49話 「神を殲す眼」【前編】
夜も更け、日付がちょうど変わったくらいの時間になり、ようやく上の階から疲れ果てた顔のギルド員が下りてくる。
サレの看病を主導していたマリアたちも姿を現し、アリスが彼女たちの声を聞くや否や、すぐさま訊ねていた。
「どうでしたか?」
「なんとか造血作用のある薬草は飲ませられました。血色もよくなったので、多少は効いていることでしょう。副長自身の並みはずれた回復力もありますし、もう大丈夫だと思いますよ。治癒系統の術式が使えればここまで苦労することもなかったのでしょうが」
「なかなかいませんからね。外傷ならまだしも内部的な治癒に関しては術式理論もあまり発見されていないようですし」
「そうなると細かい術式理論が必要とならない精霊術式や固有術式、神格術式などが有用ですが、精霊術式にも内部治癒的な効能は期待できませんし――ああ、なんだか余計な考えを巡らせている気がします」
「疲れているのでしょう。お疲れ様でした、マリアさんも少し休んでください」
「そうね、そうさせてもらいましょう」
マリアは眉間を指でつまみながら自室へと去って行った。
「マリアがああまで取り乱すのも珍しい光景じゃな」
トウカが苦笑しながらマリアの背を見送る。
「シオニーさんはいかがされました?」
「まだサレの傍らにおるよ。――ふう、わらわも特に何をしたわけではないが、いささか疲れたのう。少し休むとするか」
そこでトウカはアリスの裏に控えていたジュリアスに気付き、声を掛けた。
「おったのか、ジュリアス」
「まあね。タイミングが悪かったようだけど」
「そうじゃな。今はいかにして睡眠を貪るかという議題以外に思考が回りそうにない。例の会合に関する話は明朝にしようではないか」
「そうだね。僕も空き部屋を借りてそこで寝るとするよ」
そう言ってジュリアスは犬顔亭主を呼び、一夜分の宿泊費を払ったあと、案内に従って階段を上がっていった。
◆◆◆
『ずいぶん騒々しい場面に出くわしたものだな、ジュリアス』
ベッドに寝転がったところで、再びジュリアスの頭上に神界術式が展開され、中から〈天空神ディオーネ〉が半身を乗り出して語りかけてきた。
「そうだね。でもサレが無事そうでなによりさ」
『お前のお気に入りか?』
「どうにも変なニュアンスの言い方な気もするけど、大体そんな感じかな」
『ほう。はてさて、どんな人物なのか。私が気に入ると思うか?』
「どうだろうね。神族の本質としてはあまり気に入らないんじゃないかな。彼は神族の助けを必要としないほど、肉体的にも精神的にも強いから」
『私自身は強い者は好きだぞ。特に精神的な強さは一朝一夕に身に付くものではない』
「まあ、彼の場合は強いというより、開き直り方がうまいのかもしれないけど」
『似たようなものだ。お前のようではないか』
「僕、そんなに開き直ってるかな?」
ジュリアスは金糸の髪をかきあげて苦笑した。
『お前は無駄に思考を巡らせる癖もあるが、答えが出ないと勘付くや否や途端に考えなしで猪突することがあったからな、昔から』
「さすがに、君とよく話していた子供の頃からは変わったさ」
『人の本質はそう易々とは変わらん。まあ、お前がそういうならそういうことにしておこう。さて、明日にはその男とまみえることができるかな』
「たぶんね。むしろそうでないと困る。酷使してしまうようだけど、王族会合が迫っているからね」
そう言って、ジュリアスは目蓋を閉じた。
◆◆◆
翌日、明朝。
ジュリアスはギルド員に呼ばれて目が覚めた。
「王子さん、副長が目を覚ましたようだぜ。マリアたちの許可が下りたから今なら話しに来てもいいって」
その言葉を聞き、ジュリアスは適当に身だしなみを整えたあと部屋を出た。
向かうはサレの自室である。
◆◆◆
サレの自室の扉は開いていて、中を覗き込むとすでに見慣れたギルド員の面々が控えていた。
その中心にはサレがいる。
