33話 「証明せよ、抵抗の力を」【後編】
――いいわ、この感じ。まだ天界にいた頃を思い出すわね。
プルミエールは天術式〈日輪落とし〉を連続生成しながら、物思いに耽っていた。
空は良い。
さらに言えば、誰よりも高い位置にいるときはさらに良い。
高い位置は高貴の象徴だ。
自らの持つ術式燃料〈天力〉が高空に密度高く存在するという理由もあるが、単純に、人より高い位置にあるというだけでも胸が躍る。
天力は術式燃料の中でも特殊な燃料で、その自然回復力が極端に弱い。
術式への変換効率などは優れていても、自然に回復しないとなるとずいぶん使いづらくなるものだ。
しかし、天力に限ってはそれを覆す一つの論理がある。
天力は高空に存在する。
術式燃料が自然的に存在しているのだ。
ゆえに、天力に適合する種族は高空に上がり、その場を流れる天力を能動的に『補充』する。
魔力の才能というものが、その回復力や保有絶対量の個人差にあるとするならば、天力の才能は高空の天力を補充する速度や上手さ、そしてその許容量にある。
特に前者だ。
なぜなら、天力を高速で補充する才能があれば、
――天空に陣取る限り、ほぼ無制限に術式が使えるもの。
術式を使いつつ、同時に高空を漂う天力を補充する。
なんとも自給自足が整った素晴らしい術式体系だ。
ゆえに、
「まさしくっ! この最高に高貴な〈プルミエール・フォン・ファミリア〉に相応しい術式体系だわ!!」
謎の逡巡を終え、天使が叫んだ。
そして、我に返ったプルミエールがその目に見たのは、
「――あら?」
自らに高速で迫ってくる赤い砲撃だった。
◆◆◆
――なぜそこで逡巡したのであるかああああああ!!
〈竜砲〉を放ったギリウスの方が盛大な焦りを内心に宿し、挙動不審に陥っていた。
十分に避けられる速度の砲撃であったにも関わらず、天使が急にぼーっと逡巡したため、それは見事に直撃コースへと進んでいった。
当たる。直撃はまずい。
そんな焦燥が走って、
「――ちょっと、危ないわよ。いいトコだったんだから邪魔しないでよ」
しかし、ギリウスの予想は裏切られた。
ぎりぎりのところでプルミエールが身体を後方に反るように空中で一回転し、きわどく竜砲を避けていた。
プルミエールの体勢は崩れ、構えていた〈日輪落とし〉の光球群は霧散するかと思われたが、
「あっ――ちょっと……ミスったわ?」
後方に一回転した拍子にプルミエールの指が真下ではなく、斜め下あたりに振り下ろされていて、
「こ、これはっ……!!」
彼女の振り下ろしに呼応するような軌道で降下し始めた日輪光球群は――
「いかあああん!! これはいかんであるよおおおおおお!!」
見事に、眼下にいた陸戦班員たちの方角へと落ちていっていた。
「――なに? あんた、真面目にやる気あるの? なに叫んでんの?」
「やらかした張本人がすでにちょっと錯乱気味であるよ!! 錯乱の挙句なぜか我輩が責められてるのであるよ!!」
そうしている間に、光球群が加速した。
◆◆◆
――あいつら、出会った当初に魔人族のこと「超おっかねえ」とか言ってたけど、あの天使と怪獣もたいがいだよね。
サレはそんなことを思いながら、遠い目で天使と竜の空中戦を見ていた。
