41話 「永遠の国の玉座を」【後編】
「――本当に、大袈裟な肩書きだよ」
ジュリアスは嘆息と一緒に言葉を吐いた。
「しかし事実です、殿下。自己による客観視よりは、周りの者の口から出た言葉の方が真実味を語るでしょう?」
マーキスは口元に微笑を浮かべながら言った。
そのあとに彼は再び流麗な一礼を見せる。
敬意を含んだ動作を周りに見せつけたあと、マーキスは思い出したように続けて言葉を紡いだ。
「ああ、それと――あなたの上から二番目の姉君は、連帯ギルドである〈銀旗の騎士団〉を動かすようですよ」
その言葉を聞き、ジュリアスは即座に顔を顰めた。
「マーキス」
短く、これまでのジュリアスの声とは一線を画した低い声で紡ぐ。
「求めてもいない情報を囀るな。その情報を交換材料にするつもりか。――恩着せがましく、卑しい手法だ」
「ほう、なるほど。もっと『平和ボケ』しておいでだと思いましたが、そうでもないようですね」
「僕を試したな。――エルサ姉さんのやりそうな手口だ。この際だからはっきり言おう」
ジュリアスが一息のあとに力強く言った。
「僕はエルサ姉さんの『敵』だ。つまり、僕は君にとっての敵でもある」
「決心なされたのですね。なら、そうなりますか」
「用は済んだだろう。理解したならば去れ」
ジュリアスは目つきを鋭くし、威圧を込めた言葉を放った。
対するマーキスは再び真意のつかめない微笑を浮かべ、しかし無言で踵を返した。
爛漫亭の入り口で跳躍の姿勢を取る間際、ほんの少しだけ彼は振り向き、
「では、よい闘争を」
そう言って闇夜に姿を消した。
◆◆◆
「また巻き込んでしまったね。本当に申し訳ない」
「ああ、お気になさらずに。巻き込まれるのには慣れているので。――しかしそうですね、自らに非があると御思いなのでしたら――」
ジュリアスはアリスの方を向き、深々と頭を下げた状態で、続くアリスの言葉を待った。
「――爛漫亭の三階の修繕費を肩代わりしていただけませんかね?」
「しゅ、修繕費……?」
「ええ、結構派手にやられたので。正直に申しあげれば、私共にはあまり金銭的余力がないのです。毟って――いえ、稼いでくればあるにはあるのですが、それも即日とはまいりません」
アリスは大袈裟な身振り手振りを加えて説明を続けた。
「この宿はなかなか居心地がいいので、亭主とは懇意にしたいところなのですが――私が言いたいこと、わかりますか?」
理解を促すように繋ぎ、しかし結局アリスは前言を訂正する。
より端的になるように言い直した。
「ふむ、遠回しな表現は苦手ですね。はっきり言いましょう」
「う、うん……」
ジュリアスの返答を聞くやいなや、アリスがスウ、と大きく息を吸いこんだ。
その胸が吸いこんだ息に膨らむ。
そして、
「――迷惑な客として追い出されるのは困るので即日弁償かつ二割増し程度の心付けを加えてこのあたりで懇意の基盤を作っておきたいのですわかりますねわかりましたね完璧に理解しましたね?」
一息で言い切った。
対するジュリアスは目を丸めて驚くことしかできない。
音の羅列が頭の中でゆっくりと言葉になっていくが、それが完成する前にアリスが再度口を開いていた。
「はい、では、先ほどの胡散臭い狐目さんがおっしゃっていたとおり、『沈黙は是』ということで。ではでは、亭主、そういうことで弁償代はこの方から受け取ってください。ええ、そういうことで」
アリスは宿の受付机付近で事の次第を眺めていた亭主に向け、まっすぐに天を指す親指を見せつけた。
「ぐっ」という擬態語が周りに見えてきそうなまでの、力強いポーズだ。
「押しきりやがった……!! 悪魔だっ……!!」と周囲のギルド員たちからヒき気味の声があがるが、アリスの盲目の一瞥を受けるとすぐさま口を閉じた。
「あ、了承いたしました。では弁償代はジュリアス殿下に頂くということで」
「ええ、少し心付けも加えておくので、どうぞどうぞお子さんに何か買って差し上げてください」
再び無表情で自信満々に天に伸びた親指を見せ、アリスはうなずいた。
