4話 「魔人が後悔した日」
あれから、少しだけ変わったことがある。
アルフレッドたち男性陣が、俺抜きで戦闘訓練をしているのをよく見かけるようになった。最近はアルフレッドが城の中庭で長槍をぶん回している。
物騒なことでもあるのだろうか。
「ふふ、サレを見ていたらまた鍛えたくなってね」
若すぎだろ。
「最近森の方はどうだい? 前にちょっと変なことがあったって言っていたけど」
「いや、あれからはなにも。――なんだったのかなぁ」
「次会った時に確かめればいいさ」
「――そうだね」
年齢的には凄まじいまでの開きがあるものの、アルフレッドたちは父であり、兄のようだった。リリアンたちが母であり、姉のようであるのと同じく。
なにぶん複雑だから、深く考える必要はないだろう。
大切な家族であることは確かだ。
それだけあればいい。
「――んじゃ、俺はまた森に行ってくるから」
「わかったよ。気を付けてね」
踵を返す。
アルフレッドの言葉には尻尾を振ることで応えておいた。
◆◆◆
さらに月日が経った。
身体は老いない。まだまだ十代であるし、老いを感じるような年齢でもないのだが。
――それにしても、少しサンクトゥス城が窮屈になってきた。
城はもちろんのこと、イルドゥーエ領内の森も、大体を歩き切ってしまった。
かといって、イルドゥーエ領内を出ようとすることにも少し気が引ける心持だ。
だが、そんな俺の心境を見透かしたように、ある日アルフレッドが言った。
「サレ、そろそろイルドゥーエを出てみたらどうだい? 僕らがサレに教えられることは、もうほとんどない。ここに閉じこもるより、外へ出て見聞を広めた方が――生きるのが楽しくなると思うよ」
アルフレッドたちには俺の記憶の断片を話したことがある。
俺が生に執着していることも、それとなく知っているのだろう。
俺はベッドに寝転がりながら、アルフレッドの言葉に答えた。
「でもさ、純人族ってたいてい、魔人族を目の敵にしてるんだよね?」
「みんながみんなというわけじゃない。魔人族が純人族と和平を結んでいた時には、僕たちを快く受け入れてくれる人たちもいたよ。そういう見識の違いも、自分の目で見て、耳で聞いて確かめた方が早い」
「そう言われるとうなずくしかないけど……」
まだ荷が重いと思ったら帰ってくればいいか。
そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
「――分かった。なら、行ってみるよ」
「決まりだね。実はもう旅用具はそろえてあるんだ。明日僕の部屋にとりにおいで」
「合点合点」
尻尾をふりながら了承の意を返して、寝がえりをうった。
◆◆◆
次の日。
「おい、これが旅道具とかどんだけ豪奢なんだよ……!」
アルフレッドの部屋を訪れると、旅用具と称して様々なものを渡された。
「――――えーと、これがイルドゥーエ皇国の〈皇剣〉。魔人族の皇族が使っていたものだね。国としての主権があった時代には皇族の象徴として活用されていたけど、今は国としての機能がほぼないから宝物庫にしまってあったんだ。機能面でも十分な性能を誇っているから役には立つだろう。僕は長物しか使わないから、サレにあげる」
渡された剣は真っ黒な鞘に収まっている。
鞘の腹には金地の金属で紋様が描かれていて、ピシリと整った直線形の柄と鍔も、同様に黄金色に彩られていた。
――これ金だよね? 絶対金で作られてるよね?
