42話 「黒炎の揺蕩い」
「闘争というからには、やっぱりまた殴り合いになるのかなあ」
ふと、サレが尾をゆったりと左右に振りながらなんともなく告げた。
「そうだね。サフィリス姉さんを見たからわかると思うけど、好戦派の王族やギルドは多いよ。だから僕は君たちを選んだ。正確には――」
ジュリアスはサレの方に顔を向け、一拍をおいてから言った。
「サレがいるから、だけど」
「皆さん、皆さん、この王子はどうやらそっちの気があるようです……」
アリスが即座にわざとらしく相槌をかます。
「えっ!? ちょっ、そういうんじゃなくて!」
「ジュリアス、このギルドの中では含んだ言い回しは絶好の的になるんだぞ……」
「次から気をつけるよ……」
サレが「はあ」とため息をついて、話を戻した。
「で、俺がいるからって言ったけど、その意味は?」
ジュリアスも襟をただし、ゴホンと咳払いをしてから表情を引き締めた。
「――『神格』に対抗しうる力を持っているからだよ。今回の『闘争』は基本的にギルドはギルドと、王族は王族と、そういう区切りで行われることになる。なぜなら――」
「……ああ、〈法神テミス〉か」
サレはサフィリスとの戦闘を思い出す。
「そう。法神テミスの神格防護があるかぎり、テフラ王国内での闘争では王族は王族か、それに近い地位の者にしか手を出せない。だから王族との相対は王族によってなされると予想される。でもサレ、君はそのルールを外側から喰い破る力を持っている」
「まだ使いこなせてないけどね」
「でも、持っていることは確実だ。これを活用しないわけにはいかない」
「つまり、場合によっては俺が王族同士の闘争に介入しろってことか」
ジュリアスがうなずいた。
サレがそのうなずきを見たあとで続ける。
「確かに、法神テミスによる暗黙のルールの中では絶妙な不意打ちになるだろうな。不文律を真っ向から破るってのは、またずいぶんあくどくて――いい感じに悪役じゃないか」
サレが不敵な笑みを浮かべる。
しかし、笑みを浮かべたのはサレだけではなかった。
ジュリアスもその口元に同じような笑みを浮かべ、
「言っただろう? 僕は僕の目的のためならなんだってする」
「そういうことなら、少なくとも俺たちとはウマが合いそうだ。でもさっきのサフィリスとの相対で、俺が神格に対抗しうる力を持っていることがバレたんじゃないか?」
「そうだね。――でもわざわざその情報を言いふらしたりはしないと思うよ。サフィリス姉さんの場合は『黙っておいたほうが面白くなりそうだから』って理由で――」
さらに、
「さっきのマーキスたち〈黄金樹林〉の連帯王族であるエルサ姉さんの場合は、『情報を独占するため』って理由でね」
ジュリアスが自信ありげな推測を立てて見せる。
「まあ、もしかしたらエルサ姉さんの方は等価の交換条件にこの情報を使うかもしれない。サフィリス姉さんの理由の方がまだ信頼に足るかな。これ、結構不思議なことだけどね」
ジュリアスは言いながら、自分の言っていることがおそらく正しいだろうという確信を抱いていた。
「いずれにせよ、こうなれば先手を取ったほうが益は大きくなりそうだ。数日のうちになにか行動を起こせるようにいろいろ仕組んでくるから、今日のところはこのへんにしよう。このままじゃ夜が明けてしまう」
ジュリアスはサレから視線を外し、再びアリスの方を向いた。
