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魔人転生記 -九転臨死に一生を-  作者: 葵大和
第十三幕 【吟遊:人歌神歌は入り乱れ】
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215話 「神歌:白衣の女」

「おい、なんか外にすっごい綺麗な人が立ってるぞ」


 爛漫亭の大広間を、マコトの声が切り裂いていた。

 狐耳をぴくぴくさせ、どこか落ち着かない様子で広間の入口に立っていた彼女は、おもむろに人差し指を玄関口に向けて誰にともなく言っていた。


「綺麗な人?」

「なに、ちょっと、その一言で『ウッヒョー!』って言って出ていく馬鹿がいないのはうちのギルドの男衆が不健全な証拠なの? ねえ、どうなの?」


 マコトの言葉のあとに特段動きがあったわけではない。

 広間にいたサレを含む男性陣は、「ふーん」なノリで気だるげに外を見やる程度だ。

 その様子にプルミエールがため息をつくが、彼女は彼女で別段興味をひかれた様子でもないようだった。


「よし、なら俺が。――うっひょ」

「中途半端にやるのはやめなさい愚魔人」

「はい」


 誰も出て行かないのを見かねて、サレがわざとらしく両手を上に、なにかに襲い掛かるような仕草で一歩を踏んだが、ソファにねそべって白翼の毛づくろいをしていたプルミエールに一瞬で諭された。よくみる光景である。


「いやでもさ、マコト曰くその人はうちに用があるっぽいじゃん?」

「もう自然にうちって言ってるあたり、そろそろあの犬亭主に土下座かますしかないわね。『すいませんここ自分の家だと思って占拠してすいませんおもに男がすいません』」

「爛漫亭の貴重な住居スペースを生活用品その他雑多な品で占拠している女性陣の責任を棚にあげるんじゃない」

「よろしい、噛まずに言えたわね。はい、じゃあ行ってきて」


 いつもの皮肉りあいをほどほどに、ついにサレがやれやれと肩をすくめてマコトの方を見た。


「ホントにうち? というか特定の誰か?」

「いや、わからん。ただ朝見てからまだいるんだ」

「ずいぶんつつましいな、おい。うちのギルド連中に見習わせたいくらいだ」

「ともかく、そろそろ日も照ってきてなんだし、もしかしたら訳があるのかもしれないし、訊いてみてくれ」

「ん、そうだな。一応まったく警戒しないわけにはいかないから、俺が近づくとしよう」

「唾つけたらぶっ殺すわよ」

「どうしてそうなるんだ」

「あんたなんだかんだ女と縁が多いから」

「十数年間外界の女と縁がなかった反動さ。神様がきっとそうしてくれた。――ああ、この世界の神は碌なもんじゃないんだった」


 サレは黒髪をかき乱しつつ、ついに広間から出て行った。


◆◆◆


 サレが爛漫亭の正面に面する街道に出て、左右に首を振ると、すぐにマコトが誰を指していたのかがわかった。

 

 ――たしかに。


 綺麗だ。

 顔は見えないが、一見して雰囲気がほかと違う。

 清新な空気が身から漏れている。

 顔の下半分を白いヴェールで覆って、頭にはどこかの民族衣装のような被り物。

 サークレットに長い白布がくくりつけられていて、風にひらひらと舞って綺麗だが、同時につつましやかな印象ももたらしていた。

 

 ――持ち物は……


 頭から足先まで、パっと見で判断する。

 暗器やらを持ち運ぶ密偵系の連中とも交流が増えてきたせいか、大方そのあたりの所持不所持は判断できるようになっていた。

 対人間とすれば、サレはサレでなかなかに経験豊富だ。

 思い出せばいろんな種族と手を合わせてきたものだと感慨深くなった。


 ――よし、ないな。


 ウルズ王レオーネの側近、いつか二人同時に相手どった鎌持ちの精霊族の少女たちは、身体の精霊部分――つまるところその実態が薄い透過部分に、小さな刃物を隠していたりもしたが、ひとまず目の前の彼女は生身なようである。


 ――あとから知ってゾっとしたぜ。


 なんだかんだと彼女たちも手練れだ。一国の王の側近というのも伊達じゃない。

 ともあれ、


「あのー」


 サレはその女に声をかけた。

 女はサレの声掛けに反応して、脇に挟んでいた小型のハープのような楽器を胸元に立てつつ、サレの方を向き直った。

 そしてそのまま優雅な一礼を見せてきた。


「こんにちは」

「ああ、はい、こんにちは」


 サレは後頭部をぽりぽり掻きながら、彼女とは対照的に庶民的な軽い会釈を返す。


「朝からそこでなにか待っているそうだけど、もしかしてうちに用があったりする? もしくは特定の誰かとか」

「いいえ、そういうわけではございません。ただ、わたくしは旅の吟遊詩人でありまして、このあたりでわたくしの歌を買ってくれる方はいないものかと、商売道具片手に待っていた次第なのです」