さらに目を引くのは刀身だ。
柄を握って剣を引き抜いてみると、そのあまりに贅沢な色を発する刀身が露わになった。
「うおっ、まぶしっ!」
いっそのこと輝きが目に悪い。
「これ、刀身は何で作られてんの?」
「永晶石と呼ばれる輝石だよ。よほどのことでない限り、刃が欠けたりはしないから、安心して振るうといいよ。ちなみに柄頭の宝玉も永晶石でできてる」
柄頭には同じような輝きを放っている宝玉がある。真球状と見まがうまでに丸い宝玉だ。
アルフレッドがいう「よほどのこと」の加減を今まで数々見せられてきた俺は、その刀身が欠けることは一生ないんじゃないかなぁ、なんて思わずにはいられなかった。
「あと、月光石で造られた短剣。これは夜でも光源になるから、夜に狩猟をするときなんか、結構便利だよ。あとあと、リリアンが一年かけて編んだ旅服一式。もちろん、丈夫さは折り紙つきだよ。サレのために尻尾も出し入れしやすいようになってるしね」
リリアンの編んだ特注品だ。世界に一つだけしかない、俺のための旅服。一年もをかけてそれを編んでくれたのはリリアン。
旅服はきらきらと輝いてすら見えた。
すぐに腹の底から目元にまで込み上げてくるものがあったが、なんとか押し留めた。
それにしても、微妙に金糸と銀糸が使われているように見えるのは、これまた気のせいだろうか。
――そろそろすっとぼけるのも厳しくなってきたぜ……
「布は宝物庫にあったいろんな服から良いところを部分ごとに拝借したんだ。糸に輝石を混ぜ込んであるから、よほどのことじゃないと切れたりしないし――」
よし、深く考えるのはやめよう。
丈夫な剣、丈夫な短剣、丈夫な服。そのくらいに思っていた方が、まだ気が楽そうだ。
「他の細かい備品は全部革袋につめ込んでおいたから。それを持ってマントを羽織れば――完成さ」
アルフレッドの目が輝いている。
「早く着てみせて」と目で訴えかけられているようだ。
しょうがないからその場で皇剣と短剣をそれぞれ左腰と背腰に差し、旅服に着替え、荷物を背負った。
なかなか動きやすい。
どことなく優雅な雰囲気を漂わせている服だが、旅服としての機能も十分なようだ。
ついさっき採寸したかのようにサイズはぴったり。
最後に、身体が膝もとまで隠れる大きな黒いマントを羽織る。
マントを首元でペンダントで固定し、アルフレッドの方に向き直った。
「――いいねぇ、さまになってるねぇ。――よかったよかった」
アルフレッドが目を細めて微笑みながら言う。
「そのペンダントは僕たち皆からの贈り物だよ。僕たちが魔人族である所以、殲す眼の紋様でもある六芒星の象形が刻まれたものだ。皮肉っぽいといえばそのとおりだけどね。でも――僕たちが確かに家族である証拠にもなる。僕たちの家紋といってもいい。ペンダントくらいならあんまり人目につかないし、ただの六芒星だから誰も特別な感情は抱かないと思う」
ペンダントの下地は光沢のある赤で彩られていて、その上に金地の線で六芒星が描かれていた。
「さあ、準備は整った。気が変わらないうちに――行きなさい、サレ」
アルフレッドが促してくる。
荷物の中身はあとで確認しようか。
「今の台詞、親っぽかったよ」
「はは、練習したからね――」
少し寂しそうな表情でアルフレッドが返してくる。
「そっか。――うん、行ってくるよ。疲れたらまた戻ってくるから」
「気にせずにお行き――」
アルフレッドとの別れは思った以上にあっけなかった。
◆◆◆
「――サレ」
サンクトゥス城の正門まで歩を進めていたら、突然背後から声をかけられた。
声に気付いてふり向くと、リリアンが小走りに走ってくるのが見えた。
こちらからも歩み寄って、リリアンの前にでると、彼女が頬に真っ白な手を添えてきた。
「……気をつけてね」
「うん、行ってくるよ、リリアン」
相変わらず表情の変化に乏しい顔だけど、俺はリリアンの表情の機微には聡い。
伊達にべったりされてはいなかったし、俺は俺で、それなりにべったりしてきたから。
寂しそうな顔をしていた。
「俺の家はここだし、ちゃんと帰ってくるよ」
「……寂しいからって、すぐ帰ってきちゃ、だめだよ?」
言葉のあとで、リリアンの微笑みを見る。
――変化に乏しいという前言は撤回だ。
リリアンの微笑みは、はっきりとした――美しい表情だった。
「――行ってらっしゃい」
リリアンが少しつまり気味に声を出しながら、俺の身体を反転させて、背中を押してきた。
「――行ってきます」
やっぱりあっけないけど、こんなものなのだろうか。
首を傾げるだけに留めて、結局、俺はリリアンに促されるままに――外界への一歩を踏んでいた。
◆◆◆
その時の俺は、そのあっけなさについて深く考えなかった。
それをあとで後悔した時には、何もかもが遅かった。
◆◆◆
「結構歩いたなぁ」
イルドゥーエ領内の森で一度立ち止まって、感慨深げに言ってみる。
鬱蒼と生い茂った繁みの奥の方に見えるのは、イルドゥーエの領内とその領外の境界線を示す大樹。
あの大樹のもりあがった根を跨げば、そこから魔人族の領分ではなくなる。
本当ならもっとドキドキするものなのだろうけど、いまさらになってアルフレッドやリリアンとの別れのあっけなさが心の中で引っかかっていて、どうにも中途半端な気分だ。
自分でもいつここへ戻ってくるかわからないのだから、一旦戻ってわけでも訊いておこうか。
結局、悩みながらも、大樹のそばまでゆっくりと歩を進めた。
そこで一旦荷物を降ろし、大樹に背を預けるように座りこんで、境界線を越える前に思い残しがないか確認する。
そんなことを思っていたら――
「――」
いつかのどこかで感じた『モヤモヤとした視線』を感じた。
舐めるように見られている。そんな感覚。
――不穏だ。
視線を気取られている時点でたいした使い手でないことはあきらかなのに、ほかの要素とあいまって、不安な気分にさせられる。
「……誰なんだ」
訊ねても、もちろん応答はない。
――あるわけないか。
「……」
やっぱり、一度戻ろう。
そう思って俺は首をもたげて、ついにサンクトゥス城の方角に視線を向けた。
そうしてはじめて『異変』に気付いた。
◆◆◆
視界のずっと奥の方で、『赤い光』と『どす黒い煙』があがっていた。
◆◆◆
煙……?
