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魔人転生記 -九転臨死に一生を-  作者: 葵大和
第二幕 【王国:在処を求めて】
31/218

30話 「抵抗者の心構え」【後編】

 クシナの身を弾くような跳躍に対し、サレは後発から動きを開始した。

 まずは目視。

 クシナは両腕を垂らし、袖の下に爪を隠しながらこちらの懐へ入り込もうとしている。その軌道はまさしく一直線だ。

 速度は驚嘆に値するが、地を踏む足は軽快なリズムを刻んでいて、そのせいか間合いはつかみやすかった。

 サレはクシナが攻撃時に起点にするであろう『足場』を目算で計算し、迷うことなくその足場へと自分の足を『置き』に前進する。

 保険として左腕を首元で構え、急所への手刀に対応できるよう適度な緊張状態を維持し、


 ――叩き抜けろ。


 クシナがその『足場』へと一歩を置きに来た瞬間、左の半身から体を振って掌打を繰り出した。


◆◆◆


 クシナの脳裏には警笛が鳴っていた。


 ――ヤバい。


 先手を取ったと確信していたクシナに、逆襲のごとく脅威が襲いかかっていた。

 掌打だ。

 サレの空を叩き割るような掌打が、真っ直ぐに顎下から迫ってきていた。

 その圧力たるやまるで竜の顎が迫ってきているかの如きで、全身が「絶対に避けろ」と騒いでいる。

 身体の警告に従って、背筋と腹筋を総動員し、出しうる最高速度で身体を真後ろに反った。


「――っ!!」


 間一髪だ。まさに毛先ほどの間をおいて、サレの掌打が顎先をかすめ、そして鼻の上を走って行った。

 伸びきったサレの腕が眼前にある。

 掌打のあとにその豪腕が纏っていた風が追い付いてきて、前髪を撫でた。


 ――クソがっ!


 クシナは冷や汗を流しながら、内心に悪態の言葉を浮かべた。

 クシナがその攻撃に直面するまでに、すでにもう一つの先手を取られていたことに彼女は気付いていた。


 ――先に足場を使われた!


 自分が足を置こうとしていたところに、先にサレが踏み込みを行ってきたのだ。

 それに直前で気付いた時には、身体が反射的にサレの足を避けてしまっていた。

 不意の踏み込みに体勢を崩される。

 そこからは()し崩し的に身体の動きがバラバラになって、そのうえ襲ってきたのが異常な圧力を保った掌打だ。

 どうしようもなくなる。

 先手が後手に、先制は危機に。


 ――下がれ。


 クシナは引かれ戻って行くサレの腕を見ながら、身体をのけ反った状態で内心に浮かべた。

 たった一歩で全部を崩された。

 ここは一旦退いて体勢を立て直すべきだろう。

 サレの腕が引かれていくのに合わせ、クシナも状態を戻しつつ、バックステップを踏む。

 だが――


 サレがそのバックステップに合わせ、まったく同じ歩幅で前進してきていた。


 ピタリとこちらの後退についてくるのだ。

 間合いを開けない。

 そうして、


「あっぶね……!!」


 二歩目の後退を踏み込んだ瞬間に、その着地を狙って再びサレの掌打が飛んでくる。

 前に構えていた腕が功を奏し、とっさの反射でサレの掌打を払うことに成功した。

 つかの間、不意に踵の裏に何かが当たったのを確信する。

 こんなところに石ころでもあったのだろうか。そうだとしたら運がない。


 ――んなわけあるかよ!


 クシナは視線を落とし、内心の馬鹿げた予想を拭い去る。そんなピンポイントな不運があってたまるか、と。

 サレだ。

 サレが片足をクシナの踵裏に置いていた。

 掌打の踏み込みがそのままクシナの股の内を通って、踵の裏にまで伸ばされていたのだ。


 ――やたら近いと思ったら本命はそっちかよ!