「皆さん、お金の方はなんとかなったので、少しくらいはこの王子の話を聞いて差し上げましょう。これでようやく立場的にイーブンです。安心して交渉に臨めますね」
「あ、あの、僕もそんなお金持ってるわけじゃ……」
「決定事項なのでなんとかしてください」
震える声と共にうなだれるジュリアスを見ていたサレは、ふと衝動に駆られて彼の肩を叩いた。
「少なくともタダ飯喰らいは卒業だな、王子様」
「慰めるつもりが本当にあるのか疑いたくなるところだよ、サレ……」
他の凱旋する愚者の面々は、サレの尻尾が楽しげに左右に振られていたのを確かに見た。
「絶対あの副長面白がってやがる……」そう皆は思いながら、自分の心中もだいたい同じような状態であること気付いて、それ以上は黙っておくことにした。
◆◆◆
「それで、なぜジュリアスさんは私たちに接触を試みたのですか?」
「僕がこのテフラの闘争に参加するには『連帯ギルド』が必要だからね」
「なるほど、下見ですね」
「サレ、君のところのギルド長は本当にストレートな言葉を使うね……」
ジュリアスが、付近で楽しげに尻尾を振っていたサレに悲しげな表情で言った。
「ああ、それはアリスがちょっと楽しくなってきてる証拠だから良い傾向だと思うよ。お前をイジることに楽しみを見出した証拠だ。加えて言えば、少なくともちゃんと話を聞こうとしている合図でもあるから、マシだと思うことだな」
「サレさん、私はそんな嗜虐志向の強い性格ではありませんよ。ええ、べつに楽しんでなど――少し楽しいですけど」
――言い直した。すごい速さで訂正したよ。
「ともあれ、さきほどのお話から察するに、あなたもテフラの権力闘争に首を突っ込むおつもりで?」
「あ、うん。最近は王族も連帯ギルドも動きが活発になってきてね。一人で逃げ切れるかどうかきわどくなってきたんだ」
「逃げ切れるか、ですか。――いまいち要領を得ませんね? 逃げるために私たちに探りを入れにきたのではないでしょう?」
「――そうだね」
「では、再び端的に聞いてしまいましょう」
ジュリアスの眉元がぴくりと微動した。
対するアリスはまったく表情を変えず、虚ろな目の光をたたえながら言う。
「あなたはこの闘争に『勝つつもり』があるのですか?」
つまるところ、聞きたいのはそれであった。
ジュリアスは闘争に参加するとは言ったものの、闘争の果てに何を得ようとしているのか、明確な個人の願望を述べはしなかった。
仮に協定を結ぶにしても、目的がはっきりしないことには交渉の席にすらつけない。
いずれにせよ、話を聞く限り、隠し事をしたまま協定を結べるような軽い状況ではないのだ。
アリスの言葉を受け、ジュリアスは一度黙り込んだが、ほんの数秒の間を経てついに口を開いた。
「――『ある』。勝つつもりだ」
ふむ、とうなずいたのはアリスだった。
「なぜですか? べつにあなたが王にならなくとも、誰かがこの闘争に勝利すれば、それでテフラ王国は纏まるではありませんか。アテム王国に対する一応の迎撃態勢はとれるではありませんか」
「それも然りだ。――でも、それでは遅いかもしれない。誰が勝ち残るかにもよるけど、王族同士が討ち合ってしまっては遅いんだ。僕は可能なかぎり王族を生かして残しておきたい」
「それはまた、なぜ?」
「テフラ王族は神族に恵まれている。サレは見ただろうけど、基本的にテフラ王族は神族と多重契約を結んでいる。この戦力をたやすく失うわけにはいかない。それに、曲がりなりにもそれぞれの王族が連帯ギルドを持ち、利害関係が一致している建前があるにしても、一応『連帯』しているのは確かだ。この機を利用しない手はない」
「この繋がりを使って一気に防衛戦力を整えてしまおうと、そういうわけですか」
アリスが理解の意を含ませつつ、問い返した。
「そう。そのためには王の特権が必要だ。僕は闘争から逃げている間、こそこそとほかの王族や連帯ギルドの周辺を嗅ぎまわっていたけど、あの人たちは今の権力闘争に夢中だ。サフィリス姉さんにいたっては僕の考えを理解しながら、現状を楽しんでる。強烈な享楽主義者の前には国家の危機さえも個人の玩具になるらしい」
