40話 「永遠の国の玉座を」【前編】
サレとジュリアスが小さくなっていくサフィリスの背を押し黙って眺めていたところへ、別の役者が現れたのはものの数分も経たぬうちだった。
静かな足音で二人が立っている屋根の上へと降り立ったのは――
「……シオニー?」
『銀の大狼』だった。
体躯はサレの身長よりも高く、狼として見るならば巨躯だ。
少なくともただの狼でないことは一目すれば瞭然である。
しかし、その銀の毛色に見覚えのあったサレは、ふと推測に任せて名を紡いでいた。
〈シオニー〉。美しい銀髪の彼女の名を。
少しやつれた表情で振り返ったサレに対して、銀の狼は目を伏せ、うなずくように首を縦に振った。
「そっか……」
人型にこだわっていたシオニーが完全に狼に化身してまでこの場に駆け付けてきた。
その意味をサレは理解していた。
彼女にその矜持を捨てさせるほどに、心配をさせてしまったのだ。
「――ごめんね」
悪いことをしたと、サレは内心で反省を浮かべる。
しかし、ここでまた深刻にしてしまえば、彼女はさらに気を遣うだろう。
だからサレは自嘲気味な笑みを浮かべて、深刻にならないよう精いっぱいにいつもの飄々さを醸した。
すると、再び屋根が軋み、
「――ふう。……間に合わなかったようじゃな。わらわもいざという時に役に立たぬ、不甲斐ないばかりじゃ」
「――トウカ。そっちは大丈夫だった?」
身に纏った着物を少しはだけさせたトウカが、シオニーと同じように屋根の上へと到達してきていた。
「ああ、アリスも無傷じゃよ。今は周辺を警戒しつつ様子見、というところじゃな」
トウカははだけた着物を手で直しながら、次に周辺を見回した。
そうしてサレの隣に立つ金髪の男を見、さらに少し離れた場所で倒れている頭のない人の身体を目にする。
「また……ぬしに荷を背負わせてしまったか…………」
「気にすることじゃないよ。俺は大丈夫だから。さて、今はここを離れよう。さすがに夜中に音を立てすぎた。――ジュリアス」
「うん、ついていこう。僕には説明の義務があるからね」
「ああ、頼むよ」
サレはふと軽い笑みを浮かべ、ごく自然な動作で銀狼と化しているシオニーに近づき、その頬を数度優しく撫でた。
ふさふさと心地よい感触が手のひらを撫で、さらに奥の方からはシオニーの体温が伝わってくる。温かい。
「俺はかっこいいと思うけどなぁ。でもシオニーは女の子だから、かわいい方がいいのかな? ――その辺の話も、シオニーが言いたくなった時に言ってくれれば、俺はいつでも聞くよ。いつでも、聞くから」
自然と出たそんな言葉を残し、再びサレは夜の湖都へ跳躍した。
◆◆◆
「……ふむ、似合いませんね」
爛漫亭に戻ってきたサレたちを待っていたのは、一階の大広間のソファでギルド員たちに守られるようにして座っていたアリスだった。
顔を合わせてまず一声。
アリスの口から出た言葉に、サレ本人は首を傾げてみせることしかできなかった。
「深刻ぶるのが苦手な顔に、無理にそんな表情をさせては健康に悪いですよ?」
ソファからおもむろに立ち上がったアリスは自分を守る数人を手で押しのけ、サレの眼の前に立つと、そんなことを言った。
そうして、サレの両頬に手を添えて――不意に力を入れてつねりながら引っ張った。
「いで、いででで!」
「まあ、見えてはいないのですが――たぶん合っているでしょう」
「あの、アリス……さん?」
「ああ、お気になさらずに。ちょっとやってみたかっただけですので」
ともあれ、
「無事に戻ってきたことは評価します。ついでに、雰囲気からして負けもしなかったようですね。それも評価します。副長ともあろう者が早々に正体もわからぬ曲者に負けてもらっては全体の士気に関わりますからね」
アリスはサレの頬から指を離し、次にサレの後ろに立つもう一つの気配に対して言葉を紡いだ。
「さて、詳しくお話を聞きましょう。――〈ジュリアス・ジャスティア・テフラ〉さん。それともタダ飯喰らいのジュリアスさんとお呼びした方がよろしいでしょうか」
「僕のこと、知っていたのかい?」
「私は耳がいいので」
そこでアリスは大きく息を吸い込み、わざとらしくため息をついて、
「はあ。やっと騒々しさが消えるかと思ったらこれです。――誰ですかねぇ、厄介事を惹きつける体質の方は……」
最後に演技ぶって呟いた。
◆◆◆
「ほほう、なるほど。では私はこの国の偉い方に面白半分で殺されかけたということですか。――いやはや、テフラ王国も思った以上に物騒なところですねぇ」
