211話 「解けた誤解と、新たな戦い」
人知れずテフラ王族たちが現王に招集されていた頃、ナイアスの一角でも一幕が上がりそうであった。
◆◆◆
「……」
「ねえ、どうしたのよ、シオニー」
「……」
「帰ってきてからずっとこの調子ね。部屋の隅にちぢこまって……、ちょっと、背中から怨念が漏れてるわよ……」
爛漫亭大広間。
〈凱旋する愚者〉のギルド員のうち、特に外に用事のないものたちがふらっと立ち寄るいつもの広間。
腕相撲大会が酒場で開かれていたその日、マリアは珍しく一人でゆったりとお茶を飲んでいた。
爛漫亭の犬顔亭主ともずいぶん長い付き合いになってきていて、ときおりそのよしみで亭主の自慢の銘茶などをもらうことがあった。
あの犬顔亭主は銘茶収集が趣味であるらしい。
暇なときなどはその亭主の少し悪戯気な提案で、利き茶をすることもあった。
ともあれ、長年の成果というだけあって、犬顔亭主の出してくれる茶は実においしい。香りも味も、抜群だ。
そうやってマリアはほっこりとお茶を飲んでいると、大きな足音を立ててシオニーが帰ってきた。
足音は大きいが、決して乱暴というわけでもなく、むしろ不思議と悲哀を感じさせる足取りである。
――ホント、この子はよくわからない表現力が……。
表情の豊かさもしかりだが、穿ちすぎと言いたくなるほどのよくわからない表現力が、シオニーにはある。
頭の上に疑問符を幻視させるのはお手のものだ。
そんなシオニーは、広間に入ってくるやいなやこちらの姿を確認して、小さく「ただいま」と紡ぎ、そのまま広間の隅へと足早に歩いて行った。
――なんで椅子に座らないのかしら……。
あまりギルド内でツッコみ慣れていないマリアには、もはやどこからツッコむべきなのかまるでわからなかったが、一方でどうにもツッコんでいい雰囲気でもないことを察した。
一瞬こちらを向いたシオニーの顔に、えもいわれぬ絶望が映り込んでいるのをマリアは確認した。
「シ、シオニー?」
「……」
やはりダメだ。
こちらの声が聞こえていないらしい。
マリアは胸の下で腕を組んで、肩こりの最たる原因であるその双丘を持ち上げつつ、困った風に唸った。
――どうしようかしら。
こういうとき、相手の心の状態を斟酌せず、良い意味でも悪い意味でもたやすく人の心に踏み込んでいけてしまうプルミエールがいると、なんだかんだと助かるのだが――今プルミエールは外出していた。
なんでも、例の〈地牙〉ギルドの『地使族』に呼ばれて、会談に向かうとのことだった。
最初、プルミエールは一人でその会談に行こうとしていたが、天使族と地使族の仲の悪さは聞いていたので、話がもつれたときのためにマコトを連れ添わせた。
正直マコトには悪いことをしたと思っている。
狐の耳と尻尾をしんなりさせて、売られていく家畜のごとく、目をうるませた泣き顔を浮かべるマコトの姿が、マリアの脳裏に蘇った。
――大丈夫よ、マコト。あなたがいればプルミは無理をしないから。
いや、本当に悪いとは思っているのだ。
けれど、あくまで会談という話であるし、大丈夫だろう。
ほかに適任がいなかったのだ。
腕力のあるタイプだと、かえってプルミエールの暴走を助長させる可能性がある。
『決裂!! 決裂ね!! なんかよくわからないけどぶち壊すわね!! あんたも手伝いなさいよ!』
さすがにそこまで狂人でないとは思うが、油断はできない。
こちらの予想を悪い意味で上回るのが、あの天使の常である。
――ああ、違う違う。今はこっち。
マリアは思考を改めた。
とにかく、怨念と呪詛を口からもわもわと立ち昇らせるこの銀狼麗女を、どうにかせねばなるまい。
「えーっと……、な、なにかあったの……? 悩みなら聞くわよ……? 今広間には誰もいな――」
そうして部屋の隅のシオニーに歩み寄り、肩に手をおきながら言いかけた瞬間、またもや爛漫亭の入口がガタンと音を立てたのをマリアは聴いた。
それから幾秒もせず、さっきのシオニーよりさらに速い足取りで、
「――帰った」
「おかえり、トウカ」
「うむ」
トウカが姿を現した。
いつもの綺麗なもみじ柄の赤着物は少し乱れていて、長い黒髪がしっとりと首元に張り付いている。
どうやら駆けてきたらしい。
と、そんなトウカが、まるでさきほどの光景をリピートするかのように、
「あなたもなの……」
部屋の隅っこへ進み、その場に座り込んだ。シオニーの対角だ。
「だからなんで椅子使わないのよ……」
マリアは頭痛を抑えるかのように、額に手をおいた。
もうなにがなんだかわからない。
とにかく、ただならぬ様子だ。
「……敵じゃ……敵、敵、敵。あの女は敵じゃ……あのときヤっておけば……」
ぼそぼそと何かを言っているのが聞こえたが、マリアはその意味まではつかめなかった。
「はぁ……」
