21話 「凱旋する愚者」【前編】
進路は決まった。
安全に眠る場所さえ持たない彼らは、多少荒くとも、自分たちの力でそれを得なければならなかった。
そのうちの誰かは繋がりを守りたかった。
そのうちの誰かは復讐をしたかった。
そのうちの誰かはただ生きたかった。
どの道を選ぶにしても、まずは生き抜くための基盤が必要だった。
そしてその基盤は、自らの手で掴むしかなかった。
かつてはいたはずの、無償の慈悲を与えてくれた存在は――もういない。
◆◆◆
イルドゥーエ皇国の東端の森から北東への進路を取り、サレたち異族集団は歩き始めた。
サレにとっては故郷からの離別の進路だ。
ぞろぞろと異族が適当な列を為して歩いている中、サレの隣を歩いていたアリスが訊ねていた。
「サレさん、寂しいですか?」
目が見えないのにもかかわらず、アリスはサレの顔を見上げていた。
サレは苦笑を浮かべ、アリスの問いに即答する。
「思い出はあるけど、今はもう誰もいない。だから、寂しくはないよ。故郷であることに変わりはないけど、今は新しい居場所があるから。誰もいないこの空虚な場所に囚われるのも、ちょっと間抜けだろう?」
サレの声は明るかったが、アリスはその明るい声の奥に震えを聴き取っていた。
「……そうですか」
しかし、あえて明るく紡いでいるサレを前にそれを指摘するのも無粋な気がして、アリスはそれを聞き流すことにした。
少しの沈黙が二人の間に流れる。
「そういえば――」
すると、サレの方が話題を転換するように言葉を切り出した。
「テフラ王国で居場所を作るってことは、俺たちも〈ギルド〉として動くことになるのかな」
「そうですね、明確に私たちがグループであることを周りに示した方がいいでしょう。最初は権威も名声もまったくないところからですが、ある程度の地位を確立できれば、それが戦いに向かない方々の『盾』にもなるでしょうから」
身一つで真っ向から戦える者はいいとしても、それ以外の者にはテフラ王国内での盾が必要だろう。
アリスの言葉はサレに納得を生ませた。
さらにサレが続ける。
「――なら、『名前』も決めた方がいいのかな」
胸中に浮かんだ何気ない疑問だ。
「ふむ。言われてみれば、そうですね。私たちが一団であることを示すには名前が必要かもしれません」
するとそこへ、白翼のプルミエール、一本角のトウカ、トカゲ頭のギリウスが話に加わってきた。
中でもプルミエールが名前という単語に素早く反応し、甲高い声音で叫んでいた。
「『高貴な天使と愉快な愚民たち』がいいわ!!」
「――却下じゃ」
「――却下である」
「……もう形式美すら感じる流れだな」
サレが呆れ顔でいう。
さらに、
「私はかわいいのがいいかな――うん、かわいいの」
サレたちの後ろを歩いていた人狼族のシオニーがそんな発言をしていた。
まだ頭には銀毛の犬耳がひょこりと出ていて、ときおり音に反応するようにピクリと動いている。
「そんなクールな声音で『かわいい』とか連呼しないでください」
「なっ! わ、私だってかわいいものは好きだぞっ!」
アリスのわざとらしい皮肉に、シオニーは少しむくれて答えた。
それを見たサレは反射的に、この犬耳をつけて中途半端なクールビューティーを呈するシオニーをいじりたくなって、
「大丈夫!! シオニーもかわいいよ!!」
そう快活に告げていた。
すると今度は、とどめと言わんばかりにサレの脇から右腕が半透明の少女――〈イリア〉がすっぽりと頭を出して、満面の笑みで、
「超かわいいよ!!」
と復唱した。
「そ、そんなわざとらしく言われたって私は――」
「いやいや、マジで言ってるんだよ! かわいすぎて撫でたくなってくる!」
「超マジだよっ! 尻尾もふもふしたい!」
再びサレとイリアが連続して言うと、ついにシオニーは、
「……ほ、本当に……? 本当に本気で言ってるのか……?」
サレとイリアの顔をちらちらと窺いながら言っていた。
頬は上気していて、獣耳がぴくぴくと忙しなく動いている。
目尻はとろんと落ちていて、口元は今にも笑みに彩られそうだ。
――実にわかりやすく緩み切った表情だ……
サレはシオニーの緩んだ顔を見て内心に思った。
もはや狼の野生などどこにも見当たらない。
よく見れば彼女の銀の尻尾までも凄まじい勢いで左右に振られていて、実にわかりやすかった。
――だいぶ平常時とキャラ変わるな、シオニー。
普段の怜悧な様相はどこへやら、だ。
サレは続けて胸中に浮かべ、さらなる褒め殺しをイリアと連携して敢行した。
しばらくサレとイリアの攻勢が続いて、ついにシオニーの口角が上方向にピクつき始めた頃合いになって、
――試しにやってみよう。
サレが新たな行動に出た。
おもむろにシオニーの傍まで歩み寄り、緩み切った表情で口元を波打たせているシオニーの首のあたりに視線を向ける。
白く、細い彼女の首がある。
注視するのはその首の前部。
顎下から喉にかけてのラインだ。
――いけるっ!!
