205話 「女の戦い」
一回戦、二回戦は順当に勝ち上がった。
どちらも異族との対戦だったが、しっかりと勝ちを収めた。
クシナは自分の膂力に久方ぶりの自信を抱けた気がした。
「サターナとかギリウスとか、あの辺とやり合おうとするとひでえ目みるからな」
特に、いまだにサレとはときおり組手の訓練をしている。
その中で思い知らされるのがあの魔人の異常な膂力だ。
一体どういう身体の構造していれば、あの体躯から竜族とためを張るような力が出せるのか。
たしかに肉体の鍛え方はすさまじいし、日々の鍛練を怠っていないのは一目すれば分かるのだが、それでも所詮はただの人型。
特に大きな身体をしているわけでもないのに、出しうる膂力の底が知れない。
筋繊維やらなにやら、おそらくそのあたりから作りが違うのだろう。
まさしく魔人。人を超越した人の名にふさわしい。
「クシナ、クシナ、あと何回?」
試合場はあの円卓だ。
複数あるが、それでも白熱の試合が多くて、観客がぎゅうぎゅうになる。
自分の番が回って来るまで、クシナはそこから避難していた。
同じように自分の隣で避難しているイリアが、服の裾をぐいぐい引っ張りながら楽しげに訊いてきていた。
「んあー、こんだけいるからなぁ……」
試合を仕切っているのは酒場の亭主だ。
まっとうにトーナメントを組んでいるなら、参加しているのが大体五十人として、
「あと三回か四回くらいじゃねえかな」
「もうちょっとだね!」
回数的にはイリアのいうとおりだが、そのあと三回四回が一番厳しい戦いを強いられる。
そろそろ列強がひしめきはじめる頃合いだろう。
『うわあああっ! め、眼鏡がっ! 僕の眼鏡があああっ!!』
ふと聞き覚えのある悲鳴が聞こえてきて、クシナはハっと我に返った。
「あいつマジで挑戦したのかよ。バカじゃねえか」
間違いない。
確信を抱きつつ、しかしなんだかんだとこういうお祭りごとが本当に好きなのだと思った。
さらにほかにも聞き慣れたギルド員たちの悲鳴が聞こえてきて、余計強くそう思った。
ムズムズするような楽しさというか、嬉しさというか、えもいわれぬ浮遊感がクシナの腹の底を襲って、
「――ハハ」
思わず笑い声をあげていた。
そのクシナの屈託のない笑顔をイリアがじっと見ていて、その視線に気づいたクシナは、
「い、いやっ、今のはなんでもねえ。なんでもねえからな」
恥ずかしそうに片手で顔を隠しながら、もう一方の手をイリアに向けて振った。
「――ていうかなんで腕相撲で眼鏡割れるんだよ」
「衝撃が本体に? パリーン?」
イリアが首をかしげていっている。
おそらく自分たちにしか通じない会話であろうが、
「まあ、そんなところか」
だからこそ納得できてしまう。
すると、続く悲鳴があがっていた。
『トウカッ!! 少しは手加減してよっ!!』
『カカッ、わらわ、勝負事で手加減はせんからの!』
その特徴的な笑い声は、よく響いた。
クシナがその笑い声に聞いたとき、今度は違う意味で手を頭に持っていき、
「……はあ、早速難関の存在に気付いちまったよ」
あの角付きの美女の姿を脳裏に浮かべていた。
◆◆◆
クシナは嫌な予感を感じていた。
なんとなく、だ。
野生の勘とか、そういうものだろう。
「――俺、たぶんトウカと当たるんだろうなって思ってたんだよな」
「そうかそうか。わらわもじゃて。――いやぁ、こういう力の比べ合いは楽しいの! 血沸く! 血沸く!」
クシナの目の前、円卓を挟んで向こう側に、立派な一本角を生やした黒髪の美女が座っていた。
いつもの赤い着物に身を包み、左腰には長い刀の鞘。
特徴的な容姿だが、実に大人の色気のただよう美女だ。
そんな彼女が黒髪を手ですくって耳にかけつつ、好戦的な笑みを向けてきた。
「なんだかんだと、クシナとこういう真っ向勝負は初めてかの?」
「――そうだな」