嫌な予感は倍増していく。
俺はすぐに立ちあがって地面を蹴った。
――まさか。
こんな短時間のうちに何かが起こるなんて――ありえない。
アルフレッドたちがよくやるみたいに、誰かが焚き火を燃やしすぎたとか、そんなくだらないことに違いない。
さっきの視線がもし魔人族に敵対する何者かの視線で――
――やめろよ。悪い方に考えるのは――やめろ。
俺は独善的でいられれば、それでいいんだ。
そうすれば開き直れるし、自分のことだからと、たとえ不幸が降りかかっても納得ができる。
でも――
気付いた。
◆◆◆
俺は、俺と近しい者の不幸に対して耐性がない。
◆◆◆
何度も死んだことで得たのはささやかな独善性と、生への執着心。
――俺はいい。俺ならいいんだ。
思考が悪い方向へ循環しはじめる。
今までの、この十数年間のさまざまな出来事がつながっていって、他愛のない日常の会話までもが記憶の引き出しから取り出されていった。
――大丈夫だ。何もないさ。
◆◆◆
心のどこかではそう思っていなくて。
◆◆◆
走って、走って、走って。ただ無心に走って。
荷物を降ろす事さえ忘れて、ただ走った。
そうして。
息を切らせてサンクトゥス城の正門に辿りついた時――
俺は自分の目を疑った。
火。煙。血。
血、人、火。
人、人――
肉の破片と、血溜まりと、
――家族。
俺の家族たちが、血に臥していた。
「なんだよ。――どうしたんだよ、みんな――」
争った形跡があたりに残っている。
サンクトゥス城はところどころ削りとられていて、地面が抉られていて。
倒れている家族たちの身体は、欠損している。
――いつもみたいに、少し森へ行っていただけじゃないか。
――なんで今日なんだよ。
「はは……」
乾いた笑いが口から漏れるのを止められない。
強烈なストレスの反動で勝手にもれてしまう――感情のない笑いが。
◆◆◆
家族たちの眼は、ひとつ残らず抉り取られていた。
◆◆◆
真っ黒な双眸がこちらを見ている。
どこまでも暗く、赤く、深淵に彩られた黒い穴。
「……っ! 誰かっ!! 誰か生きていないのか!!」
――やめろ、言うな。
自分から彼らが死んでいると認めているようなものじゃないか。
「――――サ……レ……」
だが次の瞬間、今にも途切れそうな声が、耳をつついた。
リリアンの声だ。
俺が間違うはずがない。
「っ!! どこっ!? リリアンッ!! どこにいるのッ!?」
まわりを見渡せば、幾人もの魔人族の死体が倒れている場所で、少しだけ動く『彼女』の姿があった。
両眼は皆と同じように抉り取られていて――
傍には微動だにしないアルフレッドの『死体』があった。
「……戻って……きちゃった……の……?」
リリアンの身体を抱き起こすと、彼女がゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。
「大丈夫だ! 今助けるから!!」
その慰めは偽善だ。
リリアンの顔は、双眸から延々と流れ落ちる真っ赤な血に染まっていて。
「サ……レ…………『行って……らっしゃい』」
嗚呼……
さっきと同じように俺の頬に触れた彼女の真っ白な手は、その言葉のあとに――
力なく地面に落ちた。
「あ……あ……」
リリアン、もう一度俺の頬に触れてよ。
お願いだから、死なないで――
「ああ……」
お願いだから、俺を一人にしないで――
「うわあああああああああああああ――――!!」
――おいていかないで。
◆◆◆
なんで。
『どうして』――
◆◆◆
――わからない。
――わからない。
――わからない。
……もういい。
わからないなら――
こんな場所――
こんな光景――
全部――
◆◆◆
――壊してしまおう。
◆◆◆
「あああああああああああああ――っ!!」
俺は視界に入る家族たちの亡骸を見て、城を見て、景色を見て――
全部壊れてしまえばいいと、強く願った。
眼が焼けるような感覚を経て――
視覚が途切れた。
……。
ちくしょう。