25話 「碧水の湖上都市」【後編】
どうにかこうにか国門付近の徴税をまぬがれて、サレたちは〈湖上都市ナイアス〉へと足を踏み入れた。
そうしてすぐに目の前に広がったのは――碧と白が調和をなした美しい街並みだった。
◆◆◆
碧い水と白い石の調和だ。
その二つの色が、あらゆる景色の基礎となっている。
それらを補色し、彩りを強めるように、細部に渡って走る色は翡翠であり、深緑であり、また新緑でもあった。
深い落ち着きを感じさせるシックな木茶色の木製ベンチが、露店や行商店に並べられていて、またその辺の建物の屋根からつりさげられたランタンからは赤や黄色の閃光が駆けている。
暖かな色味が景色に加わっていく。
そこは色に溢れた街だった。
◆◆◆
真っ先に視界に入るのは、国門の裏側からどこまでも立ち並ぶ交易商の露店だ。
すぐにでも店をたためる程度の簡素なつくりの露店。
しかし、そんな交易商が会心の笑みを浮かべて並べ立てているのは、どれもが高級感や清潔感を放つ代物たちだ。
香ばしい香りを立たせ、派手な彩色で視覚に訴え、通りすがりの人々の関心をこれでもかと引き寄せようとしていた。
そこから幾らか歩むと、一旦交易露店は姿をまばらにする。
商人たちに打って変わって現れるのは、多様な姿かたちを宿した湖都ナイアスの住人たちだ。
交易露店の周りをうろつく旅人たちとは違い、背荷物も少ない。
知り尽くしたように迷いなく横路地へ歩み入って行く姿は堂々としている。
気付けば、足元には碧い水の膜が出来ていた。
踏めば心地良い音を立てて跳ねる碧い水だ。
――綺麗な水色だ。
サレは素直に胸中に浮かべた。
通路の両脇には細かな水路が芸術細工のように刻まれていて、その水路を碧い水が絶え間なく流れている。
――〈アレトゥーサ湖〉の湖水かな?
見れば、街中のさまざまな場所から透明度の高い碧の水が流れ入ってきている。
壁から漏れ出ていたり、地面の芸術細工の隙間からあふれていたり。
そうして流れ入ってきた碧い水は、水路にしたがって各街路へと流れ出しているようだった。
終着点は一周まわって広場の噴水であったり、露出したアレトゥーサ湖の外縁であったり、さまざまだ。
弓なりの橋が架けられた橋路の下では、アレトゥーサ湖の一部が川のように流れている。
ある者はその川に釣り糸を垂らし、ある者は手をひたして清涼さを得ながら河川の傍で寝転がっていたりする。
碧い水は透明度が高くて、水底を泳ぐ奇抜な色の魚さえも、天から降り注ぐ燦然とした光によってくっきりと映し出されていた。
そうして、その陽光につられて今度は空を仰ぐと――
そこには、空に浮かぶ無数の小さな島と、さらにはるか上方に漂う――〈空中都市〉が映った。
――あれがテフラ王国のもう一つの王都……〈空中都市アリエル〉か。
特殊な流れの風域帯――通称〈シルフィード〉によって絶えず周辺域を囲まれていることから列記する名前は、
――〈アリエル・シルフィード〉。
〈テフラ王城〉が存在する空の都である。
◆◆◆
凱旋する愚者の面々は、まばらな列をなしながら〈湖上都市ナイアス〉を闊歩していた。
ある者は湖上都市の美しい景観に感嘆の息を飲み、ある者は歩いてきた道のりを覚えようとしきりに振り返っている。
そんな中、トウカが思案気な顔で地面に視線を落としていた。
「――土地勘を養う以前に、まずは飯と金と寝泊まりできる場所が必要じゃなぁ」
下唇に指を当て、唸り声を加えて紡いだ言葉。
「五十人だからそれなりに大きな宿でも借りないと入りきらないよね」
「その宿を借りるお金もありませんけどね」
「うむ、よく考えなくてもピンチであるな」
トウカの言葉に、先頭集団として歩いていたサレ、アリス、ギリウスが同時にうなずく。
それぞれに「どうしようかねぇ」と唸っていると、今度は列の真ん中あたりからシオニーが飛び出してきて、神妙な顔つきで紡いでいた。
「ねえ、さっきから気になってたんだが、たぶん私たち『尾行』されてるぞ。こんなに人通りがあるのに、同じ匂いが二つ三つ、ずっと鼻についてる」
人狼が鼻を擦った。
シオニーが提示する事実に真っ先にサレが大きく目を丸める。
「尾行? マジで?」
「うん」
シオニーは神妙な表情をそのままに、首を縦に振って見せた。
サレは「気付かなかったなぁ」とこともなげに言いながらも、一拍をおいて襟を正す。
柔らかな雰囲気が鳴りを潜め、眼光が鋭く閃いた。