ひととおりの状況をサレとジュリアスから聞いたアリスは、他人事のように言葉を紡いでいた。
周辺の警戒を終えた〈凱旋する愚者〉のギルド員たちがぞろぞろと爛漫亭に戻ってきて、その話の輪に加わって行く。
「皆さんのお話ではテフラ王族は積極的には国家統治に関わってこないというお話でしたが、どうやら現状はまるで正反対のことになっているようで。誰でしたっけ、なんか眼鏡カチャカチャくいくいってしながら得意げに話していた方がいる気がするのですが――」
「あー……う、うん、ぼぼ僕たちの情報も古いからね! こういうこともあるよ! ――ごめんなさい許して?」
アリスの半目に対して、メイトが真っ先に反応して言う。
「まあ、今回は私も予備知識がなかったので、あまり皆さんのことをきつく言うわけにもまいりませんね。――さてさて、ジュリアスさん、最初から核心をお訊ねいたしますが、なぜ今になってテフラ王族はヒャッハーしはじめたのですか?」
アリスがジュリアスに問うた。
ジュリアスは問いを受けて、一息のあとに答える。
「テフラ現王が『次期王位の継承権』を賭けたからなんだ。このテフラ王国で絶え間なく起こっているギルド間の権力闘争に絡めてね。王の引退にあたって、本来のしきたりなら第一王子が順当に王位を継承し、世は事もなし、といくはずだったんだけど……」
「ですけど?」
ジュリアスは薄汚れたフードを後ろへ取っ払い、続きを口の端に乗せた。
「ある日第一王子が死んだんだ」
「これはまた唐突ですねぇ」
アリスが「ははあ」と適当な驚きを浮かべる。顔は変わらず無表情だ。
「しかし、亡くなったのなら次点の継承者が繰り上がりで王位につけばいいではありませんか。やや残酷な物言いかもしれませんが」
「そう。ただ死んだのならそれでよかった。問題は『死に方』にあったんだ」
その時点で幾人かはジュリアスの次に出てくる言葉を予測していた。
「――『他殺』か」
彼らを代表してサレが言った。
「サレの言うとおりさ。偽装しようという形跡すら見つからない、完全な他殺だったんだ。なぜ、という疑問にたいしてあえて理由を推測するなら――」
「王位継承権を欲したほかの王族、と」
「――そう」
ジュリアスの目には悲しげな色が見え隠れしていた。
「かといって証拠もない。さらに王国法によって司法官でさえも王族にたいして強い権限をかざせない状態だ」
「面倒な法だなぁ」
「否定はしないよ。僕もそう思ってるから」
ジュリアスが続ける。
「そのうえ、さらに悪いことに、今のテフラ王族には野心家が多くてね。――言ってしまえば、誰でも犯人になり得る状況だった」
「ほほう。私の母国といい勝負をしそうです」
小さな声でアリスが言う。
「確固たる証拠がなければ断定はできないうえに、調査も進めづらい。候補も多い。そんな現状に現王は辟易して――争いの原因と思われる継承権を賭けに出した」
「――良い具合に愚かですねぇ」
「現王は第一王子を溺愛していたから、錯乱もしていたし、本当に疲れてもいたんじゃないかな。それに、僕が言うのもなんだけど、テフラ王国にとって王位の継承権争いなんて大した問題じゃないんだ。君たちが言っていたとおり、テフラ王国は王族と民の繋がりが希薄だからね」
ジュリアスが右手を上に、左手を下にして、空都と湖都の位置関係を形容してみせた。
「王族は王族で、民は民で、勝手に秩序を保てばいい。それで保っていた国だ。いまさら騒いだところで、というのも正しい。――『正しかった』」
「というと、何かその今までのテフラ王国の在り方を危惧する状況が生まれたのですか?」
「そうだよ。その状況に差し当たって、僕はとある予測を立てた。このままの統治形式を続ければ――『テフラは滅びる』という予測を」
「その予測の根拠は?」
「――〈アテム王国〉だ」
返ってきた言葉に、ギルド員たちの目尻がピクリと反応した。
その名に。
「……はあ。……またですか」
一度吐くごとに深くなるため息を、アリスが再び吐いた。
「〈異族討伐計画〉の公布を知って、僕は焦燥感に駆られた。テフラ王国の民の半分は異族だ。規模が巨大だからすぐにとは言わないだろうけど、アテム王国の今のやりようを見ていればいずれテフラ王国に手を出してくることは予想できる」
「でしょうね。狂うところまで狂ってますから、あの国の王は」