確信を浮かべ、そして、
「おーよしよし」
サレは勢いにまかせてシオニーの喉元に手を伸ばし、喉を撫でた。
犬の喉を掻いてかわいがるように、その喉を撫でたのだ。
「えうっ!? あ、あのっ、ちょっ――」
突然のサレの行動にシオニーはビクリと身体を反応させる。
あたふたとしながらも、最初は身をよじらせてその手から逃げようとした。
だが、数秒もしないうちにサレの行動の絶大な効果が表れはじめる。
「う、うん――」
短くも甘い声が、シオニーの口から漏れていた。
サレの手を掴んでいた彼女の手から力が抜け、ついにだらりと垂れ落ちる。
見ると、いつの間にか顔が完全弛緩状態に移行していた。
その目尻は垂れ、目を瞑り、頬が緩まり、口元は快感に大きく波打っている。
「んっ――んんっ――」
「おい、皆見ろよ、完全に犬だ!」
彼女の銀の尻尾は大きく左右に振られ、犬耳がまたぴょこぴょこと動いていた。
サレが喉を撫でるたびに、色っぽい吐息が口から漏れる。
「ずいぶんイロモノ臭がしますね。もっと真面目な方だと思っていましたが」
ふと、トウカから現状を伝え聞いていたアリスがわざとらしいため息をまじえて言っていた。
その声にシオニーはハッと我に返ったように目を開くと、必死に手を前で振り始める。否定の身ぶりだ。
「ち、違うっ、違うんだっ!」
シオニーはそう言葉を紡ぎ始めるが、その間もサレの手は止まらなかった。
「――んっ! ――わ、私はちゃんと真面目だぞ! んんっ――こ、これはだな! そ、そのっ――種族特性だっ!! んっ――だからっ、んうっ――し、しかたないんだ!! ――あっ、そこっ」
途中まではなんとか耐えていたシオニーだったが、結局最後は力なく地面にへたり込んでいた。
その段階になってサレもようやくシオニーの喉を撫でるのをやめ、満足したように「ふう」と息を吐いていた。顔には満面の笑みだ。
すると、今度はへたり込むシオニーのもとへプルミエールがやってきて、白翼を派手に羽ばたかせながらニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「とろっとろにとろけてた癖によく言うわね、この愚狼め。『あっ、そこっ』とか言っちゃってたじゃない。フフフ……! ――今ので一生イジってあげるわねっ!?」
プルミエールの目は新しい玩具を見つけた子供のように燦然と輝いていた。
その言葉にシオニーは思わずうなだれ、
「――もうっ! サレがいきなりこんなことするからだからな!」
また顔を上げたあとに蒸気した頬のままサレに告げた。
しかし当のサレは全く意に介していないようで、
「今度からシオニーを褒める時はこうしよう!!」
などと隠しもせずガッツポーズを作っていた。
――私、もう駄目かもしれない。
シオニーはそう心の中で前途に多難を見出していた。
「我輩もアレやってほしいのである」
「ギリウスは絵的にヤバいだろ……いろいろと」
「種族差別である……」
「その顔で落ち込むなよ……」
涙目でへたり込むシオニーと、竜面に悲哀を醸すギリウスの姿がそこには残った。
◆◆◆
「お前らもう少し真面目になれないのか、おい」
人狐族のマコトがシオニーを見かねて助け船を出していた。
「まな板はいけないわね、短気で。余裕ってものが感じられないわ? あ、余裕なんてないわよね。ギリギリどころか胸囲的にマイナスだものね!! まさしく愚かな胸囲!!」
「なにいってるか理解はできないが馬鹿にされてるってことだけはわかった!!」
「フフフ……! ――愚まな板め」
「せめて愚狐にしろ! 愚まな板とかもう種族すらわからないから!」
しかしその場にはプルミエールがいて、今度はマコトが標的にされる。
マコトは一度背中を向けてあらんかぎりの悪態をつき、「い、今は我慢だ……!」と自分に言い聞かせたあと、再び振り向いて言葉を紡いだ。
「――で、だ。本当に『名前』、どうするんだ?」
