216話 「神歌:未完成の物語」
白衣の女の歌は、最初こそ煌びやかだった。
華美な修飾語に彩られた言葉。
そんな言葉によってつむがれる物語。
音色との調和があった。
しかし一方でそれは、あえて音色によって物語の確信を覆い隠しているようにもサレには聴こえた。
「とても古い時代、三人の青年が世界の中心に住んでいました。生命の森と呼ばれる青々とした森の中です」
古代世界の美しさをこれでもかと謳ったあと、そんな台詞が白衣の女の口からこぼれた。
「とても仲の良い三人でした」
ハープの音色が弱まる。どうやら今の主役は物語の方であるらしい。
「そんな彼らはあるとき、自分たちととても似ていて、けれど少しだけ違う生き物が森の中で生まれたことを知りました。彼らはすぐにその生き物を保護しました。三人にとっては兄弟というより息子のように感じられました」
美しい響きを持った彼女の声が続く。
「そしてしばらくして、また別の場所で似たような、されど少し違う生き物が生まれました。彼らはその子たちも保護し、最初の子と同じ場所で育てることにしました」
さらに一人。加えて一人。
「いつの間にか大所帯になりました。世界に賑やかな声が響き渡ることを彼らは嬉しく思いましたが、一方で新しい問題が浮き彫りになってきたことにも聡明な彼らは気づいていました。――彼ら三人だけでは元気に跳ね回る子どもたちを世話しきれなくなってきたのです。そうして彼らは、遠い地に住んでいた別の兄弟たちも呼んで、徐々に役割を分担していくことにしました」
そうしていつの間にか、その世界の中心地に村のような場所が生まれた。
「最初の三人はそれぞれ大きな役割を担当しました。秩序を維持することに注力する村長、子どもたちに生きる術を教える教師、そして村を外敵から守るべく管理防衛する衛士。それぞれ自分の力にあった役割を彼らは請け負いました」
その結果、徐々に村は発展していった。
「しかし、子どもたちが成長し、子どもたち自身に物事を判断する力がついてくると、徐々に村長が忌まれることが増えてきました。村長は決まりを作る者です。ようやく自分の力で動き回れるようになり、探検したい盛りの子どもたちは、それを許してくれない村長に不平を漏らすようになりました。教師と衛士はそんな子どもたちを諌めましたが、日に日に村長への不平は募っていきます」
それでも村長は、決して怒ったりはしなかった。
むしろ、それも成長のうちの一つだと思って、嬉しく思った。
「年月が過ぎて、彼らもいつのまにか大人になりました。三人からすればまだまだ子どものようではありましたが、最初に拾ったときと比べればもう立派な大人です。そんな彼らの成長に三人は喜びました。けれど――」
不意の逆説の言葉に、物語に聞き入りはじめていたギルド員たちはぴくりと肩をあげて反応した。
「ついに、決定的な問題が起こってしまいました。子どもたち同士が争うようになったのです」
またどうして、と、誰かがこぼした。
「大人になる過程で、彼らは自我を獲得していきました。どうにもその自我が、それぞれに違う方向を向き、時にほかの自我とぶつかるようになったのが原因だったようです。村長は自分への不平はたいして気にしませんでしたが、子どもたち同士が争うようになった事態には辟易しました。というのも、彼にはどうして子どもたち同士が争うのか理解できなかったのです。彼は昔なじみの教師と衛士とも、喧嘩などしたことはありませんでした。彼の理性は子どもたちと同じ次元にはなかったのです」
そうして村長は、彼らの争う理由を秩序の維持のために調べるようになった。
「それが悲劇の始まりでした。村長は子どもたちの争いの理由を調べ始めて、感情のるつぼから出られなくなっていきます。それまで絶対的であるかと思われていた理性に、亀裂が生まれます。それほど彼にとって子どもたちの争いは不可解でしたし、また一方で彼自身が完璧主義すぎたのも問題でした。どうにかして『それ』を理解しようとどんどん深みへ分けいって行きました」
しかし、
「彼もさすがにある一線を越えてからこれはまずいと気づきます。そこで彼は、それまでに収集した子どもたちの自我への理解を、ある形にして別の場所に集積することにしました。そうすることで彼自身に溜まった鬱屈を発散させたのです。いわばその集積所は彼にとっての拠り所でした」
ギルド員たちにとって、その村長は地獄にあえて踏み入っていく呆け者にさえ見えた。どんなに理性が優れていようとも、村長の踏み入っていく地獄には出口などないように思えた。