こうして広間の二つの角に、ギルドきっての美貌を持つ麗女二人が怨念をまき散らしながら三角座りしている図は、あまりに異様すぎる。
マリアはため息をついた。
「――もう、手間がかかわるわね」
しかし、そのままにしておくわけにもいかず、マリアは意を決して行動に出る。
次に誰かが来てからではもっと話がややこしくなるかもしれない。
「ほら、いいからこっち来て座って、あなたたちがそうなった理由を聞かせなさい。なんだか原因は同じみたいだし、女三人ならいいでしょ」
ぱん、と大きく手を叩いて、そう言った。
シオニーがその音に銀尾をぴくりと動かし、ゆっくりと振り向く。
次にトウカがぼそぼそ言いながら、黒髪を揺らして振り返った。
「ほら、早く。さっさとする」
「……はい」
「わらわ、マリアのためにもならん気がするがの……」
トウカの言葉が気がかりだったが、のそのそと動き出した二人を見て、マリアはひとまず自分の抱いた疑念を振り払った。
そうして目の前に二人を座らせ、話を聞くことにした。
◆◆◆
「……」
「……」
「……」
三つの沈黙が広間に漂っていた。
シオニーとトウカから、サレがあのメシュティエと街中でデートをしていたらしいことを、マリアは聞いた。
胸の奥にちくりとする感触があったのを、マリアは自覚していた。
でも、
「ま、待って? それ本当にデートだったの……? たまたまじゃないの?」
「わかんない。でも、こう、ぎゅうって……、あそこ人いっぱいいたから、こう……うっ……」
シオニーが瞳をうるうるさせて、すがるようにマリアを見ていた。
「トウカのときは?」
「同じじゃよ。メシュティエとともにいた」
このときのトウカは、今までのトウカと比べてわかりやすく素直であった。
あの大浴場での一件のときは、わざとらしいにしても、まだサレへの好意を否定する節があったが、今は余裕がないのかそんな様子は見られない。
しかし、そんなことはどうでもいい。
マリアは二人と比べて実際に自分の眼でそれを見たわけではないから、まだなんとか持ちこたえられているが、やはりなにか胸の奥に刺すような痛みがある。
当のマリアも、トウカと同じく口ではまっすぐに言わないタイプであったが、それはマリアが自身の感情をうまく処理しきれていないからであった。
しかしそんなマリアも、そのとき胸の奥に走った痛みをあらためて客観視して、ようやく自分の中の感情の輪郭に気づきはじめていた。
「ま、まだわからないじゃない。副長が帰ってきてから、それとなく訊いてみましょ?」
「それで、本当だったら……?」
「……」
シオニーの言葉が、マリアとトウカの胸に再び突き刺さった。
正直、あの浴場での一件で、お互いがある意味で、ある方面において、『敵』同士であることは確認した。
互いが、あえてそれを認め合うことで、許容できた。
言うなれば、平等である。
出逢った瞬間も、過ごしてきた時間も同じ。
なにより、『彼』を抜きにしても、この〈凱旋する愚者〉の仲間である互いを家族のように思っていることが、そんな奇妙な関係性を許容させる大きな要因となっていた。
だが。
それはこの中でだからこそ許容できるものである。
そこに外部からの別因子が入ってくると、途端に彼女たちは脆くなる。
「でも、訊くしかないじゃない」
ふと、マリアが少し声を上ずらせて言った。
「このまま放っておいたら、もっと苦しいもの」
「……うん」
「そう……じゃな」
マリアの言葉に、シオニーとトウカもうなずきを返した。
と、
「あ……帰ってきた」
ちょうどタイミングよく、あるいはタイミング悪く、爛漫亭の玄関口の方から大勢の声が響いてきた。
どうやら腕相撲大会に参加していたギルド員たちが戻ってきたようだ。
三人の耳は、なによりも先にサレの声を拾っていた。
――いる。
となれば、訊くしかない。
問題は、どこで、どうやって、どんなふうに訊くかだが、
『あっ、今日の朝またプルミに氷菓子買ってこいって命令されて――じゃなくて頼まれてたんだった……』
『ご愁傷様です、サレさん』
『すげえ、アリスにまったくサターナを助ける気概が見えねえ。ハナっから見捨てる気満々だな……』
『奇人とのたわむれに巻き込まれるのは嫌ですので』
ふとアリスやクシナたちの声も聞こえて、余計にどうしたらいいかわからなくなり、三人は混乱した。
◆◆◆
大広間にギルド員たちがガヤガヤと談笑しながら集まっていた。
ソファにはアリス。
向かいのソファにはサレが座り、
「ど、どうすっかなマジで……。今から行っても売り切れてるだろうしな……」
冷や汗をだらだら流しながら尻尾を震えさせている。
クシナたちもそれぞれに机で刺繍をしていたり、メイトにいたっては眼鏡を自作していた。
しかし、マリアたち三人にはそんな仲間たちの姿がたいして映っていない。
ちらちらとサレの方を見て、話を訊く機会をうかがっていた。