天使が複数の小型太陽を地面に降らし、竜が口から似たような砲撃を飛ばしていた。
その他、二人の下方では有翼系異族が自在に空を飛び回り、剣撃を交わしたり組み合ったりしている。
「空を自在に飛べる感覚とはどういったものだろうか」などと空想に耽る余裕はまだサレにもあった。
――が、
「……ん?」
上層空域で交戦していたプルミエールとギリウスが、突如動きを止め、特にギリウスの方がこちらを向いてなにやら大きな口を開いている。
口の動きが竜のそれなので何を言っているかは分からないが、
「なんか焦ってる?」
今再びプルミエールが金色の光球群を降らせたところだが、そちらを見なくていいのだろうか。
「……いや、待て。この流れは――」
「どうしたのじゃ?」
「なんかさ、プルミエールが撃ったあの光る球、こっちに向かってきてない?」
真下に降らせたかに思えた光球群は、よくよく見れば徐々にその姿を大きくしつつ、こちらへ向かってきているように見える。
いまだ距離は遠く、遠近感が曖昧でつかみづらいためか、確信は得られない。
だが、それは時間が経てば経つほど如実に軌道を表してきて、
「ふむ……わらわにもそう見えるな。うむ…………――んんっ!?」
さらに二秒ほど観察し、確信を得る。
同時に、
『に、逃げるのであるよおおおおおお!!』
野太いギリウスの声が耳に届いてきた。
サレとトウカはその声を捉えると、お互いに顔を一度だけ見合わせ、
「――こ、殺す気かああああああ!!」
叫び、即座に走りだしていた。
◆◆◆
草原に複数の窪地が一瞬にして出来上がったのを、ギリウスは空から見ていた。
あまりの惨状につい目を覆いたくなるが、現在は竜体で、腕はあるが首が長いためうまく覆えない。
「グシャっと逝ったであるか!? それともプチっとであるか!?」
半目をつむって恐る恐る窪地を見ると、着弾点の間を陸戦班員たちがうまくすり抜けて走っていた。
一目散にその場を離れる速度は称賛に値するほどだ。
「あ、生きてたわ。よかったわね、グシャア! プチィ! って逝かなくて」
「他人事っ!! この天使ものすごく他人事であるよっ!!」
窪地を作った張本人が他人事のように言うのを聞き、再び届かない腕で頭を抱えたくなった。
「――あら。あの愚民……」
「ど、どうしたであるか?」
そんな中、プルミエールが冷静な声色で言った。
「よく見なさいよ。まだあんなもの隠し持ってたのね」
「うむ?」
プルミエールに促されて光球が落ちた位置に目を凝らす。
すると、そこには真っ黒に燃え盛る〈黒炎〉を右腕に纏わせたサレがいた。
その右腕を空に掲げた体勢だ。
「あの黒い炎で直撃コースの『日輪』を全部破壊したのよ。私の日輪を燃え散らせるなんてずいぶん生意気だけど――まあ、悪くないわ? ――術式を『解く』効力でもあるのかしら……いいえ、どちらかと言えば力技で『塗り潰す』の方が近いかしらね」
妖しい笑みを浮かべるプルミエールを見てギリウスは、
「プルミが褒めるほどであるか」
と感嘆の言葉を浮かべていた。
「愚民にしては、よ。でもホント、あの愚民の術式は攻撃系ばっかりねえ。変な言い方になるけど、防御するにも攻撃的だわ」
◆◆◆
「ま、間に合った……!!」
――あぶねえ、ホントにあぶねえ!!
