27話 「天涯の躍動者」
サレの挙動の変化に、前方で背を向けて逃げる黒ローブが気付いたときには、すでにサレは黒ローブの数歩後ろにまで迫っていた。
自分の後ろに現れた突然の足音に気付き、黒ローブが肩越しに軽く後ろを見やると、
「――っ!」
サレがその片腕を伸ばして今にも黒ローブの肩をつかもうというところだった。
黒ローブは刹那の挙動で腰裏のあたりから短剣を抜き放つと、空中で器用に反転し、伸ばされたサレの腕に切りかかった。
対するサレは黒ローブのとっさの迎撃にも驚くことなく、驚異的な反応速度で伸ばしていた手をひねり、短剣の刃をすれすれのところでかわす。
そしてすぐさま再び手を伸ばし、屋根を蹴って前への推進力を加えて、
「――つかまえた」
黒ローブの右肩をつかんだ。
瞬間、握力を込め、逃がすまいと指を肩にめり込ませる。
「くっ……ああっ!!」
黒ローブが痛みにくぐもった悲鳴をあげるが、力は緩めない。
すぐさま逆の手も伸ばし、左肩もつかむと、
「下に行こう」
一気に黒ローブを引き寄せ、片腕でその身体を巻き込むように固定し、屋根の上から飛び降りた。
◆◆◆
下におりると、そこは居住区のようだった。
先ほどまでいた商業区と比べて人気も少なく、建物も古びていて、どこか寂びれた印象を受ける。
〈アレトゥーサ湖〉の碧い水はこの場所の街路にも静かに流れていた。しかし人々の活気立った喧騒が聞こえないと、その水の流れる音だけがやたらに耳に残って、余計に寂しげな感情を喚起してくる。
「っ……はなせっ!!」
不意に、サレが片腕で抱きかかえていた黒ローブがじたばたと暴れながら声をあげた。
可愛げのある女の声だった。
「この状況で放す馬鹿がどこにいるっていうんだ。大人しく質問に答えてくれたら放してあげるよ」
そうサレが答えると、
「尋問かっ!?」
「――うん、まあ、そんなとこ」
どう答えたものかと一瞬考えたサレだったが、やろうとしていることのニュアンスはとりあえず伝わるだろうと思って女の言葉を肯定する。
「私から情報がもれるくらいなら……っ!」
サレがうなずいた次の瞬間だった。
女の顔を見ようとフードに手をかけた瞬間、そのフードの下で口が大きく開けられているのをサレは見た。
歯と歯の間から舌をだし、それを噛むような軌道で下顎が閉じられ――
まずいと勘付くと同時にサレは腰裏から短剣を抜き放っていた。
そこから神速の動きで、短剣の柄頭を大きく開けられた彼女の口にぶち込む。その舌ごと中に押し込むように、うまく掬い込みながら。
ガチン、と金属音にも似た音がなって、見れば女が口にぶち込まれた短剣の柄頭をおもいっきり噛んでいた。舌は口の中だ。
うまくいったらしい。
「勘弁してくれよ……早まりすぎだろ……べつに答えたくなければ答えなくてもいいから――」
自分の脇の中で死なれるのはなんとも心地が悪い。最悪の心象になること間違いなしだ。
情報は欲しいが、それは決死の覚悟の上にある欲求ではない。軽い興味の上にあるものだ。
サレはお互いの価値観の相違を確認する。
すると、答えたくなければ答えなくていいという言葉に安堵したのか、脇に抱える女は抵抗をやめていた。
サレはようやく女の口元から短剣を引き抜き、背の鞘におさめた。
次いで、頭の中を整理しながら女に投げかける質問を構築し、舌に載せる。
「じゃあ、まずは――なんで俺たちを監視していたの?」
「……」
答えず。
「なら次、君はどこかのギルドの所属してる?」
「……」
答えず。
「き、君の名前は……?」
「……」
答えず。
「答える気ないよね……」
「当たり前だ。貴様がそう言ったんだぞ」
「あ、それには答えてくれるんだ……」
――ダメだ。
自分はどうにも尋問というものが苦手らしい。
サレは内心で自覚する。
相手の心意を誘導する話術を持ち合わせいるわけでもなければ、かといって体に聞くやり方も得意ではない。
どうせならアルフレッドたちに諜報系の技術も教えてもらえばよかったと思うが、それもいまさらだ。
――ど、どうしようかなあ……!