「そういうことでいいかな?」
「そうですね。まあ、いいでしょう。こちらからの条件は次の談話までにまとめておきます。おおよそ予想はついているでしょうが」
「僕の力ではどうしようもない無理難題でなければ、大概の条件には肯定のうなずきを返すつもりだよ」
「それを聞いて安心しました」
アリスの瞳に淡い光が閃いたのをジュリアスは見た。
――あ、もしかして今の失言だったかな……本当に容赦しなさそうな目の光が…………
一瞬背筋に悪寒が走ったが、見栄を切ったところでいまさらあとに退くわけにもいかず、一度生唾を飲んでから踵を返す。
「――あ」
「ん?」
「修繕費、お忘れなきように」
「ああ……心得たよ…………」
――いまいち格好がつかない去り際になりそうだ……
ジュリアスは内心で一人涙を流しながら、爛漫亭の玄関口を跨いだ。
◆◆◆
その後、〈凱旋する愚者〉の面々もそれぞれの部屋へと戻り、遅めの就寝についた。
先ほどの襲撃によって三階のアリスの部屋は半壊したため、アリスは一時的に他の部屋に移ることになった。
サレの部屋は余波を受けたものの、崩壊はほとんど見られなかったので、そのまま自分の部屋へと戻ることにする。
しかし、実際に部屋戻って床に就いてみると、
「ぜんっぜん眠くない……!!」
ついさっき交戦を経たためか、まるで眠気が訪れない。
――睡魔を呼び寄せる術式とか開発したいわ……
胸中で思う。
と、術式という単語でピンときて、
「あっ、さっきの術式の復習でもしようか」
仕方なく、眠気が来るまで先ほどの戦闘を思い出しつつ、自分が扱った術式について考えを巡らせることにした。
――闘争への準備は早ければ早いほどいい。
そんな言葉を念頭に置きつつ、思考を進める。
黒炎の神格化。
見れば、自分の右掌に傷として刻んだ術式陣はすでに消えかかっている。
予想以上に時間的猶予がなかったようだ。
危なかったと、改めて思う。
「神格ねえ……」
神族との縁が薄い異族だからとタカをくくっていたところに、神格術式を多用するテフラ王族だ。
正直なところ、こんなにも神格術式と関わることになるとは思わなかった。
それも相手は戦系神格者ばかりだ。
だが、嘆いたところで神格への対抗手段が必要なことは変わらない事実で。
「せめて初代様がもう少し黒炎の術式について教えてくれたらなぁ……」
――うちのおじいちゃんは、結構厳しい。
備え付けの椅子に座りながら、机に突っ伏す。
「んー……」
ヒントはない。
こうなれば、術式を一から解析していくしかないだろう。
一応のところ、リリアンたち魔人族女性陣のおかげで、ある程度の術式の学術知識はある。――あるつもりだ。
となれば、直接術式を見ていくしかない。
「――どうやってよ」
黒炎は術式の事象が成ったものだ。
術式は、その効力が事象に成るときに、術式陣として展開されるものがほとんどだ。
だが黒炎はすでに成っているわけで。
「これじゃあ術式見れないよね……?」
――いかん、このままでは早々に詰む。
とにかく、まずはなんでもいいから行動しなければ。
そう思って、とりあえず黒炎を呼び出した。
まるでなついた犬のように身体にまとわりついてくる黒炎をなだめ、右の手のひらに固定する。
眺める。
天に掲げてみる。
振り回してみる。
――あ、ちょっと机が削れた。不可抗力不可抗力。バレなけりゃ問題ない……!