あとでプルミエールは叱ろう。どうせ叱っても受け流されるだろうけど、でも叱ろう。
そんな思いを得ながら、サレは己の右腕に視線を向けた。
肩口から爪の先まで、真っ黒な炎が燃え盛っている。
〈サンクトゥスの黒炎〉だ。
「た、助かったようじゃな……?」
半疑問形でトウカが言う。
次いで、彼女はサレの右腕を見て、
「うおっ……ぬ、ぬし、またずいぶんとおそろしげな術式を……」
ヒき気味に言いながら、一歩を下がっていた。
炎の形態を取りながらも、ときおり雷光が弾けるような魔力の迸りを見せている黒炎を、彼女はまじまじと見つめている。
そこで不意にばちり、と音が弾けて、トウカはビクッと身体を立たせると同時、さらに一歩後ずさっていった。
「それ、こっちに向けるでないぞ……?」
「向けないけど、そんなにビビるものなの?」
「わらわとて魔力の素質を持つ者じゃから、その術式炎に込められた莫大量の魔力燃料は感じ取れる。そんなにも莫大な量の魔力が込められた術式を見たことがない。ぬしが一から生み出したものか?」
「違うよ。これは昔の魔人族が生み出したもので、イルドゥーエ皇国成立の時からずっと残っている遺物だ。魔人族の信仰の対象みたいな役割を持っていたから、もしかしたらこれまでの魔人族の魔力とか意志とかが混ざってるのかもしれない」
「なるほど……。しかし、そうなると疑問が浮かぶのじゃが……ぬしが一から作り出したものでないなら、どうやって即座に術式を展開させることができたのじゃ?」
「別の術式で右腕に収めてるからだよ。『封印』って形で転移させてるんだ。あの時の俺の閃きは天才的だったと思うわぁ」
「――馬鹿な」
トウカはより一層信じられない物を見るかのような目つきで首を横に振った。
「発生元が己の魔力に帰属する術式ならまだしも、人の身に収まる類の術式ではないぞ」
「あー……」
サレはトウカの疑問に答えるにあたって、数段階の説明を踏まえねばならないことに気付いた。
まずは己の躯が初代イルドゥーエ皇帝のものであるということ。
つまり、この黒炎の発生元が実は今の自分の躯であるということ。
ゆえに、サンクトゥスの黒炎が順応する躯であること。
箇条書きにすればたやすいが、はたしてこの簡素な説明でトウカが理解してくれるかどうか。
もろもろを含め、思考を巡らせたあたりで唐突に面倒になり、
「それが、収まっちゃうものなんです!」
適当に親指を上げて笑みを浮かべ、ごり押しすることにした。
「……」
――トウカの視線が痛い。
トウカは数秒の間疑わしげな視線をサレに向けていたが、しばらくして一度ため息を吐くと共にうなだれると、
「はあ……まあよい。今はそういうことにしておいてやろう」
「助かります……」
「ともあれ、プルミもプルミでかなりノリノリになっておるなぁ。天使族というのもなかなかに強大な力を行使するものじゃ。巻き添えを喰らう前に退避するとしよう」
「すでに喰らってることだしね……」
サレとトウカはうなずきあって、そそくさとその場を去った。
◆◆◆
「あら、逃げちゃったわ」
「常人なら普通に逃げると思うのであるが……」
「私今ノリノリだし、ついでにあの魔人も相手しようと思ったのに」
宙を漂いながら下界に視線を送るプルミエールは、少し残念そうに言った。
彼女の体の周囲には金色の天力燐光が目に見えるほどの濃度で纏わりついており、彼女が宙空から絶えず天力を補充していることを如実に表していた。
――無尽蔵であるなぁ……
天力燃料を扱う代表種である天使族を目の当たりにして、ギリウスは思う。
天空に上がったプルミエールの術式能力は異常だ。
大天術を多用しているにも関わらず、いまだに余力を残しているように見える。
――否、余力というには些かズレがあるのであるな。なくなった分はすぐ補給すればいいのであるしな。
問題はその補充速度だ。
術式燃料を使ったそばから回復している風に見える。
本人はとぼけた顔でふらふらと宙を舞っているが、その能力はなんとも驚異的だ。
「ん?」
するとプルミエールがギリウスの視線に気づいたように片方の眉を上げた。
「――ああ、気になるの?」
天使が竜の内心を察知して、口角を少しつり上げながら言った。
「私の術式燃料が天空にいる限り無尽蔵かどうか」
「まあ、気になるといえば、気になるのであるな」
