だからこうやってつけ上がる!」
「――エスター」
「……わかりましたよ」
「ジュリアスも、あまり皮肉を飛ばすものじゃないよ」
「はい、お騒がせしてしまい申し訳ありません」
素直に謝るジュリアスをよそに、サレはその男――エスターを止めた男を仮面の下から覗き見ていた。
――食えなさそうな男だな。
男の顔に張り付いているのは優しげな微笑だった。
仲の悪い弟たちを苦笑しながら優しく諭すような、そんな兄の顔。
それ以外の印象をまるで受けない、完璧なまでの『兄の顔』だ。
ただそれだけであったのにも関わらず、サレにはその顔が嫌に印象に残った。
剣の二番、つまり〈第二王子〉。
ふと、サレはその男と目が合ったことに気付く。
紫の視線がこちらを射抜いていた。
――怖い怖い。
これ以上何も思慮を抱かせまいとするかのように、牽制するかのように向けられた視線。
まるで観察されていたことを知っていたかのような仕草だ。
そのまま目を合わせていればこちらの目から逆に情報を引き抜かれそうな気がして、サレは顔をそむけた。
――さすがに一筋縄では行きそうにないな。
ぐるりと出席者の顔を一瞥して、サレは内心でそんなことを思った。