200話 「境界の向こう側の物語」【前編】
爛漫亭大広間の一部は、その日ひどく人口密度が高かった。
というのも、警戒のためか、広間の一方に〈凱旋する愚者〉のギルド員たちが固まったためだ。
物々しい雰囲気であるが、ぎゅうぎゅうになってエッケハルトたちと対峙するギルド員たちが、言ってしまえばかなり無様であった。
「お、おう、本当にこれでいいのか? なんか俺たち二人、こんな悠々とソファに座っちまって」
「別にそれはいい。だけどちょっとこれ暑いな。ていうか牽制のためにむしろ裏に回れよ。馬鹿じゃねえのか、お前ら」
「サレに言われるとなんか腹立つな」
ギルド員が口々に文句を言いつつ、結局またバラバラになりつつ広間に散在する形に戻った。
エッケハルトとシェイナはアリスの座るソファの対面に座り、姿勢を正している。
特段に気を張っているようでもなく、だからといってダラけているわけでもなく。自然体だ。
そうこうしていると、これまで言葉を紡いでこなかったアリスがついに声をあげた。
エッケハルトたちとは久々の対面だ。
「お久しぶりですね。お二方」
「ええ、王女殿下。――いえ、今は〈凱旋する愚者〉のギルド長でしたね」
「慣れませんか。まあ、慣れないでしょうね。私も同じです」
お互いがどういう風に接するべきかを悩んでいるようだった。
かの戦狂人であったエッケハルトをして、頭をがりがりと搔いている。
「こう、どういう風に接するべきなのか、俺の方でも分からない状態で」
「なによ、エッケハルト。あんたそんなに真面目だったの。――ああ、よく分からないとこで不器用だものね」
「うるせえな。そういうお前はどうなんだよ」
するとエッケハルトの隣に座っていたシェイナが、肩で切りそろえられた紫髪を手で払い、アリスに向かって言った。
「――アリスさん。そう呼んで、いいのかしら」
「ええ、構いません。では私もシェイナさんとお呼びしましょう。今お互いは対等な取引相手同士。変に馴れ馴れしいのも変でしょうし、一方で畏まられるのも変でしょうから」
「そういうわけよ、エッケハルト。あたしは結構図々しいから、こういうのも問題ないわ」
「お前のサバサバしてるとこに感嘆するよ。今ばかりはな」
エッケハルトがまだ頭を掻きながら返した。
エッケハルトはそこから何度か深呼吸をして、ついに意を決したように言葉を紡ぐ。
「あー、んー、……〈凱旋する愚者〉のギルド長」
「ぷっ」
「笑うな、シェイナ」
「あんたにしては頑張った方よ」
「はあ……」
アリスに対して『ギルド長』という呼称で落ち着いたらしいエッケハルトは、ようやくといった体で話を始めた。
「なんでしょう、エッケハルトさん」
「はい――じゃなくて、ああ。今日はあなたと取引しに来た。いや、取引しにくるつもりだった」
「というと?」
エッケハルトの言葉にアリスが首を傾げる。
「実際は、取引なんて大仰なものじゃない。ただ、話をしたかった。俺はずっとアテムで暮らしてきて、外の世界を見る時はいつでも『アテム軍人』として見てきたから、今みたいに一般民衆として他国を見ることがなかった。だから、今少し、戸惑っているんだ。正直に言うとな」
「ほう」
「俺は話がしたい。俺と対極にいるお前たちと、話がしたい。俺はまだアテムに忠誠を誓うつもりでいる。だが、俺は俺で、アテムの今の在り方に疑念も抱いてしまっている。だから、お前たちが何を目的に、どういう理由でアテムと敵対するのか、それを知っておきたい。これは俺から持ちかけた話だ。ただ話を聞いてもらうなんてのは虫が良すぎるって分かってる。ゆえに、対価として俺は情報を渡そう」
「こちらにとって有利過ぎる話のようにも感じますが」
「いいんだよ。対等じゃねえからな、俺たちは。対等でありたいとは思うが、実際そうはいかねえんだ。それは自覚してる。純人族なら――いや、アテム人なら誰だって、認めたくなくてもそれは心のどこかで知ってることだ」
エッケハルトは自嘲気味な笑みを浮かべた。
両足を少し開いて、膝に肘を立てる。
隻腕ゆえに少しバランスを取りづらそうにしているが、そのまま前かがみに身体を倒した。考え込むような態勢だ。
「聞かせてくれ、ギルド長。お前たちは何と戦おうとしているんだ。それを俺に教えてくれ」
エッケハルトの声は、どことなく悲痛であるようにも聞こえた。
◆◆◆
「何と、ですか。そうですね……」
アリスは少し迷った。
一番最初は敵は〈アテム王国〉であった。
しかし、テフラ王国にて様々な事柄を経ていくうちに、敵の姿が変容した。
完全に姿かたちが変わったわけではない。
今でもアテム王国は敵性の色を湛えているし、このギルドの仲間たちの『悲劇』に関与しているという事実もある。
サレやプルミエールのように悲劇を起こした犯人がハッキリしない者もいるが、一方で確かにアテムの尻尾を見たという仲間もいる。
加えて、アテムが純人至高主義を掲げて対外国家を排他してきたのは今に始まったことではない。
