44話 「闘争への序奏」
騒々しい朝食を経たあと、それぞれが一旦部屋に戻り、アリスに与えられた役割をこなすための準備を開始していた。
テフラ王族の末弟〈ジュリアス・ジャスティア・テフラ〉との共同歩調を取るという大きな動きをつい昨夜に伴ったが、だからといってやることは変わらない。
何をするにしても資金は必要であったし、また、『闘争』を友にしていくというスタイルは余計に強まったくらいで。
ある者は早々に爛漫亭から出ていき、少し離れた位置の酒場に朝っぱらから入っていき、ある者は己の得物を携えて鍛冶屋へと向かい、ある者は同じギルド員数人を伴って周辺の散策に出かけていく。
そんな中、この日も客人が爛漫亭に訪れてきていた。
◆◆◆
「やあ、今日も来たよ!」
「……」
「あ、なんだい、その懐疑的な視線!」
ジュリアス・ジャスティア・テフラ、その人だった。
ジュリアスは昨日とは一線を画した豪奢な服装に身を包み、爛漫亭の玄関口をくぐって来た。
その体はまさに王族といった風で。
しかし、人懐っこい快活な笑みは変わらず、片手を上げて挨拶をしている。
対して、昨日のソファに座って今後の方針に関して話し合っていたアリスとサレとトウカは、そのジュリアスに向けて懐疑的な視線を向けることしかできなかった。
「昨日今日でそう簡単に何かが決まるものでしょうか……」
『手を打ってくる』と豪語して爛漫亭を出ていったジュリアスが、こうも短時間のうちに戻ってくることに対しての懐疑である。
「僕もそう思ってたけど、意外となんとかなるものでね。三日後に王位継承権を所持している王族と、王族に連帯するギルドの長が一同に会する場をセッティングしてきたよ」
そのジュリアスの言葉を聞いて、アリスは深い溜息を吐いた。
「なぜだか今ものすごくジュリアスさんを殴りたい気分になったのですが、私、間違っているのでしょうか」
「静かにたゆとうていた水面に巨大な岩石を放り込んだようなもんじゃなぁ……」
「劇的じゃないか! 事を起こすときはいつだって劇的さ!」
ジュリアスは自信満々に親指を上げて見せた。
笑みの口から覗く白い歯が、窓からの光を反射して輝いていた。
「とまあ、豪語したところだけど、他の王族も似たようなことを考えていたようでね。でもキッカケがなくてどこも大々的な開戦に手をこまねいていたみたいなんだ」
「ならいっそのこと自分でそのキッカケを作ってしまおうと、そういうわけ?」
サレが言う。
「そうだね。劇薬に劇薬をつっこむ感じで、一触即発の一斉会合ってところかな」
「はあ……まあいいでしょう。過ぎたことを言ってもしかたありませんね。――それで、ジュリアスさん、その会合に対するあなたの意図はなんなのですか?」
アリスの問いが爛漫亭の一階大広間に響く。
問いを受けたジュリアスはやわらかな笑みを引っ込め、代わりに至極真面目な表情を作って言った。
「中途半端に今回の王権闘争に参加している王族の戦意を一気に刈り取る」
瞳に強固な意志を込め、ジュリアスは言葉を紡いだ。
声色は強く、震え一つない。
「どうやって?」
「力の差を見せつければいい。数人、心当たりがあるんだ。もちろん大部分は屈しないだろうけどね。屈したら、あとは闘争から遠ざけておけばいい。王族が奔走することで疎かになりがちな政務にでも集中させればいいと思ってる」
「それはつまり、ジュリアス。――お前から仕掛けるってことだな?」
「うん、受け身は苦手でね。そう捉えてくれて構わないよ。このままのペースで今回の闘争を争っていたら、十分な準備の時間をアテム王国に与えてしまう。はっきり言って、いまさら遅いのかもしれないけど、それでも『仮に』という場合を想定したら早ければ早い方がいい」
「カカッ、なかなか過激じゃのう。じゃが、そこまで悪い案でもないか」
「どうせ今回の脅しに屈しないであろう王族たちは、どうしたって決意を変えないだろう。これまでだってそうだった。なら、こちらも交戦の意を示して、闘争を『加速』させてしまったほうがいい」
ジュリアスが対アテム王国という大局を見据えるゆえの策だった。
だが、
「大局を見据えるのは構いませんが、闘争の細部――その大部分は私たちが担っているのですよ? こちらはまだ大した準備もできていませんし、この時点での闘争の加速は私たちの不利の加速でもあるということをお忘れなきよう」
アリスはアリスで、集団の長という立場上、こちらが不利になるという条件に対して易々とうなずくことはできない。
「もちろん忘れてないさ。だから、無理を承知で頼みに来たのさ」
ジュリアスが言う。