このまま解放したのではなんのために捕まえたかもわからない。
ズバリ、間抜けだ。
どこからどう見ても間抜けである。――うん。
「おい、なにもしないなら放せ――この間抜けめ」
――こ、こいつっ……
サレの胸中を見抜いたように女が鼻で笑って言った。
それに対してサレは強く言い返すこともできずに、
「なにしてんだ? サターナ」
どうしようかとうんうん唸っていると、不意に後方から聞きなれた声がかかる。
軽い着地音と共に現れたのはクシナだった。
白い猫耳をぴくぴくと動かしながら、片手には先ほど迎撃に出てきた刺客をつかんでいる。
地面を引きずるようなぞんざいな持ち方だが、刺客の方はすでに気絶しているようで、なんの反応も示していなかった。
「いや、なんだ、その……どうしようかなあって考えてたところ!」
「なにをだよ、間抜けめ。――どうせあれだろ、捕まえたはいいが情報をどうやって引き出したらいいかわかんねえんだろ。――馬鹿だなあ、お前」
――馬鹿って言った! ――猫のくせに!
そう口に出したかったサレだが、現状ではクシナの言葉が正論であり、言い返すに言い返せない。
「はあ……んなもん、二三発ぶん殴って吐かせりゃいいんだよ。簡単じゃねえか」
大きくあくびを放ちながら、クシナが適当に言う。
すると、今度はクシナの後ろにシオニーが同じような体勢で着地してきて、
「なにしてるんだ? サレ」
同じ言葉をサレに投げかけていた。
シオニーは銀色の尻尾を左右に振りながら、その手にやはり気絶した刺客をつかんでいて。
それを見たサレが思わず訊ねた。
「も、もしかしてシオニー……そいつぶん殴った?」
「ん? ――う、うん、その方が早いと思って……」
もじもじしながら言うが、やっていることとまるで噛み合っていない。
――もじもじしながら「ぶん殴っちゃった、てへへ」とかなかなかエキセントリックだ。……あえて前衛的とでも表現しておこうか。
「突き抜けたマゾなら喜ぶだろうか」などとサレは胸中で思いながら、そんなシオニーにさえも自分が負けていることを再認識して、涙目になりながら言った。
「い、いいよな!? 犬と猫は単純で!!」
「お前自分の不甲斐なさを棚にあげるとはいい度胸だな、おい。ついでにぶん殴るぞ」
「すみませんでした……」
サレはしょんぼりして言いながら、
「――じゃあいいや、君もどっかいっていいよ……」
脇に抱えていた女を解放する。
自分を拘束していた力が抜けたことを確認すると、女は素早い身のこなしで二三歩ステップを踏み、少し距離をとってからサレたちの方を振り向いて対峙した。
彼女は本当になんの手も出さなかったサレに対して驚きを表すように目を見開き、
「――本当にいいのか?」
信じられないと言った様子で訊ねていた。
「いいよ。でも、尾行だけならべつにいいけど、これから先『明確な危害』を加えてくるなら――その時は本気で対峙しよう」
「はっ、この調子だとそれも本当かどうか。腰抜けめ――」
女が鼻で笑い、口元を笑みに象る。
だが、
「薙ぎ払え――〈改型・切り裂く者〉」
瞬間、サレが目にも留まらぬ速さで左腰の皇剣を抜き放った。
引き抜きとほぼ同時、術式が装填された皇剣が青白い魔力燐光を放ちながら、女の首元にまで届く刀身の長さをたたえ――薙ぎ払われる。
女の黒いローブの首元は、凄まじい速度で振るわれた〈改型・切り裂く者》によってぱっくりと切断されていた。
あとほんのサレが踏み込んでいたら、女の首が飛んでいただろう。そんなぎりぎりの斬撃だった。
「――っ!」
女はひるんだように大きく一歩下がる。
その顎先からは大粒の汗がぽたりと垂れていた。
女の姿を赤い瞳で数秒の間射抜いたサレは、〈改型・切り裂く者〉の術式を解いて皇剣を鞘にしまい込む。
カチンと音を鳴らして鞘に収まった皇剣を隠すように、真っ黒なマントを翻した。