「ほーん、吟遊詩人」


 感嘆の息を吐きながら、サレは女の胸元のハープを見た。

 金色の胴体部分に、張り巡らされた弦は銀色。

 豪奢だが、楽器として見ればまあ案外こんなものなのかもしれない。

 くわしくはないので、そのあたりの思考をサレは割愛した。


「どうでしょう、一曲買ってくださいませんか? 昼下がりの休息に美しいハープの音色を」


 断るのもやぶさかではないが、


「買いたいのはやまやまなんだが、あいにくと金が――」


 先日のもろもろによって、サレの懐はひどく寒々しい。

 あえて携帯革袋の口を開けずともそこに金がないことはわかりきっている。

 そうして渋っていると、


「では、私が買いましょう」


 サレの後ろから別の声が掛かった。


「――アリス」


 くすんだ黒髪の少女がちょこんとそこに立っていた。

 隣には腕を組んで胸を持ち上げる姿勢のマリアがいる。彼女としては重さを軽減するための無意識的な行動なのかもしれないが、それのせいで周りの通行人の目が集中するのはどうしたものかとサレは思った。

 どうやら一緒に出かけていた二人がちょうど帰ってきたようだ。


「たまには音楽や詩も悪くないと思います。特に、皆さんはそういう才能がない方が多いので、たまには文化的な勉強といきましょう」

「音楽なんてまったくわからん……」

「サレさんの頭は文化を受容すべき部分まで術式処理に使われているようですからね。勉強しても身につかないかもしれません」

「例によって辛辣(しんらつ)だなっ!!」


 サレが黒尾を立たせるが、アリスは「はいはい」と片手を振りながらそれをあしらった。


「では中へどうぞ、興味深いお話や物語が聞けるとうれしいです」


 白衣の女を爛漫亭の中へと案内していった。

 

 その場に残ったのは抗議のポーズで固まったサレと、そのサレを前に、


「……あ、あの……」


 もじもじと、それでいてあたふたとした反応を見せるマリア。珍しい姿だ。

 最近はずいぶんとそういう素のような部分も見え隠れするようになってきたが、やはりまだ珍しいと思うくらいにはマリアは清楚整然としていることがほとんどである。

 ともあれ、マリアは無様な格好のサレに対し、どう声をかけていいか迷っているようだった。


「ふ、副長もがんばれば大丈夫ですよ……? 大丈夫、うん、大丈夫」

「マリア、自分で自分の言葉に無理やり納得しようと連続でうなずくのはやめたまえ。――俺が虚しくなる」

「で、でも本当に大丈夫ですって! 私はイリアにその方面で教鞭を取ったこともありますから、あとで副長にも教えて差し上げます! あ、そうっ、それね! そうすればいいんだわ……!」

「……はぁ」

 

 一人でガッツポーズを取っているマリアを傍目に、サレはため息をついた。

 マリアはまだ「これがシオニーの言ってた『押し』ね!」などとわけのわからないことを言っているが、サレとして胸中の悲嘆が勝ってマリアのいつにないハイテンションなどさほど気にならなかった。


「ああ、期待してる。……そういえばアルフレッドの書斎にヴァイオリンみたいなのあったけど、もしかしてアルフレッドはそっち方面で実は手練れだったんだろうか……もしかしてリリアンも……いやいや」


 ――生肉だぞ、無理だ。

 ……いや生肉を楽器に。


 サレは自分の思考が迷宮入りしたところで、アリスと白衣の女を追って行った。


◆◆◆


 爛漫亭一階の大広間は、珍しい雰囲気に包まれていた。

 一部はだらけて、一部は内職し、一部は得物の手入れなど、統一性なくたむろしていることの多い普段の大広間が、ある一つのものに空気を占拠されていた。


 楽器。

 そして白衣の美女。


 大広間の中央に椅子を一つ。

 ソファやら机やらを端に寄せて、その寄せた机の上に腰かけながら、〈凱旋する愚者〉のギルド員たちが白衣の美女に注目していた。


「いろいろな方がいらっしゃいますね」


 白衣の女は言った。

 顔の下半分を白いヴェールで覆っているため細かい表情は窺えないが、どことなく驚いているようにも見える。

 

「そういう集団なので」

「とても望ましいことだと思います」


 不思議な言い回しな気もしたが、どうやら彼女はこういう混合種族の集団に好意的なようだった。

 すると、白衣の女の正面に位置する椅子に座って受け答えをしていたアリスが、ついに本題に移る。


「それで、どういった詩を詠んでくれるのでしょうか」

「そうですね。……では、そんなあなた方に一つ、多様な種族が出てくる物語を」

「ほう、多種族の」

「ちょっとだけ、回りくどい物語ですけど、あなた方の興味は引けると思います」

「ちなみに、悲劇ですか? それとも喜劇ですか?」

「――秘密です」


 白衣の女は楽しげに眼を細め、アリスに言った。

 アリスは彼女の声音から、その楽しげな様子をくみ取る。

 といっても、その音色はすぐに消えて、また彼女の顔からもすぐに笑みが消えていた。


 そうしてついに、白衣の女はハープに手を添える。

 どうやら歌がはじまるようだった。

 

