2話 「魔人が目覚めた日」
リリアンに拾われてから一週間が過ぎた。
泣きたくなるくらい、激しい一週間であった。
アルフレッドは毎日のように俺のもとへ来て、言葉を教えていってくれた。
しかし、アルフレッドにもやらねばならないことがあるらしく、基本的に俺の世話はリリアンに任せている。
美人の介抱だ。
男にとってこれ以上の喜びはあるまい。
きめ細かい肌に、しっとりと艶やかな黒髪。
スレンダーなわりに豊満な胸と、きゅっと引き締まった尻。
ああ、嬉しい、楽しい、最高――
嘘である。
もう一度言おう。
そんな喜びは幻想である。
怒涛の一週間だったと感じるのは、そのリリアンの壊滅的な子育てセンスのせいなのだ。
「■■■……」
「うっ……うぇ……えぐっ……」
今日も俺は涙していた。
「■■、■■■……」
リリアンが、その両手に血の滴る『生肉』を持って俺に差し出してくるからだ。
挙句の果てにはそのぐにょりとした物体を俺の口に押し当ててくる。
おい! やめろっ! そんなもん食えるかっ!!
「おうぐっ……」
ぬるっとした感触が口元を覆う。助けてアルフレッド兄さん。
一向にその赤い物体を食わない俺に対し、リリアンは無理やり食わせようという魂胆らしい。
心配してくれるのは嬉しいけど、さすがにそれは食えないなぁ!
「……?」
かわいらしく首をかしげて見せても俺は食わないからな!! ――悲しそうな顔してもダメ!
そうこうしているうちに、ようやく生肉を食わせることをあきらめてくれたようで、リリアンはいそいそとベッドの横の椅子に座り直した。
そのあとで、生肉を自分で食いはじめる。
目元に光るものが浮かんでいるように見えるが、気のせいか。
ねえちょっと、泣きながら生肉頬張るとか絵的にかなりシュールだからやめて。
彼女はあまり感情を表に出さない女性だった。
もちろん、心配しているように見えたり、かるく微笑を浮かべたりはするけれど、その変化はアルフレッドに比べるとごく微細だ。
毎日彼女の顔を近くで見ていたからわかるけど、これは鉄面皮と称される類のものだろう。
生肉を頬張るリリアンから視線を外し、見慣れた天井を凝視するよう努める。
すると、そこで部屋の扉がガチャリと音を立ててひらいた。
来たかっ! 我が救世主よ!!
「ははは、またリリアンは生肉を食べさせようとしていたのか」
笑い事じゃないですよ、アルフレッドさん。
微笑みながら部屋の中に入ってきたアルフレッドは、近場の椅子を持ってきてリリアンの隣に置く。
「さすがにそれは食べられないだろうと思って、僕がちゃんと赤子でも食べられそうなものを持ってきたよ」
そう言って、アルフレッドは手の中からいくつかの小さな木の実を取りだした。
木の実とはいったけど、どうにもその色は毒々しい。
青、白、黒、紫。
……紫?
「あ、なんだか心配そうな目だね? 大丈夫さ! ちゃんと毒は抜いてあるからね!」
ん? 毒? ねえ今、毒って言いました?
それもともとは毒が入っていたってことですよね?
「……」
最高に渋い顔を返す。
しかし伝わらなかったらしい。
アルフレッドは満面の笑みだ。
ハハッ、こんちくしょうめ。
「あとこれ、飲み物ね」
アルフレッドさん? もしかしてそれ、解毒薬とかじゃないんですか?
俺はいつも以上に必死になって左に三回転し、否定の意を送る。
「そう? じゃ、あとでリリアンに渡しておくよ」
やめろっ!! それは死亡フラグだッ!!
「そうそう、今日は僕たちの家族を紹介しておこうと思ってね」
――家族?