「イロモノ過ぎてもなめられるし、マトモ過ぎても面白みに欠けるなあ」
「いやマトモでいいだろ、そこは」
サレがふと漏らした言葉に的確なツッコミを入れつつ、マコトは続ける。
「集団の長だし、アリスに決めてもらうか?」
「私ですか」
「一番手っ取り早いからな」
「ふむ……そうですねえ……」
アリスは口元に手を添えて考え込む仕草をみせた。
そうして数秒のあとに出てきた案は、
「――〈アテム王ぶっ飛ばし隊〉なんてのはいかがでしょう」
そんなものだった。
マコトはすぐさま片手で額をおさえ、「ああ……」と嘆かわしそうに嘆息したあとで、
「個人の願望が含まれすぎてるしストレートすぎるし――なによりだいぶ物騒だな、おい」
「そうですか……私の中では第一候補だったのですが……」
――これは素なのか? ボケてるのか? ――くそっ!! どっちだかわからないからツッコミづらい!
大仰に落ち込むアリスを見て、マコトは内心で苦悩した。
すると、そこへメイトが眼鏡の位置を中指で微調整させながらやってきて、自慢げに言葉を紡ぎ始めた。
「ねえねえ、こういうのはどう? 前提として、僕たちはこれから勝ち続けなければならないから――勝ち続けて勝ち続けて、いつか僕たちの理想に届くように――」
◆◆◆
――〈凱旋する愚者〉。
◆◆◆
「――大国アテムにあらがう愚か者たち、そして理想の道を歩く者、って意味もあるんだけど」
メイトが「ふふん」と鼻を鳴らしながら言うと、間髪入れずに声が複数あがって、
「――キザね」
プルミエールが半目で言い、
「どうも鼻にツンとくる感じじゃな」
トウカが鼻を摘まみながら言い、
「我輩はアリスの案の方が……」
ギリウスが竜尾をしんなりさせて言った。
「言いたい放題だなお前ら。一番まともなのに。まあ、キザなのは否定しないけどな?」
最後にはマコトもそう言って、
「うん、ホントに言いたい放題だね……」
メイトががっくりと肩を落とした。
しかし、メイトは再び眼鏡を指で押し上げると、目に光を灯して他の面々を見る。
そうしてささやかな反抗心を胸に言葉を紡いだ。
「じゃあ、他になにかあるのかい?」
その問いに他の面々は「うーん」と唸り、
「……ないな」
「ないですね」
そう答えた。
するとメイトがここぞとばかりに大仰な身振り手振りを加え、一気に押しきる。
「なら当面はそれでいいじゃないか! テフラ王国に着くまでに他の案が浮かばなければそれで決定ね! はい! そういうことでっ!」
「強引に締め切りましたね」
「まあ、それでいいんじゃない?」
サレが最後に苦笑しながら加えた。
それを受けてアリスが「では」と繋ぎ、
「――そういうことにしましょう」
確定させた。
ほかの面々もうなずきを返し、同意を示した。
◆◆◆
「名称はとりあえず決まったということで、あとは大まかな役割を決めておきましょう。ひとまずテフラ王国ではギルド間の暴力沙汰があるかもしれないので、端的に前線でヒャッハーヒャッハーする方々と、後方でその支援を行う方々、でいいでしょうかね?」
「そうじゃな。ひとまずはそんなもんじゃろ。あとは実際に行ってみなければわからん。わらわたちの情報もやや古いしの」
アリスの提案にトウカが率先してうなずきを返すと、他の面々からも同意の声が上がった。
「ええ、ではそういうことで。――もちろん向き不向き以前に好き嫌いもあると思いますので、できるだけそちらを優先できるよう割り振りたいところですね」
――となれば、今のところは先刻の前線組、避難組という区分けを参考にするべきでしょうか。
そうアリスは胸中で思った。
今戦える、もしくは戦おうという者たちをそういう役割にあてて、のちに志願者がいれば再び思慮を巡らせればいいだろうか。
当初の目算が外れれば逐一調整を行わねばならないかもしれないが、テフラ王国へ向かうまでの道程で考える時間もある。
ひとまず、というところでは無難だ。
「――アリス?」