「本格的に物語に入る前に、演奏のみの序幕がございますから、その間はお話をしてくださって構いません。しばしハープの音色をお楽しみください」


 そういって、女はハープの弦を弾いた。

 ぽろん、と。

 小気味良い音が鳴る。

 心地よい、跳ねるような音だった。

 一音、二音、続く音色に身体が軽くなっていく。


「――なるほど、いい音だ」


 サレは音楽のことなどわからなかったが、知識なんかなくても音楽を楽しめることをその時点で察した。

 尻尾が自然と左右に揺れるのが、自分でもわかった。

 と、


「サレさん」


 そんな音色に混じって、小さく自分を呼ぶ声があった。

 声の方を振り向けば、アリスが横目にこちらを見て、軽く手招きをしていた。

 たいして遠くはないので、サレは席を立って歩み寄ることにした。


 序幕演奏中はご自由にとのことで、ほかのギルド員たちも飲み物を取りにいったりとちょくちょく動いていて、特別目立つこともなかった。

 音に合わせて楽しげに身を跳ねさせるイリアの横を、彼女の頭を撫でながら通りすがる。

 眼鏡のレンズを布で拭いているメイトの前を、軽口を二つ三つ紡ぎながら通りすぎる。

 さらに、「なかなかどうして、うまいじゃねえか」「なにエラそうに言ってるんだ。お前は音楽がわかるのか?」「お前はどうなんだよ、駄犬」「……あ、……わ、わかんない……!」「自分で突っかかっといて自滅すんのやめろよな……」と仲が良いのか悪いのかわかりづらいやりとりをしているシオニーとクシナの前を通る。

 そしてようやくアリスの横にたどり着いた。


「なに? アリス」


 訊ねる。

 すぐに答えが返ってきた。 


「少しだけ、注意しておいてください」

「え?」


 アリスの言葉に、サレは思わず首をかしげた。

 真意をつかみかねる。


「ほんの一瞬、一瞬だけ――」


 アリスは盲目の瞳を瞬間的に白衣の女に向ける。

 彼女は非の打ちどころのない優美な微笑を浮かべて、ハープを打ち弾いている。たった一人の演奏であるのに、まるで何人もの演奏者がそこにいるような、不思議な重奏感があった。それだけで彼女が並の演奏者ではないのだろうと素人目にも感じられる。

 アリスはそんな白衣の女を一瞥したあと、驚くべき事実をサレの耳元で口走った。


「――『神力』を、感じました」


 サレが眼を見開く。

 アリスが持つその独特な感覚器が、神力の察知にまで及ぶことはかねがね聞いていた。

 アリス自身、対〈戦景旅団〉のとき、アテナを前にしてはじめてはっきりとそれを感じたという話も聞いていた。

 その後に神族とやたらと関わるようになって、もはやアリスの感覚器は神力に慣れた。

 サレもアリスの感覚器を疑うつもりはまったくといっていいほどない。

 だからこそ、衝撃を受ける。


「……嘘じゃ、そんなこと言わないよな」

「ええ、さすがに」


 アリスは神妙な顔をしていた。

 彼女自身、なにか戸惑っているような様子だった。


「少し、不思議な感じです。今までの神族とどこか違います。ほとんど純人なのに――一瞬だけ、たしかに神力を……」


 アリスの戸惑い方は決してわざとではない。

 さすがのサレもそれくらいはわかる。

 ゆえに、


「わかった、頭に入れておく」


 アリスを安心させるように言った。


「あとギリウスに――」


 ふといつもの感覚で頼りになるもう一人のギルドの番人に話を告げに行こうとしたが、ギリウスの姿は広間になかった。

 「しばし、真実を見極めに」そういってみずからが忌避した故郷へと飛翔していった黒鱗の竜族(ドラグナル)は、まだ帰ってきていない。


 ――まあ、無事ではあるだろうけど。


 その点は信頼している。

 だが逆に、近場にギリウスがいないというのは、サレからして少し心細いことだった。


 ――いやいや、お前が心細く思ってどうする。


 そう思っているのはきっと自分だけではない。

 それくらいギリウスの存在は大きい。

 だからこそ、今は自分がギリウスの分も支えねば。

 

 サレは、何日かの平穏の間に、休ませるようにして心の隅にどけておいた戦心(いくさごころ)を、再びいつでも呼び出せる位置に移動させる。


 赤い瞳に光が灯る。

 無邪気の中に、ほんの少しの魔人の気配。

 耳を打つ音楽を素直に楽しむ一方で、その瞳は白衣の女の挙動をしっかりと見定めていた。


「――では、ご用意も整ったようですので、そろそろ物語を詠みましょう。どうか、静かに聴いていただければ幸いと思います。――ああ、それと。喜劇は悲劇か、物語のあとに『答え』を思い浮かべてくだされば、また幸いでございます。お隣の方と判断を比べ合うのもよし、議論するもよし、それを含めて、楽しんでくださいますよう――」


 そういって、女はついに物語を詠み始めた。

 その物語は、思いのほかまっすぐに、サレたちの心を穿った。

 それはとても、とても――『近しい』物語だった。


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『やあ、葵です』
(個人ブログ)
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