実はそんな三人の様子に、アリスだけは気づいていた。
というのも、爛漫亭の玄関口をくぐるまえに、その聴覚でもって例の話を『聴いて』いたのだ。
もちろん話のすべてを聴いたわけではない。
だが、サレになにかを訊こうとしていることと、それが彼女たちにとってただならぬ勇気を必要とさせることを知って、あとはアリスの予測で補完されていた。
盗み聞きのようでよくないとは思いつつも、かといって彼女たちもなかなかに無防備である。
実を言えば、浴場でのいざこざも多少耳にしている。
彼女たちは優秀だが、爛漫亭にいる間はわりと隙があるのだ。
心を休めることができている証拠でもあるので、特に注意しようとは思わないが、できれば自分の耳の良さをある程度気にしてほしいと、少しだけ思っていた。
とはいえ、アリスはアリスで、彼女たちの弱みを握るのが正直好きである。
――ですが、今回ばかりは、いじるのはやめておきましょうか。
彼女たちの様子を、視覚以外の総体感覚で察し、そう思った。
いつもと違うことくらい、さすがにわかる。
一体どれほど彼女たちの出す音を聴いてきたと思っているのだ。
――さて、まあ、予想はつくのですが。
なにを訊こうとしているかにも、ある程度の予想がついている。
自身は直接話したわけではないが、どうやらサレはあの腕相撲大会に、メシュティエと彼女の部下たる巨人オースティンをともなってやってきたらしい。
ほかのギルド員がそう教えてくれた。
加え、仲良さ気に話をしていたということも、おもにその場にいた女性陣に聞いている。
ギルドの女性陣も、なんだかんだとそういう話に敏感だ。
アリス自身はまだ深くわからないが、客観的に見ればそのたぐいの話にも理解自体はある。
――なんだかんだと乙女が多いですね。
そう思いつつ、アリスはとっさに口を開いていた。
「サレさん」
「――ん?」
◆◆◆
「さきほどメシュティエさんとご一緒されていたそうですが、もしかしてデートですか?」
◆◆◆
どストレートに訊いていた。
マリア、シオニー、トウカの方から、息が引っ込んだような音を聴いた。
「……えっ?」
「ですから、デートしていたのですか、と。もしかしておつきあいとかなさっているのですか?」
シオニーの方から「あっ、ちょっ、あ、あっ……」と滑稽な困り声が響いてきていた。
と、アリスにそんなことを訊かれたサレの方は、一瞬時間が止まったように身体の音を停止させ、しかしすぐに、
「えっ!? いやいやっ! たまたま会ってメシュティエが『良い武具屋を教えてやる』っていうからついていっただけで! その途中に腕相撲大会やってるの見つけて、互いに別の意味で興味があったから、なりゆき的に一緒に見てただけさ。その証拠に、途中でメシュティエは帰ったよ。ギルドの方でやることがあるらしくて」
瞬間、三つの大きなため息が漏れたのをアリスは聴いた。
まったくわかりやすいと思った。
「そうですか。では、『奇遇』だったわけですね」
「うん。――それにしても、まさかそんな見方をされるとは思わなかったな」
「大丈夫です、そんな早とちりするような乙女はあまりいないでしょうから」
「あれ? その理論だとアリスさんも乙女に……」
「私のはフリです。――誰のためとは言いませんけど」
「よくわからんけど、深入りするとヤケドしそうだからやめとく」
「サレさんにしては賢明ですね。さすがに学びましたか」
「なんか褒め方が怖い……いやこれ褒められてるの? 遠回しにけなされてない……?」
そうしてその話は終息した。
後日、アリスの部屋の前に、神への供えもののごとく三つの菓子折りが整然と置かれているのを、何人かのギルド員たちが目撃した。
◆◆◆
「そういや、シオニーたちは絢爛祭の話聞いた?」
「絢爛祭?」
しばらくして、サレがシオニーにふと訊いていた。
シオニーほか、先に広間にいたマリアとトウカも、けろりと暗鬱状態から復帰して話に加わっていた。
「いや、知らないな」
「そっか。なんかジュリアスが――」
シオニーはサレから絢爛祭の内容をくわしく聞いた。
そして――
◆◆◆
「シオニー? ちゃんと聞いてた?」
「あ、ああ! 聞いてたぞ!」
実は最後の方はあまり聞いていなかった。
というのも、サレから絢爛祭の話を聞いているうちに、シオニーはあることを閃いていた。
アリスの助力のおかげで、サレが別段メシュティエと関係を持っているわけではないとわかった今、かえってその喜びのおかげでいつもよりテンションが高めである。
ゆえに、シオニーはすらりとサレに訊くことができた。
「ち、ちなみに、サレは絢爛祭に参加するのか……?」
「んー? おー、言われてみれば……そうだな。――できるならぜひ参加したいね。俺、外での祭りとか初めてだし」
「ほ、ほーん」
「なんだその反応」
「い、いやっ、なんでもないぞっ!」
――これだ……!!