「――無尽蔵じゃないわよ。安心なさい。私は天使族の中でも一等高貴な天力の才を持っているけど、そんな超高貴な私でも無限に天力を高速補充するのは不可能だわ? いや、私ならその不可能をも可能にしちゃうかもしれないけど、今は無理よ」
「最後の方ちょっと何いってるか分からんのであるが、大体概要はつかめたのである」
ギリウスが「ふう」とわざとらしく息を吐く。
「そう単純なものじゃないのよ、自然中に存在する術式燃料を補給するっていうのは。結構精神すり減らすし。あとはそうね――」
プルミエールが「んー」と少し考え込むように唸って、そのあとで続けた。
「――いかに超高貴な私でも、永遠に空を飛んでいることはできないもの。疲れれば地に足をつけないといけないわ。あんたみたいな規格外の生物なら可能かもしれないけど、異族とはいえ人の形をなしている私の身体は、あんたほど丈夫でもなければ、空を飛ぶことに適しているわけでもないのよ」
「――ふむ」
脆弱である、とは思わない。
人型の異族の中では十分丈夫な方だろう。竜体竜族が規格外なだけなのだ。
ギリウスは自らに問いかける。
はたして自分はどの程度飛び続けることができるだろうか、と。
「うむ、我輩でも数か月置きくらいには足をつけねば疲れるかもしれぬのであるな」
「やたらに丈夫な身体ねえ」
「竜族であるからな」
「ならあんたは――これからも皆を守るように戦いなさい」
プルミエールの表情が不意に真面目なものになって、ギリウスはおもわず驚きを胸に浮かべた。
しかし、彼女が珍しく真面目な顔や声色でものをいうときは、決まって重要なことを口走る。
それを数か月の付き合いで理解していたので、ギリウスも真剣に彼女の言葉に耳を傾けた。
「『盾』になるのよ、ギリウス。あの魔人は地上においてならあんたに匹敵する強靭さを持つけど、でもあれは術式あってのもの。燃料が切れればそこで終わり。それに、あの魔人の眼も、術式も――守ることには向いていないわ」
プルミエールが遠くに見えるサレの後姿へ視線を移しながら続けた。
「むしろ、飛び火して仲間を傷つける可能性すらある力よ。だから魔人の力は――脅威を『攻撃』し、『撃滅』することにのみ集中させるの。そうやって、間接的に皆を守る。そんな役回り」
いわば、
「――あれは『剣』よ」
さらにプルミエールはギリウスに向き直って言った。
「でも、あなたは『盾』になりなさい」
真っ直ぐな視線と共に自分に放たれた言葉を、ギリウスは脳裏で何度か反芻し、それから悪戯気な笑みを浮かべて答えた。
「クハハ、竜族にずいぶんと損な役回りを押し付けるものであるな?」
おちょくるような竜の笑みに、プルミエールもやれやれといった風で投げやりな笑みを浮かべた。
「なに言ってんの。私、あんたより高貴だもの。だから面倒事は押し付けるわ?」
「竜族にそんなことを言えるのはプルミくらいであるなぁ」
怖いもの知らずともいえる。
おそらく、
――自分以外の竜族であったなら、場合によっては喰い殺されておるだろう。
竜族の機嫌を損ねるというのは、つまり往々にしてそういうことなのだ。
それを自惚れではなく経験として知っている。
――否、プルミならばそれでも生き残るかもしれぬ。
そう思わせるところが彼女の凄さの一つでもある。
いずれにしても、
「――我輩はそのつもりであるよ。我輩は竜族の中でも変わり者であったからな。よく仲間たちには『竜族らしくない』と馬鹿にされたものであるが――」
「いいじゃない。他人が押し付ける『らしさ』なんてどうでもいいのよ。私が高貴なのだって、私がそう思うがゆえなんだから。――あんたがそうありたいのなら、そうあればいいじゃない」
――簡単に言う。
「……でもそうね、自分で『らしさ』が分からないなら、超高貴な私が役割を与えてあげるわ? ――今回のこれもそう。ただ一人、私の言葉だけは意地でも守りなさい。私が押し付ける『らしさ』だけは信じなさい。なぜなら万が一にも間違いなんてないんだから」
「傲慢にしてその高慢も、ここまで突き抜けていると感嘆すら覚えるのであるよ」
「高貴な者は常に感嘆されるものよ」
さて、とプルミエールがまたいつもの妖しげな笑みを浮かべた。
「下の方も盛況だけど、もうそろそろいいんじゃない? 私も飛んでたらお腹すいてきたし、さきに帰ってるわ」
「そうであるな。空戦班も仮住まいの宿へ帰るとしよう」
ふらふらと翼をはためかせながら、プルミエールが遠く離れた陸戦班を追うように飛び去り、ギリウスは一度眼下の空戦班員に号令を掛け、高度を下げていった。