そんな風にアリスが考えていると、心配そうな声が飛んできた。
サレの声だ。
アリスは声の方に顔を向け、そこにサレの像を思い描いた。
見えなくとも、彼の人物像はすでにくっきりと浮かんでいた。
――どこか飄々としていて、楽観主義を感じさせつつも、いざというときはなにかと責任を己に課そうとする青年。
アリスがサレの人柄に抱いていた感想だった。
口で独善主義や楽観主義をとなえるわりには、彼は責任を負いたがる。
確かに彼は人に言われて価値観を改めるタイプではないだろうとも思う。
それが独善性に繋がるかは別として。
なにかと己の中で自己完結させ、納得しようとする節は見て取れるが――それはべつに悪いことではない。
言いかえれば決断力があるとも言える。
「――いえ、大丈夫です。少し考え事をしていました」
「ん、そっか。まあ、いろいろ思うところはあるんだろうけど、あんまり一人で考えなくてもいいんじゃない? もちろんアリスが一人で考えて決定論を出しちゃったほうがいいこともあるけど」
――そしてこの妙な察しの良さ、ですね。
思いながら、アリスは再び思考を回した。
人の心の機微を察する力に長けた者は意外と多い。
サレ、トウカ、ギリウス、プルミエール。
――いえ、最後の方は少々疑わしいですね……
ともあれ、その四人を筆頭にお互いをよく観察している者がこの異族集団に多いことは確かだ。
自分が集団の長になるとして、その近辺にもっともほしい人材は『長を補完できる者』だと思う。
自分に足りない物は多い。
その中から特に足りないと思うものを真っ先にあげるならば、それは――
――目と、力……ですかね。
いくらほかの感覚器によって周囲を感知できるとしても、視覚によってのみ得られる情報は欠落してしまう。
その最たるものは表情だ。
人の顔は口以上に物を言うこともある。
それを自分は見ることができない。
そして、もう一つは力だ。
単純な力が集団を求心することもある。
むしろ、これから向かうテフラ王国でギルド間のいざこざが起こっているとすれば、力の方が重要かもしれない。
魔人族を討伐するために研鑽してきた力と技術はある。
しかし、それらは視力を失ったことで急に精度を失った。
視力があることが当然だったそれまでの人生で磨いてきた研鑽の力は、今となっては勢いを失っている。
時間を掛ければ調整も可能かもしれないが、やはり視力がないという不利は消しきれない。
それに――神格者でもないたかが純人族だ。
この場にいる戦闘系技能を持つ異族と比べれば、小さな力だ。
ならば、この今の自分を補完するに最適な者は――
アリスは内心に決定を下し、声をあげた。
「――サレさん」
「なに?」
言う。
◆◆◆
「あなたに――この集団の〈副長〉という立場を与えます」
◆◆◆
それは提案ではなく、決定事項としての贈与だった。
他の者に不平不満を漏らす暇も、当事者に拒否の姿勢を見せる暇も与えない、強い言葉。
あなたでなくてはいけない。
そう伝える言葉。
――このくらい強く言わなければ、長としての面目も立ちませんね。
『提案』では他の者たちに猜疑の可能性を最後まで持たせることにもなってしまう。
『提案する程度ならば他の者でもよかったのではないか』と後々になって疑問視できる可能性を与えてしまう。
――それはだめです。
長として最善を考える。
これは当然だ。
そして考えたならば、長であることを理由にしっかりとした決定を下さねばならない。
窺うような提案はだめだ。
それではかえって、
――こんな私を信じてまで決定権を委ねてくださった皆さんに――失礼ですからね。
そう思ってアリスはハッキリと決定を下した。
そして、それ対するサレは、
「……んえ?」
きょとんとしていて、いまいち理解している風ではなかった。
「――台無しであるよ!!」
「――台無しじゃな!!」
「――さすが愚民ね!!」
三つの声を筆頭に、異族たち全員からツッコミの声があがった。