不意の言葉に疑問符を浮かべるが、すぐにその疑問符は霧散した。
アルフレッドの言葉が形となって視界の端に現れたのだ。
部屋の外から、がやがやと騒がしいいくつもの声が聞こえてくる。
そして――
「■■■!」
「■■!!」
「■■、■■■■」
う、うわあ、なんかいっぱい部屋に入ってきた。
「さわがしくて悪いね。でもみんな赤子が珍しくて、一目見ようと集まってきたんだ」
全員、アルフレッドやリリアンと同じような白磁の肌と、赤い瞳を持っている。
……そういえば、前からなにかと耳に引っかかる言葉があった。
『赤子が珍しい』。
「実は僕たち、赤子ってあまり見たことがないんだ。僕たちの種族は繁殖力がすごく弱いから、めったに子どもが生まれない。そのかわり、かなりの長命だけどね」
なる、ほど。
「そういうわけで、普通なら僕たちと同じ種族の赤子が生まれればすぐに情報が広まるはずなんだけど、君のことは誰も知らないときた」
不思議な事態だ。
なんて、わりと他人事のように心の中でうなずいてしまったが、俺のことだ。
「君は僕たち〈魔人族〉と瓜二つだ。でも、君がどこから来たのかだけは、どうしてもわからない」
アルフレッドが苦笑した。
俺は今すぐに鏡を貸してもらいたい気分になる。
そういえば今の自分がどんな姿をしているのか気にしたことがなかった。
「でもね、たとえ知らない赤子でも、君は僕たちの家族だ。誰から生まれたのかはこの際たいした問題じゃない。ほかの家族たちも、はやく君と話がしたいって言ってるよ」
アルフレッドの横から十数人の魔人族が興味しんしんといった体でこちらを見てきた。
その光景に若干面くらったが、アルフレッドの言うことももっともだと思って、言語習得に意欲を燃やす。
その後、アルフレッドがほかの魔人族たちを帰し、部屋にはまた俺とリリアンとアルフレッドだけになった。
「むずかしい話は君がもう少し大きくなってから話すよ。それまでは僕たちが守ってあげるから。安心して育ってね」
さすがはアルフレッド。
その男ながらの美貌と慈愛に満ちた表情で言われるとまかり間違って虜にされそうだ。
そうまで言ってくれるなら俺も安心して育って見せよう。
あっ、でも生肉は勘弁してね……。
◆◆◆
一か月が過ぎた。
寝ては起きて、飯食ってはまた寝て。ときどき生肉を押し付けられては拒み。
そうしてリリアンの顔もずいぶんと見慣れてきたころ、ついに俺は自分の力で歩くことができるようになっていた。
自分でもこんな速度で育つとは思わなかった。
四足歩行から二足歩行へ、三日で移行したときは自分の天才っぷりに心底慄いた次第だ。
言葉の方も、アルフレッドの超翻訳機能のおかげもあっておおむね習得した。
第一、アルフレッド以外の魔人族はみんなリリアンと同じ言葉で話していたし、俺も多大な好奇心とともに彼らの言葉を聞いていたので、吸収は早かった。
「〈サレ〉、肉たべる?」
「全力で遠慮します……」
――ああ、やっぱりリリアンってこんなこと言ってたんだなぁ……。
生肉を片手に差し出してくるリリアンを見て、俺はしみじみ思った。
ちなみに〈サレ〉というのは俺の名前で、魔人族のみんなが考えてくれたものだ。
姓はアルフレッドとリリアンと同じ〈サターナ〉。
繋げれば〈サレ・サターナ〉。
自分でも結構しっくりきていて、気に入っている。
「火を通せばいいのに」
「こっちのがおいしい」
変わった趣向の持ち主だ。
胸中でそう思いつつ、生肉を頬張るリリアンを横目にベッドから飛びおりた。
そのまま力強い足取りで部屋に設置されている姿鏡の前まで歩いていき、自分の姿を映す。
アルフレッドの言うとおり、俺の姿は彼らと酷似していた。
真っ白とも言える、白磁の陶器のような肌。
鮮血のように真っ赤な瞳と、新月の夜よりも深い黒の髪。
明暗がくっきりしていて、やたらに色が映える。
「ちょっとアルフレッドのところに行ってくるよ、リリアン」
「ん、いってらっしゃい」
ひととおり自らの容姿を観察し、その姿がたしかに自分のものであると意識づけたあと、まだ生肉を頬張っているリリアンに一声をかけた。
なんでも、言葉を覚えたところでアルフレッドから話があるらしい。
アルフレッドの部屋はこの荘厳な城の上階にある。
階段を登るのがつらいが、ここは訓練だと思ってがんばるとしよう。
◆◆◆
俺がアルフレッドの部屋に到着し、その扉をあけると、中でアルフレッドが本を読んでいた。