 ガクンと身体が揺れ、踵がサレのつま先に引っかかって背中から地面に倒れていく。

 同時に上から襲ってくるのはサレのもう一方の手。

 二撃目の掌打。

 真上から叩き落とされる単打。

 

 ――避けろ。


 なんとしてでも避けろ。

 その掌打を受ければ自分の意識が間違いなく飛ぶ。

 同じ人型から繰り出されたものとは思えないほどの、異常な速度と圧力を持った掌打。

 クシナは心臓が浮き上がった感覚を得た。

 そして背中が地面に叩き付けられる。

 瞬間。

 クシナは思考する過程を無意識的に吹き飛ばした。

 思考過程を飛ばし、本能のみで身体を稼働させる。

 横へ。

 首を、身体を、全身の筋肉をフル稼働させて横に転がれ。

 逃げろ。

 あの魔人の掌打から。

 クシナの身がバネのような瞬発で真横に弾かれた。


「――おー、よく避けたなぁ」


 そんなサレの声があがっていた。感心するような声だ。

 クシナの胴の両脇に足を置き、片手を振り下ろした体勢で太陽を背負っている魔人。

 赤い瞳が見つめるのは眼下の白虎だ。

 クシナの身体は横にくの字に曲がっていて、そのぎりぎりのところをサレの掌打が撃ち抜いていた。

 彼女が身体を曲げなければその掌打が胸を叩き抜き、胸骨を貫通して肺腑にまで凄まじい衝撃を与えていただろう。


「っ――」


 クシナは息を荒げていた。

 下からサレの顔を覗き込んでいる目の瞳孔は開いている。

 顔はやや引きつっていて、胸は荒い呼吸のせいで激しく上下していた。


「ほら、そのまま動かないと襲っちゃうよお?」


 サレは振り抜いた腕を腰の横にまで戻し、クシナの上で笑みを浮かべた。

 そうして笑みを浮かべながら「ほら、ほら、逃げないと揉んじゃうよお!?」などと両手をわきわきさせて、クシナを見下ろしている。


「っ!」


 瞬間、クシナが地面を掻いて、サレの足の下から抜け出した。

 そのままこれでもかと距離を離し、二十歩ほどの間を開けたところでようやく静止する。

 まだ呼吸は荒く、額からは大粒の汗が流れていた。

 「えっ! そんな嫌だった!?」サレがそんなクシナの姿を見てがっくりと肩を落とすが、すでにクシナの耳にはまるで外の言葉が入ってきていなかった。

 クシナの内側でけたたましくなる警笛ばかりが彼女の脳裏を支配し、外からの音を遮断していたのだ。

 駆け巡っていた警笛の言葉は簡素だった。


 ――戦うな。


 あれとは戦うな。


 獣の本能が、クシナにそう告げていた。


◆◆◆


「――体術のみであれほどか」


 一連の攻防を眺めていたトウカがぼそりとつぶやいた。

 隣にはシオニーがいる。

 他の陸戦班員も、自分たちを置き去りにして唐突に始まったサレとクシナの攻防に見惚れていた。


「トウカはどう見る? ――あの二人の力量」


 トウカのつぶやきに反応してか、シオニーが詳細を訊ねていた。


「そうじゃな……」


 トウカは顎元を指でさすりながら、少し考えるそぶりを見せ、


「まだ二度三度の攻防じゃ。詳しいことは言えん。ただ、その中で一つはっきりと言えることは――クシナはサレに敵わんじゃろうなぁ」


 言った。


「そこまで差があるのか。あの猫、あれでも高位の獣人だぞ? 単純な肉体能力なら人虎の方が上だと思うんだけど」

(いな)、確かにクシナの膂力は獣人系の中でも特に優れておるだろうが、四足にまで化身するならまだしも、二足歩行の人型同士では差はつかんじゃろ。――〈魔人族〉とはそういうものじゃ。単純な肉体能力も、人型の中でならば高位獣人にすら匹敵しうる」


 そのうえ、とトウカは続けた。


「おそろしく洗練された体術を仕込まれとるな、アレ。……それもそうか、魔人族は長寿系じゃしなぁ――」

「長寿系なのが関係あるのか?」

「ある。大いにある。――たとえば、ぬしが百年くらい年柄年中戦いっぱなしで、そうして生き残ったら――どうなっておると思う? 自分の力量について」

「百年も戦い続けて生き残ったらそりゃあ……やたらめったら強くなるんじゃないか? だって百年も戦って生き残るんだろ? 百年戦い続けるのも恐ろしいけど、それで生き残るっていうのはもっと恐ろしいな」