そのあとで再び女に向ける視線。
赤の瞳に込められたのは強烈な威圧の意志だ。
「いいか、『攻撃』は別だからな。明確な敵対意志をもって〈凱旋する愚者〉に手を出すのなら、その時こそ相手をしよう」
「前から思ってたけど、お前って結構極端だよな」
クシナは面白がるような笑みを浮かべ、
「おい、女、こいつらも持って帰れ」
片手でつかんでいた刺客を、離れた位置で荒く息を吐いている女に投げつける。
シオニーもそれに倣うようにして手につかんでいた刺客を投げ込み、言った。
「〈黄金樹林〉って言うらしいね、君たちのギルド。情報戦、諜報戦を得意とし、そこで得た情報を売り捌いて商売立てている純人族中心の集団。かといって交戦力がないわけじゃなくて、神格者も有し、その後ろ盾には直系テフラ王族の〈エルサ・リ・テフラ第三王女〉がついている、と。――あと湖上都市ナイアスの北側歓楽区の一角を拠点としている、ってところまでは聞いたよ」
シオニーが淡々と述べる内容。
それを聞く女が悔しげに歯ぎしりをするのを見て、シオニーは自分が仕入れた情報が正しいことを確信する。
「テフラ王族がギルドの後ろ盾についているって意味をもう少し聞いてみたいけど、君は吐きそうにないね。――吐くくらいなら死ぬって顔してる。同じギルドでも意識の差は結構あるものなんだね。彼らはすぐ吐いてくれたのに」
シオニーは眼光鋭く女を観察しながら、そう言った。
対する女はより一層歯ぎしりを強くし、「チ」と大きく舌打ちと打つと、
「――いずれ次の機会に。〈凱旋する愚者〉の名は覚えておく」
そういって迎撃者二人を両手で引きずりながら、その場を離れていった。
◆◆◆
場に残ったサレとクシナとシオニーは顔を見合わせて、おもむろに言葉を交わし始める。
「これでてっとり早く知名度は上がりそうだな。狙われもするだろうけど……」
最初に言ったのはシオニーだった。
「行動してればいずれ勝手に広まるものだし、そう気にするほどでもないんじゃない? 空都アリエルに向かうためにはそれなりの地位を必要とするらしいし、アテム王国がいつちょっかいを出してくるか予測がつかない以上、テフラ王族との接触も早めに狙った方がいいと思うよ」
シオニーの言に対してサレがフォローするように言葉を並べ立てた。
さらに続けて、
「――後ろ盾ってのが必要なら、それこそ知名度は早めに上げておかないと。まあ、地盤が固まらないうちから大盤振る舞いするのは気が引ける、っていうのもわかるけど」
「はっ、『建前』で戦争しようとするような馬鹿集団に保守的なのは似合わねえだろ」
クシナが白の髪を揺らしながら最後を締めた。
ふと空を見上げてみれば、太陽は濃い橙色に染まりつつあって、夕刻の訪れを報せようとしていた。
「あとは今日が野宿にならないことを祈りつつ、だなぁ」
サレが言うと、
「あと肉な」
「お腹すいたぁ……」
クシナとシオニーがそう続いた。
三人は再び屋根へと跳躍し、来た道を戻りはじめた。
◆◆◆
合流地点である噴水に一番最後に辿り着いたのはサレたちだった。
すでにアリスを含む凱旋する愚者の面々は噴水周辺で立ち話をしていて、
「――お待たせ。――俺たちが最後か」
サレがアリスのもとへ歩み寄り、帰還を報せる。
アリスは相変わらずの無表情をたたえながらも、一度会釈をすると、サレの後ろから歩み寄ってきたクシナとシオニーに近づいた。
そして、
「ほうら、お肉ですよー」
不意に背中側にまわしていた手を表に出し、その手に握られていた大きめの骨付き肉をクシナとシオニーの前でぶらつかせた。
瞬間。
クシナが袖の内から凄まじい勢いで爪を出し、フック気味に骨付き肉に対し打突を繰り出していた。目にもとまらぬ早業だ。
対するシオニーはクシナよりも一歩反応が遅れていた。
というのも彼女の胸中には、
――ほ、欲しいけどこれで噛りついたら犬みたいだよな……!?