〈異族討伐計画〉。
混成種族の集団を形成する自分たちは、アテムとは反発する。
だが――
「前は――アテム王国が敵でした」
「まあ、そうだろうな」
「しかし、今はアテム王国の裏にいるであろう〈最高神マキシア〉が最大の敵でしょう」
「――やっぱりそこまで知ってんだな」
エッケハルトが隻腕で頭をがりがりと搔いた。
大きく足を開いてソファに座って、横からシェイナに「ちょっと、足邪魔なんだけど」と小突かれている。
エッケハルトは少しの間ぼうっと広間の天井を見上げ、そして再びアリスに視線を向けた。
「――最初に言っておく。最高神マキシアは俺たちの敵でもある」
「――ほう」
アリスは軽い驚きを顔に浮かべた。
驚く時も無表情であることが多いアリスをして、その表情は珍しかった。
つまり大きく驚いた証明でもあった。
「だが、アテムを敵としているわけじゃない。この意味が分かるか?」
「……ふむ」
アリスは考える。
エッケハルトの言葉は別段難解なものでもない。
単純に、そこに『亀裂』があるのだ。
アテムとマキシアは同一のものではない。
――少なくともこの二人にとっては。
エッケハルトが考えるアテムの本質と、最高神マキシアの本質、もしくは目的がズレている。
「分かる、つもりです」
「ああ、さすがは元アテムの王女様だ。――これはちと失礼か。今のは忘れてくれ」
「気にしないでください。名を捨てても過去は捨てられませんから。あなたの言は間違っていません」
「……ああ、そうだな。過去は――捨てられねえからな。自分が見向こうとしなくたって、いつだって背中にいる」
「――ええ」
アリスはエッケハルトの言葉に頷いた。
次いで、やや暗みが差した空気を元に戻すように、今度はアリスがエッケハルトに問いかけた。
「あなたたちにとってマキシアはどういう存在なのですか? 敵だ、というのを前提とした上で、より詳しく述べるならば」
「最初は『救世主』だった。救世主で、かつ神だ。神族じゃない。『神』に見えた。後光すら差して見えたね。でも今の俺たちにとっては――忌まわしい『傲慢の権化』だ。他者をたやすく道具にする傲慢の権化。そして実際に道具にできてしまう力を持っているから、最高にタチが悪く見える」
なるほど、とアリスは思う。
『神族の傲慢』の原点にして頂点とも言える、【集約】の三貴神マキシア。
その性質が、どうやら『あちら側』でも露見しているらしいことをアリスは察する。
「最初はよ、別にそんな悪いやつだとは思わなかったんだ。――最初はな」
「マキシアはいつからあなた方の前に姿を現したのですか?」
エッケハルトの口ぶりから、マキシアの出現が意外と最近なのではないかということをアリスは予想する。
「ギルド長と俺たちが戦って、俺とシェイナが敗走して――そのあとだ」
「近いですね」
「そう。だからお前らとやり合ってた時には、そんな存在聞いたことすらなかったぜ。知る由もないってやつだ」
エッケハルトが自嘲気味に笑った。
「――それで、マキシアが姿を現してから俺たちに神の威光が強く当たるようになった。まあ、つまるところ最高神の力だな。マキシアの側につく神族たちが、ずいぶん力を貸してくれるようになった。正直『これでいいのかよ』って思っちまう安い対価でな」
「……」
「全員が全員じゃねえぞ? 俺が契約してたユーカスは、最高神とは関係なくいつもどおりだった。――とはいえ、その契約もマキシアの介入で消滅しちまったんだけど」
「介入とは?」
「ユーカスを殺そうとしたんだよ。あの男は」
あの男、と、エッケハルトが苦々しげにマキシアを形容する。
アリスはその言葉にまたも驚いた。
「舞神を――」
「そう、殺そうとした。俺との契約通路から何気なく手を伸ばして、ユーカスの神界をこじ開けた。ユーカスは別の門から逃げたらしいが、逃亡のために俺との契約は切ったらしいな。俺もそれで良かった。俺のせいで舞神がやられるのはちょっと嫌だからな。結構世話になってたし」
エッケハルトはそう続け、そこで逆に問いかけた。
「そういう話、聞いてねえのか?」
問いかけに答えるのは横から顔を出したサレだ。
「最近神族側もごたごたしてて、ロキが――〈戯神〉な――飛び回ってるらしいが、まだ詳しいことは」
「ああ、ロキか」
「知ってるのか?」
「マキシアが苦々しげにその名を呟いていたよ。『してやられた』ってな。まあ、次の瞬間には『まあいいか』だったけど」
「酷い切り返し方だな」
「そういうやつなんだよ、マキシアは。あれは大人だが、同時に子供なんだ」
サレはエッケハルトのその言葉を聞いてもっとマキシアについて訊ねたかったが、アリスとの話をまずは優先させることにした。
「あーっと、どこまで話したっけな」
「アテム王国にマキシアが姿を晒したあたりまでです」
「ああ、そうだそうだ」
エッケハルトは二度頷いて、続きを紡いでいった。