苦笑浮かべてベッドから半身を起こしている姿だ。
「やあ、元気そうでなによりだよ」
「話に聞くと、どうやら死にかけていたらしいけどね。ジュリアスの目に俺が元気そうに映っているのなら、たぶん大丈夫なんだろう」
サレは両手を広げて大仰に嘆息してみせた。
「今夜の会合だけど、いけそうかい?」
「ああ、問題ない」
「私はあると思うけどな」
そう告げたサレに対し、横から厳しい表情をしたシオニーが非難を飛ばす。
彼女はまるでサレを行かせないといわんばかりに、サレの服の裾をぎゅっと握っていた。
「あ、あの、シオニーさん? 怒ってます?」
「別に、怒ってはいないぞ。非難しているだけだ」
「それ、怒ってるのと似たようなもんだよね」
「サレも隅におけないね?」
「おい、黙ってろジュリアス、話がややこしくなる」
「はいはい」
ジュリアスは眉尻を下げて相槌を打った。
次いで、心の中で念じるように言葉を浮かべる。
――彼が昨日話していた〈サレ〉だよ、ディオーネ。
ジュリアスは神界の奥から現状を見ているだろうディオーネに向けての言葉。
いつもどおりなら、似たような感覚で頭の中に声が返ってくるはずだったが、
『馬鹿な……なぜ――なぜ〈テオドール〉が生きているのだ……!』
返ってきた言葉は頭の中にではなく、部屋中に響き渡っていた。
◆◆◆
「うおっ、びっくりした……だ、誰? というか術式陣から出てくるって何事だよ……」
ディオーネが神界術式を割って空間の向こう側から出てくる様子を見つめながら、サレが首を傾げていた。
「あ、ああ、紹介するよ、彼女は――」
ジュリアス自身、突然のディオーネの来訪に驚いているようで、目をしばたかせている。
そんな好奇の視線を一身に集めながらも、ディオーネは構わずに神界から身を乗り出し、サレに近づいた。
ついには全身を神界から乗り出してきて、音もなく床に着地すると、サレの顔をじろじろと眺めはじめる。
『これは何の冗談だ。おかしい、現実が嘘をついているぞ、ジュリアス』
「僕としては君が何をもってそう言っているかの方が気になるのだけれど」
ジュリアスがそう言うと、ディオーネはサレを指差して答えた。
『こいつは〈テオドール・サンクトゥス・サターナ〉だろう! 『初代魔人皇帝』の! 有り得ないッ! 奴は神族との戦で死んだはずだ! 私とてあの戦には参加していた! この目ではっきりと見たのだ! 奴が死に絶えたところを!』
ディオーネがそんな言葉を並べて立てていた。
◆◆◆
――はて、この少女は一体誰なのだろうか。
サレは首を傾げたままそんな思考を思い浮かべていた。
『おい、テオドール、貴様どんな術式を使った。なぜ貴様がこの時代に生きている!』
「いや、あの、話が掴めないんだけど。俺は確かに魔人族だけど、テオドールじゃなくてサレだよ?」
『馬鹿を言え、貴様はどう見てもテオドールだ』
白光の少女が言った直後、しかしすぐさま彼女はサレの顔を見直して、少し首を傾げた。
『……んん? いや、よく見ると奴より幾分間抜け面だな……』
「ジュリアス! こいつ結構失礼な小娘だなっ!」
――間抜けとはなんだ間抜けとは。
近頃そんな形容詞ばかり聞いてる気がする。なんか納得いかない。
『ふーむ。だがその阿呆みたいに節操なく振られる黒尾も、右腕の魔術炎も奴のものに違いない。そもそも、初期の魔人族しか尾は生えていなかったはずだ。この時代に尾付きの魔人族は存在しないはずだが?』
「あー、なんか色々詳しそうだからこの際言うけど、俺は初代魔人皇帝の生まれ変わりみたいなもんなんだよ。躯だけね」
『若返ったとでも言うのか?』
「らしいよ。俺も人から聞いた話だけど」
『そんな術式が存在したか……いや、クロノス辺りなら可能かもしれんな……あの糞真面目馬鹿がそう易々と術式を貸すとは思えんが……』
ブツブツと独り言を発するディオーネをよそに、サレがようやくといった体でジュリアスに訊ねる。
