201話 「境界の向こう側の物語」【後編】
「んで、アテムの軍隊は強くなった。かれこれ長い間軍隊を保持してきた国だから、軍人自体は多い。中でも最たる戦力である上位軍隊〈王剣〉が、計十部隊。この王剣軍人の多くが『神格者』になった」
「悪夢ですね」
アリスは淡々としつつも、軽くソファの肘掛を抓って悪態をついた。
「俺はユーカスの一件以降、どうもマキシアに疑念があってな。あと、それ以降のアテム王国のやり方についても、疑問を抱いた。たぶんこれは俺とシェイナだけだ」
エッケハルトは声に確信を含ませた。
「――『勝利』ってのは麻薬なんだ」
エッケハルトの言葉はそこから続く。
「勝利は心地良い。そして勝利は人の貪欲さを駆り立てる。勝利の美酒がうまければうまいほど、人を新たな勝利に突き動かす。特に、俺たちみたいな潜在的『弱者』はその勝利にヤられやすいんだ」
だが、
「俺とシェイナだけは『敗北』した。分かるか? 俺たちはお前らに負けた。魔人族の生き残りがいねえかと向かったあのイルドゥーエ皇国領地で、俺たちはお前らに大敗北を喫したんだ」
エッケハルトの部下は、サレに葬られた。
エッケハルト自身も片腕を失い、命からがらアテム王国へ帰還した。
「俺たちだけだった。負けたのはな。他の場所に遠征に行ってたやつらは、皆さらなる勝利を収めて帰ってきていた。それを見て嫉妬したとかじゃねえ。『次こそは』って俺は死んだ部下のために誓ったし、お前らに対するさらなる敵対の思いを強くした。――だが」
エッケハルトの視線がシェイナに向かう。
「その後に身体が癒えるまでアテムで療養していて、ある『違和感』を得た」
視線が再びアリスに戻った。
「口では言いづらいんだけどよ、なんつうかな……狂気的っていうか。……よくよく考えたらその時点でアテムに大きな敵はいなかったんだぜ? 一番災厄の種になりそうだった魔人族は死んだ。確かに一人生き残りはいたが、そいつは他の異族の仲間五十人とどっかへ行った。確かにお前らは強かったが、国家を相手にするにはまだまだ小さい」
エッケハルトの言葉にサレが頷いた。
「なのに、アテムはどんどん加速した。挙句、隣国――同じ〈純人族〉が住んでいた国までもを攻撃し、併合し始めた。これが決定的だった。俺は違和感に確信を抱いたよ」
「それは?」
アリスが問う。
「アテムの理念は『形骸化』していた。マキシアが姿を現してからのそれは、特に加速した。つまり――アテム王国はマキシアの『道具』になっていたんだよ」
アリスはジュリアスからアテム王国の周辺国家併合の話を聞いていた。
その時にジュリアスの『おそらくアテム王国は僕たちを攻撃するための道具を求めている』という予想も聞いていた。
しかし、まさか――
「アテム王国までも、マキシアの道具――」
「そうだ。アテム王国の理念はあくまで『純人主義』だ。『純人至高主義』じゃなくて、純人主義だ。俺から言わせてもらうと、純人主義は決して悪じゃない。お前らには分かんねえかもしれねえけどな」
エッケハルトは周りの異族たちを見回してから言う。
「権力って、どんなやつが一番に志向するか、知ってるか?」
エッケハルトの問いに即時の答えは返ってこなかった。
そしてエッケハルトも彼らの答えを待たず、すぐに続ける。
「『力に虐げられたやつ』だ。それがなけりゃ『権力』なんて概念生まれねえんだよ。力の関係概念がそいつの頭の中に生まれないからな。別に暴力だっていいし、他の何らかの力でもいい。とにかく、自分が虐げられなければ、権力志向者は生まれない。誰かより自分が『下』だと思わない限り、『上』の概念も生まれないはずだからな」
エッケハルトの言葉は強い響きを持っている。
それでいて、誰もそれに言葉を返せなかった。
〈凱旋する愚者〉の異族たちも、虐げられたがゆえに、その概念を理解できたのだ。
やられたから、次はやられないために、力を求める。
それは権力だ。
抵抗するための権利を保障する力、とも言いかえられる。
「俺は人間って生き物が、『生まれた瞬間から自分以外の万人に対して敵対的である』っていう主義を押してるから、ちょっと偏ってはいるんだが、ともあれ事実だ。歴史が語ってる。そして俺たち純人は、その闘争に多く負けた。負け続けた。負けた相手は大体が異族だな。歴史の初期は闘争だらけだったらしいし、そん時にアテム周辺の純人も負けまくったんだろ」
エッケハルトは苦笑する。