ややあってアルフレッドがこちらに気づき、優しげな笑みを見せる。
「やあ、サレ。もうここまで一人で歩けるようになったね」
「まだつらいけどね」
「それでも、すごい成長速度だよ。さあ、座ってくれ」
壁一面に大きな本棚。
その本棚に隙間なく本が敷きつめられている。
なんとも好奇心をそそられる部屋だ。
その一角にある円卓を指さして、アルフレッドが言った。
「さて、なにから話したものかな……」
「俺から訊ねてもいい? その方が話が繋がっていきそうだし」
「そうだね、そうしよう」
「じゃあ、まず最初に――」
俺は頭の中にところせましと蓄積させていた疑問を口にしていった。
「ここはどこ?」
「魔人族の国、〈イルドゥーエ皇国〉だよ。今は国というより集落だけどね」
「集落?」
「魔人族の数がある時を境に激減してしまったんだ。もう国と呼べるような状態ではない。昔はもっとたくさんの同胞がいたけど、今はこの〈サンクトゥス城〉にいる百人がイルドゥーエの民。対外主権もないに等しい」
アルフレッドは苦笑した。
「ちなみに、激減した理由は?」
「〈純人族〉の国家に攻め入られて、殺されたんだ」
心臓が浮きあがったような気がした。
容易くアルフレッドの口から放たれた言葉は思っていたよりもずっと重くて。
疑問が次々に浮かんでくる。
「なんで……攻め入られたの?」
「彼らが魔人族を恐れていたからだよ。ずっと昔からね。あとは、妬みもあった。僕たち魔人族はこの世界に存在するさまざまな『異族』の中でも、特に強大な『暴力』をもっていたから。あとでそれもくわしく説明するけど、今はおいておこう」
そう言ってアルフレッドは話を変える。
「魔人族は昔から純人族と諍いを起こしていたけど、ある時に和平の道を選択した。最初は『先に手を出してきたのはお前たちだ』って徹底抗戦を掲げていたんだけどね。……途中でその不毛さに気づいたんだよ」
アルフレッドが苦笑を深くしてから続ける。
「この世界の標準種族とも言える〈純人族〉と比べると、僕たち〈魔人族〉は数も少なかった。新たな同族を生むにしても、僕たちの繁殖力は絶望的なまでに弱い。結局は数で押しきられる形になると、なんとなく予想していた。だから、譲歩を重ねて和平の道を選んだんだ」
そう語るアルフレッドの顔は、苦笑を映していてもどことなく寂しげだった。
「でも、それが裏切られる形で少し前に大規模な侵攻を受けたんだ。僕たちは争うつもりなんてなかったんだけどね。静かに暮らしたいという願いも、叶わなかったよ」
「魔人族の……生き残りは……」
「さっきも言ったとおり、今この城にいるだけだよ。でも、こんなことを言えばご先祖様たちに怒られてしまいそうだけど、純人族の言い分もわかるんだ。僕たちは傍から見ればいつ爆発するかも知れない危険物だからね」
軽く笑い声を漏らすアルフレッドの顔が、目に焼きつく。
「今は魔人族の数も減って、純人族もあまり手を出してこなくなった。僕たちは長命だけど、さっきも言ったとおり繁殖力がほとんどないから、減らしてしまえばなかなか増えることはない。だから、安心したんじゃないかな」
「アルフレッドは……それでいいの?」
俺はつい、訊ねてしまっていた。
「いい、とは?」
「復讐とか、同胞の仇とか、考えたりしない?」
「現実的に見て、もう僕たちにそんな力はない。それに――」
アルフレッドは一旦息を大きく吸って、言う。
「『いいんだ』。だれも争いを望んではいない。だから、サレも気にしなくていいんだよ」
そうはいっても、アルフレッドの語る物語を鵜呑みにはできなかった。
意味と意図は理解できるが、それが個人的な納得に繋がることはない。
当事者でなくともそう思うほどに、この物語は理不尽さばかりを提示している。
また同時に、俺はアルフレッドの『生への執着』が希薄に見えたことが引っかかった。
争いにくたびれてしまったのもわかる。いや、わかるような気がする。
でも俺自身は、理不尽な死を何度も経験したからこそ、思うところがあった。
もっと生に執着すべきだ、と。
「暗い話はこのへんにしておこう」
アルフレッドはパチンと手を鳴らして、話を切った。
「今のところ、僕たちはサレの成長を見ることに生きがいみたいなものを感じている。君を見ているのはとても楽しい。赤子を育てるというのは僕たちにとって慣れない行為で、昔の文献を読んだりしながらの不格好具合だけど――」
