3話 「魔人が追憶した日」
前言を撤回しよう。
月日が流れるのは思ったより早かった。
十五年が過ぎた。
十五年。
……十五年だよ!?
俺の成長日記(著アルフレッド)をこそこそと盗み見ながら、どういった具合でここまできたかを振り返ろう。――うわっ、アルフレッドって意外と字がきたねえ。几帳面そうなのに……
◆◆◆
子育て一年目。
俺、一歳。
『サレに尻尾が生えた』
いきなりだけど、ぐっすりと寝て起きたら――生えてたんだ。
〈尻尾〉が。
これなに言ってるかわからないと思うけど、マジなんだ。
さすがのアルフレッドもかなりビビってた。
真っ黒な毛が生えた尻尾。
細長いけど、それでいて結構ふさふさしてる。先端の方の毛は長めで、そのせいか丸みを帯びているように見える。
ふさふさ、ぼふぁ、って感じ。――擬態語ばんざーい。
ともあれ、触り心地が抜群らしく、今でもリリアンの玩具にされることが多い。
撫でられるとかなりくすぐったいので、やめてほしいです。
あと握られると結構痛い。
『サレの尻尾はよく感情を表している。喜んでいる時や楽しい時は勢いよく尻尾が左右に振られていて、とてもわかりやすい。…………僕も触りたいなぁ』
アルフレッドさん、真顔でそんなこと考えてたんですね。
というか、そんなに振ってるつもりないんだけど。――どんなに隠しても尻尾のせいで内心がバレるのはいただけないな。
最近になって、リリアンといる時は玩具にされると面倒だから、服の中に隠すようになった。外に出しておくと手を使わずに物を取ったりできるから、便利なんだけどね。
『古の魔人族には尾が生えていたというけれど、先祖返りでもしたのだろうか』
へー、昔の魔人族って尻尾生えてたんだ。初耳。
◆◆◆
子育て二年目。
俺、二歳。
『サレの〈殲す眼〉が発現した』
――忘れもしない。
俺が赤子の時に運び込まれた部屋がそのまま俺の自室になったわけだが、二歳間際にしてその部屋を半壊させた。
不良少年ならぬ、不良幼年と称するのがふさわしいだろうか。
冷静に顧みると、アレは危なかった。
〈殲す眼〉は感覚とか感情とか、そういう個人的で曖昧な要素に呼応しやすいもので、発現した当初は自制が利かなくて乱発。〈血の涙〉が出ても止まらなかったので、結局アルフレッドが無理やり俺の目蓋を閉じて、一段落した。
恐怖心が自分以外のものに対しての忌避感につながったのか、それが結果的に害意につながったのか。
遠ざけようと思ったことが逆にまずかったのかもしれない。
その後、リリアンにすがりついて一日中泣いたのを覚えている。
その頃にはリリアンは母のような、姉のような、そんなちょっと言葉では表現しづらい超越的な存在として、俺の中で認知されていたといえよう。相変わらず生肉食ってるけど。
なんだろう。あの包容力は魔性だと思ってる。
男を二秒でダメにするレベルの魔性だ。
◆◆◆
子育て五年目。
俺、五歳。
『〈殲す眼〉をおおよそ使いこなせるようになったみたいだ。五歳というが、もうずいぶんと自由に動き回れるらしい。サンクトゥス城の窓ガラスはサレに割られるためにあるのだと、最近思うようになった。――張り替えが間に合わないよぉ…………』
その節は申し訳ありませんでした。
反省しています。
動きたい盛りだったのです。
◆◆◆
子育て八年目。
俺、八歳。
『魔人族の男衆で、この頃サレにいろんな稽古をつけるようになった。みんなサレが可愛いらしい。奪い合いが激しいが、今は大目に見よう。防衛力を身につけるには絶好の機会ともいえる』
俺の可愛さに骨抜きにされたらしい。
――嘘だッ!! じゃなきゃあんな厳しい稽古しない!!
かれこれずいぶんと死を経験してきたが、魔人族の男性陣に稽古をつけられるたびに「俺、また死ぬのかな……」とか思ってたんだぞ!