「――シオニーが言うんだから、そうなんだろうね。そういう都であることを少し失念していたよ。これは反省しなきゃな」
根拠は信じるに足るだろう。鼻の利くシオニーの言だ。
サレが続けて紡ぐ。
「さて、どうしたものか」
活気ゆえの喧騒こそあれど、目に映ったのは平和的な街並みだ。
だから失念していた。その点に反省を置いて、しかし現状への認識を強める。反省はあとでもできるが、この時への対応は今しか行えない。
空腹のせいで頭の回転が鈍っているのを少し感じながらも、サレは内心で気を引き締め直した。
「最初に気にかけるべきは俺たちを尾行している奴らの正体と、その尾行の理由かな」
サレが整理しつつ口に出すと、他のギルド員たちも寄ってきてうなずきや同意を示した。
「いっそのこと、今俺たちを尾行してるやつに逆に聞いてみようか。手っ取り早いのは間違いない」
テフラ王国に入国してまだ間もない自分たちに目をつけているということは、情報収集に対して人並み以上には力を入れている者の犯行だろう。
ついでに言えばそういう情報収集に熱心な者たちに、その他自分たちが気になっている事柄を訊いてしまえるかもしれない。
危機的側面と、一方で機会的側面がある。
「どうする? アリス」
予想を建てながら、サレはアリスに判断を仰いだ。
「――そうですね。情報を得るに際してはサレさんの言うように逆に尾行者に聞いてみるのが有効かもしれません。こうして新参者な私たちを探ってくるくらいですから、なかなか熱心な情報収集家なのでしょう。もし尋問が可能であればその者が懐に持っている他の情報をついでに得られるかもしれませんし」
あくまでうまくいけば、の前提であるが、うまくいった場合のリターンは大きい。
「――しかし、現状、あまり悠長に情報ばかりを追っているわけにもいきません」
アリスはもう一つの可能性を提示する。
「まだなんとか動けるとはいっても、皆さん体力的に厳しいのは確かな事実です。それに、今後のこともあります。ここで怪我などを負ってしまえば本末転倒といえるでしょう。今はまだ入国したてで本格的な接触はありませんが、時間が経てば経つほど他の〈ギルド〉がなんらかの接触をはかってくるかもしれません」
結局はどちらを優先するか、ということになる。
少し無理をして要領を得ようとするか、安全を最優先して機会を逸するか。
積極と消極。
「うむ、確かに。それに、友好的な接触にせよ敵対的な接触にせよ、その時に金も拠点もなければたいした取引も望めないじゃろうしな。加えて、今ものすごく腹が減っておるのも考慮すると、早々の寝床と食糧の確保は無視できん」
トウカが「ぐぎゅる」と盛大に音を鳴らした自分の腹をさすりながら言った。
「ええ――悩みますね」
悩むが、悩んでいられる時間はそう多くはない。
アリスは考え込むように顎に指を当てた。
十秒に満たないくらいの逡巡があって、そのあとにアリスが再び顔を上げる。
今までの無表情からは少し変わって、決意に満ちている顔だ。
「――では、『役割分担』といきましょう。何人かで尾行者を追っていただいて、残りで宿と資金繰りを。尾行者を追う方々は安全優先ということで」
積極と消極の両方をとる。
それがアリスの判断だった。
新参者である自分たちは、テフラ王国で居場所を得るために多少無理をしなければならない。いつ無慈悲と不条理が訪れるかもわからないのだから、最低限の焦りは必要だ。善は急げという。
一方で安全策も考えておかねばならない。ここを押さえておけばひとまず大丈夫、そんな最終防壁の構築も忘れてはならない。
だから、今回は欲張ってみよう
アリスが片手の人差し指を立て、皆の注目を集めるように構えた。
一方でギルド員たちはスクラムを組むように円形に集まり、アリスの言葉に耳を傾けている。
「シオニーさん、その尾行者の匂いがどこらへんから漂ってきているか分かりますか?」
「うん、ここから少し上の方だ。たぶん建物の屋根の上にでも潜んでいるんじゃないかな」
シオニーはアリスに報せ、さらに他のギルド員には視線でわかるようにその方向を報せた。
周りに立ち並ぶ家々は商家のようで、表には看板や商品が展示されている。
「そこまで分かるならば話は早いですね。人ごみに紛れられる方がこちらとしては厄介でしたが」
「そうだな、そうなると他の匂いが邪魔するからここまで正確な位置は分からなかっただろう」
「ホント、犬みたいだなシオニー」
「お、狼だって言ってるだろっ!」
