202話 「休暇の始まりは逃走劇で」
エッケハルトとシェイナが顔をあげるまで、アリスとギルド員たちは待った。
そうして彼らが顔をあげ、少し落ち着いた表情を見せてから、今度はサレが訊ねる。
「今度はこっちから訊こう」
「なんなりと。俺に答えられることならな」
「〈コーデリア・シード・アテム〉という名を知っているか」
「――ああ、知ってる」
「アレは本当にアテムの王女なのか」
「――らしいぞ、としか言えねえな。今となっちゃアテム王の言葉すら疑うべき対象だ。だが、俺が従順なアテム人であるとするなら、そうであると答える。つまり、アテム王はあのコーデリアを王女として擁立した。加え、次期王位継承者はコーデリアに決定された。俺がアテムを出るほんの少し前のことだ」
それを聞いたサレは腕を組んで渋い顔を見せた。
「まあ、容姿的には――そうであるとの予想はあるんだがな」
「ああ――アリス殿下に似ている」
「それに、あの髪と眼だ。魔人族に相違ない」
「私はこの目ですので、姿を見ることが敵わなかったのですが――そんなに似ていましたか?」
「ああ……似ていたよ」
サレはコーデリアの姿を思い出していた。
幼い。
幼いが、身体的にはアリスよりも剛健そうだった。
あれは動ける者の身体だ。
アリスもアテム王国の王女、つまり魔人族に対する兵器として、最低限の戦闘能力は積んでいたようだが、今ではずいぶん華奢になった気がする。
盲目になって自由に動くことができなくなったのが原因だろう。
一人で出歩ける時点で脅威だが、それで戦闘するとなるとまた別だ。
そうしてアリスの身体は年相応の華奢な少女のそれに戻っていった。
だが、
「あれはだいぶ動けるだろうな」
サレはコーデリアと対峙したシーンを思い出し、また彼女の動きを脳裏に蘇らせる。
今になって思えばコーデリアの動きは洗練されていた。
絶対的なパワーは確実にこちらに分があるだろう。負けるつもりはない。
だが、それでもコーデリアは純人離れした身のこなしをしていた。
――準魔人族の影響か。それと恐らく……
『天稟』だ。
天賦の才の匂いがする。
ジュリアスが彼女の悪辣的な手腕に対して天才だと軽く形容したが、あながちそれもただの予想では済まない気がしていた。
「少なくともあのコーデリアって少女は天才だぞ」
そんなサレの思考を後押ししたのはエッケハルトだった。
「一回だけ俺が王剣に戻るリハビリがてら、手合わせをしたことがある。さすがに怪我なんてさせちまったらわりいと思って、手加減しながらやったんだが――」
「エッケハルトはすっ転ばされてたわよ」
エッケハルトの言葉に繋ぐのはシェイナだ。
「キャッキャって子供みたいに天真爛漫に笑いながら、この脳筋馬鹿を転がすの。この馬鹿も片腕だし、怪我明けだしで本調子じゃないのはそのとおりだったけど、でもコイツはこれでもアテム王剣の剣将だった男よ。魔人も――あーっと、サレって名前だっけ――そこは分かるでしょ?」
「ああ。あの時ユーカスとお前に良いようにやられていなかったら、そのあとアテムで同じ術式の使い手とやった時うまく対応できなかったろうな」
「へえ、俺以外のユーカス神格者とヤったのか」
「ああ」
「どんなやつだ?」
「〈戦神アテナ〉」
「は?」
サレの返答を聞いたエッケハルトが目を丸める。
そのあとで「マジかよ……」と苦笑して頭を掻いていた。
「ともあれ、そんな元剣将が天才と称するほどか」
「身体もやたら丈夫だしな。まあ、それは例の――魔人計画のせいで身体が準魔人族だからだろう」
すると、そこへ今度はアリスが口を挟む。
「ですが準魔人族といえど所詮は紛いモノです。本物の魔人族には到底及びません。仮にコーデリアが私の妹であるとするなら、私と同じ代の準魔人族。後天的に埋め込む〈殲す眼〉への適合性はともかく、身体そのものの強靭性は私とそう変わらないと思うのですが」
「――かもしれない。だがコーデリアの裏にはマキシアがいる。もうなにがどうなってても驚かなくなってきたよ」
サレが肩を竦めた。