腕と脚の骨が派手に折れて、なんだか関節の多い新手の虫みたいな形状になった時は、さすがの男性陣も女性陣にものすごく怒られてた。
アルフレッドを見てると忘れそうになるけど、魔人族の男って結構豪気豪快な奴も多い。
極端なのだ。
アルフレッドみたいな紳士風のやつと、どこの歴戦の猛者だよ、みたいなやつに分かれる。勘違いしないようにもう一度言っておくが、前者については紳士風だ。それ風であって、決してモノホンの紳士ではない。
そう、前者の方が稽古は厳しかったりする。
奴らは「ハハハ――はい、じゃあ、もう一回ね」という口癖をよく使う。ちなみにこちらの身体の状態は基本的に気遣わない。
顔は笑ってるけど、目が笑ってなかったぁ……
『メキメキと成長するサレを見ていると、自分の技術を全部習得させてみたいという欲求に駆られる。でも、ちょっとやり過ぎたかな……』
ほらみろっ! アルフレッドの稽古もかなりつらかったんだぞ!
――メキメキしていたのは俺の骨の方です。
◆◆◆
子育て十年目。
俺、十歳。
『リリアンは相変わらずサレにべったりだ。僕が愛用している子育て白書(改訂版)によると、そろそろサレも反抗期に入る頃。窮屈じゃないだろうか』
――もう慣れた。
だけど、サンクトゥス城の大浴場にまでついてこられるのは困る。
もう少し女であることを気にして欲しいのです。
ただでさえ老いを知らないピッチピチな身体なんですから、年頃の私を気遣ってください。
――しかし、あえて言おう。
――素晴らしいボディであったと!
リリアンの魔性は包容力だけではない。
男のリビドーは正直なのだ。そこに魔性の乳があれば、当然、揉みたくなるものである。リリアンの魔性は、俺の理性の半分を飛ばすに足る威力を持っていたが――
そろりと近づいて手をリリアンの乳房に近づけた時の、あの敵意のない『微笑み』を見て、逆に意気を折られた。
無邪気な微笑みで、『いいよ』と返されたのだ。
わかるだろうか。
あの包容力は、俺の下卑たリビドーをも、容易く包み込むのだ。
良心の呵責に耐えられなかったと、正直に吐露しておこうと思う。
そこで衝動に任せてしまえば、きっと我が自尊心は粒になったあとに弾けて消滅する。
リビドーの充足も重要だが、男の自尊心はそれにも劣らぬ大事なものだ。
――だからもう少し鍛えてから再チャレンジしようね。
誰が諦めたと言った。
◆◆◆
子育て十二年目。
俺、十二歳。
『身長も伸び、それにともなってサレの身体が完成に近づいてきた。稽古の成果もあって、なかなかの武芸者になったと思う。リリアンたちは「大きくなっちゃったから着せ替えできなくてつまらない」なんて言っていたけれど、そもそもサレは着せ替え人形じゃないんだよね…………女装までさせられていたのを見た時は、さすがに僕も同情したよ……』
なぜその時に助けなかった……っ!!
『ともあれ、大体このあたりから身体の成長は止まるはずだ。身体の完成と同時に、魔人族の身体は当分の間その若さを保ったままになる』
男性陣の稽古という名の拷問に耐え、そのあとに女性陣の着せ替え人形になるというのがあの頃の生活習慣だった。
アルフレッドの後半の言葉どおり、おかげさまで十二歳の頃からまったく身体が年を取らない。
アルフレッドの話だと、人系種族の一つの基準である純人族の年齢に換算して、十七、八歳くらいらしい。
魔人族の成長は早いが、完成と同時に停まる。全盛期を保ち続けるのだ。
便利な身体だけど、老いを知らないっていうのは別の苦悩の種にもなりそうで。
ちなみに、アルフレッドはあれで百歳を優に超えているらしい。
たいてい長寿系異族は途中で自分の年を数えるのが面倒になるっていってた。
せめて百歳まで覚えていようと心に誓った。
ちなみに精神の方は昔から変わらず、そこはかとなく強靭だと自負している。
俺には開き直るという最終手段があるのだよ。
伊達に何回も死んでない。
◆◆◆
子育て十四年目。
俺、十四歳。
『二年前から女性陣に魔術の手ほどきを受けている。彼女たちの目から見るとまだまだということらしいが、僕から見れば十分な気もする。だから、修練のたびに周辺の森を吹き飛ばすのはやめてほしいなぁ……。ともあれ、そろそろひとりでも自分の身を守れるようになったと、認めてあげるべきだろう。サレを拾ってからここまで、ずいぶん時が進むのが早かった気がする。僕たちは一族の数が激減してから目的を見失っていた。そんな中で、サレは僕たちの心を鷲掴みにした。――彼は僕たちの光であり続けるだろう』
真っ直ぐな言葉。――ちょっと恥ずかしくなってくる。
もちろん、嬉しいけれど。
ともあれ、女性陣の魔術稽古も男性陣に負けず劣らずで、凄まじかった。
俺を着せ替え人形にしている時の楽しそうな『キャッキャ、ウフフ』的な顔はどこへいったんだろうと心底から思った。
ちょっと女性不信に陥りかけた。
魔術は、体内に宿る魔力を糧に、術式を介して事象や変化を生ぜしめる学であり、術である。
魔術の総評はこれに尽きる。
魔人族は魔力を身体に内包する種族であるため、術式を発動させるにあたってその魔力を燃料にする。
だから魔力の術式――『魔術』と呼ぶらしい。
第一歩がなによりも難しかった。
魔術の素。術式を運用するための『燃料』ともいえる体内の魔力を、感覚的に把握するまでが最初の壁らしい。
リリアンが相変わらずの鉄面皮で『感覚を掴むまで肉あげない』って言ったんだ。
最初は「生肉なんかいらないし」とか思ってたんだけど――
リリアン独特の言語体系で『肉』が『ごはん』に直変換されるのを知ったのはこの時だった。
ほかの女性陣も『死にかけた方がはやいんじゃない?』とか言いだす始末。
――おい! やめろっ! 俺はもう何度も死にかけた……!!