サレの言葉にシオニーは唇をきゅっと結び、頬をぷくりと膨らませながら抗議の色を見せる。
しかし、二人はそれ以上話を引っ張らず、すぐに襟を正してアリスの言葉を静かに待った。今優先すべきは対話ではなく、長の言葉を聞くことだ。
「では、匂いで尾行者の位置が分かるシオニーさんに追跡をしていただきましょう。あとは――サレさんとクシナさん。この御三方にお任せします」
「わかった、任せてくれ」
「合点合点」
「承知だ」
アリスの言葉にサレとシオニーとクシナがうなずいた。
「方策はお任せしますが、深追いはしないでください。少数での追跡ですし、先ほども言ったように安全が最優先です。――ですが、もしうまくいくようでしたら『ちょっと危ない尋問形式』でいろいろ訊いてしまってください」
「お、おおう……」
「友好的に接してくださるならまだしも、あまり尾行と言うのは心地よいものではありませんし、先に仕掛けてきたのはあちら様ですし――やっちゃいましょう」
グッ、と右手の親指を立てて無表情で告げるアリス。
「すげえ楽しそう……」そんな声がギルド員たちからあがった。
「どこまで追うかは副長であるサレさんの判断にお任せします。ただし日が落ちてからだと合流がしづらくなるので、たとえうまくいっても日が落ちる前までにはこの噴水地点に戻ってきてください」
「うん、心得た」
うなずき、サレがマントの裾を払った。
先程シオニーが報せた尾行者の潜伏場所らしき屋根上へ一瞬だけ視線を向け、大まかな地形を確認する。
そして「よし」と小さくこぼした後に、サレがハッと何かに気付いたように言った。
「――これ犬と猫の散歩か!」
当然即座の反応がサレの両脇から返ってくる。
右のシオニーと、左のクシナだ。
「犬…………」
「ああ!?」
サレの言葉にたいして、シオニーはしばらくの無言のあと「どうせ私なんか……私なんか……っ!」と重い空気を漂わせながら項垂れ、クシナはぶつくさと文句を言い始める。
しかし、
「冗談冗談――――んじゃ、『いこうか』」
サレが笑って言い、身を起こすと同時――
「戻ったらアリスに褒めてもらおう……」
「俺が戻るまでに肉用意しとけよ、お前ら」
そんな言葉を残して〈銀狼〉と〈白虎〉が身を前へと弾いていた。
唐突な加速だ。
一瞬にして前傾姿勢に移り、足に力を込めて高速で前に飛びだす。
猛然とした速力で人垣を縫っていく様は、獲物を狩るときの獣の動きに酷似していた。
「じゃ、そっちも気をつけてね」
次に〈魔人〉が笑みと共に走り出す。
澄んだ声をその場に残し、しかし、すでに三歩ほど前に移動しながら。
魔人の速力も獣二人に負けずず劣らずの凄まじさだ。
見れば、すでにシオニーとクシナは近場の家の壁をひとっ飛びで乗り越え、屋根に着地しているところだった。
シオニーが屋根の上でクシナに尾行者の位置を指差しで教えているのが見える。
サレはその二人の後方から、全体を監視できるような位置を取りつつ、同じように屋根から屋根へと跳躍していった。
彼らの姿を見て、その場に残った他のギルド員たちは名も知らぬ尾行者たちに同情の念を抱いた。
そんな光景を周りの反応から予想したアリスがふとこぼす。
「いやはや、空腹の獣二体と魔人に追われるとは、尾行者も災難ですねえ」
「そう指示したのはアリスであるがな……仕向け方がなんだか確信的でおっかないのであるよ……!」
他人事のように告げるアリスにつっこみながら、ギリウスは冷や汗を浮かべた。
◆◆◆
「さて、では残りの皆さんも役割分担といきましょう。方法はあまり問いませんので、各自でお金を集めてきてください。元手などはないので、賭けに走る場合はハッタリでなんとかするようお願い致します」
「お、おお……もう取り繕う気さえまるで見られない強権命令である……」
ギリウスが震えていると、
「あ、ただし、方法は問わないとはいっても、派手に悪行に走ると後々〈凱旋する愚者〉として動くときに弊害となるので、その辺もご考慮ください」
再び親指をグッと立てて見せるアリス。
「さあ、今こそ皆さんの外道っぷりを見せつける時です。しっかり毟って――あ、いえ、しっかり稼いできてくださいね」
「絶対わざとだ。今の言い間違いはわざとだ」その場にいたギルド員たちが一斉に胸中に言葉を浮かべた。
しかし、しばらくして――
「よぉっし、やるかぁ!」
「毟――じゃなかった稼ぎにいくか!」
「元手零の賭けとか久々にドキドキするな!」
「ハッタリはまかせろおおお!!」