アリスはしばしの沈黙を経たあとで、言った。
「……はあ。いやはや、本当に最近はため息ばかりです。もうセッティングはしてしまったのでしょう? ――抜け目のない人ですね、ジュリアスさん。これでは断りづらくもなります」
「はは、でも君だってそう言いながら、ちゃんとこの提案を受けることの危険性と、僕が王になった時に得られる利益を頭の中の天秤にかけている。――そうだろう?」
「ええ。それが私の役目ですから。抜け目のないのはお互いさまということでしょうね」
二人は数秒の間、口を閉じ、視線だけを交わした。
お互いの真意をその瞳の奥に読み取ろうとしているかのような、一見すれば険悪そうな印象すらももたらしそうなやり取り。
しかし、そこに敵対心はないだろうというのがサレが得た印象でもあった。
あくまで取引相手の真意を探っているという感じだ。
二人ともが本気で、容赦をしないからこその真っ向からの視線のやり合い。
サレは二人の様子をみながら「俺の出る幕はなさそうだ」と自分に言い聞かせ、二人が結論を出すのを待つことにする。
そうして数秒をおいて、
「――わかりました。――ジュリアスさんの策に乗りましょう。対価は後付で考えるとします」
「それって僕にとって物凄く不利だよね? ――あとでいろいろ要求されるわけだよね? あれっ? 僕また下手打った感じかなこれ……」
涙目のジュリアスを横目に、サレはため息をついた。
「頭がまわるのか、ただの馬鹿なのか、判断に困るところだよ、ジュリアス」
すでに手を打ってしまったジュリアスとしては、契約上アリスの言葉を容易に覆すことはできない。
基本的に不利な状況で交渉を進めねばならない自分の身の上をわかっているのかわかっていないのか。
単に猪突型なのだろうか。
手を打つ速度も過激さも十分で、ゆえにその効力も大きくする手腕にも長けていると第一評価は下せるが、その実、そのあとの手回しが微妙に抜けていたりする。
ともあれ――
「じゃあ、俺も準備しようかな」
「何をおっしゃっているのですか、サレさん。その会合に出席するのは各連帯ギルドの長ですよ? ――〈凱旋する愚者〉の長は私です。なので、準備をするのも私です」
「――違うよ」
サレは顔を横に振った。
「――行くのは『俺』だ。これは譲れない」
サレは先ほどまでの交渉戦には自分が出る幕はないと判断を下したが、その判断が下ったあとの事柄については当初から首を突っ込む気でいた。
つまり、アリスがジュリアスの策に乗っかると決断したあとの事柄について。
「なにがダメなのですか? くわしく説明してください。――三文字で」
――くわしく……三文字でくわしく……三文字……?
「それ矛盾してるよね!? かなり横暴なこと言ってるって自覚してるよね!?」
「いちいちリアクション取らなくていいですから」
――アリスは、機嫌が悪くなると、物凄く横暴になる。理不尽な程に。
しかし、この場面で彼女の要求に応えねば強権を振るわれそうである。
だから、
――ここはあの精霊族のチビッ子の言にのっとって、述べておこう。
「――超危険」
「……チッ」
――うまく乗り切ったと思ったらこれだよ!! 視線逸らして舌打ちとか本人の目の前でする仕草の中でも最上級の侮辱だよねこれ!?
「おもむろに俺の肩に手をおくなジュリアス! 悲しくなってくる!」
満面の笑みで肩に手をおいてきたジュリアス。
どうやらこいつもなかなかに腐った性根をしているらしい。
絶対どこかでやり返そう。
「まあまあ、落ち着きなよ、サレ。……プッ」
――やっぱり今やり返そう。
そう決心したサレはジュリアスに動きを悟られないように、服の中に隠していた尻尾を器用に外に出すと、一度振り子のように振って勢いをつけてから彼の顔面目がけて振るった。
だが、
「ププッ、残念だったねサレ!! 僕もテフラ王族だからね! 法神テミスと契約くらいしているさ!」
振るわれた黒尾はジュリアスの頬を弾くにいたらず、瞬間的に彼の眼前に展開された防護陣によってたやすく止められた。
――〈サンクトゥスの黒炎〉を使おう、そうしよう。
「あっ、まって、それはなし!! ――えっ!? 普通味方にそういうの向けないよね!?」
「いいかジュリアス、このギルドではな、一回弱みを見せると二週間はそれに付け込まれるんだ。健全な精神を保つためには犠牲もやむなしなのだ。それにな? 魔人族の偉い人が『我らが魔人族の力の源は怒りにある』と言っていた。今ならこの術式もうまく扱えそうな気がする。大人しく実験台になろう、ジュリアス」
「あの、茶番はそれくらいにしてください。契約破棄しますよ」