「それで、この娘は誰なの?」
「彼女は〈神族〉だよ。〈主神級天空神ディオーネ〉、それが彼女の名さ」
サレの部屋の中にどよめきが走った。
◆◆◆
『そうだ、私が天空神ディオーネだ。忘れたとは言わせんぞ、テオドール。貴様、散々私を『万年幼児体型』だとか『胸面断崖絶壁』だとか馬鹿にしおって』
――初代様、結構ハッキリ言うよね。
「いや、だから俺はサレだって。〈サレ・サンクトゥス・サターナ〉。それが俺の名前だ」
『ほう、『サンクトゥス』の名を継いでいるのか。なら貴様が今の魔人皇帝か』
「魔人族は俺しかいないからね。結果的に純系の最終皇帝ということらしいよ」
そういうサレの表情に一抹の陰が差したのを、その場にいた者たちは見ていた。
『そうか、魔人族はお前を残して絶えたか。あの種族がそう易々と絶えるとは思えんが、サンクトゥスの名を継ぐ者がそういうのなら――そうなのだろうな。……分かった。サレといったか、貴様がテオドールではないことを認めよう。代わりといってはなんだが、貴様の眼を見せろ。妖術式の類ということも考えられるからな、固有術式である〈殲す眼〉を見れば確信が持てる。貴様が魔人族であることに』
「いいけど――」
少しの恐れがサレにはあった。
〈血の涙〉を流したあとに倒れた記憶が蘇る。
だが、その恐れによって〈殲す眼〉が使えないということになるのも困りものだ。
サレは一度大きく深呼吸をし、〈殲す眼〉を瞳に呼び出した。
術式紋様がいつもどおり瞳に浮かぶ感覚を経て、ディオーネに訊ねる。
「どう?」
『……』
――あれ?
なぜかディオーネの表情は凍っていた。
そして、次に彼女は視線を鋭くし、ジュリアスに声をかけていた。
◆◆◆
『ジュリアス、こいつを今ここで殺してもいいか』
◆◆◆
「えっ?」
『こいつは危険だ。神の敵になり得る。魔人族であることは間違いないだろう。眼を見て確信した。だが、こいつの眼はそれ以上の思慮を私に抱かせた』
殺す、という単語に一斉にギルド員たちが身構える。
同時に、ジュリアスが訝しげな表情を浮かべてディオーネに訊ね返していた。
「ディオーネ?」
『テオドールではない。それも確信した。奴はこの眼を開眼させかけたところでマキシアに殺されたからな。こいつはテオドールとは似て非なるものだ』
ディオーネはサレの眼に手を伸ばす。
まるでその眼を抉りだそうとするかのように。
そして言った。
『こいつは――〈神を殲す眼〉を持っている』
◆◆◆
「神を殲す眼……?」
『そうだ。こいつの眼は〈殲す眼〉ではない。テオドールが発現させかけていたさらに上位の魔眼。破壊と死を実践する魔眼術式の中でも最上位の眼、神格に至った眼――〈神を殲す眼〉だ』
サレにとっても、それは聞いたことのない名だった。
『神格に至った黒炎だけでも厄介だったというのに、固有術式まで神格化させおって。――貴様ら魔人族は危険すぎる。まさかここに来て、この時代に、その眼を発現させる魔人がいたとは思いもよらなかった。ジュリアス、こいつの眼は私たち神族にとって忌むべきものなのだ。――この場で狩らせてもらおう』
「ちょ、ちょっと、ディオーネ」
ディオーネがさらにサレの眼に手を伸ばす。
二本指を立て、その双眼に突きたてようという仕草だ。
だが、
『くっ!』
今にもディオーネの指がサレの眼に突きたてられようとしたところで、サレの右腕の封印術式から一瞬にして飛び出た〈サンクトゥスの黒炎〉が、その身をサレとディオーネの間に滑り込ませた。
『本当に忌々しい黒炎だなっ! いつもお前は私たちの邪魔をする!』
「あのさ、なんか盛り上がってるところ悪いけど――」
ディオーネと黒炎が戯れている様子を微笑ましげに見ていたサレが、そう切り出してから続けた。
「お腹すいたから続きは食堂で話さない?」
「ぐぎゅる」と盛大な音を立てる腹を擦りながら。