意外とノリノリで返事を返していた。
返ってきた言葉を聞いたうえでアリスは、
「私はあまり資金繰りで役に立ちそうにはないので、皆さんが資金繰りをしている間に宿を探しておきます。どなたかお付き合いいただければと思うのですが――」
そう告げた。
「――なら僕が行こう」
すると、すかさず反応が返ってくる。
その声はメイトのものだ。
彼は眼鏡の位置を指先で直しながら、得意げな表情を浮かべてアリスの隣に歩いてきていた。
「大丈夫なの? 愚眼鏡? あんた、バリバリの戦闘系って感じじゃないけど。――いざという時アリスを守れるの?」
忠告するようにメイトに告げたのはプルミエールだった。
妖しい笑みを浮かべてはいるものの、普段よりもいささか口調は真面目で、内容もまた至極真っ当なものだった。
周りの面々も彼女の言葉には同意らしく、それぞれに賛同の反応を表しながらメイトに視線を向ける。
その視線を受けてなお、メイトの得意げな表情は崩れなかった。
「大丈夫、この〈メイト・ミュラトール〉、いざというときは我らが長を守る騎士となりましょう」
「キザね」
「キザですね」
四方八方からそんな批評が飛ぶが、メイトはすでにこれらの批評には慣れたようで、逆に得意げに鼻を鳴らしていた。
「ま、本当に大丈夫だよ。僕も異族だからね。固有術式みたいなのもあるし」
「へえ、意外。あんたって見た目純人族と変わらないじゃない。隠してんの?」
「べつに隠してるってほどじゃないけど。まあ、わざわざ見せるほどのものでもないからね――僕の異族特性は。なんていうかな、はっきり言っちゃうと見た目があんまりよろしくない。だからこの眼鏡をかけて抑えているんだよ」
「あんたの眼鏡ってそんなたいそうなモノだったのね? ――やっぱりあんたは愚眼鏡で決定よ!!」
「言うと思ったよ、君ならね」
「やれやれ」と両手を放り投げながらメイトは苦笑を浮かべた。
「眼鏡で抑えている、ということは副長と同じ魔眼系の固有術式でしょうか」
横からマリアがいつもの柔らかな微笑で問うてくる。
メイトは一度考える素振りを見せるが、結局はうなずきを返していた。
「――うん、そうだよ。マリアが言うとおり僕の固有術式は魔眼術式だ。我らが副長の〈殲す眼〉ほど馬鹿げてはいないけどね」
「あんな馬鹿げた術式がぽんぽんと存在してもらっても困りますけどねぇ」
「はは、まったくだね、僕もそう思うよ」
メイトは楽しげな笑みをマリアに返した。
「僕の魔眼術式はバリバリの戦闘系って感じじゃないけど、それでも、仮に誰かに襲われたら自分の術式能力と併用してそれを無効化する程度の力はある」
「そうですか。――術式が使えるなら、よほどでなければ大丈夫じゃないかしら。なにも真っ向から襲撃者を倒す必要もないんですし」
「そうだね。もし分が悪かったらおとなしくアリスを連れて逃げるよ」
メイトが笑みを浮かべて言った。
「ふーん……じゃあいいわ、わかった、あんたにアリスを任せることにする。――ちゃんと守りなさいよ、愚眼鏡?」
「了解了解、しくじるとあとが怖いからね」
「フフフ……!! しくじってもあとがあると考える愚かさがまさしく愚眼鏡だわ!!」
――確かに。プルミのいうとおりだ。
そうメイトは内心で苦笑した。
アリスを守りきれなければその後も何もかもが霧散する。
彼女を中心にして作りだした自分たちの意志の基盤が崩壊する。
――あとなんてないんだ。
しくじればそこで終わりなのだ。
「そのとおりだね、プルミ。僕の命に代えても、我らが長は守ろう」
「あ、死なれると私としても微妙に荷が重くなって困るので、キザに身を投げ出して死ぬとかはナシの方向でお願いします」
「フフフ……!! キザな台詞に対して真正面から正直に答えちゃうあたり、素晴らしいわアリス!! 愚眼鏡の心が『ポキッ』するのも時間の問題ね!! なんだったら『バキッ』て感じでもいいわよ!!」
「負けない……!! ぼ、僕は負けないからな!」
メイトは再び違う意味で決心を強くし、握り拳を片手につくった。
そうして、最後にアリスが「さて」と舌に言葉を浮かべる。
「では皆さん、一旦解散としましょう。くれぐれも夜までにはこの噴水に戻ってくるよう、お願い致します」
凱旋する愚者の面々から「うえーい」などといつもどおりの軽い返事が返ってきて――それぞれが四方八方に散らばっていった。
足元の石板を踏むことで飛び散る碧い水が、華やかに湖上都市を彩った。