「すみませんでした」
「ははっ、ざまあ―――」
「サレさんも尻尾握りつぶしますよ」
「すみませんでした」
はあ、と巨大なため息を吐いて、アリスが気だるげに頬杖をついた。
それを見たサレは内心で、
――近頃は肉体的言語表現力の成長が著しい。
そう思った。
その多彩で効果的な表現力によって、ギルド員たちの心が砕け散らないか心配になってくる。自分を含めて。
「まあ、正直なところ、そうおっしゃるとは思っていましたが、あえて訊ねましょう。なぜ私ではいけないのですか?」
「超危険」
「三文字でなくていいです」
「あっ、うん、なんかごめんなさい。――でも、意味としては大体その三文字で事足りるんだけどね。名目上は確かに王族とその連帯ギルドの長が集まる会合だけど、馬鹿正直に長を出してくるところは少ないんじゃないの? 一触即発の場、ってこと考慮すると。もしそこで闘争がぶっぱなされたら――下手をうてば奇襲一発でカタがついてしまう」
ただの顔合わせにしてはリスクが大きすぎる。サレはそう付け加えた。
さらに、
「王族は別だ。法神の神格術式があるから基本的に連帯ギルドの長よりは安全だし」
「それに、テフラ王族は形式ばった儀式が好きだからね。そのうえ一部は祭り好きでもある。サフィリス姉さんなんかは喜んで来るだろう。一番面倒くさいエルサ姉さんにいたっては、裏をついて逆に自ら足を運ぶかもしれない」
「〈黄金樹林〉の連帯者だっていう第三王女だっけか。聞くところによるとだいぶ計略好きらしいけど、そんな性格の王族がわざわざ来るの?」
「あくまで予想だよ。僕がセッティングした会合は王族間では正式なものだ。正当な儀式なんだよ。それでも、さっきも言ったとおり一触即発で危険だらけ。だから重要人物が影武者を使ってくる可能性は高い。ここで『正当な儀式』という言葉が効力を持ってくる」
「はて、どんな風に」サレが聞き返した。
「単純さ。エルサ姉さんは会合に自らおもむき、影武者を暴き出したうえでこう言う。――『王族間の正当な儀式に影武者を使うとは何事か』と。暗に無礼であることを示しつつ、非難しまくる。まあ、論説は正しい。立場的には一応対等だからね。そしてほかの王族が証人にもなる。場合によってはここぞとばかりにそれに乗っかった王族の皆に非難され、一夜にして孤立無援ということになる」
「うわぁ……」
「どの王族も野心家で、他の王族を蹴落とす機会を窺っているわけだから、十分にありうると思うよ」
「こちらは危険を冒してまで会合にわざわざ出席してやったのにお前らはなんだ、ってわけか」
「そう。そしてそのあとに対価を求める。犯した非礼に釣り合うだけの対価を。――そうだな、エルサ姉さんなら『情報』を求めるだろう」
ジュリアスが一息ついて、続けた。
「――とまあこんな風に、すでに読みあいみたいなことがはじまっているわけだよ。もちろん普通に危険性を考慮して影武者を使うこともありえるだろうけどね」
サレは率直に「面倒だな」と口の端に漏らした。
「『戦略』とはそういうものさ。特に政治的な要素が絡むと余計に複雑になる。そして戦略における勝利者は細部の闘争において圧倒的に有利になる。『戦術』では覆せないほどの戦略的勝利を与えてしまったら、その時点で闘争は意味をなさない。いや、それも含めての『闘争』かな。王族にもいろいろなタイプがいるわけさ」
「全員が全員、サフィリス姉さんみたいなのも嫌だけどね」とジュリアスは付け加え、言葉を切った。
「ふむ。ジュリアスさんの考えは理解しました。しかし、ならばこそ私が出席した方が――」
「――君が来るかサレが来るかはそちらのギルドの問題だから、僕は口出ししないよ。どちらが来るにしても、そのデメリットに対する対策は僕が十分に用意するつもりだけど、時間が多くあるわけではないから早めに教えてくれると助かるね」
ジュリアスは微笑を浮かべた。
「さて、僕もまだ用意が整っているわけじゃないから今日はこのへんで失礼するよ。またご飯食べに来るから、その時に答えを聞かせておくれ」
「……わかりました。ではそのように」
「うん」
「あっ」
「ん?」
「食費はご持参下さい」
「うん……」
――ジュリアス、それは悪手だ。その程度で現在進行形で金の亡者であるアリスが無用な出費を見逃すわけがない。
サレは内心で思った。
「なぜでしょうか、ジュリアスさんは爛漫亭を出ていくとき、いつもうなだれていますね。入ってくるときはやかましいくらいに快活ですのに」
「毎度毎度締まらないのは確かだな」
しみじみと呟きながら、サレがうなずいた。