「まったくもってそうじゃな」

「ものすごい経験値なんだろうね」

「うむ」


 うなずき合い、神妙な顔を浮かべる。


「――で、それがおよそ〈魔人族〉のことをそのまま表現しとる」

「えっ?」


 トウカの端的な説明に、シオニーが素っ頓狂な声をあげた。

 「わかるじゃろ?」とトウカが繋ぐ。


「長命で、どの種族よりも戦いに彩られ、かつほんの少し前まで生き残っておった戦闘民族が如き異族。――まさしく魔人族のことじゃ」

「……ああー……」


 そんな間延びした納得の声がシオニーからあがり、そのあとでトウカが続けて紡いだ。


「で、我らが副長はおそらくそんな生きる戦術図鑑みたいな先達(せんだつ)に囲まれて育った。生まれてからわらわたちと出会うまで。――もちろん、十年や二十年そこらで個人が会得できる能力もたかが知れている。だが、すべてでなくとも良いところを選んで会得させてしまえば、それは十二分に恐ろしい技術の体系となるじゃろう。むしろ余計な知識や癖がない分、余計に厄介かもしれんの。ともあれ、サレはそうやって着々と魔人の一族になっていったんじゃろ」


 魔人が造り上げていった武の結晶。

 長年の練武の結晶。

 それらが、あの最後の魔人の身体に宿っている。


「一体どれほどの練武を積めば、あのような流麗な動きをするようになるのじゃろうな……」


 アレは研鑽の塊だ。

 才能だとか、天稟だとか、そういうものを超越した研鑽の上にある動きだ。

 トウカはサレの動きを見て思う。


 戦闘に際し、サレの身体にはまるで力みがなかった。


 いうなれば脱力姿勢からの反射行動。

 それも恐ろしく正確な反射行動だ。

 まるで無駄がない。

 柔らかく、速く、そして美しい。

 臨戦に際してそんな『柔らかさ』を得るには、一体どれだけの練武を積めばいいのだろうか。

 何度も何度も何度も、危機的状況を体感してそれに慣れ、また体感し、慣れ。

 おそらくそうやってあらゆる戦闘状況に身体を慣らしていったのだろう。


「それこそ何度も死にかければ、臨戦に対してもあそこまで自然体で居られるのかもしれぬな」

「ああー……そういえば昔の訓練で数えきれないくらい死にかけたって言ってたなぁ……それも関係あるのかな?」

「そうかそうか。ならばずいぶん良い『師』に囲まれていたのじゃろうな」


◆◆◆


 ――いやあ、まったく、ずいぶんと酷い『死』に囲まれてましたよ! ――というかその話の流れで俺の師を褒めるっておかしくね? 俺のこと死にかけさせてるんだよ?


 サレはトウカとシオニーが話している声を耳に拾って、内心で文字を訂正をしておいた。『師』を『死』に変換だ。

 客観的に見れば、確かによい師であったかもしれない。あくまで見てる分には。

 「おー、頑張ってる頑張ってる」そんな感じで傍観できれば、きっと楽しいだろう。

 教えてる方の動きは確かに優れていただろうし、そのうえでのスパルタはなんとなく「育ってるねえ」みたいな感想を抱かせるに違いない。


 ――馬鹿めっ! それは見てるだけだからだよ!