そんな自分に対する制御の言葉が浮かんでいたからだった。
逡巡中のシオニーに先制したクシナは、
「はっ! 馬鹿犬め! もうこれは俺のだからな! ひとっ切れもやらねえからな!!」
馬鹿にするような表情でシオニーに言っていた。
鼻で笑われたあげく、そのうえ念願だった肉まで持っていかれたことにシオニーは多大なショックを受けたようで、口元をよだれごと波のように揺らし、目尻に涙を浮かべている。
さらにかすかに頬を紅潮させながら、
「うっ……なんかすごい負けた気分だ……」
しょんぼりとつぶやいていた。
「野生動物としては負けてるな、確実に」
「ううっ……うわあああああ!」
サレがだめ押しを口走ると、シオニーがついにその場に泣き崩れる。
いつも楽しげに左右に振られている銀の尻尾は見る影もなく、しゅんと力なく萎れていた。
「わ、私だって頑張ったのにぃ……!」
膝を抱きかかえるようにうずくまるシオニーを十数秒ほど皆が観察していると、ふとアリスがサレの腕を引っ張った。
何事かとアリスの方を振り向けば、彼女はもう一本の骨付き肉を手に隠し持っていて、それをサレに差し出していた。
さらにうずくまるシオニーを指差し――
――意図は理解した。――任せろアリスっ……!!
それだけで十分だった。
サレは即座にアリスの言わんとすることを察知すると、アリスから骨付き肉を受け取って、シオニーの頭のあたりにぶらつかせ、
「ほうら、お肉ですよーう」
言った。
肉の匂いにいまさら気付いたのか、シオニーはハっとしたように顔をもの凄い勢いで上げ、よだれを少し周囲にまき散らしつつ、
「……はむっ!」
顔から肉につっこんでいた。
――手を使えよ、手を。
「すげえ……まるで俺たちの期待を裏切らねえ動きをするぜ、この犬……」とまわりのギルド員たちが驚嘆の声を漏らす。
サレの隣ではアリスが右手の親指をグッとあげてアピールしているので、サレもそれに応えて親指をあげておいた。たとえ見えていなくとも、きっと伝わっているだろう。
それくらいの以心伝心具合は感じていた。
「また一つ、犬らしくなりましたね。これで彼女たちの姿が鮮明に見ることができればよりおもしろ――嬉しいのですが」
――今絶対おもしろいって言おうとした。
「ブレないな、アリスも……」
「シオニーさんをイジるのは私の癒しの一つですから」
そう言いながら、アリスは襟を正し、
「さて、皆さんの御尽力のおかげでそれなりの量の資金が集まりました。皆さんの手癖の悪さと金の亡者っぷりに感謝感激しながら大事に使わせていただきます」
「か、感謝されてる気がしないのであるよ……」
ギリウスが嘆くが、アリスは気にも留めず続ける。
「では、夜が深くなる前に宿まで移動しましょう。気のいい亭主がわざわざ部屋を開けてくださったので、皆さんあぶれることなく入りきることができるらしいです」
そういうアリスをよそに、サレはふと気になって、隣で眼鏡の位置を直しているメイトに訊ねた。
「メイト、ホントに気のいい亭主だったの……?」
「はは…………そんなわけないだろう。――アリスが宿の先客と片っ端から『賭け』をして金貨を剥いだうえに部屋から追い出したんだよ……。容姿は可憐だし、視力もほとんどないしで、先客たちも『こりゃあいいカモだ』とか思ったんだろうね。ちなみに言っとくともちろん賭けを強制したわけじゃないよ? でも結局先客たちは即答でアリスの提案を受けちゃって……」
「お、おおう……」
一応はお互いの同意の上でその契約がなされたらしい。一応は。
「易々と受けた彼らの軽挙ともいえるけど、実際に賭けで勝っちゃうあたりがアリスの怖さでもあると今日知ったよ……サレもアリスとはあまり賭けごとをしない方がいいよ? 豪運の神と契約してるんじゃないかと思うレベルだから……」
「そ、そんなにか……」
「うん……僕自分の運に自信がなくなってきたよ……」
「では参りましょう。――あ、メイトさん、いらぬ誤解を招かせる説明はほどほどに、先導の補助をお願いいたします」
「――うん、なんかごめんなさい」
メイトは額から冷や汗を浮かばせながら、とりあえず最速で一度あやまって、アリスの隣にまで駆けていった。