「どんどんと深みへ進んでいく村長に、最初の二人の友人、教師と衛士は、『もうやめろ』と言いました。彼ら二人はすでに子どもたちの争いを『そういうもの』として置くことに決めていました。彼ら二人は、むしろ問題が起きたあとにいかに被害を少なくするかに重きを置いていました。彼らは子どもたちの性質に気づくと同時、それが自分たちではどうしようもないことをどこか達観的に悟っていたのかもしれません」
だが、村長は真面目すぎた。
「彼だけはどうしても原理が知りたかった。二人の制止を振り切って、彼はどこまでも潜っていきました。その頃には村から出ていく子どもたちもちらほらと出ていました。教師と衛士はさびしがりましたが、一方で彼らの独り立ちを喜びもしました」
「なんだかやりきれねえな」と、誰かが言った。
「そうして村人が増えたり減ったり、もはや旅立ちも新たな移住者も珍しくなくなってきたころ、ついに村長が少しやつれた顔で教師と衛士の前に現れました。彼は『もうやめだ』と二人に言いました。続けて、『わからない』とも。それまですべての答えを知っていた彼をして、その諦めは意外なものでした。教師も衛士も面食らいましたが、彼がそれ以上危うい沼に入っていかないことを察して、ホっと一息をつきました。根本的な問題は解決していませんが、決してまったく手が出せない問題ではありません。『これからゆっくり方法を探していこう』二人は村長に言いました。これでひとまず安心できると思いました」
次の日、悲劇が起こるまでは。
「次の日、朝の巡回に出た衛士は、村の中で子どもたちの一人が血に伏しているのを見かけました。獣の仕業かと思いましたが、どうにもその傷は刃物でつけられたようで、ほかの『誰か』につけられたもののようでした。それまで争いこそあれど、死者が出ることはありませんでした。村で大きな問題になりました」
誰かが息のを呑む音がした。
「すると、子どもたちのうちの一人が、身体を震えさせながら言いました。どうやら彼は誰が犯人だか知っているようでした。彼は言いました。『村長がやった』。その場にいた衛士と、すぐに駆けつけた教師は『ありえない』と答えましたが、すぐに村長の家へと走りました。扉を開け、部屋の中を見て――思わず身体が硬直しました。村長は右手に血の滴るナイフを持っていたのです」
「マジかよ……」声があがる。
「二人はすぐに村長を問い詰めました。『どうしてこんなことをしたのか』。彼は答えました。『周りから見ているだけではわからない。実際に体験するのが手早い』。その瞬間、教師と衛士は村長が狂ったことを知りました。彼ら二人が危惧したことが、起こってしまったのです。真理を求めるあまり、村長は深みにはまってしまいました。
それから彼は教師と衛士の手によって『頭を冷やせ』と自宅に閉じ込められましたが、彼自身の変化は止まりませんでした。彼はさらに、みずからが理解できないものを極端に恐れるようになったのです。子どもたちの自我だけでなく、ときおり現れる特殊な子どもたちにも難色を示すようになりました。特殊な子どもたちとは、最初から村長たちの力を必要とせず、勝手に野原を生き抜いていく強靭な子どもたちのことです。彼らは村長たちの力を借りればもっとたやすく発展することができましたが、決してそれをよしとはしませんでした。彼らは自分たちの力のみで発展することを選択し続けたのです。それが村長には理解できませんでした。曰く、『合理的じゃない』」
ハープの音色が重々しくなる。
「自宅で村長が謹慎しているさなか、彼の傍にはずっとあるものがありました。子どもたちの自我を調べているときに、その研究成果の集積所を兼ねていたあるモノです。そのモノには自我がありました。おそらく彼がそこに子どもたちの自我の研究成果を詰め込んだからでしょう。そのモノは、彼が壊れていくさまをもっとも近くで見ていた『者』であり、そしてもはや彼は最初の彼に戻らないだろうということを確信した第一人者でもありました。だから『彼女』は、ある日主人の目をかいくぐって、いつの日か村長を止められるようにと村の外に秘密の種を埋めました。最初は教師と衛士を頼ろうかとも思いましたが、彼らはなんだかんだといってまだ村長に甘かったのです。もしかしたらそのせいで秘密が秘密でなくなる可能性があると思い、結局頼ることをやめました」
そうして秘密の種を村の外に植えたあと、また彼女はただ村長の拠り所として彼をぎりぎりのところで支え続けた。