 実際ビシバシされる方は訓練中の未来図に己の死を見る。

 たとえ気絶しようが、死神が何度も夢の中に現れてきては「早くこっちこいよ」と手を振ってくるのだ。

 酷い時には死神までもが「よし、訓練再開だ」などとのたまう。

 おちおち寝てもいられない。そんな感じだ。


 ――いかん、考えるな。目の端に雫が浮かんでくる。


 体の拒否反応というのも正直だ。


「さて――」


 サレは襟を正し、二十歩ほど離れた位置で荒い息をあげているクシナを見た。


「まだまだやる気満々かな?」

「……負けたまんまで退き下がれるかよ。――くそ」


 隙にならない程度に悪態をつくクシナを見て、サレは笑みを柔らかくする。

 ――やっぱり、肉体能力は高いなぁ。

 一連の攻防の中で、サレは確信を得ていた。

 自分の掌打を二度も躱した。

 一打目は態勢が崩れた状態からさらに身体を反って躱し、二打目は反射的な手の払いで掌打の軌道を変えていた。

 ――なかなかやる。

 速力に関しての素直な感想だった。

 加えて言えば、クシナの膂力が優れていることはすでに知っている。

 一月を共にして気付いたことだが、獣人という種族の特性はその膂力に顕著に現れるらしい。

 特に〈人虎族(リスティ)〉のクシナは、一見ギルドの中でも特に細身に見えるというのに、その実、腕力には凄まじいまでのギャップがあった。

 人型のままでも力を発揮しやすいと言われる高位獣人に多い憑依型の能力依存らしい。

 固有術式と呼ぶほどではないが、効力自体は絶大だ。

 術式燃料を必要としない常時加護のようなもので、まず効力が切れる心配がないのも大きい。


「そういえばクシナ、獣化しないの?」

「ああ? ――俺の基本型は人型なんだよ、獣型はおまけみたいなもんだ。獣化すると動きが窮屈になるから嫌だ」

「ふーん」


 鼻に抜ける間延びした声のあとに、サレは思い出したように言葉を付け加えた。


「――あー、高位の獣人って憑依型の能力依存でだいたい事足りるから、むしろ器用に動ける人型を好む場合が多いってシオニーからも聞いたな」

「あの駄犬の言葉に賛同すんのは癪だが、間違っちゃいねえな。――てか、余裕だな、おい」

「はは、そりゃあ、まだ一発も喰らってないからね」


 サレがわざとらしく挑発して見せて、クシナもそれに答えるようにようやく笑みを浮かべた。


「――はっ、言いやがる」


 瞬間、クシナが再び身を弾いていた。


「おっ」


 不意と、横への瞬間加速によって一瞬姿が消えたかのような錯覚に陥るが、サレの眼はすぐにクシナの姿を再補足していた。

 ――左だ。

 クシナはサレの左側面に回り込むような進路を取りつつ、すでに右手を顔の横で振りかぶっている。

 だが、またしてもサレの方が一枚上を行った。

 再びの足場崩し。

 クシナが掌打を打ち出すための起点となる足場に、先に自分の足を置いていた。

 それは経験に基づいた予測によってなされる瞬間的な攻撃であり、同時に防御でもあった。

 正確無比な予測と、相手の動きを見極める高精度の眼。

 そして自分が脳内に望む動きを精緻に表現する身体制御力。


「――またかよ!」


 クシナがサレに掌打を打ち出そうとした時にはクシナも自分の状態に気付き、舌に毒を乗せていた。

 対するサレは、中途半端な姿勢から無理に打ち出されたクシナの掌打を片手で押し出すように逸らし、そのまま絡め取るようにして手首をつかむ。

 クシナのバランスが前方に傾いたことを確認し、流れを切らず、


「おわっ!」


 片足でクシナの支点になっていた足を払い、背負い投げた。

 クシナが珍しく驚いたような短い声をあげ、なされるがままに宙に浮いていく。

 クシナ自身が近接時に勢いを殺しきれていなかったこともあり、その勢いを利用して投げられたクシナは十数メートルに渡って投げ飛ばされていた。

 地面が迫る頃には猫のように空中で姿勢を立て直して、最終的にはうまく四肢で身体を支えて着地したが、息は荒く、その胸は上下に強く鼓動していた。


「――ちなみに訊くが、サターナ」

「ん?」


 唐突な問いに、サレが眉を上げた。


「お前、体術と剣術、どっちのが得意だ?」

「んー、俺の動きはその二つの複合だからなぁ。どっちも得意だけど――あえてどっちかを選ぶなら剣術の方かな。術式剣を使うからね。日々の鍛練は剣術に重点を置いてるかな」

「――そうか。――なら、絶対使わせてやるからな」


 剣を、という意味だろう。

 ふと見ると、彼女の瞳はいつの間にか獣のそれのような、縦長の瞳孔に変化していた。

 柔らかい動きで舞う白尾と、頭についている猫型の耳は相変わらずだが、サレに向けられる殺気が徐々に獣染みた鋭さを増していて。


「やる気が『殺る気』に変容してきている気がするんですが……」

「模擬戦っつってもある程度本気でやれってアリスも言ってただろ。それにな、建前で戦争するにも無様じゃ格好がつかねえんだよ。いずれ来るその時のために、俺たちはこれぐらいでやらねえと――」