結果として餓死寸前で感覚が鋭敏になったためか、魔力の流れをつかむことができた。
ほぼ結果論であろうと思う。ああ。
――もうやるものか……!!
ちなみに断食後の最初の食事は生肉でした。
食えるならなんでもよかった。
すごくおいしかったです。
その後、術式を編んで魔術を発動させる訓練も行われたが、それもまたひどい訓練だった。
俺の死に対する恐怖を、ああまでうまく訓練に活用したのは彼女たちが初めてだろう。
そのおかげか上達もはやかったらしいが、肝心の俺は生きられただけで満足です。
魔術が学と術に体系されるため、学の方も講義されたが、そのあとに控えていた実技訓練がこわすぎて震えていたので、あまり得意にはならなかった。
短剣を喉元に突きつけられながらまともに勉強できるやつがいるかっ!!
テストが基準点を下回ると、漏れなく『じゃ、城の周り三百週ね』だ。魔人族の女性陣も、なかなかに恐ろしい顔をする。美貌にあくどい笑み載せてくるから、余計に厄介だ。
とりあえず、女性陣が『殺られる前に殺る』という方針を絶賛推進中だったので、かなり直線的な攻撃術式を覚えさせられた気がする。むしろ、そればかりだ。
『最速で、最短で、一撃で殺れ』彼女たちが毎日のように繰り返していた言葉が、今でも俺の脳裏には焼き付いている。
ゆえに、攻撃術式を覚えてからは、それをいかに『素早く』発動させるかに多くの訓練を割いた。
『術式を編んでいる最中に殺られる奴が、一番間抜けだ』それも彼女たちの口癖だった。
ともあれ、その訓練課程で、サンクトゥス城の周りの森がちょっとふっ飛んじゃったのも不可抗力だ。
そのせいで後始末に追われたアルフレッドには申し訳ないと思ってる。――うん。
あと、体内の魔力には絶対量があって、当然ながら魔術を行使するたびに減っていく。体力と同じで休めば回復する。
回復速度はまちまちで、術式燃料の種類によっていろいろらしい。
少なくなってくると貧血っぽくなる。
全部使いきれば漏れなく倒れること間違いなし。
◆◆◆
そして今は十五歳。
成長日記帳(著アルフレッド)を元の場所にしまって、俺はサンクトゥス城の外に出た。
イルドゥーエの領地はサンクトゥス城以外が森に覆われていて、いかにも世俗から隔離されているという印象を抱かせる。
最近はこの森の中を散歩するのがささやかな趣味だ。
ずっと城の中ってのも窮屈で、こういう散歩がいい気分転換になる。
アルフレッドたち男性陣は、快く許可してくれている。
リリアンたち女性陣は、いつも心配そうに引きとめてくるけど。
左腰に剣、腰の背中側に採集用の短剣を差して、尻尾を振りながら森を闊歩する。
散歩をするついでに食料調達、今日はそんな流れだった。
イルドゥーエ領内の森は動植物の宝庫だ。
食糧調達には、ここまで育ててもらったからには少しでも恩返しがしたい、という名目もある。
そんなことを考えていると――
「お、いたいた」
食糧を見つけた。
白い体毛の犬だ。
……犬?