「本当に支えられていたかはわかりません。けれど、村人が増えていくにしたがって仕事が増えていった教師と衛士も忙しく、彼自身も家に閉じこもることが多くなったために、あまり彼に構えなくなりました。だから自分だけは彼を支えようとじっと彼の話を聞きました。でも、きっと一番残酷だったのはそんな彼女だったのでしょう。本当ならば、彼をどうにかして止めるべきだったのです」
「どうして?」
ふとハープの音色が止まって、その隙間にサレが声を差しこんでいた。
白衣の女はほんの少し言葉を詰まらせたが、すぐに微笑とともに答えた。
「結局その村は壊れてしまったのです。もちろん、決して悪いことばかりではありません。生命の森から生まれた子どもたちがそれぞれ自立して世界に旅立ったわけですから。ただ、その離散には彼が村の長として認められないようになっていったことも関係しています。そう考えると、彼にとっては良い事ばかりではなかったでしょう。だから、彼の名誉を考えるならば、さまざまなことを止めるべきだったと」
「――なるほど」
「ちなみに教師と衛士はより広い視点で子どもたちを見守ることにしました。その頃には彼らの手足たる兄弟たちも増え、どうにか仕事も回せるようになりました。村長もこもりがちではありましたが、最初に誓った村長としての矜持――秩序維持の矜持は、なんとか保たせていました」
「それで、残酷という言葉の意味は?」
「……」
サレは彼女に訊いた。
彼女は『彼女』のことを残酷だと言った。
まるで身に迫るような言葉だった。
「『彼女』がどうして秘密の種を植えたかわかりますか?」
「いや」
「彼女は自分で村長を止めることを諦めていたのです。そうして彼を止める役目を、その秘密の種に放り投げたのです。いつか種が芽をだし、天に伸びようとするところへ、上から重大な役目を打ち下ろそうというわけです。なんの罪もない種にとっては、それは理不尽なことだと思うでしょう」
「……そうだね」
「だから、残酷なのです」
ふと、白衣の女が顔をあげた。
直後、ナイアスの街に鐘の音が響いた。
夕時を告げる鐘の音だった。
「ああ、すみません、思ったよりも長くなってしまいました。なんとも歯切れの悪いところではございますが、どうしても向かわねばならないところがあるので、今日のところはこれで」
白衣の女はアリスの方をちらと見た。
対するアリスは、
「ええ、わかりました。では続きはまたの機会に」
「喜んで。また歌わせていただきます」
そういって白衣の女はそそくさと広間から出ていった。
あとには各々に唸り声をあげるギルド員たちの悩み顔が残った。
◆◆◆
白衣の女が爛漫亭から出たあたりで、ふとその後ろから声が飛んできていた。
サレが彼女を追うように爛漫亭の入口から顔をだし、言葉を投げていたのだ。
「忘れ物ー!」
サレの手には彼女が飾り付けのように腰に巻いていた綺麗な白布が握られていた。いつの間にかほどけて椅子の下に落ちていたらしい。
白衣の女はぺこりと頭を下げて、二、三歩戻りながらそれを受け取った。
と、
「ちなみにさ、今の話の続きは悲劇? それとも喜劇? やっぱりちょっと気になってね」
彼女は歌の前にそれを各々で考えてくれと前口上していた。
しかし、歌はこうして途中で終わってしまった。
だから、奏者である彼女なりの答えを先に聞いておきたいと思って、サレは訊ねた。
それに対し彼女は、消え入りそうな微笑を浮かべ、
「――わかりません。実はこの歌、まだ結末が『未完成』なのです。だから、あんなふうに前口上したのです。物語としては欠陥かもしれませんが、きっと次に出会うときには完成していると思います。だから、少し調子が良いとは思いましたが、披露させていただきました」
「そうか。いや、別に怒ったりはしてないし、そういうのもありだと思うんだけど。……じゃあ、もう一つだけ聞かせてくれ」
サレは頭をかきながら笑ってうなずき、最後に言った。
「その歌はまったくの創作? それともなにか原型があるの?」
「……ええ、原型はありますよ」
「俺もちょくちょく子どものときに物語を読んでいたからさ、少しはそういう方面にも詳しいんだけど――ちなみにどの物語? もしくは誰の物語?」
サレは興味深そうに訊いた。子どものように目を輝かせて。
すると彼女は三歩ほどサレから離れ、街路の横道を曲がる寸前で艶美な振り向きを見せながら――
言った。
◆◆◆
「最高神マキシアを中心とした、『神々の物語』です」
◆◆◆
直後、彼女はひらりと白衣をひらめかせて街路の曲がり角に消える。
サレはハっとして彼女を追ったが、曲がり角から首を出した時にはその姿は忽然と消えてしまっていた。
「――」
言葉にならない声が、サレの半開きの口の間からこぼれた。