 クシナが四足で着地した体勢のまま四肢に力を込めていき、


「――意識がブレちまうんだよ!!」


 強い声を残して再び跳躍した。


◆◆◆


 動きとしては先ほどまでと変わらない、二番煎じだ。

 速力は驚嘆に値するが、追えないほどではない。

 ならば、

 ――バランスを見極めて崩すまで。


「――」


 クシナは幾度かのフェイントを織り交ぜ、突撃のタイミングを見計らっている。

 対するサレはその動きを精度の高い眼で逐一観察しつつ、後発からの反射でバランスを崩せるよう、身体に軽い緊張状態をしいていた。

 いつでも動ける体勢だ。

 そこに油断はなく、慢心もなかった。

 そして、


 ――来た。


 クシナが自分の懐に跳躍してくる。

 今までで最も速い動きだが、まだ後発からの動きが間に合う水準だった。

 こちらは一歩でクシナの起点を崩せばいいだけ。

 サレの心中に「間に合う」という確信が湧き――同時、確信に追随するように頭が身体に指令を送る。

 見極めた起点を崩せ、と。

 だが、


「――っ!」


 サレは失敗した。

 自分の足が踏み抜いた位置に、クシナは来なかった。

 彼女の着物が視界の右端ギリギリの辺りで揺らめいている。


 クシナは右に身を弾いていた。


 その一部始終をサレは確かにその眼で確認していて、ふと胸中に言葉が浮かぶ。


 ――『四足』か……!


 低い前傾姿勢で突撃してきたクシナは、サレが踏み抜いた起点の位置に差し掛かろうというところで、とっさに『前足』で機動をずらしていた。

 人型でいう腕で、だ。

 標準人型の腕には足ほどの推進力はない。

 足で地を蹴るのと同等の速力を、腕で出すことは到底できない。

 しかし、獣人にはそれに近い動作を行う術があった。

 憑依型の能力依存だ。

 四足歩行を主とする獣型の肉体能力を、人型のまま発揮するという特異能力。

 クシナはそれを活用した。

 まさしく獣染みた動きだと、サレは心中に驚きを抱く。

 同時に、自分の体術が標準的な人型にのみ適用されるものであることを知り、戒めを得た。


 ――外の世界を知らなかった俺の弱点だな。


 今気付けてよかったと、そう思った。

 自分たちの敵は基本的にアテム王国の純人族ではあるが、必ずしも異族が相手にならないとは言えない。

 自分の知らない種族。その特性。

 それらに対応できなければ、己の武はそこで死ぬ。

 そしてきっと、命も散る。

 ならば、


 ――対応しろ。


 たかが一度や二度の不意で壊れるほど、もろい力ではない。

 身に刻まれた研鑽の力は、自分を育ててくれた魔人族たちの練武の結晶でもあるのだ。


「もらったぞ、サターナ!」


 サレの右耳あたりで声が鳴った。喜色に満ちた凛々しい声だ。

 サレは可能な限り素早く身を右方向に向けながら、同時に左足で斜め前へと身体を弾く。

 クシナが右側から迫っているのが分かっていたがゆえに、踏み出していた左足で左前方へ身体を跳ばしながら、接触までの時間を稼いだ。

 その間に首を右へと回す。

 右腕はあらかじめ顔の右辺りで縦に構え、防御としておく。

 状況が分からなくとも、予測はつくのだ。


 ――最善を打て。


 左手は背腰の短剣の鞘に回し、その柄を掴む。

 ちょうどそこで自分の顔が右に回りきり、視界にクシナの姿を捉えた。

 眼前に彼女の手刀が迫っていた。


「――」


 顔の右辺りに構えていた右腕が功を奏した。

 クシナの手刀は一度右腕に阻まれ、推進力を失う。

 しかし、

 ――止まらない。

 それでもなお、クシナの手刀は威力を失わなかった。

 人虎の脅威的な膂力(りょりょく)が右腕に伝わる。

 それは腕の骨ごと砕かれるのではないかと思うほどの力で。

 さらに厄介なのはその手刀に付属された人虎の爪だった。

 防御に構えた腕を払われれば、その爪で確実に身体を切り裂かれるであろうという予測図がサレの脳裏をよぎる。

 下手な剣よりも切れ味の鋭い爪。


 しかし、サレとて受けるのみではなかった。


 背腰の剣鞘に回していた左手が、鞘から月光石の短剣を引き抜く。

 逆手に握った短剣を、サレはクシナの手刀に向けて左側から横一文字に振るった。

 すでに身体は左前に倒れこんでいるが、腹筋と背筋をフル稼働し、身体を捻転させ、力の限りに振るう。


 瞬間、甲高い金属音が鳴った。


 クシナの爪と短剣が接触し、お互いを弾いた音だった。


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『やあ、葵です』
(個人ブログ)
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