「ぬしはサレとばかり遊びたがるからの」
そういって鬼人の女――トウカは、にやにやとした笑みを浮かべていた。
「はっ! お前はお前でサレの姿を目で追ってることが多いんじゃねえか?」
「ぬっ、べ、べつにそんなことはない」
勝った。クシナは思った。
正直最初のトウカの心理的なちょっかいに対して、わずかに込み上げてきた熱はあった。
しかし、こんなことでいちいち鼻をあかされていたのでは、あのギルドの皮肉合戦やら日々のカースト位置争奪戦に負けてしまう。
どこかの銀色の犬のように最下位が確定している者と比べ、まだ自分には余地がある。上にあがる余地だ。
――トウカとは……近いか。
ギルド内カースト的には、同じくらいだろう。
だからこそ、今のやり取りで負けたくはなかった。
「なんだよ、トウカ。最近ずいぶんしおらしいじゃねえか」
「わらわが? しおらしい?」
「おうとも。前はもっと、切れ味鋭い雰囲気まとってたじゃねえか」
ギルド員たちは人目の少ないところで暗鬱とした顔を見せることがある。
ほとんど人には見せないが、今まで同じ宿の中で共同生活をしてきて、やはりそういうのを見るときもあった。
トウカもトウカで、特に人には見せないが、時々遠い過去を見るような目をするときがあった。
そのときのトウカは抜き身の刀のような近づきがたい雰囲気を漂わせていて、そこに共感を得ると同時に、同情を抱くこともあった。
しかし最近そういうのが減ったのも本当だ。
――いいことなんだろうな。
きっとそれはいいことだ。
だけど、今はあえて心理的な一撃のために利用させてもらおう。
「まあいい、ほら、やろうぜ」
トウカが「ううむ」と唸っている間に、円卓に片腕を乗せた。
腕を立て、組む合図とする。
クシナの誘いにトウカも乗って、腕を出してきた。
――組まれる。
「いつでもいいぜ」
「わらわもじゃ」
開戦の狼煙は観客の一人によってなされる。
彼らは観客であると同時に審判でもあった。
いくつもの双眼が真実を証明する。
ひとりの異族が身を乗り出して、クシナとトウカが組んでいる手を両手で包んだ。
そして、
『はじめっ!!』
景気の良い声がなって――
双方がその片腕に全膂力をぶち込んだ。
◆◆◆
その酒場の人だかりの中に、実はサレもいた。
サレはメシュティエとの武具屋めぐりのあと、その酒場に通りすがって、例によっておもしろそうな匂いを察知し、
「行ってみよう」
そういってメシュティエとオースティンを引っ張っていった。
腕相撲大会が始まってからも、サレが観客に押し潰されないようにと避難していた場所は、ちょうどクシナたちの位置と円卓を挟んで逆側で、それまでクシナやシオニーたちと鉢会うことがなかった。
しかしサレも順当に勝ち上がり、勝負数の減少に合わせて決戦場たる円卓の数も減っていく。
そうして残る勝者たちにスポットがあたっていくうち、ついに互いの姿を見ることになった。
一番最初にサレの姿を見たのはシオニーだった。
シオニーは同じ獣人系の異族との試合の最中で、かつ優勢だった。
だが、シオニーがふと勝利を確信し、顔を上げたとき、
「――」
その視線の先にサレの姿を見つけてしまった。
観客の中に楽しげな笑みを浮かべて立ち並んでいるサレの姿。
そして次に、
サレの隣に立って、同じく試合を楽しげに眺めている〈戦景旅団〉団長、メシュティエの姿を見てしまった。
並んで立っている。
なぜだか楽しげに会話をしている。
「――」
シオニーの顔は驚愕のまま固まっていた。
対するサレは片手をあげて、「よっ」と軽く声を飛ばしてきている。
またその隣のメシュティエも、似た動作で手をあげていた。
かつて敵対した相手ではあれど、いまや同じギルド勢力という枠の中にいる。
そう考えるとメシュティエは味方だ。
味方――
――て、敵だッ!! 敵ッ! 絶対敵ッ!!
