50話 「神を殲す眼」【後編】
『なかなかうまいな! 下界の料理も捨てたモノものではないぞ! んまいっ!』
――結論から言えば、〈天空神ディオーネ〉は食い物で釣れた。
「ジュリアス……このちまい女の子、ホントに主神なの……?」
「うん……」
曰く、主神は他の末端の神族とは違って、現世におけるある程度の自由を確保しているらしい。
だからこうして全身を現世に乗り出して、あろうことか現世の料理を頬いっぱいに詰め込むことができる、と。
げっ歯類の頬袋のごとく膨れ上がった少女のそれを見ながら、サレは首を傾げていた。
『まあいろいろと言ったが、貴様がテオドールでないならぶっちゃけどうでもよい。あやつは神族との戦を経たゆえ、無視するわけにもいかないがな。その眼は確かに脅威だが、貴様が私に敵対しないのならば知らぬふりを決め込んでもよい』
「なら、仮にこれからテフラ王族と争うに当たって、俺がこの神格に至ったとかいう眼を他の神族相手に使ったら?」
『どうでもよい。もちろん、程度によってはその神族に悪意を持たれるかもしれないがな。だが神族は神族で現界との接触を面倒がる奴も多いから、まあ、場合によりけりだ』
「前々から思ってたけど、神族もかなり適当だよね」
『否定はしない。神界にこもる前はそうでもなかったがな。最初の方は真面目に過不足なく現世の均衡を保とうとしておった。だが慣れもすれば飽きもする。神族とて万能ではない。厳密な意味での神でもない。どちらかといえばお前ら純人や異族に近いものだ。そういわけで中だるみな感じだ』
「そういうものかね」
『そういうものだ。――ジュリアス! おかわり!』
「えっ、あ、うん……」
ジュリアスはディオーネが掲げた皿を受け取り、厨房まで歩いて新たな料理を盛り付けてもらいにいく。
『さて、サレ、とかいったか。貴様はまだ〈神を殲す眼〉を発現させたという自覚を持っていないようだな?』
「そりゃあね。倒れて起きたら〈殲す眼〉の術式紋様が金色になってた、ってことくらいしか自覚はしていないよ」
神格に至ったと言われても、神を殺し得ると言われても、まだ試してもいないのだから確かな実感は持てない。
そう答えると、ディオーネが「よし」と一人ごちてうなずいてから言葉を紡いだ。
『ならば試させてやろう』
「試す?」
『そうだ。ジュリアスの仲間だというから、特別に私を実験台にさせてやる。よいか、私は主神級の神族だ。神族であるから私の存在は神格を持ち、さらに主神級ともなればその神格はその他の末端神族よりもはるかに高い』
サレはサフィリスの言葉を思い出す。神格の話だ。
「うん」
『ゆえに、現存する術式系では私にほとんど傷を与えられぬであろう。〈殲す眼〉でさえもだ。あの固有術式も格としては相当に高いが、神格には至らぬ。だが、貴様が発現させたその〈神を殲す眼〉は恐らく主神の神格と同格だ。つまり、貴様がその眼の破壊術式を私に放てば、私はそれに応じて壊れるだろう』
「実践しろって? でもそれだと――」
『もちろん加減はしてもらうぞ。急所には使うな。だが腕の一本くらいなら構わん。どうせすぐに再生する』
ジュリアスが運んできた料理を再びフォークを使ってついばみながら、ディオーネがあっけらかんとして言った。
「ジュリアス、本当にいいのか?」
「大丈夫だよ。彼女がそういうんだから大丈夫さ。こう見えても彼女はちゃんとした神族だからね」
『こう見えてもは余計だぞ。ほら、早くしろ』
そういってディオーネが片手でフォークを握り、料理を口に持っていきながら、使っていない方の腕をサレの前に差し出した。
「き、気が引けるなぁ……」
本人の許可をもらったとはいっても、ものがものだけに緊張を強いられる。
『かくいう私もその眼は死にかけのテオドールの眼に存在を確認したのが最初で最後だ。ゆえに、私個人の興味として気になってもいる。だから早くやれ』
「そこまで言うなら……」
せかすディオーネに一瞥をくれ、「ふう」とため息をついたあと、サレは〈殲す眼〉を使う感覚で術式を呼び起こした。
一度瞬くうちに、目に術式が浮かんだ感覚を得て、差し出された片腕に焦点を結ぶ。
「【弾けろ】」
言霊を呟いた。
すると、サレが呟いたとほぼ同時。
ディオーネが差し出した片腕が木端微塵に砕け散った。
砕け散ったディオーネの腕からは血が噴出していなかった。
さらに言えば、飛び散った腕の破片は一瞬のうちに白光に包まれ、まるで空気に同化するかのように消失してしまった。
『ふむ、やはりか。テオドールが〈魔神〉の存在をほのめかしたこともあながち間違いではなかったわけだな……まさしく神格に至った眼だ。〈神を殲す眼〉の名にふさわしい』
ディオーネはその断絶された片腕を見ながらつぶやいた。
続けて、
『……あの時テオドールがこの眼を万全の状態で覚醒させていれば、戦の結果も変わったかもしれぬな』
感慨深げに言った。