じっと眺めていても、黒炎は楽しげに炎の身体を揺らめかせるだけで、特に変化が起こったりはしなかった。
「――大体の予想はつくんだ。大体は」
どういう術式を構成すれば魔術炎が生まれるか。
どういう術式を組めば術式炎が発生するかは分かるのだ。
基本構成は同じ炎だから、根本は変わらないだろう。
あとはそこに複合された膨大な回路の解析だ。
幾許かの間、サレが黒炎を眺めたままでいると、ふとあることに気づいた。
黒炎を固定した右手を机の上においていると、その机に奇妙な幾何模様と文字がうっすらと浮かんできたのだ。
「ん?」
ぎりぎり読めるか読めないか、その程度の薄さだ。
だが変化は確かで。
サレは感づいたように黒炎をまとった右手をさらに机に近づけた。
すると、浮かびあがった幾何模様はさらに濃くなってきて――
「お、お前っ! 賢いやつだな!」
黒炎が自らの構成術式を机に彫り出していた。
「術式を知りたい」という意志に黒炎が反応したのだろうか。
――そうとしか思えない。
つい褒めたくなる気持ちもわかるだろう。
どうやら黒炎にはそれ自体に意志染みたものがあるらしい。
意思か、自我か、きわどいところだが。
歴代魔人族の意思が封入されたことで、付加的に備わったのだろうか。
しかし、思い返してみればうなずけるところだ。
魔術が意志にも準ずるのは周知のことだが、黒炎のそれは他の魔術に比べて過敏すぎるくらいで。
むしろ、こちらが意図せずとも、先刻のように勝手に翼の形態を取ることさえある。
――ますますもって犬のようだ……
そんなことを頭の中で思い浮かべると、
「おおう! いやっ、ごめん、犬じゃないよな! 炎だもんな!」
黒炎が怒ったように身を揺らめかせた。
とっさに謝罪を述べるが、自分でもなに言ってるかわからない。
「犬ポジションはシオニーの独占領域だからな。お前は別口で――あれだ、あれ……なんかこう――頑張れ!」
念を押しておいた。
今度はちょっとやわらかく揺らめいた。
これは肯定的な感情の表れと解釈してよさそうだ。
そこまで考えて、
「俺、炎相手になにやってるんだろう……」
急に虚しくなった。
そんなこんなでしばらく時間の経過を経ていると、そのうち机いっぱいに術式陣が広がっていった。
「これで全部かな?」
かなり細かく、そして膨大だ。だがこの程度なら時間を掛ければ――
そうサレが安堵を得ていると、今度は一際大きく黒炎が揺らめいた。
その炎の身体を上方へ高く伸ばし、ついには部屋の天井付近に至るまで伸びていく。
「うわあ……すっごく嫌な予感がするよ……」
サレの予測もつかの間、今度は黒炎が『天井』に魔術陣を描写しはじめた。
「やっぱりかよ!!」
――くそっ!! このぶんだとコイツ部屋いっぱいに術式書くぞ!!
「ちゃ、ちゃんと消えるんだろうな!?」
幾何模様と文字列に囲まれた部屋とか不気味すぎるからな!?
「……サレ、一人で何やってるんだ?」
えも言われぬ悔しさが湧きおこってきて、机を拳で一殴りしたところで――サレの部屋に『来訪者』があった。
その来訪者は訝しげな表情を浮かべてサレの部屋の扉の前に立ちすくんでいて、
「ノックしたんだけど――」
シオニーだった。
銀の髪を少し湿らせて、艶やかな色っぽさを雰囲気に宿した人狼族が、部屋の入口に立っていた。
「あっ……あー…………」
サレは一秒ほどの思考停止時間を経て、
「……あああっ!?」
「うおっ!」
ハっとしたように目の前の机と天井と右の掌を見た。
すると――
机に刻まれた術式陣も、天井に描かれ始めていた術式陣も、右掌の黒炎も、一瞬のうちに消えてしまっていた。
――憎たらしいほどに周到な奴だな……
主以外には自らの構成術式を晒さないらしい。
ともあれ、不気味部屋になる可能性は消えたので、まずは安心する。
――シオニーに不気味がられる心配もなくなった。よかったぁ……
それ以上に、これをネタにギルド員にイジられる心配がなくなったことのほうが大きかった。
――あいつら無理やり嘲笑のネタにしやがるからな。
「ちょっと集中してたから聞こえなかったよ、ごめんごめん」
「そ、そうか。まあ夜分に訪れる私の方にこそ非があるんだがな」
シオニーの尾はしおらしく項垂れていて、サレはなんとなくその胸中を察した。
――あ、今のなんか洒落っぽい。シオニーがしおらしく……シオニーがしおらし……
思いながらふと机を見ると、さきほどの黒炎の術式陣のように少し黒ずんだ焼け痕で、
『二十点』
そう描かれていた。
「やかましいわっ!!」
「えっ!?」
「あっ! 違う!! 今の違うから!!」
無性に右掌の封印術式に収まっている黒炎を殴りたくなった。