シオニーはメシュティエがサレと密着するような状態で立ち並んでいることに、並々ならぬ激情を猛らせていた。
観客がぎゅうぎゅうになっている状態だからしかたない。
そういう考え方はシオニーの中にこれっぽっちもなかった。
同じギルドの女性陣ならまだ看過できたかもしれないが、よりによって隣に立っているのがメシュティエというのが、シオニーには耐えられなかった。
そんなシオニーが、メシュティエへの威嚇のために「ガルル」と唸ろうとした瞬間、
「――んあぅっ」
シオニーが組んでいた腕が倒される。
気を取られた瞬間に、相手の異族に倒されていた。
「あっ、あっ……ちょっと……う、うわ……もっ、もういやだあああ!」
目の前でサレとメシュティエが密着している姿を見せつけられた直後に、今度は試合に負ける。
急に『勝負に負けて、試合にも負けた』という散々なフレーズがシオニーの脳裏に浮かんで、シオニーは居た堪れなくなった。
目に込み上げてくる涙を察知し、シオニーは逃げるようにその場を去った。
「……なに? えっ? なんなの?」
当のサレはわけが分からずに唖然としていた。
◆◆◆
「あいつマジで最近落ち着きねえな……!」
「そうじゃの……!」
その二つ隣で試合を継続させていたクシナとトウカは、シオニーの情けない悲鳴を聞いていた。
それでいて、あまりそれに構っている余裕もなかった。
「はやく倒れろよ……!」
「ぬしこそ……!!」
互角。
円卓がばちばちと不思議な音を立てて、二人の肘の支点からぶち割れはじめている。
二人の腕相撲対決は白熱していた。
観客も一斉に注目しはじめ、歓声と熱気が吹き荒れる。
クシナもトウカも笑っていた。
笑っていたが、やたらと好戦的な笑みだった。
「このっ……!」
「鬼人とここまで張り合うとはの……!」
その女の戦いが、ややトウカの優勢に傾きはじめる。
互いが着物の袖を捲りながら、あらん限りの力を腕に込めているが、素の状態ではほんの少しだけトウカに分があるようだった。
しかし、
「ぬ……?」
トウカがまっさきにとある異変に気づいた。
手を組んでいたからだ。
組んでいる手に違和感があった。
なんだか、
「ふわふわと毛が――」
自分で言って、トウカはようやく気付いた。
目の前の女がどういう種族であったか。
人虎族。
「ぬ、ぬし、まさかここに来て獣化とか――」
普段から人型を動きやすいとして好むクシナは、シオニーと違って獣型に化身しない。
そんな彼女が、
「悪いな、トウカ。力だけはこっちのが出しやすいんだよ……!!」
そういって獣化しようとしていた。
さらさらとした白髪が伸びていって、組んでいる腕が着物の上からでもわかるほど太くなる。
犬や猫の腕とは一線を画す、圧倒的な力強さを誇る虎のそれ。
顔はまだ人型のままだが、頬から猫科の髭のようなものが生えてきていて、
「またかわいらしい顔をしとるぞ……!」
「うるせえ……!」
トウカはこめかみに青筋を浮かばせながらそんな口撃をしたが、クシナはそれに構わず爪が生え始めた右腕に一気に力を込めた。
「うおっ!」
ふさふさとした白毛に覆われはじめた手が、トウカの腕を一気に机に叩き伏せようとする。
トウカはトウカで力んでいるためか、角のあたりからバチバチと雷光を弾けさせていた。
周りの観客たちが白熱しつつも、二人の異様な膂力にビビりはじめる。
そうしてついに、決着の時がやってきた。
「あれっ、こっちはクシナとトウカか。すげえおもしろそうだな!」
ふと、そんな声が響いた。
二人のよく知る声。
絶対に聞き間違えないだろうと互いが自信をもって言える声。
――サレの声だった。
サレが、クシナの背中側から、またメシュティエと並び立って姿を現していた。
クシナは声こそ聞こえたが、それが自分の後方からのものだったので、とっさに姿を見られなかった。
代わりに、
「――」
今度はトウカの時が止まった。