シオニーは内心でガッツポーズを取っていた。
そしてまた、自分がそんなことをサレに訊いたものだから、どうやら周りの『敵』も自分と同じ結論に至ったらしい。
そのことを微妙な空気の変化で察した。
だから、誰よりも先に言葉を紡ぐべく、急いで口を開いた。
「あ――あにょ!」
噛んだ。
焦り過ぎた。
「ンンッ、……あ、あの……も、もし暇だったら私と……その……ま、回ってみるか……? で、でかい祭りなんだろう!? 見るところ、たくさんありそうだし……わ、私は鼻がいいからな、おいしい屋台とかわかるし……」
後半のとってつけたような理由はともかく、窺うようでいて、一方で積極的でもあった。
なんだかんだとそこで言えてしまうのがいつものシオニーだった。
そしてそんないの一番を取るシオニーに対し、いつも歯噛みをするのは周りの敵たちである。
彼女たちにしかわからない『してやられた』という空気が、徐々に広間を覆いはじめていた。
シオニーから誘いを受けたサレは、別段迷う様子もなく、
「おお、いいよ。何日かかけてやるみたいだし、どの日か一緒に行こうか。帰ってくるまでに男どもと遊びに行く予定も作っちゃったから、それと被らないように調整しよう」
けろっと言い放っていた。
シオニーとしては、
――嬉しいような、悔しいような。
おそらく、サレはその『ほかの男どもと遊びにいく予定』と自分の予定を同列に扱っている。
ひとしく『ギルドの仲間』という括りにいるのだろう。
サレの反応から、シオニーはそう推測した。
――いや。
まだあきらめるのは早い。
サレが鈍いのは知っている。
それに、そんなサレに文句を言うのはそもそもお門違いなのだ。
なぜなら、
まだ自分たちは、はっきりと『言葉』を掛けていないから。
それを言ってしまったら最後、天国か、地獄か。そうなる言葉を、まだ掛けていない。
だから、サレの反応もしかたないし、なにより男性陣との交流もサレにとっては大切なのだろう。
明確に男と女の関係になっていないのだから、サレの反応はむしろまともだ。
シオニーはたびたび都合よく考えてしまう自分の性を、少し叱咤した。
――それに、たったそれだけでサレの心のうちを決めつけるのも、見極めが早すぎるしな。
もしかしたらサレだって胸中には何かがあって、しかしそれを見せないように気を遣っている可能性もある。
――まあサレのことだからその可能性は低いけど。
こういうところであまり器用ではないのは知っているから、苦笑したくなる気持ちも当然あった。
――なら、もっと『刻んで』やる。
自分の姿と、声と、匂いと、すべてを――その脳裏に。
ジュリアスにも感謝せねばなるまい。
こんな絶好の機会を作ってくれたことに。
――あとは……
ほかの『敵』が、どう動いてくるか。
シオニーは近場に座っていたマリア、トウカ、そしてクシナをちらりと見て、先行者の余裕をほんの少し胸に浮かべながら、彼女たちがどういう行動に出るかを観察していた。
◆◆◆
空都アリエルでただならぬ事態が起こっている最中、『まだ』湖都ナイアスの爛漫亭は穏やかだった。
一部見える者にしか見えない戦いが勃発していたが、そこには今の世界の根幹に関わるような危うさなど存在しない。
一種の楽しささえ見える、女の戦いである。
されど、空都アリエルの方ではそんな戦いとはまったく別で、テフラ王族たちの耳を疑うような話が、休息の間隙を縫うかのようにして紡がれていた。
―――
――
―
終:第十二幕 【物語:世界を巻き込む祝祭の前に】
始:第十三幕 【吟遊:人歌神歌は入り乱れ】