そんなディオーネをよそに、サレは眼前で起こった事象をいまだに脳裏に思い返していた。
サフィリスとの戦闘では殲眼はまるで効かなかった。
すべて〈法神テミス〉の神格防護に遮られて不発に終わった。
だが、現に今、あの時とは違って主神に対して効力を発揮した。
『だが、勘違いするなよ、魔人の末裔。これはあくまで神族が受動的にその力の効力を受け入れたからであって、臨戦態勢の神族との真っ向勝負であれば、神族とて対応策を使う。その眼のみで神族を殺せるとは思うな』
「忠告は感謝するけど、生憎俺は神族を殺そうなんて気は今のところないものでね」
これからも無いとは明言しなかった。
サレの頭の隅には初代魔人皇帝が神族と争ったという昔話が浮かんでいた。
そこにどんな思惑があったかは知らないが、魔人族の末裔として、いずれ同じ道を辿ることがあるかもしれない。
少しばかりは畏れ多いとも思うが、魔人は何者にも屈してはならないという先代皇帝たちの言葉がいまだに心の中で強く輝いている。
対するディオーネは「今のところ」というサレの言葉の含むところに即座に気付き――
口角をつり上げていた。
「――怖い笑みだ」
思わず、それを見たサレの口から言葉が漏れる。
ディオーネはやはり笑っていた。楽しげな、それでいて好戦的な笑みだ。
『はは、はははは! 良い、良いぞ魔人の末裔よ! 一族の矜持はこの時代でも消えていないのだな! やはり魔人はそうでなくては! 貴様が我ら神族に敵意を向ける時には、私自らが真っ先に相手をしてやろう!』
――とてもハイになっていらっしゃる。
ディオーネの口の端から料理の破片が飛んでくるのを軽い身のこなしで避けながら、サレは背筋に冷たいものを感じた。
『テオドールの面影が宿る限り、手加減はせぬぞ、サレ』
「そんなに俺って初代様に似てる?」
ふと、自分以外に自分の祖先のことを知る人物が目の前にいることに気付いて、サレは訊ねていた。
対するディオーネはサレが言葉を投げかけた途端、その眼を輝かせて一気に料理を口の中にかきこみ、ひと呑みしたあとで楽しそうな笑みを浮かべた。
『ふとした時に感じられる雰囲気がな、若い頃の奴に似ているのだ。顔も似てはいるが、よくよく見れば微妙に違う。身体つきも、背丈も違う。そうした違いの原因には育った環境の違いなどもあるだろうが、最も大きな要因は精神の違いだろうな。躯は精神の影響を最も強く受ける。ゆえに、その躯はお前独自の、お前という精神だからこその変化を遂げたのだろう。だが先ほど飄々と魔人の矜持を含んだ言葉を述べた時は、奴の陰影が見えたほどだった』
「確かに初代様って茶目っけみたいなのもあったけど、基本的におごそかな感じじゃない? 俺の表情にあそこまでの威厳はないと思うんだけど」
『なんだ、話したことがあるのか?』
ディオーネは不思議そうに首を傾げたが、不意にサレの右腕の封印術式に気付いて得心したように頷いた。
『ああ、その黒炎に意思でも込められていたか』
「一時は俺の躯に宿って闘争を楽しんでいたよ」
『ジュリアスがもっと早くに私を呼べば奴と相対することができたかもしれぬのに』
「ほんの短い間だったけど、楽しそうだったよ」
『そうか。そうだろうな。奴はそういう男だった』
サレはディオーネという神族の表情が寂しげに変わったことを見逃さなかった。
これまでの話しぶりや態度を見ると、彼女が初代魔人皇帝に並々ならぬ思いを持っていたことが容易く理解できて、
――もしかして、意外に仲が良かったのかな。
口では散々に言っているが、その話しぶりや表情からはそれでもなお初代魔人皇帝に対する奇妙な親愛の情のようなものが窺えた。
『さて、飯も食ったし、そろそろ私は神界に戻るとするか。あまり長居すると他の主神に咎められるかもしれないしな』
「何か神族もいろいろと大変そうだね」
『言っただろう。神族も貴様ら純人族や異族とたいして変わらない。近頃は分化した神族も多くてな。神族も一枚岩ではないのだ。私はお前に興味を持ったし、また時間があれば話してやる。ジュリアスと共にある限りは機会も多いだろう。楽しみはとっておけ』
「わかったよ。他愛ない先祖話も含めて、俺にも聞きたいことはまだまだあるから、また次の機会にでも」
『ああ。――ジュリアス! 私は先に戻るぞ』
少し離れたところで二人の話を聞いていたジュリアスに向けて、ディオーネが言った。
「ねえ、君が食べた分の代金は――」
『お前が払っておけ、私は金なぞ持っていない。対価の先払いということにしておけ』
「そんなことだろうと思ったさ……」
うなだれるジュリアスをよそめに、ディオーネは中空に手をかざした。その掌を中心として神界術式が広がって、彼女はまるで門でもくぐるかのような仕草でその中に入っていった。
「最近僕の懐が寂しいのだけれど、サレはどう思う?」
「ご、御愁傷様……」
サレは苦笑を浮かべ、うなだれるジュリアスの肩を優しく叩いた。