アルフレッドの自嘲するような顔を見て、俺は彼の言葉を遮るように口を開いた。
「『ありがとう』。みんなには感謝してるんだ。家族として迎えてくれたこと。まだ一か月だけど、こうして育ててくれたことも」
「はは、そう言ってもらえると僕たちも嬉しいな。大丈夫、僕たちはサレが一人でも生きていけるまで、君を守るから」
――そういう言い方はやめてくれ。死亡フラグみたいじゃないか。
壊れた記憶の端っこに残る言葉を使って、俺は内心につぶやいた。
◆◆◆
「そこで――少し早いかもしれないけど、君に魔人族の力の使い方を教えよう。さっきも話したとおり、僕たちは純人族に目の敵にされることがあるから、自分の身を守れるだけの力があったほうがいい。いずれ君にも宿る力だと思うから、早めに伝えておきたいんだ」
アルフレッドがそう言いながら立ちあがった。
どうやら場所を変えるらしい。
俺はおぼつかない足取りでアルフレッドの背中についていった。
連れられてたどり着いたのは、サンクトゥス城の地下だった。
本棚だらけのアルフレッドの部屋をさらに巨大にしたような大広間がある。
いつのまにかリリアンを含むほかの魔人族たちがそこにいて、好奇の目をしながら俺を待っていた。
――みんな暇そうだなぁ……。
「まったく、仕事をほったらかしにして……」
アルフレッドも俺と同じように苦笑しながら頭を掻いている。
「みんな、サレのこと、気になってる」
リリアンがほかの魔人族の言葉を代弁するように言った。
「しようのない家族たちだ。まあ、気持ちはわかるから、今日だけは特別だよ」
アルフレッドが告げると、ほかの魔人たちから「はーい」と表面上だけ誠実な言葉が返ってくる。
「さて、今日教えるのは魔人族特有の力についてだ。ほかの力の使い方は魔人族じゃなくても教えられるけど、これは僕たちにしか教えられない。だから、まっさきにこの力の使い方を教えよう」
ふと、アルフレッドが屈んで顔をこちらに向けてくる。
「ほかの種族にはない特異な力だよ。純人族に恐れられる最たる要因の一つでもある」
ずいぶんと前置きが長いが、それだけ重要な力なのだろう。
一度大きく息を吸って、深呼吸をする。
「――よし、大丈夫。教えて、アルフレッド」
俺の言葉にアルフレッドがうなずいた。
すると、アルフレッドが自分の目元を手で覆う。
少し経ってからその手をどけて、
「眼の中に……」
『変化した双眼』を見せてきた。
アルフレッドの真っ赤な瞳の中には、複雑怪奇な『紋様』が浮かびあがっていた。
「〈殲す眼〉と呼ばれている」
知らない文字の羅列が描かれているが、その主体となっているのは『六芒星の象形』だ。
正直に心境を吐露すれば、その眼はとても不気味だった。
鮮血色の瞳だけがやたらに強く輝いていて――
ふと気づいてまわりを見れば、ほかの魔人族たちもまったく同じ紋様をその眼に浮かばせていた。
もちろん、あのリリアンも。
百人ほどの魔人族が、一斉にその瞳を赤く輝かせてこちらを見ている光景は、心臓が止まるかと思うほどの壮観だった。
「説明が飛ぶけど、この世界には〈術式〉という意志と理性に準ずる力がある。事象を〈式〉で表し、そこへ〈術力〉という特殊な燃料を通して、事象や変化を生み出す力のことをいう」
アルフレッドが人差し指を立てて、その指先に小さな光る玉を生成してみせた。
極小の太陽のような、白く輝く玉だ。
「〈魔力〉を持つ者は〈魔術式〉を使い、〈天力〉を扱う者は〈天術式〉を扱い、〈精霊〉を見ることができる者は〈精霊術式〉を使う。種類はさまざまだ」
術式。
「でも、この〈殲す眼〉はそれらに類似しつつも一線を画した性質を持つ。唯一、魔人族のみが扱うことのできる〈固有術式〉だ。生まれつきその眼に宿る〈魔眼術式〉でもある」
そして、とアルフレッドが繋いだ。
「この〈殲す眼〉が内包する術式の効果は、圧倒的なまでの『破壊』だ。いたってシンプルな力だけど、その効果範囲はとても広い。……口で言うより、見た方が理解しやすいかな」
すると、そういうや否や、アルフレッドが視線をそらして小さく言霊を発した。
「――【砕けろ】」
短く、儚い、害意を含んだ言の葉。
耳を劈くような破裂音が、俺の背後で鳴った。
音につられて振り向けば、アルフレッドが視線を向けていた大広間の床が、大きく抉れている。
いやいやいや。
待て待て。
……ちょっと。
――やり過ぎじゃありません?