ちょっと怪しい。
体長は俺三人分くらいで。
――しょ、書庫の図鑑で見た犬よりだいぶでかいな……
「いや、でかすぎるだろ……」
前足とか俺の脚五本分くらいはある。
さすがにあれで殴られたら痛そうだ。――痛いで済むのだろうか。
腕の一本や二本くらいは、軽く持っていかれそうな気がする。
――というか胴が真っ二つになる気がするわぁ……
こういう冷や汗をかく場面に遭遇することもあるけれど、森を散歩するようになったのは近頃の話だから、見たことのない動物を見れて楽しい。そんな側面もある。
「あ、気付かれた」
草陰からのぞいていると、巨犬の方がこちらに気付いて、その獣の瞳を向けてきた。
さすがに野生の動物、素晴らしい察知力だ。
なかなかに険しい目つきをしているから、こちらに向かってくるかと思っていたら――
「えっ、逃げんの?」
巨犬は猛然と逆方向へ駆けだした。
俺を見るや否や、ビクリと驚いたように身体を震わせて、次の瞬間には猛烈な速度で尻尾を巻いて逃げ出していた。
――くそっ! 逃げるなよ! 野生動物の意地を見せろよっ!!
とっさに近場の大木の枝をつかんで、逆上がりの要領で上に登る。
生い茂る木々の枝がやや邪魔ではあるが、地面から目視するよりはだいぶ見晴らしがいい。
そのまま周囲の大樹に飛び移りながら、徐々に巨犬との距離をつめた。
――〈殲す眼〉を使えば目視できる時点で決着がつくけど、頼るのはよくない。
〈血の涙〉のこともあるし、容易い連発が癖になると後々面倒なのだ。
切り札は隠し通すべしともいう。
「――よいしょっ!」
ちょっと遠いけど、おもいっきり跳躍すればなんとか追いつけそうだったので、大樹の枝を大きく蹴って、そのまま巨犬の背中に跳躍した。
空中で左腰の剣を抜いて、着地と同時に真上から突きおろす。狙いは脳天だ。
「グルッ――! グルルァ――……」
こと切れるのは早かった。
あっけないと言えばそのとおりで。
どしん、と音を立てて倒れる巨犬の背中から飛びおりて、その顔を見た。
「――――ごめんね、食べさせてもらうよ」
生きるためには食べなければならない。
死生観については五回目あたりの死亡時までなんとなく考えてはいたけど、結局はっきりとした答えは出せていない。
――いいんだ。
それでも、悟ったから。
――俺はっ! 俺がよければそれでいい!!
広範に渡る、自らの独善性を擁護する言葉だ。
わがままな奴だと罵られようが、一向に構わない。自分の思いを絶対的に擁護するこの言葉がなければ、俺は輪廻の狭間で狂っていたかもしれない。
はたしてその自論がどの範囲まで通用するのか自分でもわからないけれど、そうなった時に後悔したとしても、責任は自分にあるのだから気が楽だ。
とりあえず血抜きだけ済ませ、今度はナイフを抜いて犬っころを解体していった。
さすがに全部はもっていけない。
残りは他の動物が喰いに来るだろう。
「――――ん?」
肉を切り取っていると、ふと、なんとなく『視線』を感じた。
見られている、という漠然とした感覚。
背中のあたりをモヤモヤするものが舐めていった。
その感覚が正確だと物語るように、次の瞬間には異変が形となって襲いかかってきていた。
「――――」
背後から何かが投擲されたのを確信する。
モヤモヤしていたものが、一拍をおいて鋭い針に変化し、背中に突き刺さった気がした。
そう思ってしまうまでの、鋭い『殺気』を感じた。
だから、感覚にしたがってすぐに振り向き、自分の背後へ目を向ける。
そこには、自分の背中めがけて飛翔する一本の『短剣』があった。
――〈殲す眼〉を使うまでもない。
俺は尻尾でナイフの柄を巻き込むようにキャッチして、そのまま飛んできた方向にリリースした。
がさ、と繁みが揺れるが、殺気の主は姿を見せなかった。
――追うか、追わぬべきか。
逡巡が数秒を駆け巡り、
――完全に無視するわけにもいかないとは思うが、
「――まあ、あの程度の使い手なら放っておいても問題はないだろうか」
ひとまず答えを出した。
「一応、アルフレッドに報告しておこう」
そう口に出して再認識させ、切り取った肉を片手に、サンクトゥス城への帰路についた。