――そう、マキシアとそれに従属する神族が裏にいるかぎり、もはやマトモな人間種であることを可能性から除外してもいいくらいだ。
特にマキシア側についている神族は好き放題に能力を使う可能性がある。
はたしてわざわざコーデリアなんていう器を使うかどうかは分からないが、だが仮に使うとすればコーデリアを強化するのには困らないだろう。
「そのあたりは憶測でモノをいうべきではないな。かえって変な予想を持つと致命傷になるかもしれない」
「そうだな。それが戦闘者として適切な判断だろうさ」
「その辺は〈黄金樹林〉とかの情報戦ギルドに任せつつ、あとはテフラ王族とアリエルの王城勤務者たちの手腕に任せるしかないな」
サレの言葉にギルド員たちが頷く。
対してエッケハルトが言葉を紡いだ。
「他に何かあるか?」
「細かいことを訊きたいには訊きたいが――」
「まあ、俺自身が言うのも癪だが、重要な情報は俺とシェイナには伝えられていないだろう。俺が疑っていたことくらい、マキシアも気付いているさ。――何かまた訊きたいことがあったら言ってくれ。ここから近いところの宿に泊まっておく。その間俺もテフラを観光させてもらうさ。考え事でもしながらな」
「分かった」
そういってエッケハルトは立ちあがった。
隣のシェイナに手を伸ばし、
「行くぞ、シェイナ」
「珍しいわね、レディに手を貸すなんて」
「たまにはな」
「明日は雨かしら」
そんな皮肉の言い合いをしながら、二人は爛漫亭を出て行った。
◆◆◆
その後、爛漫亭にはアリエルから使者がやってきて、正式に、例の『一週間後』について何か分かるまで身体を十分に休めておいてくれと通達を持ってきた。
〈凱旋する愚者〉にとっては久方ぶりの休息らしい休息である。
これまでの休息は常に何かが起こりそうという状態だったが、今回はアテになるかは定かでなくとも、一応一週間という目安がある。
「信じていいかは分からないけど、疑う意味もあまりないか」
実際に情報を集めたり国家的な戦略を練ったり、そのあたりの能力は自分たちにはない。
前者に関しては〈冷姫〉エルサ王女の率いる〈黄金樹林〉が駆りだされるだろう。
国家間の協同に際しても、それはテフラ王族が国家の主権をかけて行うべきものだ。
〈獅子の威風〉のレオーネらとの対談も、結局は彼らがするだろう。
「いよいよもって俺たちのギルド的な不器用さが浮き彫りに……」
サレの呟きが広間に響き、「うーん」というギルド員たちの唸り声が続いた。
「はあ? 私たちは今一番ギルド的に高貴なのよ? 最後にイイトコ出張って、超高貴に目立って、活躍して、はい終わり。めでたしめでたし。――が私たちの役目よ? そういうみみっちい面倒なことは愚衆どもに任せておけばいいの」
直後、例によってプルミエールの一声があった。
「お前は本当に清々しいまでの主演気質だよ……」
しかしまあ、プルミエールのいうことももっともだ。
「だから今のうちに休息かねて羽伸ばしておけばいいのよ。いつもそうだったじゃない。あんたらの頭は出来が悪いんだから、かえって真面目になると混乱して壊れちゃうわよ」
「そもそも大事な部品がなくて『ああもう人並みの羞恥心とか入ってないけど完成でいいや!』って感じで作られたであろうお前に言われると、説得力があるな。部品がそもそもなけりゃ壊れることすらできねえもんな」
「最初から壊れてる典型だよな」と、サレの言葉にギルド員が続く。
「は? あんたらだって結構部品ないじゃない。あんたらの尊厳って部品、全部私の手の中だから!」
「こいつ珍しく張り合いやがった……!」
いつもなら高笑いで煙に巻くところを、今回のプルミエールはあえてギルド員のツッコみに返しを使った。
それが機嫌の良さから来る付き合いの良さなのかは分からないが、むしろそれはギルド員たちに戦慄を覚えさせる。
このままでは巻き取られる。食われる。狂人に巻き取られた者は悲惨だ。
傍若無人と厚顔不遜が美貌を着こんだだけの残念な美女に、精神をかき回される。
それを察したギルド員たちは、
――あっ! どいつもこいつも視線を掻い潜って逃げて行きやがる!!