未知の力に好奇心を覚える一方で、恐怖を感じていた。
アルフレッドが言うように、その力が仮に俺にもあるとして。
――もしそれが、勝手に発動したら。
背筋に悪寒が走った。
冷汗がにじむ。
「焦点を結ぶだけでいい。あとは俗に言う『害意』や『悪意』を込めて言葉を発すれば、こうなる」
抉れた床を指でなぞりながら、アルフレッドが言った。
「もちろん、この〈殲す眼〉にはリスクもあるよ。もっとも身近なリスクは、常用に際して身体におこる倦怠だね」
身体の倦怠だけなら、安い代償だと思う。
「そしてもう一つ。絶対に忘れてはならないリスクの『兆候』がある。いいかい、これだけは忘れちゃいけない」
アルフレッドが続けて言った。
「倦怠を押しきり、そのうえでなお〈殲す眼〉を多用すると、いずれ双眼から〈血の涙〉がでる。それは〈殲す眼〉の使用限界を表す身体の反応だ。〈血の涙〉がでたら、それ以上は絶対に殲眼を使ってはいけない」
「……使い続けると?」
◆◆◆
「死ぬ」
◆◆◆
全然安くなかった。
「血の涙が止まらなくなるんだ。ほどなくして失血死するだろう」
なにそれ超おっかねえ……。
「〈血の涙〉が眼からあふれた時点で〈殲す眼〉の発動をやめ、しばらく眼を休ませれば〈血の涙〉は止まる。だから、〈血の涙〉が止まるまでは絶対に〈殲す眼〉を使っちゃいけない。これは魔人族が覚えておかねばならない制約の一つだ」
強く言い聞かせるように、アルフレッドが俺の肩をつかみながら言った。
「……それと、〈殲す眼〉には二次的なリスクもある」
二次的?
「魔人族が恐れられる最たる理由がこの眼にあると言っただろう? だから、魔人族を知る敵対者は、まずまっさきにこの眼を潰しにくる。この眼は魔人族以外の種族にとって恐怖の対象だ」
どうにも話が生々しくなってきた。
「だから、もしサレが――たとえば純人族の領地なんかに身を置くときは、みだりにこの力を使ってはいけないよ。平穏でありたいと望むならね」
当然だ。バレたら死に直結しかねない。
「純人族の領地に身を置くことがあるかはわからないけど――」
「……仮定の話さ」
純人族は魔人族を目の敵にしていた。
あるいは、今でもしている。
そんな話を聞いたあとで、わざわざ敵地に赴こうとは思わない。
――また死ぬのは嫌だ。
悪意をぶつけられるのだって楽なもんじゃない。
ずいぶんと慣れてしまったのはたしかだけれど、慣れてよかったと思えるものでもない。
「今日はこのくらいにしておこうか。サレもまだほんの幼子だからね。でも、どうしてもこれだけは早めに知っておいてほしかったんだ。〈魔人族〉として」
「うん、俺も早めに教えてもらえてよかったよ」
のちのちになって得体の知れないとんでも能力が暴走しました、とかじゃ笑い話にもならない。
俺は魔人族であるという自覚を強くして、アルフレッドの言葉に大きくうなずいてみせた。
俺はこの世界について知らないことが多すぎる。
いまごろになって自分が新たな生を受けたことを自覚できたような気がした。
嬉しくもあり、寂しくもなる。
第二の人生?
まさか。
少なくとも八回は死んだ。
最初の人生について明確に覚えているわけでもない。
――だから、過去に縋りつくのはやめよう。
どうせなら、前を見よう。
きっとその方が、おもしろい。
そう無理やりにでも思わないと、胸のあたりを襲う嫌な浮遊感になされるがまま、宙に浮いてしまいそうだった。
芽ばえた思いを胸にして、俺は身体を襲う倦怠感に身を任せた。