「ああ、確かに享楽主義者って言葉が似合うな、あの女は」
ジュリアスの鋭い声に反応して、サレが同意を示した。
二人に視線を行き来させたあと、アリスが話題を戻す。
「大体のところは飲み込めました。理由はいろいろあるようですが、とりあえずあなたには『王』になる意志があると」
「それは確かだ。君たちは嫌う言葉だろうけど――神に誓って」
「あなたは自らが王になることで王権闘争に終止符を打とうとしているのですね」
「ふーん」と興味なさ気な反応がギルド員たちから返ってくるが、それでも一部は腕を組んだりして熟慮の姿勢を見せていた。
反応としては半々だ。
そんな中で、また一つ新たな声があがる。
「――それは順序が逆ではないかの」
トウカの声だった。
トウカはギルド員たちの集団の中から数歩を前に出てきて、ジュリアスに対面し、指を差しながら言葉を告げる。
「闘争によって王を決めたのでは、ぬしが王になった時にはすでに他の王族は亡き者になっていることになりはせんか? ――大いに矛盾しておるぞ。話を聞くかぎり、なかなかに血なまぐさい状況じゃしな」
トウカはもう片方の手で腰の刀の鞘を撫でながら続けた。
「そんな中でまさか『不殺』を貫くのか? すでに一人、第一王子が殺されておるのじゃぞ? 少なくとも一人は殺人を厭わぬ王族がいるはずじゃ。そんな中でぬしは交渉のみで闘争に勝利するつもりか?」
「――いや」
「ほう、ならばどうするのじゃ」
トウカの目つきは鋭い。
また、周りのギルド員の目からもいつもの剽軽さや軽い光のたゆたいが消えていた。
それはこのジュリアスとの交渉において、その決意の有無が重要な判断材料になると誰もが直感していたからだ。
殺意の本懐をジュリアスが抱くのならば、それに連帯した時、おそらく自分たちも命のやり取りをせねばならない状況に出会う。
死を多く受容してきた〈凱旋する愚者〉のギルド員たちは、自分と仲間たちの死に関しては危難の印を見逃さない。
見逃すまいと、その心意気だけは常に胸に抱いていた。
ジュリアスはギルド員たちの強烈な意志がこもった視線を一身に受けながら、襟を正した。
「必要とあらば――殺すよ。『覚悟』はある。最善を尽くしたと、そういう自負を経てもなお、他の王族が敵対するならば――僕も覚悟を決めよう」
ジュリアスもそれらの視線に真っ向から応えた。
姿勢はまっすぐで、表情に緩まっているところなど微塵もない。
「言っていることが矛盾してるのはわかってる。失わせたくないと言いながら、必要とあらば奪うと。――でも」
言う。
「僕とて、むざむざと死ぬつもりはない」
それに、
「殺すことが全てじゃない。打ちのめしたうえで身動きが取れないように牢に繋いでおくことだってできる」
「ほう、言いおる。平和ボケした王族の坊ちゃんかと思えば、意外とそれらしい目をするものじゃな。行き過ぎれば独裁の虜になりそうじゃが――出会ってまだ数時間、すぐにぬしの性格がわかるものでもないか」
トウカは不敵な笑みを浮かべて指を下ろし、身を引いた。
「どうするのであるか、アリス」
次に言葉を投げかけたのはギリウスだった。
「そうですねぇ……」
アリスは指で顎先をさすりながら、考えにふけった。
ジュリアスの言うとおり、すべてが上手く運び、彼が王になった暁には――当初の目的までの道のりを大幅に短縮することができる。
王族との繋がり。
アテム王国への防衛手段の入手。
――居場所。
テフラ王国に入国してまもない新参ギルドに目をつける王族など、この物好きをおいて他にはいないだろう。
降って湧いた天の恵みのようなものだ。
――問題は……
天の恵みに感謝して空を見上げている間に、足元の落とし穴に落ちないとも限らない。
一気に危険な状況に陥る。
本当にこの男は信頼に足るのか。
今の戦力でテフラ王国の他のギルドに対抗できるのか。
確実に現状よりも危険は多くなる。
――また断崖絶壁ですか。
いや、そもそも自分たちが安全な場所に立っていたことなど一度もない。
「――いいじゃない」
めまぐるしく展開される頭の中の情報図を真っ二つに切り裂いたのは、プルミエールの声だった。