そそくさと爛漫亭から脱出し始めていた。サレがそれらを見て胸中で声をあげる。
一瞬だ。
一瞬視線が外れた瞬間に、姿がスっと消える。
これなら密偵業でもやっていけそうだと本気で思うほどの絶妙な気配消しで、彼らは一人、また一人と広間から脱出していった。
――やべえ、位置が悪い。
サレは黒尾を左右にぶんぶん振りながら、内心に焦燥を浮かべる。
焦りを象徴するようにサレの尻尾の動きは加速していく。
ぶんぶん。
「……」
サレの後ろで胡坐をかいていたクシナが、ふとそれに気づいて一瞬で釘付けになった。
ちらちらとサレの尻尾を見て、うずうずしている。
猫科の習性だろうか。
クシナの目が徐々にぼうっとしていって、
「……んにゃ――ごほん」
クシナの口から不思議な鳴き声が出たが、直後に我に返った彼女は咳払いでそれをかき消した。
サレは思考に耽っているためかそれに気づかない。
「あぶねえ」そうクシナが一人ごちていた時、
「――私は聞いたけどな。――フフッ」
クシナのさらに斜め後ろにいたシオニーが、にやにやとした笑みを浮かべていた。
クールな美貌の上に皮肉たっぷりの厭らしい笑みを作り上げていく。残念な美女その二。
普段イジられる側としてギルド内カーストの最底辺に位置する彼女は、そうして他をイジる餌を見つけると散歩を前にした犬のごとく嬉々として飛びつく。
シオニーの銀の尻尾も楽しげに高速で左右に振られていて、さらにクシナが顔を真っ赤にしてシオニーの方を振り向いた時に、その動きの激しさは最高潮に達した。
「て、てめっ……!」
「あとで皆に言いふらしちゃおっかなああああああ!?」
「お前そんなに性格悪かったかよ!?」
「最近誰かさんが無防備になってきてるのが悪いんだよっ。じゃっ!」
シオニーがダッシュする。
続々と広間から逃げ出していくギルド員に紛れて、外に抜け出していく。
「じゃっ!」
そのシオニーの真似をするように、ビっと敬礼をしながら少女イリアが満面の笑みで続き、
「あらあら。じゃあ私も外に買い物にでも行こうかしら。――トウカ」
「わらわ荷物持ちか!?」
「察しがいいわね。――たまにはいいでしょ? 副長はプルミへの生贄――じゃなくて、話相手。で、空戦班長はちょっと所要があるようですし」
「……まあよいか。どれ、では行くか」
マリアとトウカが二人揃って自然に広間を出ていく。
「クソッ! 待てこの駄犬がああああああ!!」
クシナがシオニーを追いかけて広間を出て行き、
「うーん……」
まだ逃げ出す手段を考えて唸っていたサレが取り残された。
「愚魔人」
「あ、はい」
「氷菓買ってきて。向こうの露店で新作の氷菓子が売ってたのよ。食べたいから買ってきて」
「あ、あの、お小遣いとかは……」
「代金はあんたの財布からよろしくね」
「清々しいまでに横暴だッ!!」
「あー、なんか機嫌悪くなったらあんたの部屋のごちゃごちゃした剣とか鎧とかああいうコレクション踏み潰しちゃいそうだわあ。間違って天術で打ち抜いちゃいそうだわあ……」
「行ってきます!!」
結局サレはごく自然にプルミエールにパシられた。