「で、だからこそ、そのあたりの純人――最も初期の〈アテム人〉は、弱者である自分たちが生き残るために『純人主義』を掲げた。アテム人は――」
◆◆◆
滅びの道を辿っていた純人たちが安心して暮らせる場所を、作ろうとしたんだ。
◆◆◆
「その理念は間違っちゃいねえ。そうでもしないと純人は生きられなかった。俺はあのアテム王国建国の理念を正しいと断定する。王女殿下も、その点は分かってくれるだろ?」
エッケハルトはいつの間にかアリスのことを再びアテム王女と呼んでいた。
「――ええ。弱者が生き残るために純人主義を掲げたのは、間違いではないでしょう」
「ああ。――だがもちろん変容があった。たぶん、どこまでやっていいか分からなかったんだろうな。その――〈魔人計画〉とかを聞くと、そう思う。どこまでやれば本当に安全なのか。どこまでやれば純人はずっと安心して暮らしていけるのか。追求したら止められなくなっちまったんだろう」
「そうです。そうして当初の純人主義が過激化し、他種の排他傾向が強くなっていった。安全のための純人主義が、『至高』のための――今でいう『純人至高主義』に変容したのです」
「俺だってそれを肯定はしねえよ。しねえけど――やっぱり少し分かるんだよ。俺たちは弱えからな。最初から上層にいたやつらに、俺たちの気持ちは分からねえ。分からねえだろうし、もちろん分かれとも言わねえ。そこまで甘えちゃいねえよ。世界ってのは理不尽だし、そういうもんだ」
エッケハルトの自嘲気味な笑みがこぼれる。
「そんで、だから俺はアテムの当初の理念を信じて、アテムがよりよい方向に行くよう手伝いたかった。だから王剣に入って、軍人になった。だが俺も――勝利を重ねて行くうちに勘違いしてたんだろうな。俺も……勝利の美酒に酔ってたんだよ」
うな垂れ。
『ハハ』と乾いた笑みを残して、エッケハルトはうな垂れた。
「純人主義は行き過ぎて権威主義に変容した。そして権威主義は最高神マキシアの威光を受けて、さらに過激化した。――負けなけりゃ分かんねえんだ。これでもかっていうくらい負けねえと、勝利の美酒の酔いから醒められない。それくらいアテム王国の業は深い。そして俺は――」
負けた。
だから、
「醒めちまった。酔いから。気付いた時には遅え。軍人であろうと、『剣』であろうとしたことが、むしろ人として当たり前の『思考』を忘れさせてた。――道具だな。無機質な道具になってたんだよ。俺は人じゃなかった」
「ですが、あなたはこうして今それを後悔できるくらいには、ちゃんと『人』であろうとしているではありませんか」
「王女殿下の言葉は端的で心を突き刺すね」
『本当にな』と周りの異族たちから声があがる。
エッケハルトが先ほどのうな垂れから復帰して、少し軽い笑みを浮かべていた。
「そんで、醒めてから改めてアテムを客観視しようとした時、すぐにアテムの変容は目についたよ。今のアテムは完全にマキシアの道具だ。マキシアには異様なカリスマがある。人心を惹きつけるし、なによりあいつは〈最高神〉だ。アテムの純人にとっては最高の神であることが、なによりも『心の拠り所』になる。実際にマキシアが姿を晒してからアテムは勝ちまくった。神族の力をこれでもかと借り、勝った。たぶん――」
――もう駄目だ。
「アテムは負けないと醒めない。マキシアが起こした圧倒的な権威主義の暴流。――いつからだ? いつからマキシアはアテムを権威主義に流そうとしていた? 今思えばかなり前から、実はマキシアは裏でアテム王国を操っていたんじゃねえかって、そう思えてならねえ。正直に言うと……怖いんだ。とてつもなくマキシアが恐ろしい」
「私は……」
アリスはエッケハルトの問いに答えられない。
――知らなすぎる。
魔人計画の完遂のために、道具のように育てられた自分。
今のアテムのやり方に反意を持てたのが奇跡的であると思う。
統制の間の、ちょっとした隙。
そこから垣間見た情報。
侍女たちの噂話。
アテム王の――父の言葉端に見られたほんの些細な統制外の単語。
そういうものが積み重なって、かろうじて、
――私は違和感を抱けた。
積もって積もって、爆発はあの父の言葉によって。
自分の存在意義がなくなった瞬間、今まで頭の中の大半を占めていた魔人計画のための情報が消失し、そこにアテムに対する反意が雪崩れ込んできた。
どれかが欠けていたら、自分はアテム王城から逃げ出そうとしなかったろうし、こうしてこの場所にいることもなかっただろう。