彼女は少し離れた位置にあるソファを一人で独占し、寝っ転がりながら適当に言い放った。
「アリス、そこの愚民にありったけの交換条件をつきつけて、受けちゃいなさい」
「簡単に言いますね、プルミエールさん」
「だって、簡単なことだもの」
プルミエールは白翼を大きくはためかせたあと、同じ調子で言った。
「いい? あのね、数あるギルドの中で私たちみたいな『イロモノ』に目をつけた時点で、その愚民には他の選択肢がほとんどないってことよ。わざわざ私たちを選ぶ理由が、そいつにはあるのよ」
「鋭いね、美人な天使さん」
「『高貴な』ってつけるともっと喜ぶわよ。次おだてるときはそうしなさい。――で、仮にいろいろあって、なんか面倒くさくなったら――」
天使は悪びれもせず、こういった。
「――逃げちゃえばいいじゃない」
一言で、場の空気が一気に凍った。
が、一拍おいて急速に空気は緩んだ。
なぜなら――
「まあ、たしかに」
「おい、すでに話がややこしくて面倒くせえんだが」
「またギリウスが逃走用パシリになるんだな……」
「我輩またパシリであるか…………」
対するジュリアスは目が点といった状態で、リアクションを起こす気力もないようだった。竜尾がしんなりと萎れて床に垂れている。
「いい? 愚民。――あ、これ紛らわしいわね。全部愚民だし。んー……じゃ、あんた、今から愚王子ね」
「えっ? あ……う、うん……」
「言い直すけど、私たち、べつにあんたの国の第一王子を殺した犯人つかまえて義を正そうとか、そういうのには興味ないのよ。あと、『国家のために』とかも、もちろんないわ? ただこの国が今のところ私たちにとっては一番マシな国だから、ある程度は気にするって感じよ。自分たちの身が危なくなったら速攻で逃げるわ?」
天使は続ける。
「勘違いしないでほしいけど、あんたが交渉相手として誠実だと思えるうちは相応に応えるわよ。それが高貴な者の務めだから。でもあんたが気に入らなくなったら、速攻で逃げるわ? 逃げることに一時的に背徳感はあるかもしれないけど、一日眠ればだいたい忘れるような愚民の集団よ。いちいち悲観してたら生き抜くのに邪魔なのよね」
だから、
「そんな私たちで本当にいいなら――条件を交渉しましょう。嫌なら他を見つけなさい」
プルミエールはそこまで言い切ると、再び気だるげにソファに身を沈めた。
ジュリアスはプルミエールがあくびをするのを見て、少し気を緩めた。
先ほどの自分を射殺すかのような圧倒的な威圧の視線は、もはやそこにはない。
些末な嘘さえ見逃さず、そして許さないかのような、強烈な監視の視線は鳴りをひそめていた。
「……すごい集団だね、サレ」
「ん? ああ、まあ、すっげえ濁して言うけど――いろいろあるからな。それに、べつに間違っちゃいないし。たぶん大体のやつはプルミと同じ考えだと思うよ」
サレはサレで、平然として言葉を紡いでいる。
「一回全部失ってるから、結構吹っ切れてる奴が多いんだよ。だからって人並みの倫理観を捨ててるわけじゃないけど――」
ジュリアスの目に真っ直ぐな赤の視線を差しこみつつ、はっきりと言う。
「――わりと『悪どいこと』する時もあると思うよ、俺たちは」
だから、と今度はアリスが続けた。
「それでいいなら、話を聞きましょう」
ジュリアスは呆気に取られたように目を丸め、次に――声を上げて笑いはじめた。
「あっはっは――いいとも、それくらいがちょうどいい。かくいう僕も馬鹿正直に正道を歩むつもりはないからね」
ジュリアスがアリスに視線を向かわせた。
「なら――話をしよう。大国の玉座を『奪う』ための話を――」
その日、愚者たちが躍動への予備動作をはじめた。
跳び、飛び、舞い上がり、きっとどこかの城の頂点に存在するであろう『玉座』を奪うための予備動作。
愚者の手は愚かにも伸び続ける。
ただ無心に、我欲のままに、求めたい物を求める。
遠慮などはいらない。
遠慮を抱けるほどの余裕も愚者にはない。
だから彼らは真っ直ぐに突き進む。
がむしゃらに。
光を求めて。