アリスがなんともなく小さな声で呟き、ジュリアスの言葉の続きを待った。
「――個々の集団としては優秀かもしれないけど、内部で対立構造が複雑化しているテフラ王国は外部の国との争いになった時、このうえなく『脆い』。王位が揺るがなければ、あるいは仮初の団結は可能だったかもしれないけれど」
「まあ、現状では無理でしょうねぇ。上は上で争い、下は下で争うというすさまじい状態ですから。対するアテム王国は国としては非常に統率が取れているので、組織力には雲泥の差があるでしょう」
「テフラ現王は一応という形でアテム王国の来たるべき攻勢に対して方策を打ち出した。――それが今回の王位継承権を賭けた闘争なんだ」
「だいぶややこしいことになってきたなぁ……」
サレは二人の話を聞きながら「まいった、お手上げだ」と言わんばかりに両手を開いて上げた。
「テフラ現王の出した継承権の獲得条件は、現在それぞれのギルド間で起こっている権力闘争に加担し、勝利すること。王族がそれぞれ一つ、連帯するギルドを選ぶ。そして選んだギルドが下々の権力闘争に勝利した時、そのギルドを選んだ王族に王位の継承権も与える。そういう方法を取ったんだ」
一息を置き、ジュリアスが紡ぐ。
「わかるかい? ――この権力闘争の終幕には、一人の正式な王位継承者が生まれ、同時に下々でも一つのギルドが大きな権利を得て、その他のギルドをまとめあげることになる」
「なるほど、それで一応の統率は取れるだろう、と。……私が言うのもなんですが、あなたの国もなかなかに狂ってますね」
アリスが飾らない言葉で感想を述べた。
「闘争による統治であるか。太古の好戦系異族の統治方法に似通っているのであるなぁ」
ギリウスがしみじみと感慨深げに言う。
「で、ジュリアス王子、あなたはそんな現状に対してどういう対応を取ったのですか?」
「――僕は逃げたよ。殺されるのは怖いからね」
「正直ですねぇ」
ジュリアスがあっけらかんと答えると、アリスが少し驚いた風に盲目の目を丸めた。
「まあ、僕は私生児なうえに末弟だ。立場的には放っておいてもまったく問題ないと取られる――はずだった。現王が各王族に平等なチャンスをもたらすこんな方法を取らなければね」
『そう、そのとおりですよ、ジュリアス殿下』
その時、不意に爛漫亭の入口の方から声が響いた。
〈凱旋する愚者〉の面々は即座に入口に注視を向け、発声者を探す。
そこには――黒装束を身に纏った男が立っていた。入口付近の壁に背を預け、気取ったように立っている一人の男。
「〈黄金樹林〉か!」
ジュリアスが真っ先に声をあげていた。
一目見る限りその男は丸腰だったが、唐突な登場にそれぞれが警戒心を高める。
そして、真っ先にサレとギリウスが男の前に立ちはだかっていた。
「ああ、お構いなく。交戦するつもりはありませんので。あなた方も現在のテフラ王国のギルド間抗争に首を突っ込む流れになってきているので、我らの連帯王族である〈エルサ・リ・テフラ第三王女〉殿下に代わってご挨拶に参っただけです」
「本当に君たちのギルドは耳が早いね、〈マーキス〉」
「お褒めにあずかり光栄です、ジュリアス殿下」
丁寧な身振り手振りでお辞儀をする男は、狐のような切れ目と真ん中で分けた長髪を持っていた。
「――知り合い?」
「彼は〈黄金樹林〉のギルド長だよ」
振り向かずにサレが情報だけを求めると、ジュリアスが即座に答えた。
「そういうことです。――さて、身勝手ながら先ほどの殿下の言葉の先を述べさせていただきましょう。本人が口にするにはいささか大それた『異名』を殿下はお持ちですので。過不足なく端的に伝わるように私が代弁させていただきます。――よろしいですね? 殿下」
「……」
「その沈黙は是ということで、勝手に解釈させていただきます」
サレは皇剣の柄に手を掛けたままマーキスと呼ばれた男の言葉を待った。
「――そう。まさしく、立場や身分だけが権力闘争の鍵になるのなら、ジュリアス殿下は他の王族に見向きもされなかったでしょう。ジュリアス殿下は末弟――つまり最も継承権序列が下位の『第七王子』です。しかし、そんなジュリアス殿下でも、『闘争』が鍵となるなら話は変わってくる。闘争になった途端に、他の王族たちはジュリアス殿下を無視できなくなる。なぜならあなたは――」
一息を挟んでマーキスが告げた。
「――〈最も神に愛されし王子〉としてテフラ王族内で話題になったお方なのですから」
冷たい静寂が、その場に蔓延した。