「ごめんなさい。私はあなたにとっての『王女』でありましたが、私は王女としてあなたの疑問に答えることができないのです」
アリスの声には気品があった。
まるでかつて王女であった頃の、厳かな物言いを思い出したかのような、そんな言いよう。
ギルド員たちと接する時のような、どこか砕けた物言いはそこにはない。
「――はい、殿下。……いいのです。殿下ご自身が険しい道を辿ってきたことも私は知っております。だから、殿下は謝らないでください」
「私には王女としての責務があり――ました。たぶんまだ、肩の先に責務が手をかけてぶら下がっているでしょう。だから、過去は完全に捨て去ることはできないから、やはり私は謝るべきなのです。王女として、あなた方アテムの民を導くべきアテム王族として、あなたに導きを与えられないことを――許してください」
アリスの言葉を受けて、エッケハルトはまた顔を俯けた。
それは隣に黙って座っていたシェイナも同じだった。
まるでアリスに向けて頭を垂れるように。
そうして身体を震わせた。
エッケハルトが目元を袖で拭い、少し赤くなった目をアリスに向ける。
「――殿下、マキシアを倒したら、アテムは元に戻れるでしょうか」
「それも、今の私ではハッキリと答えかねます。私には〈凱旋する愚者〉の長としての立場と責務がありますから。――でも、その上で答えるならば」
エッケハルトが唾をごくりと飲み込んで、静寂の後の言葉を待った。
「マキシアにこのままアテムを使わせるのは、かつてアテムの王女であった私としても、今テフラの王族に協力するギルドの長としても――『癪』ですね」
アリスの声は先ほどと比べて力強い。
それはその発言が今の立場によってなされたものだからだ。
かつての曖昧な王女としての立場では断言しづらかった言葉も、今なら言える。
むしろ、言わねばならない。
自分の肩には家族たるこのギルド員たちの命が掛かっている。
断言は必要だ。
この逆境を生き抜くためには、必要以上の迷いはいらない。
迷いという名の『思考』は必要でも、迷いという名の『躊躇い』はいらない。
「アテムを止めたいなら、最高を『自称』するマキシアを倒すしかないでしょう。マキシアを倒してもアテムがかつてのアテムに戻れるかは保障しませんが、今のアテムを間違っているとあなた方が断定するのなら、そうするしか他ないでしょう。別に、あなた方はこのままマキシアのもとに戻って、今のアテムに協力することもできる。そうして私たち『テフラ勢』に勝てば、アテム純人の安全は最高水準で確保されるでしょう」
「甘い言葉を掛けるのかい、『ギルド長』」
エッケハルトが笑う。
その言葉に周りのギルド員が、
「俺たちの時もそうだったぞ。アリスは決断を迫る時、一度甘い言葉を提示するのが常套手段なんだ」
かつてアリスは今のギルド員たちに『自分を囮にして逃げろ』と遠回しに言った。
甘い言葉。
自分がこれから進む道は険しいから、無理をしてついてくるなと、王剣遭遇戦のあとにアリスは言った。
しかし、
「まあ、俺たちはそれを突き返したがな」
異族たちが頷き、それをエッケハルトは苦笑して見ていた。
「俺は確信したよ、ギルド長。テフラに来て良かった。俺はアテムが好きだ。それも本当だ。純人主義をどこの純人族より早くに掲げ、弱い純人たちの揺りかごになろうとしたあの気概は、確かに尊ぶべきものだった。アテム建国に携わった純人は、たぶんとてつもない苦難を受容したんだろう。最初に始めるってのは、一番難しいことだからな」
純人主義の恩恵を受けたのは、先人が築いたモノを甘受することができるようになった世代からだ。
おそらく最初のアテム人たちは、今では考えられないような苦汁を舐めたはずだ。
そうして建国したアテム王国を、エッケハルトは誇りに思う。
ただ、今はマキシアの手によって、悪い方向に行ってしまっている。
それを修正できるかは分からない。
思考を停止させるほどの強烈な権威主義。
取り払って、アテムはもとに戻れるのか。
それはやっぱり、
「分かんねえけど……。でも――」
このままアテムをマキシアの傲慢の道具として壊死させるよりは、まだかろうじて純人主義の名残があるうちに、
「衝撃を食らわせねえと駄目か。ショック療法ってやつだな」
今のアテムには『敗北』がいる。
自分たちがこの異族たちとの『敗北』によって勝利の、そして権威の甘みから醒めたように、今のアテムには『敗北』が必要なのかもしれない。
「――ああ、分かった。俺は今やっと――」
◆◆◆
納得できたよ。
◆◆◆